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「それでも、祈ることをやめない」

影に陽は差し

第一部 (top)

45.距離

 これまでチョウザ班は第十一演習場を使っていたけど、ゲンマが火遁の練習をするために水辺が近い第十三演習場に移動した。チョウザ先生はゲンマが火遁を始めたと聞いて得意げにしていて、私を見ては「お前も早く術を使えるようになるといいな」とプレッシャーをかけてくる。そんなの、私が一番思ってるよ。でも私はまだ木の葉を真っ二つにする修行さえ途中だった。
 ゲンマの火遁は、炎球の術と火焔の術。いずれも火遁の基本忍術で、威力としてはさほど強くないと聞いたけど、私からすれば充分すごい。ゲンマは印を結ぶ前にいつもゆっくり深呼吸していて、他の忍術のときにはそんな仕草は見せないから、やっぱり火遁を使うことにまだ少し抵抗があるのかなと感じた。
 でもゲンマは大丈夫だ。きっと自分で乗り越える。
 ガイが丸太を五本括り付けた重りを引いて目標地点まで進もうとする姿を見てから、私は再び木の葉の修行に戻った。みんなそれぞれ自分のできることを続けている。私たちは、これからまだまだ強くなれるはずだ。

***

 すっかり慣れたDランク任務を終えた帰り道、私たちチョウザ班はまたいつもの甘味屋に来ていた。ここには月に数回は寄っていて、私の知っている顔や、ゲンマの同級生たちと遭遇することも多い。今日は珍しく他にお客さんは誰もおらず、私たちはゆったりと席について、いつものお団子セットを注文した。
「本日五十回目の任務達成、お疲れさまでしたー!」
「おつかれー」
 数えてるのがすごいな。私は元気よく串を掲げるガイを見て、声には出さずに感心する。最初は失敗続きで成功率を計算するのも億劫だったが、今ではほぼ百パーセントだ。そろそろCランク任務も受けられるかもしれないと、数日前にチョウザ先生が話してくれた。
 私が二本目の団子に手を伸ばそうとすると、私の右手は皿に触れただけだった。
「あれ?」
 まさかと思って見やると、足元に音もなく現れたアイが団子の串を咥えている。隣のサクがその串からさっさと団子をかじって食べてしまったので、アイは今度はゲンマの皿から一本串を持ち去った。
「あ、俺の」
「油断するやつが悪いにゃ」
「ちょっと、そんなの食べちゃダメでしょって!」
 私が注意しても、アイもサクも知らん顔。ふたりは団子を食べたあと満足そうに毛づくろいしてから、私の両肩にひょいと飛び乗ってきた。
「さっさと帰るにゃ、おやつにするにゃ」
「おなかペコペコにゃーん」
「今食べたでしょ……」
 別に用事があって来たわけではないらしい。何だか懐かしい気持ちになって、私は口を尖らせながらも胸に温かい気持ちが湧き上がってくるのを否定できなかった。
 外で彼らがこうして私に姿を見せるのは、何か月ぶりだろう。もちろん、信頼されてるとは思わない。昔からそうだ、彼らは私をおもちゃにして遊んでいるだけ。
 それでもまた少し距離が縮まったような気がして、嬉しかった。ゲンマも心なしか優しい眼差しでこちらを見ている。ガイは目をキラキラさせて自分の団子を一本持ちながらアイのほうに手を出した。
「可愛いな! ほら、おやつでも……」
「あ、ガイ、やめ――」
 私が止めるよりも先に、牙を剥いたアイがガイの頬に痛烈な猫パンチを食らわせた。昔ゲンマにやろうとして本に穴を開けたやつだ。ガイは横っ飛びに跳ねて店内から表通りに吹き飛んでいった。
「ガ、ガイ……!!」
「え、俺、昔あんなの食らいそうになったのか? やべぇ」
 私が大慌てで席を立つ隣で、ゲンマが呆然とそう言った。確かに、ガイは卒業してめきめき体術の腕を上げている。そのガイが、いくら気を抜いていたといえあそこまで飛んでいくのは想定外だ。私が表通りに飛び出すと、地面に倒れ込んだガイの傍らに、昔馴染みがひとり立っていた。
 久しぶりに顔を見た――カカシだ。カカシはいきなり飛んできたガイに驚いたようだったが、私に気づくと仏頂面になった。それはアカデミーの頃から同じだが、今は一段と、彼との間に距離を感じた。
「カカシ……久しぶり」
 私が声をかけると、カカシはマスクの下で何かつぶやいた。ああと言ったのかもしれないし、単にため息をついただけかもしれない。そんなことも分からないくらい、小さな音だった。
 勢いよく反応したのはガイだ。彼は倒れ込んだまま動かなかったので、気絶でもしたかと思っていたが、カカシの名を聞くと反射的に飛び上がって眩いばかりの笑顔を見せた。アイに殴られた頬からは出血があるが、まったく意に介さないといった様子だ。
「カカシ、久しぶりだな! どうだい、青春をかけた熱い一戦を繰り広げようじゃないか!」
「いや、お前、まず手当てしろよ」
「手当て? あぁ、こんなもの唾でもつけておけば……」
「その唾つけた手で触るなよ」
 ガイが伸ばした手から逃げるように後退り、カカシが顔をしかめる。私の両肩に載ったアイとサクは、カカシの顔を見ると低い声を出して唸った。
「犬くさい」
「犬くさいにゃ。帰るにゃ」
「あ、ちょっと……」
 私が声をかけたときには、忍猫たちはすでに私の肩から消えていなくなっていた。彼らはサクモおじさんの口寄せである忍犬たちを嫌っていた。サクモおじさん亡き後、きっとカカシが引き継いだのだろう。カカシはこちらを見て一層イヤそうな顔をした。
 ガイは今、カカシとの勝負しか眼中にない。この重い空気も自分の流血も、彼にとっては何の問題もないのだろう。カカシはすぐに私から目を逸らして、嘆息混じりにガイのほうを向いた。
「じゃ、勝負は俺が決めていいか?」
「おう、いいぞ! 何でもこい!」
「じゃ、じゃんけん」
「カ、カカシ……またか? またなのか? どうした、任務明けで疲れているのか?」
「そうそう。俺、疲れてるから。いつもじゃんけんでいいよ」
「な、なんてことだ! カカシ、君にはもっと熱い勝負を望んでいるというのに……!」
 ガイが大げさに頭を抱えるのを見て、私は思わず笑みをこぼす。二人のやり取りは懐かしくもあり、でもカカシとの間に少しだけ距離を感じた。忍猫たちが去って、カカシの視線ももう私には戻らない。
 ガイとのじゃんけん勝負が終わり、絶望するガイをよそにカカシは一言もなく背を向けて歩き出した。どうしてもそのままにしておけなかった私は、店から顔を出したゲンマにひと声かけて、カカシの後を追いかける。
 カカシの足は速いけど、走ればすぐに追いつけた。
「カカシ、ちょっと話せる?」
 カカシは一瞬だけ足を止めたものの、私の顔を見ないまま歩みを続ける。私はまた少し走って、彼の隣に並んだ。
「最近どうしてるの? 任務はどう?」
 私は静かに問いかけたが、カカシはただ前を見たまま、気のない返事を返すだけだ。
「別に、普通。何も変わらない」
「そう……私たちね、そろそろCランク任務も受けれるようになるかも。カカシからしたらもう覚えてないくらいの任務かもしれないけど、こないだはガイがね……」
 私はさらに言葉を続けようとしたけど、カカシの横顔を見ると、その無関心な態度に思わず口を噤んでしまった。
 早くカカシに追いついて、その心の奥に触れたい。そう願っていたはずなのに、たとえ追いつけたとして、彼に近づくことができるのか分からなくなってきた。私を認めてくれようとしていたカカシはとうに過去に消えて、私がその思い出に縋ろうとしているだけなのかもしれない。そんな思いが胸の奥に広がって、やりきれなくなった。
「……何でもないよ」
 私のつぶやきにカカシは何も言わず、ひとりで足早に去っていった。私は彼の背中を見送ることしかできず、胸の中には虚しさだけが残った。