影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
の顔を見て、確かにリンが心配するのも無理はないと思った。少し頬が痩せて、顔色も悪い気がする。泣いていたのか、クマのある目の周りが腫れ、白目は赤くなっていた。どれくらい会っていなかっただろうか。一か月くらい? 正確には覚えていないが、会っていないならいないであまり気にかけていなかったのが正直なところだ。だが別に、会う約束をしていたわけではない。元気にやってるだろうと思い込んでいた。
(こいつは、ほんとに……心配ばっかりかけやがって)
は俺が待っているのを見て心底驚いたようだった。それはそうだ。まともに知り合ってから二年、アカデミーでわざわざ意図して会ったことはない。一方、リンは俺を見て小さく微笑んでみせた。恐らく、と話をすることに成功したのだろう。が泣いているのは彼女に話を聞いてもらったからかもしれない。
はリンの他にも、もうひとり男子と一緒だった。男子も俺を見て目をパチクリしている。
「ゲンマ、どうしたの?」
訝しげにに問われ、俺は率直に答えた。
「お前と一緒に帰ろうと思って」
「……何で?」
「最近会ってなかっただろ?」
「そうだけど……なんかゲンマ、変」
「変じゃねぇだろ。俺から会いにきちゃ悪いのかよ」
口にしてから、ちょっと恥ずかしくなった。頬に熱がこもるのを、顔を逸らしてごまかそうとする。がそのまま静かになったので、もっと他の言い訳でも考えれば良かったと後悔し始めた頃、リンのやけに明るい声がした。
「オビト、私たち先に帰ろう」
「え、でも」
「いいから! 、ゲンマさん、またね」
リンがニコニコ笑いながら、オビトと呼ばれた男子を引きずってその場をあとにする。気が利く子で良かった。とりあえず恥ずかしい思いをするのはの前だけでいい。
リンたちの後ろ姿をぽかんと見送ったが、戸惑いながらこちらを見た。
「……リンと知り合いだっけ?」
「まぁ、たまたま会って、声かけられた。ゲンマさんですよねって」
大きな嘘はついていない。だががかなり不審そうな目で見てくるので、俺は観念して曖昧に種明かしした。
「お前のこと心配してたぞ。最近が元気ないって」
「そ、そんなことないよ……」
「そんな青い顔してよく言うな」
反発するの額で、俺は軽く中指を弾いた。デコピンされて小さな悲鳴をあげたが、少し頬を膨らませて涙目で俺を睨む。拗ねたに睨まれるのは、正直、嫌いじゃない。悪趣味だろうか。
「帰ろうぜ。久しぶりにお前の話聞きたい」
の返事がないのは俺のセリフに驚いたからではなく、俺がの手を握ったからだろう。別に修行中にフォームを直すためにの手は触っているし、から手を握られたことも何度もある。だがは真ん丸の目を瞬かせ、まるで鳩みたいだ。俺は少し冷たいの手を引いて、俺たちの家の方角へ歩き出した。
こんなところ、クラスメイトに見られたら邪推されるに決まっているが。こんなガキと何かあるわけないだろう。
有無を言わせず一緒に帰るために握った手だったが、離すタイミングが見つからず、結局の家に着くまで俺たちは手を繋いだままだった。も少し握り返してくれているので、嫌というわけではないだろう。
結局、一言も話さないままの家の前に着いてしまった。が、の話を聞きたいと思ったのは本当だ。未だ不思議そうな顔をしているを見下ろして、尋ねる。
「お前の家、誰かいんの?」
「今? 多分いないと思うけど」
「上がっていい?」
「い、いいけど……何もないよ?」
「お前がいればいいよ」
思えばの家に入るのは初めてだ。ここで待ち合わせたこともない。親父にずっと聞かされてきた『澪様』の家だと思うと、おいそれと近づけないような気がしていた。
だが、今は違う。ここは『澪様』の家かもしれないが、の家でもある。立ち入ってならない理由などないはずだ。
は躊躇いがちに俺を家の中に案内してくれた。母さんが花を活けたり季節の写真を飾ったりするうちとは違って、ひどく簡素な印象を受けた。が、部屋の隅に花瓶が置いてあるのを見ると、以前は花でも飾っていたのかもしれない。忍猫が二匹軒先でゴロゴロしている以外は、外から往来の喧騒が聞こえるだけのどうということもない平屋だった。
「ゲンマにゃ」
「ゲンニャ」
「変なあだ名つけんな」
以前、の周りをよくウロウロしていた忍猫の二匹だ。名前はアイとサク、だったか。兄弟で見た目はそっくりなので、違う色の忍び服を着ていてくれてよかった。
そういえば初めて会ったときは、本に穴を開けられて大変だったな。だがあの本がなければ確実に俺の鼻は折れていただろう。因みに例のミステリー小説は、大事な結末が読めずオチがよく分からなかったが、親父は「家の忍猫に穴を開けられた貴重な本」といって、俺が捨てようとするのを全力で阻止した。家(というより『澪様』か?)への執念が、正直気持ち悪い。
は湯呑にふたつ茶を入れて戻ってきた。座布団も出してもらったが、いいよと言って断る。畳の上のほうが落ち着く。俺はあぐらをかいてぼんやり庭先を見た。隅に手裏剣の的があったが、すでに飛距離を伸ばし命中率も上げたにとっては無用の長物だろう。
ひとくち茶をすすり、俺は隠しもせずに渋い声を出した。
「まっず」
「やっぱり? お茶いれるの難しいよね」
「全然難しくないし、客に出すならもっと練習した方がいい」
「えー……まっず」
遅れて湯呑に口をつけたが派手なしかめっ面をして舌を出す。俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出して笑った。この感じ、やけに久しぶりのように感じる。そう思うと急に、俺は近頃に会っていなかった時間の長さを思い知った。