影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
「気遣わせて悪かったな」
ゲンマの家からの帰り道、ぽつりと彼が口にしたのはそんな一言だった。
徒歩五分だから、これまでゲンマの家から自宅まではひとりで帰ることが多かった。でも今日は珍しく、ゲンマが「送ってくよ」となんだか神妙な顔で言うから、断り切れなくてうんと言ってしまった。
まっすぐ帰ればうちなんて本当にすぐだ。話したいことでもあるのか、ゲンマはいつものようにポケットに手を突っ込み、口元の長楊枝をゆっくり揺らしながら、「ちょっと歩くか」と言った。
そして今、私たちは初めて一緒にアイスを食べた川原に並んで座っている。夜はもう更けて、近くの街灯がぼんやりと辺りを照らすのみだった。里はこんなにも静か。それなのに、遠く離れた場所で今戦争が繰り広げられているなんて私には信じられなかった。
「……何が?」
「母さん元気ねぇから無理して明るく振る舞おうとしてくれただろ?」
「別に無理してない」
少しふてくされながら言い返す。いつもゲンマやおばさんに優しく助けられてるのに、あれくらいのことで無理してるなんて言われるのは心外だった。
私の反応に少し驚いたのか目を丸くしたゲンマが、すぐに小さく吹き出して笑う。
「そっか。でも、ありがとな。お前が来てくれて母さんも嬉しかったと思う。食ってくれるやつが少ないと張り合いがないからな」
ゲンマは何でもないことのように軽く言ったけど、いつもの軽快さが感じられなかった。私は恐る恐る、尋ねる。
「……ゲンマのおじさんも、国境線に?」
「うん、まぁ。お前んちも?」
「うん……母さんが前の任務から戻らずに、結局そのまま行っちゃった」
「そっか」
それからしばらく、私たちは黙って川面を眺めていた。街灯を受けて淡くキラキラして、ときどき魚でも跳ねるような音がする。風が吹いて顔にかかった髪を、静かにすくい上げて耳にかけた。
「母さんは忍びじゃないから――怖いんだ。いつ死ぬか分からない忍びの世界に怯えてる」
ゲンマが水面を見つめたまま、とつとつと話し始める。彼が自分や家族のことを話すイメージはあまりなかったので、私は驚いて彼の横顔をじっと見た。
「伯父さんは前の戦争で死んだ。親父の兄貴だ。すごく、優秀な人だった。親父なんかよりずっと。それでも死んだ。力があるかないか、そんなこと関係ない。死ぬときは死ぬ。それが忍びだ」
死ぬときは死ぬ。そんなこと、ばあちゃんから嫌というほど聞かされてきた。でもその頃、すでに戦争は終わりかけていた。父さんのことなんか覚えてもいない。だからどこか、他人事のような気がしていた。
そして、きっと今も。こんな穏やかな安全圏にいて、本当に戦争や死の恐怖を実感できているはずがない。私はきっと何も分かっていない。そのことが分かっただけだ。
沈黙が訪れ、川のせせらぎだけが耳に届く。私たちはただ、淡く揺れる水面をじっと見つめていた。
「伯父さんが死んだとき、一番動揺してたのは母さんでさ。身近な人が呆気なく死ぬって、初めて分かったんだと思う。やっと戦争が終わったと思ったっていうのに、たった二年でまた戦争。ほんと、どうしようもねぇよな、忍びなんて」
そんなこと、考えたこともなかった。ただぼんやりアカデミーに入って、ただカカシにムカついて張り合いたくてがむしゃらにやってきた。リンは、目的がないのは悪いことじゃないって言ってくれたけど。私はなんて、考え無しなんだろう。ゲンマの隣にいることが、急に恥ずかしく思えてきた。
こちらの気持ちなど知る由もなく、ゲンマがさらに続ける。
「忍びは死に様、って言うだろ。それは忍びの理屈でさ。母さんにはそんなこと関係ないんだ。生きて帰ってくる以外、望むことはねぇんだよ。それしか考えてないんだ。みっともなくたって、生きて帰ってほしいんだよ」
ゲンマはそこで、話しすぎたと思ったのか、悪いとつぶやいて口を噤んだ。片方の膝に手を置いて、その切れ長の瞳はまっすぐに川面を見つめている。私の返事なんか待ってないのかもしれない。ただ、話したかっただけかも。でも、私はゲンマの横顔を見ながら、気づいたら声をかけていた。
「……ゲンマがその、『どうしようもない』忍びになろうとしてるのは、なんで?」
ゲンマの目が少し見開かれて、珍しいものでも見るようにして私の方を向いた。私の顔をしばらくじっと見たあと、目尻を下げて笑う。私の大好きな笑顔だ。
「お前はなんでも素直に聞くよな」
「ごめん……」
「謝るなよ。好きだよ、お前のそういうとこ」
ゲンマはそう言ってクシャクシャと頭を撫でてくれた。そういえばちょっと久しぶりかも。やっぱりゲンマに撫でられるの、好きだな。こんな状況でも安心する。
ゲンマの手が離されると、ちょっと胸がキュッとして、ほんとはもっともっとと甘えたくなる。でもそれはなんだか違う気がして、いつも言葉を飲み込むのだ。
ゲンマはまた川の方を向いて、じっくりと考えているようだった。口元から笑みが消え、また静寂が訪れる。返事は返ってこないかもしれないと思い始めた頃、ゲンマは少しだけ目を細めて微笑んだ。
「何でだろうな。この生き方しか、知らねぇからかな」
それはどこか諦めにも似ていた。幼い私にも、何となくは分かる。生まれたときから忍びになる以外の道を考えたことさえなかった。例えこの道に矛盾を感じたとしても、今さらどうやって辞めればいいというのだろう。
どうしようもないと思ったって、私たちはきっとこの道を行くしかないのだ。
「……俺も、どうしようもねぇな」
ゲンマが自嘲気味に囁くのを見て、私は思わず彼を睨みつけた。
「そんなこと言わないで」
ゲンマは私の声がちょっと低くなったことに気づいたらしい。反射的にこちらを見て、目をパチパチ瞬かせた。
「お前、何マジになってんだ?」
「だって」
しばらく言葉を選んだけど、そんなことを気にしても仕方がない。思ったことを、素直に伝えようと思った。
「そんなふうに自分を下げるの、イヤだ。私が大好きなゲンマのこと、そんなふうに言わないで」
ゲンマは私のセリフを聞いて少し黙り込んだ後、眉をひそめて小声で言ってきた。
「お前……俺のことどんだけ好きなんだよ? 言ってんの俺自身だぞ、それくらいの発言許せよ」
「やだ。だってゲンマはどうしようもなくない。いつもやれること一個ずつやろうって、ちょっとずつでも進んでるって思い出させてくれるもん。全然ダメじゃない。私の大好きなゲンマまで否定しないでほしい」
ゲンマは戸惑った表情で口を開きかけて、それからばつが悪そうに笑った。
「まったく……人気者は弱音も吐けねぇのかよ」
「吐いてもいいけど、俺はダメみたいな言い方はやだ」
「……たまにはいいだろ」
「ダメ。私はゲンマが忍びになろうとしててほんとに良かったもん。これからも一緒にやっていきたいもん。私だってこの生き方しか知らないからこの生き方やってんだもん。どうしようもないとか言わないでよ」
結局は、自分に言い訳したかっただけかも。言葉にしながらそんなふうに思ったけど、ゲンマは私を否定したりはしなかった。苦笑を浮かべて肩をすくめながら、
「分かった、分かった。別に忍びになるの辞める気もねぇしな。お前が大好きな『兄ちゃん』のこと、悪く言うのはやめといてやるよ」
ゲンマが再び笑顔を見せたとき、私は心底ほっとした。めんどくさいことを言ったかもしれない。でもゲンマがいつものゲンマに戻ったような気がして、私も自然と笑顔になった。
忍びなんてどうしようもない生き方かもしれない。でも私たちは、この生き方しか知らない。だからこのまま、もがきながら生きていくしかない。それはこれからもゲンマのそばがいい。