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「それでも、祈ることをやめない」

影に陽は差し

第一部 (top)

26.卒業

 ゲンマが最近めちゃくちゃ優しい。というかむしろ、お節介すぎる。
 ごはんはいいと言ったのに二日に一度はおばさんの手料理を持ってくるし、アカデミーでも毎日のように顔を見に来るし、しまいには「ゆっくり寝たいならうちに来い」とか言い出す始末。この間、ゲンマが一緒にいてくれたら安心してすぐ眠ってしまったから、気を遣ってくれてるんだろう。思い出しても恥ずかしいことをお願いしてしまった。起きたらゲンマがいなかったのは寂しかったけど、でも本当によく眠れた。
 ほんとは寝る前から起きるときまでずっと一緒にいてほしい。だけどそんなの無理だし、言えない。
 ゲンマがうちに来た日の夜、母さんから変なことを聞かれた。好きな人はいるの? と。今まで母さんからそんなこと聞かれたことはなかったし、母さんの口から恋愛の話題が出たことにとても驚いた。サクモおじさんの顔が頭に浮かんで胸がキュッと苦しくなった。
「いないよ、興味ないし。何で?」
「ううん。それならいいの」
 ひょっとしてゲンマがうちに来たから、何か勘繰ってるんじゃないだろうか。ゲンマはそういうんじゃないよと言いたかったけど、聞かれてもいないのにわざわざ言うほうが怪しい気がして、口には出さなかった。
 ゲンマにもリンにも、サクモおじさんや母さんのことなんて話せない。でも二人がそばにいてくれるから、オビトが見守ってくれるから。私は少しずつ前を向くことができた。ゲンマのおばさんの手料理も、以前は残すことが多かったけど最近では全部食べられるようになってきた。母さんは雑炊でいいと言うので、卵雑炊を作って魚や肉を添えるようにしている。母さんも少しずつだが、前より残す量が減ってきた。
「ちゃんと寝れてんのか?」
「ゲンマ、しつこい」
 アカデミーの帰り道、私はときどきゲンマと帰るようになった。というより、ゲンマが勝手についてくるようになった。私が心配かけるのが悪いんだけど、あれ以来、本当にゲンマの世話焼きがすごい。平気で毎日三年生の教室を覗きに来るから、私はクラスメイトから上級生の彼氏がいることにされてしまった。しかもどうやら、ゲンマはちょっと女の子に人気らしい。言われてみたら確かにかっこいいかもしれないけど、そんな人と付き合ってることにされて囃し立てられるのはどうにも落ち着かない。
 私は隣を歩くゲンマに素っ気なく告げた。
「もう大丈夫だよ。来なくていいよ」
「ふーん」
 ゲンマは疑わしげに私を横目で見る。ふてくされて睨み返す私をしばらくじっと見つめたあと、ゲンマはそれなら、と提案してきた。
「じゃあ今週うちに飯食いに来い」
「は?」
「もう大丈夫なら、うちの母さんにそう言ってやってくれ。お前のこと心配してほんとは毎日飯持っていけって言われてるんだよ」
「……言わないでって言ったのに」
「約束したっけ?」
 確かにゲンマは、分かったって言わなかったかも。でも、今更そんなこと言うなんて意地悪だ。頬を膨らませる私に、ゲンマは困ったように笑った。
「うちの母さん、お前のこと大好きだからさ。世話焼きたいんだよ」
「……ゲンマも?」
「ん?」
 片眉を上げるゲンマに、躊躇いながらも私は思い切って問いかける。
「……ゲンマが色々してくれるのも、私が好きだから?」
「お前、そんなもん、ストレートに聞くな」
 ゲンマはちょっと怒ったみたいに眉をひそめたけど、徐々に頬が赤くなっていくのを見たら、年上のゲンマを初めて可愛らしく思えた。言ったら、ほんとに怒るかな。
「当たり前だろ。嫌いなやつにこんなことするかよ、めんどくせぇ」
「好き?」
「……お前な」
「好き?」
 一緒にいて楽しいとか、妹みたいとか、こういうところが好きとか。そういうのはこれまでも何回か言ってくれたことがある。でもこんなふうに強引なくらい面倒を見てくれて、私はふと、ゲンマの口からもっとはっきりした言葉を聞きたいと思った。そしたらこのくすぐったい居心地の悪さを、少しでも納得できるような気がした。
 ゲンマは観念したように息を吐いて、私を見る。とても恥ずかしそうに、私の求めた答えをくれた。
「……そりゃ、好きだって」
 その言葉を聞いたら、モヤモヤしていた胸のつかえが少し取れた気がした。思わず笑顔になって、私も同じ言葉を返す。
「うれしい。私もゲンマ大好き」
「……知ってるって」
「知ってても言いたいもん。ゲンマ大好き。心配してくれてありがとね。ゲンマのおばさんもおじさんも大好きだよ」
 こんなふうに素直に気持ちを伝えられる人たちがいて、本当に幸せだと思った。ゲンマと知り合えて良かった。そうじゃなかったら、家族にも本音を言えない私はひとりで潰れてしまっていただろう。
 だからもう、大丈夫だ。私はひとりじゃない。ゲンマもリンもそばにいてくれる。つらいことがあっても大丈夫だ。ゲンマとのことをクラスメイトに誤解されるくらい、大したことじゃない。
 翌日、久しぶりに不知火家を訪ねた私は痛いくらいゲンマのおばさんに抱きしめられた。おばさんは何も言わなかったけど、私の姿を見て心から安心してくれたのが分かる。大事にされている、と一点の曇りもなく信じられた。
 涙が止まらなくなった。

***

 それからというもの、三年生の卒業試験までの数か月、私は死に物狂いで勉強した。何もできない子どもでいることに強い無力感を持っていたし、サクモおじさんの選択が正しかったことを証明したいと思っていた。母さんがサクモおじさんを好きだったとしても、私の中でおじさんへの気持ちが変わることはない。私にとってサクモおじさんはあの頃のまま、尊敬できる大好きな大人のひとりだった。
 カカシはあれ以来、里で見かけることはほとんどない。中忍に昇格してからというもの、小隊を率いて前線へ赴くこともあるという。サクモおじさんが死んだあと、里で見かけたカカシの死んだような眼差しが忘れられなかった。
 あの日、縁側にたたずむカカシに声もかけられなかった私ができることはないのかもしれない。それでも早く彼に追いついて、手助けできることはないか模索したかった。ゲンマやリンが私にそうしてくれたように、私もカカシの力になりたいと思った。
 そして三年生の二月、私は無事に卒業試験に合格した。同じクラスのもうひとりの合格者は、なんとあのガイだ。ガイは補欠合格というとんでもない成績でアカデミーに入学してきたいわゆる『落ちこぼれ』だったが、その努力と根性と折れないメンタルのおかげで、メキメキと体術の腕を上げてきた。忍術と幻術は中の下といった感じだったが、今年の試験は体術メインだったため、一発合格したのだろう。私は彼と同じチームにならないよう、心の中で必死に祈りを捧げた。
 ガイの弛まぬ努力はもちろん認めるが、その空回りする熱血ぶりは相変わらず苦手だったからだ。
 しかし私の祈りは届かず、先生がチーム分けのとき私とガイの名前を続けて読んだ。
、マイト・ガイ、不知火ゲンマ」
 最後に呼ばれた名前を聞いて、私の心臓が大きく跳ね上がった。