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「それでも、祈ることをやめない」

影に陽は差し

第一部 (top)

09.イクチ

 ゲンマからの宿題を無事に終えた私は、一週間に約二回のペースで手裏剣の修行を重ねていった。アドバイスやコツを教えてもらったあと、時間を取って自主練習。そのあとまた確認してもらって、アドバイスの繰り返し。
 自主練習の間はゲンマも楊枝吹の特訓ができるし、ときどき気兼ねする私に彼は「それなら早く俺にアイスを奢れるようになってくれ」と茶化した。
「ゲンマって、何でそんなに教えるのうまいの?」
 一か月ほど経った頃、不思議に思って尋ねた私に、ゲンマはあっさりと答えた。
「俺が手裏剣苦手だったんだよ。でも俺も、人に教えてもらってやっと人並みにできるようになったからな。俺は教えてもらったことをお前にも教えてるだけ」
「そうなんだ! それでこんなに教えるの上手いって、ゲンマはきっと人に教えるのが向いてるんだね!」
「お前が昔の俺と同じ投げ方してるからだよ。そうじゃなきゃ、指導なんてできるわけないだろ」
「できるよ! だってゲンマ、ちゃんと見ててくれるもん」
 ただ時間を割いて見てくれることが、どれだけありがたいことか。再び戦争が近づく中、そんな余裕を持つ大人は少ない。だからサクモおじさんがカカシの修行に付き合っていると知ったとき、私は心の底から羨ましくて、悔しくて仕方がなかった。
「ほら、もう少し肘を後ろに引け。そう、そうやって手の力を抜いて……」
 ゲンマの指導は穏やかで、でも的確だった。彼が近くで手を添えてくれると、これまでうまくいかなかった手裏剣の投げ方が、少しずつ形になっていくのが分かる。
 しばらくフォームを練習していると、どこからともなく声がした。
「お、やってるな」
 驚いて辺りを見回す。不知火家の訓練場で修行しているとき、他の誰かに遭遇したことはこれまで一度もなかった。
「イクチ、帰ってたのか。でもここは今日うちの番だろ?」
 ゲンマが上空を見上げながら口を開く。彼の視線を追いかけると、近くの木の枝に中忍ベストを着た男の子が立っていた。なんと口元にはゲンマと同じ長楊枝を咥えている。
 その姿を見るだけで、不知火家の誰かなんだろうなとすぐ分かった。
「お前が女の子連れ込んでるって聞いて様子見に来た」
「冗談よせよ。の家の子だって言ってあるだろ? 冷やかしなら帰れ、邪魔」
「悪かったよ。挨拶だけさせて?」
 イクチは片手で謝るような仕草をしながら、一瞬で私たちの目の前まで降りてきた。人当たりのよい笑顔を見せて軽く一礼する。
「初めまして、不知火イクチです。ゲンマの従兄です。ゲンマがお世話になってるって聞いて、挨拶に伺いました」
「どう見ても俺が世話してるだろ?」
「ちょっと黙ってろ、ゲンマ。あの澪様の孫だぞ、失礼があったら父さんに怒られる」
「……伯父さんが生きてたら、お前のさっきみたいな冗談は許してなかったと思うけどな」
「それは、まぁ、確かに……大変失礼しました」
 イクチが私に向かって深々と頭を下げる。さっきから二人が何の話をしているかよく分からなかったけど、この人はゲンマの従兄で、ゲンマの伯父さんはもう亡くなっていることだけは分かった。
 私は慌てて挨拶を返す。
「あ、えーっと、です。いつもゲンマにお世話になってます」
ちゃんね、可愛いね。ゲンマが失礼なことしてない?」
 畏まっていたのは挨拶のときだけか。急に砕けた話し方になったイクチが人懐っこく笑いかけてくる。近くで見ると、目元がちょっとゲンマに似てるかも。でもゲンマよりだいぶ背が大きい。額当てをして中忍ベストを着ていると、それだけでもすごく大人びて見える。十五歳くらいかな?
「ゲンマは失礼ですけど、めちゃくちゃ丁寧に教えてくれるから大丈夫です!」
「おい」
「お前、早速失礼って言われてんじゃねぇか」
 ムッとするゲンマを見て、イクチが大きな声で笑う。その笑顔を見て、やっぱりゲンマに似てるなと思った。私とオビトは、たぶん黒髪しか似てるとこないけど。
 イクチはもう一度私に向き直って、恭しく頭を下げた。
「ゲンマは口は悪いかもしれないけど、根は真面目でいいやつだから。仲良くしてやってください」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」
、そいつもう放っといていいから、続きやるぞ」
 私たちの間に割って入ったゲンマが、イクチを虫でも追い払うように遠ざける。イクチは苦笑しながらおとなしく後ろに下がった。
「じゃ、しっかり教えてやれよゲンマ。澪様が安心できるようにな。、またね」
 ニコリと微笑んで、イクチはすぐに姿を消した。辺りを見渡しても、もうそれらしい気配は感じられない。しばらくの間、静寂が漂った。
 やれやれと息を吐いたゲンマが、再び私の背後に回り込む。
「じゃあもう一回やるぞ。、構えて……おい、?」
 ゲンマの少し強い呼びかけで、私は我に返った。イクチの言葉が頭に張り付いて、意識が飛んでいたようだ――「澪様が安心できるようにな」。
 私は澪の孫、もしくは忍猫使いの家の子どもだと見られている。そんなことは分かり切っていたのに、ゲンマと修行を重ねるごとに、一緒に過ごすのが楽しくてすっかり忘れてしまっていた。ゲンマだって別に私が澪の孫じゃなければ、こんなに優しくしてくれるはずがない。
 なんだか少し、ゲンマが遠く感じられた。
「今日はここまでにしようぜ。イクチが来てから全然集中できてねぇ」
 それからしばらく練習を続けたけど、とうとうゲンマがそう切り出した。私は肩で息をしながら項垂れてつぶやく。
「ごめん……」
「お前のせいじゃないって。イクチが余計な茶々入れに来たせいだ」
 ゲンマは優しく笑って頭を撫でてくれた。嬉しいはずなのに、今はちょっと切ない。
 また四日後の約束を交わし、私たちはゲンマの家の前で別れた。彼にこれ以上迷惑かけないように、早く的に当てられるようになってアイスをご馳走しなければ。
 だが気持ちが焦れば焦るほど、教えてもらったことが指の間から零れ落ちていくようだった。その度、私はゲンマとの距離が少しずつ遠くなっていくような気がした。