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「それでも、祈ることをやめない」

影に陽は差し

第一部 (top)

01.オビト

「『忍猫の興りは古く、六道仙人の時代とも言われる』」
 ばあちゃんの解説を横目に、ふぁぁ…とアクビをしながら、私は傍らの忍猫を見やる。よくうちにいる忍猫のひとり、アイは、同じく大きなアクビをしてから耳の後ろを掻いていた。
「…あんた、六道仙人の頃からいるの?」
「いるわけないにゃ。ボク十歳にゃ。お前はアホにゃ?」
 間髪入れずに否定されて、私は眉間にしわを寄せる。私の顔を見て、ばあちゃんは呆れたように息を吐いた。
「『興り』ってのは、アイたちの祖先が初めて力を持つに至ったその始まりが六道仙人の時代だったという伝承だよ。アイやサクがその時代から生きてるわけないだろう」
「ばあちゃんの話は分かりにくい」
 私は畳の上に足を投げ出して口を尖らせた。そのままアイの横にゴロンと横たわる。
「アカデミーの座学みたい。つまんない。遊びに行きたい」
「あのね、は今や私たちしか残ってないんだ。だが六道の時代から続いてきた由緒ある一族なんだよ。これはお前にとって、アカデミーの勉強と同じくらい大事なことなんだからね」
「だってつまんないんだもん。それならもっと面白い話してよ」
「面白い話、ねぇ」
 これ以上同じ調子で続けても無駄だと分かったのか、ばあちゃんは呆れ顔で足を組みなおした。傍らの忍猫たちを撫でながら、
「初代のは、それはそれは不思議なまじないの力を持ち、とある国で民のために舞っていたのさ。彼女は正式な妻ではないが王の女だ。もちろん、他の男と恋に落ちるなんて許されるはずがない。だが彼女はやがて、護衛として彼女に付き従う兵士に恋をしたのさ。その兵士は……」
「はい、おもしろくない! 何言ってるか分かんない! ばあちゃんが教師に向かない理由がよく分かった。アカデミーのほうが百倍マシ」
 ばあちゃんがやれやれと額に手を当てたところで、玄関口から馴染みのある声がした。
「澪ばあちゃん、来てやったぞ」
「来てやったじゃないよ、オビト。さっさと上がんな」
 ばあちゃんは来客の声を聞いて、鼻を鳴らしながら立ち上がった。部屋にいる忍猫たちは各々くつろいだまま、そちらに耳も向けない。私はアイの頭を軽く撫でてから、ばあちゃんの背中を追って部屋を飛び出した。
「ここでいいよ。家でばあちゃん待たせてっから」
 そう言いながら玄関先に突っ立っていたのは、私の又従弟にあたるオビトだ。この春からアカデミーで一緒に授業を受けている。私たちは親戚であると同時に両親が同期で親しかったため、生まれた頃から一緒に過ごすことが多かったそうだ。
 無論、その頃は戦争真っ只中だった。私たちの父は、任務でよく里を留守にしていたらしい。私の父は私が二歳のときに、そしてオビトの両親はオビトが四歳のときに戦死した。第二次忍界大戦が終結したのは、オビトの両親の死から僅か一月後のことだ。
 それ以来、私たちは疎遠になった。
 ばあちゃんが、準備してあった風呂敷包みをオビトの前にぞんざいに突き出す。オビトは仏頂面を見せながらも、黙ってその包みを受け取った。
 ばあちゃんがいつものように念押しする。
「重箱は返すんだよ。また飯作ってやるから」
「分かったよ。じゃあな」
「あ、オビト。今日の宿題やった? 一緒にやらない?」
 すぐさま踵を返すオビトに私は声をかけたが、オビトは振り返りもせずに素っ気なく答えた。
「ばあちゃん待ってっから、帰るわ。またな」
「あ、うん……また明日ね」
 さっさと引き戸を開けて去っていくオビトを眺めて、小さく息をつく。オビトの両親の死後、半年ぶりにアカデミーで再会して以来ずっとこの調子だった。
「お前が気にすることじゃない。あとはオビトの問題だ」
「……うん」
 ばあちゃんの言葉に、私は力なく頷いた。
 誕生日も一日違いで、生まれた頃から四歳まで一緒に過ごした。私にとっては兄弟みたいな存在だった。でもそれは、オビトの両親が健在だったからだ。
 とうちはには確執の歴史がある。木の葉隠れ創設の時代から、考え方の違いで対立してきたそうだ。所詮は水と油。うまくいくはずがなかった。
 そこへ三十年前、からうちはへ嫁いだ者がいた。同族内婚姻が通例であるうちはから反対の声が上がる中、オビトの祖父はと絶縁すれば問題ないと譲らなかったそうだ。その人物がばあちゃんの妹、標。
 標ばあちゃんはの教えに反発し、孤立していたうちはに嫁いだ。その息子であるオビトの父は、アカデミー同期である私の母と親交を持っていたため、私とオビトにはハイハイしていた頃からの付き合いがある。
 しかし、オビトの両親が亡くなると繋がりは途絶えた。母はうちはに関わらなくなり、標ばあちゃんの嫌いが再燃。私たちがアカデミーに入るまで、断絶は続いた。
 状況が変わったのは、入学早々のことだ。母が任務のため私はばあちゃんと入学式に行ったが、オビトはひとりだった。
「オビト、久しぶり! どうしたの、標ばあちゃんは?」
「あー……ばあちゃん、足痛めててさ。無理すんなって置いてきた」
 オビトは私のそばで覇気なくそう呟いたけど、ばあちゃんは聞き逃さなかった。
「オビト、何かあればすぐ言いなって前にも言っただろう。ちゃんと飯は食ってんのかい?」
「澪ばあちゃんはいつもうるせぇな。食ってるよ」
「うそにゃ。そいつ、昨日カップラーメン食ってたにゃ」
 すかさず口を挟んだのは、いつの間にか足元に座っていた忍猫のアイだ。オビトは飛び上がってそのまま尻もちをついた。
「いって! お前、余計なこと言うな!」
「お前、生意気にゃ。先週もラーメン食ってたくせに」
「うっせーよ! 人んち勝手に覗いてんじゃねぇ!」
 アイとオビトが言い争うのを見て、ばあちゃんはオビトの脳天にげんこつを叩き落とした。
「いてぇな!」
「オビト、後でうちに寄りな。まともに飯も食わずにこれからどうやってアカデミーの勉強こなすってんだ」
「余計なお世話……」
 反発しかけたオビトを遮るように、彼のお腹が大きく鳴った。オビトが赤くなって唇を噛むのを見て、私は小さく吹き出す。
「久しぶりに来なよ、オビト。また一緒にごはん食べよ」
「……わ、分かったよ。行ってやるよ」
 オビトはそう吐き捨てて、さっさとアカデミーに入っていった。私はまたオビトと過ごせることが嬉しかった。
 でも、事はそう単純ではなかった。オビトは私がアカデミーで声をかけてもそそくさと逃げていくし、標ばあちゃんが不調のときにばあちゃんがオビトによく惣菜を持たせるのだが、必要最低限の言葉だけ交わして帰っていく。
 標ばあちゃんは何十年も前にを捨てた身だ。現当主のばあちゃんのことだって、実の姉といえど心を許していないのだろう。
 オビトももう、一緒に育った私のことなんか嫌いになったのかもしれない。でもそれは悲しくて、私は時々オビトに声をかけるのをやめられなかった。