影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
ゲンマとの修行には結局二ヶ月かかってしまった。まだアイスが美味しい時期でよかった。夏はもう終盤で朝晩は少し冷えてきたけど、日中はまだまだ日差しがきつい。
ゲンマから「合格」の言葉が出た瞬間、心臓が一気に高鳴り、私の身体は勝手に動いていた。勢いよくゲンマに飛びついて、彼もろとも転がってしまう。尻もちをついたゲンマが顔をしかめて怒鳴った。
「いって! お前、びっくりするだろ!」
「だって嬉しくて……ゲンマ、ありがと〜!!」
「泣くなよ……やっとまぐれじゃなく的に当たるようになったってだけだぞ? 大事なのはこれからだよ」
「分かってるけど……ゲンマ大好き〜!!」
「はいはい、知ってるよ」
呆れ顔をしながらもゲンマが頭を撫でてくれる。彼の目は相変わらず優しく微笑んでいた。
ゲンマの笑顔、好きだな。
彼に抱きついたままフフッと笑みをこぼすと、どこからか声が聞こえた。
「ちゃん、上達したね。さすが」
思い当たって見上げると、訓練場の木の上にゲンマの従兄が腰を下ろしている。名前は……何だっけ。
ゲンマは彼を見ると、途端に怖い顔をした。
「帰れ」
「第一声から何だよ」
「お前が余計なこと言ったせいでこいつの修行が半月遅れた。邪魔だから帰れ」
「俺が何言ったの!?」
驚いて声が裏返る従兄を無視してゲンマが立ち上がる。ゲンマは私の手を引いて起き上がらせ、従兄から遠ざけるように後ろに立たせた。
地面に降りてきた従兄が困ったように眉毛を寄せて、腕組みする。
「俺、ほんとに何言った? ちゃんの気に障ること言った?」
「えーっと……」
何だっけ。私も忘れちゃったけど、確かこの人がばあちゃんのことを何か言ってて、それを私が勝手にゲンマのことと勘違いしちゃったんだ。
何と言おうか悩んでいると、ゲンマが代わりに答えてくれた。めちゃくちゃ不機嫌そうな声で。
「俺は別にこいつのばあちゃんのためにこいつに修行つけてやったわけじゃない」
「『澪様』だろうが。つーか俺そんなこと言った?」
「俺は会ったことねぇんだしもう『のばあちゃん』でいいだろ。お前がそんなようなこと言ったからが落ち込んで修行になんなかったんだよ」
「ゲンマ! 言わなくていいよそんなの……」
ゲンマがばあちゃんじゃなくて、私自身のために修行をつけてくれた。改めてそのことを聞かされて胸がとても温かくなったけど、それを他の人に話されるのは恥ずかしくて、私は慌ててゲンマのパーカーの裾を引っ張る。
でも時すでに遅しで、ゲンマの従兄が驚いてこちらを覗き込んできたので、私はさらにゲンマの後ろに隠れた。
「そうなの!? ごめんね、俺、全然気づかなくて……」
「いえ……私が勝手に勘違いしちゃって、ゲンマに迷惑かけちゃって……」
「だからこいつが悪いって」
ゲンマが従兄を指さして念押しする。従兄は心底申し訳なさそうに眉尻を下げながら、何度もごめんねを繰り返した。
「お詫びに俺も何か付き合ってあげたいけど……」
「いえ、ほんとに、大丈夫なんで!」
私が思わず大きな声で遮ると、ゲンマが従兄に向かってさらにあとを続けた。
「ここでの修行も今日で終わりだから。二度とお前と会うことないだろうからもういいってさ」
「そんなー」
従兄がふてくされたような声をあげる。私は何も言わなかったけど、ゲンマの台詞を聞いて、さっきまで沸き立っていた気持ちが急に萎んでいくのを感じた。
手裏剣が上達してゲンマから合格をもらえたことは素直に嬉しい。でもこうやって毎週ゲンマと一緒に修行できるのはもう終わりなんだ。
ゲンマはちょっと口が悪いけどちゃんとフォローしてくれるし優しくて頼りになるし、一緒にいてすごく楽しい。私にとってはもう面倒見の良い大好きなお兄ちゃんでしかなかった。
もうこうしてゲンマに会えなくなっちゃうんだ。
そう思ったら急にめちゃくちゃ寂しくなってきた。
ゲンマは結局どうしても譲らず、従兄にはついてこないように言い含めて、私を連れて訓練場を後にした。何度も二人で歩いた道を帰りながら、私は足取りが次第に重くなるのを感じる。せっかく念願のアイスをご馳走できることになったのに、それが終わってからゲンマと別れるのはイヤだな。
「どうした? イクチに会ってからまた元気ないぞ」
お菓子屋さんの近くまで戻ってきたとき、ゲンマが茶化すような軽い口振りで言ってきた。私はちょっと悩んだけど、素直にゲンマに思っていることを伝える。
「だって、修行終わったらもうゲンマに会えなくなるでしょ?」
「はぁ?」
するとゲンマは顔をしかめて呆れたように息を吐いた。
「お前はなんつーか……極端、だよな」
「え?」
「別に遠くに行くわけでもなし、いつでも会えるだろ」
「そう、だけど」
毎週会える約束があったときと、それがないときじゃハードルが違いすぎる。しょんぼりしている私を見て、ゲンマは急に悪戯っぽく笑った。
「なんだ、俺に会いたくて修行してたのか?」
「べ、別にそういうわけじゃ」
「違うのかよ。それならいいじゃねーか」
「だって毎週会ってたから、会ってたのが当たり前というか。だからなんか、寂しい」
「せっかく手裏剣が上達したんだし、そんなつまんねぇことで落ち込むなよ。お前はほんとに頑張ったよ」
頭では分かっていても、やっぱり気分が落ちる。ゲンマは煮えきらない私にあることを提案してくれた。
「そうだ、飯の話だけど。親父が戻ってきたから、明日にでも来いよ」
「え、いいの?」
ゲンマは以前から、家にご飯を食べに来ていいと言ってくれた。でもゲンマのお父さんが「俺がいるときにしてくれ! しばらく任務が続くから、落ち着いてから!」と言って聞かないそうなので、先延ばしになっていたのだ。
ゲンマのお父さんといえば、うちのばあちゃんをめちゃくちゃ尊敬しているというから、きっとばあちゃんの話ばかりされるんだろうけど。
それでもゲンマの家にご飯に誘われたことは、私にとってゲンマともっと近づけた気がして、純粋に嬉しかった。
「お前が明日で良ければだけど」
「うん、大丈夫だと思うけど、もしダメだったら……どうしよう、明日アカデミーで言っても間に合う?」
「いいぜ。いつも母さん作りすぎるから、別にいつ来てくれてもいいし」
「ありがとう、ゲンマ」
ゲンマとまた会える約束ができて、本当に嬉しい。ニコニコ笑う私を見て、ゲンマも目を細めて笑った。
お菓子屋に到着して、二人でアイスを探す。私はこの店で一番高いアイスを覚悟していたが、ゲンマが選んだのは私が最初に彼に買った安価な棒アイスだった。
「え、一番高いアイスって言ったのに」
「そのつもりだったけど。正直あんまり高いの興味なかったわ。俺、これが好き」
「え〜二か月のお礼がこんなんでいいの?」
「じゃあまた気が向いたら何か奢ってくれよ。別に理由なんかなくても会いに来たっていいんだからさ」
ゲンマはあっさりとそう言ったけど、私は彼の言葉を聞いたらなんだかとても安心してしまった。確かに、難しく考えすぎていたかもしれない。理由がなくても、会いに行ったっていいんだ。
ゲンマは本当に優しいな。ひょっとして、優しくて強いリンに相応しい男の人って、こういう感じなんじゃ……。
考えかけて、私は慌てて首を振った。いや、やっぱりダメだ。ゲンマは口が悪いし一言多い。こんな余計なところはない人のほうがいいに決まってる。友達としては大歓迎だけど。
私は二本買った棒アイスの一本をゲンマに手渡した。夕食も近いので、今日は店の前ですぐ食べる。私たちは少し日が落ち気温が下がってきた中、ちょっと寒いと笑いながら念願のお礼アイスを一緒に食べた。二か月前の夏より、ちょっと美味しく感じられた。
「じゃ、また明日な」
「うん、また明日。おやすみ、ゲンマ」
夏は暑いせいか、外にアイやサクがついてくることは少なくなった。ひとりで帰路につきながら、私は人知れず微笑む。ゲンマとの手裏剣の修行は一段落したけど、またこうして次を約束できるのが嬉しかった。母さんは再び任務に出てしまったし、帰ったらすぐばあちゃんに明日のことを聞いてみよう。
ゲンマが近くにいるだけで、なんだかほっとする。それがどうしてなのか、うまく言葉にはできないけど、彼と一緒にいるとひとりのときに感じる寂しさが温かく和らいだ。胸のつかえも、知らない間にすっと消えてしまう。だから彼が離れていくと感じるときは、どこか胸の奥が少しだけきゅっとして、追いかけたいような気持ちになった。