影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
「あぁ、不知火家の。最近お前の修行見てくれてるって言ってたとこだね。いいよ、行っといで」
ばあちゃんはあっさりとオーケーを出してくれた。不知火家といってもばあちゃんがよく知っているのはゲンマの家ではなく本家のほうで、当主は数年前に戦争で亡くなったということだった。跡取りはまだ幼いため、今は分家が諸々を管理し、本家の跡取りの成長を待っているらしい。
(ゲンマの伯父さんが確か亡くなってるって……ひょっとして、イクチのところが本家なのかな)
そんなことをふと考えるが、詮索しても仕方ない。
「なんかゲンマのお父さんが、ばあちゃんのことめちゃくちゃ褒めてるって言ってたよ」
「そうかい。そりゃどうも。私なんざ大したことはしちゃいないけどね」
ばあちゃんは大抵こんな調子だ。何をしてきたとか、何がすごいとか、孫の私にはよく分からない。
その日はばあちゃんと久しぶりにゆっくりご飯を食べて、私は明日を楽しみに眠りについた。
***
ゲンマの家に行くのが楽しみで、私は朝の起き抜けからご機嫌だった。ご機嫌だったのに。
今日の体術の授業はたまたま手裏剣術で、確実に的に当てられるようになった私を見てもカカシは鼻で笑いのけた。そりゃ、あんたに比べたら天と地の違いだけど。何で私のことばっかそんなにバカにするわけ? 私があんたに何したっていうのよ。
「へたくそ」
言っとくけど別に私がクラスで下の方なわけじゃない。先生だって私の上達ぶりを見て「頑張ってるな」と褒めてくれたし、私よりだいぶ上手だったリンにやっと追いつけたみたいで少しは自信を持っていいかなと思っていたところだった。
カカシの酷評を受けて牙を剥く私を、後ろからリンが宥める。でも態度が悪いのはカカシなんだから、何で私が落ち着かないといけないのよ。
すると、なんと私とカカシの間に厳しい顔をしたオビトが割って入った。
「カカシ、何でそういう言い方しかできないんだ。は頑張ってるだろ」
「なんだよ、オビト。そりゃ、だってお前よりは進歩してるもんな。でもまだまだだろ?」
「お前、自分がちょっとできるからって、そんな言い方……」
「俺は事実を言ってる。へたくそはへたくそだ」
カカシが淡々と答えるのを聞いて、オビトはそのままの勢いでカカシの胸ぐらをつかんだ。担任はちょうど校長の呼び出しを受けて外しているところだ。急速に悪化する雰囲気に、今度は私が思わずオビトに声をかける。
「お、オビト、もういいよ。もうやめよ」
だがオビトとカカシは睨み合いを続け、その均衡が崩れたのは突然だった。オビトがカカシに掴みかかり、まるで忍組手さながらの応酬が始まる。
周囲の男子たちが囃し立てる中、オビトがカカシの蹴りで吹き飛ぶまでに要した時間はおよそ十秒ほどだった。
***
今日はがうちに来る日だ。
アカデミーで特には何も言ってこなかったから、予定どおりということで良いだろう。母さんは「ゲンマがお友達を連れてくるなんて」と朝からやたら張り切っている。あまりはしゃがないでほしい。恥ずかしい。
約束の時間に現れたは、見るからに落ち込んでいた。また何かあったな。ほんとに分かりやすいやつだ。それは単に俺との年齢差のせいだけではないように思えた。
覇気のない笑顔を見せながら、が口を開く。
「ゲンマ、今日は誘ってくれてありがと」
「いや、それはいいけど」
答えながら、俺は玄関に置かれた時計を見る。すでにキッチンからは良い匂いが漂ってきているが、夕食まではまだ少し時間があった。
俺は家の中に向かって声をかける。
「母さん、俺ちょっと外出てくるわ」
「えー? もうすぐご飯よ?」
「ちょっとそのへん散歩してくるだけだって」
きょとんとしているを連れて、俺は足早に外に出る。このままうちの親に会ったら多分母さんなんて「どうしたの? 何か心配事でも?」とか言って食事どころではなくなるだろう。解消できるなら、今解消しておきたい。つまらない思い込みで凹んでる可能性もあるし。
近くの公園を目指してのんびり歩いていると、半歩遅れのが戸惑った様子で話しかけてきた。
「ゲンマ? どうしたの?」
「こっちのセリフだっての。また暗い顔して、どうした?」
もったいぶっても仕方ないか。俺が率直に聞き返すと、は心底驚いていた。人懐っこい目を真ん丸に見開きながら、
「……ゲンマ、何で分かっちゃうの?」
「いや、お前たぶん、自分で思ってるより顔に出るよ」
が恥ずかしそうに口元を押さえる。そうこうしているうちに、近くの公園に着いた。ブランコと鉄棒があり、そのためのスペースしかないような小さな公園。かろうじて隅っこに添えられた二人分のベンチに並んで腰かけて、俺はが話し出すのを待った。
「……私、手裏剣ちょっとは上達したと思ったのに」
「おう」
「カカシは一年前と同じ、へたくそしか言わない」
「……はぁ」
なんだそれ。突然名前が飛び出したのは、聞くまでもなく、はたけカカシのことだろう。そりゃいくら上達したところで天才からすればへたくそに見えるだろうなと、特に何の感慨もなくそう思った。だがは、違うらしい。
「なんか私だけ馬鹿にされる」
「……ほんとか? 被害妄想じゃね?」
「ほんとだよ! 今日も私より当たってない子もいるのに私だけ馬鹿にされた」
カカシといえば、と初めて会ったときに少し言葉を交わした程度で大して知っているわけではないが、特定の誰かをターゲットにするような雰囲気じゃなかったけどな。
は悔しそうに顔を歪めて唇を噛んでいる。
「私、いつか絶対カカシを見返してやりたいのに」
それを聞いて、俺の中でのイメージが少し変わった。負けず嫌いなところがあると思っていたが、想像以上だ。あのはたけカカシに勝つつもりか?
「お前、カカシを見返すためだけに修行してんの?」
「……それだけ、じゃ、ないけど」
が尻すぼみに答えながら目線を落とす。これは、大半の動機はカカシだな。俺との手裏剣の修行もそういうことか。ま、何だっていいけど。
俺は咥えた長楊枝をゆっくり揺らしながら、橙が沈んでいく空の曖昧な境界をぼんやり眺めた。
「はたけカカシに勝とうってんなら、メソメソしてる暇はねーよなぁ。そりゃ見返してやりたいとか、負けたくないとか、大事だとは思うけど。まずは現実見るところからだろ」
「……私がへたくそだってこと?」
「違わないけど、違う」
俺の言葉を聞いて、が怪訝そうに眉をひそめる。俺は呆れて大きく息を吐いた。こいつ、俺の話聞いてなかったのか?
「昨日も言っただろ。お前は頑張ったよ。確実に上手くなってる。カカシを見返したいにしろ何にしろ、急に追いつけるわけねぇんだから、カカシだけじゃなくて自分をちゃんと見てやることも大事だろ?」
ま、これも全部、伯父さんの受け売りだけどな。
俺を見るの目にみるみる涙がたまっていく。こいつの涙は二度目だが、まだ慣れそうにないな。慣れるほど見たくもないが。なんだか俺が悪いことしてるみたいな気分になる。俺、何も悪いことしてないよな?
は泣きながら俺の肩にもたれかかってきた。まだ小さいの頭のてっぺんがちょうど俺の肩口あたり。その後頭部を俺はそっと撫でてやった。俺が頭を撫でるとは安心するらしく、いつも嬉しそうに目を細める。
寂しいんだな、こいつ。
人の気持ちなんて俺には分からないが、の抱える孤独はなぜかいとも簡単に伝わってきた。何かしてやりたい。打算から始めた関係だったけど、この二か月はそれを超えてを妹のように感じるのに充分な時間だった。言葉にしなくても、きっとも同じだろうと思う。不思議な感覚だった。
「あんまり泣いてっと、母さんにバレて根掘り葉掘り聞かれるぞ? 泣くのはいいけど程々にしとけよ」
は俺の肩に寄りかかったまま、すすり泣きながら少しだけ顔を上げた。その顔を見て、俺は静かにため息をつく。まったく、泣きたいのはこっちだってのに。
「……ごめんね、ゲンマ。いつもありがと」
「気にすんな。泣きたいならまた自分の家帰ってからにしろ」
俺が少し笑って見せると、は泣き顔のまま弱々しく微笑んだ。こうしてみると、本当に妹みたいだなと思う。守ってやりたくなるし、時には叱りたくもなる。
橙色を残していた空が次第に暗くなり、夜の訪れを感じさせた。チカチカと、公園の街灯がともる。そろそろ戻らないと母さんが心配するだろう。
「さ、行こうぜ。母さんが作った料理、冷めちまうぞ」
「……うん」
が涙を拭って、ゆっくり立ち上がった。俺も一緒に腰を上げ、の小さな背中を軽く押す。
「また何かあれば手伝ってやるよ。あんまり思い詰めんな」
「うん……ありがとね、ゲンマ」
はまだ兎みたいな泣き腫らした目だったが、これ以上は仕方ないだろう。笑顔を取り戻しただけ良しとするか。
案の定、家に戻るとの顔を見た母さんが、俺が泣かせたと勘違いして(いや、そうとは言い切れないか)容赦なくゲンコツを振り下ろしてきた。オロオロするに「いつものことだから」と説明して彼女を中へと案内する。
すでに帰宅していた親父も含め、豪華すぎる食卓を囲んで俺たち四人は席に着いた。