影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
カカシが下忍になってから、ほとんど話をしたことはなかった。時々近くで見かけて、向こうも私に気づいたらカカシは「多少は上達したか?」とか憎まれ口を叩いてくるくらいだ。私は私で「そっちこそ任務は順調なんでしょうね?」と偉そうに上から目線で言ってみたりする。
若年の下忍はもちろん前線には立たず、後方支援や里周辺のCからDランクの任務に当たることになっているので、カカシはよく里にいるようだった。リンも時々見かけると言っていた。
ところがアカデミーを卒業して約半年後、カカシは中忍に昇格した。中忍といえば小隊の指揮官を務める権限を持ち、通常六歳でなれるような階級ではない。カカシの実力もさることながら、戦争という非常時にカカシは体よく担ぎ出されたのだと思った。
だが私の不安をよそに、カカシは戦場でも功績をあげていったという。なんだか現実味のない話だ。まだアカデミーで教本をめくっている私にとって、カカシはほとんど雲の上の存在になりかけていた。
それが突然変わったのは、私が三年生のとき。
我が家に飛び込んできたのは、サクモおじさんの訃報だった。
***
母さんは一月ほど戦場に出ていって、人員交代で短期間帰還し、また別の戦場へ出ていくを繰り返していた。母さんが戻ってくるたびにホッとする自分と、何もできず、何を聞くこともできずに黙り込んでしまう自分との間で私はいつも揺れている。
ちょうど母さんが帰還した翌日、久しぶりにばあちゃんも家に帰ってきた。
「ばあちゃん、昨日の残り物でよかったら冷蔵庫にあるよ」
「あぁ、あんがとな。でも大丈夫、お前が食べな」
ばあちゃんが忙しくなり、家事はほとんど私がこなすようになった。料理はまだ下手だが、時々リンを家に呼んで一緒に作ることもある。リンは昔から家事をよく手伝っていて、料理も得意だ。
ばあちゃんは仮眠をとると言ってさっさと寝室に向かった。母さんも長期任務の疲れで自室にこもっている。いつもそうだ。結局、家族が戻ってきても、私はひとりだった。
「澪は何日も寝てないにゃ。そっとしとくにゃ」
足元のサクにそう言われ、私は恥ずかしさとともに胸が締め付けられた。心の奥を見透かされた気がして、どうしようもない気持ちを押し殺す。こんなこと、考えてはいけない。里のために命懸けで戦っている母さんや心身を削って本部に詰めているばあちゃんを、寂しいからと恨んでいいはずがない。それは私が目指している忍びの道だ。どうしようもなくても、それが私たちの生き方なんだ。
夕方、外が薄暗くなってきた。夕食の支度でもしようか。そう思い、立ち上がろうとしたその瞬間――。
玄関の方から緊迫した声が響いた。
「澪様、澪様!」
ばあちゃんは寝たばかりだというのに。私は内心イライラしながら足早に玄関へ向かい、引き戸を開けた。そこには、見覚えのある恰幅のいい忍びがいた。しかし、彼の顔には明らかな焦りと動揺が見て取れた。
「ばあちゃんなら休んでます。急用ですか?」
彼は一瞬躊躇したが、深く息を吐くと静かに口を開いた。
「……どうしても、澪様にお伝えしなければならないことが」
「エイリ、何の騒ぎ?」
奥から出てきたのはばあちゃんではなく、母さんだった。まだ疲れが残っているのかだいぶ顔色が悪い。現れた忍びは母さんの知り合いらしく、母さんを見て気まずそうに目を泳がせた。
「帰ってたのか、凪」
「聞いたでしょう。母さんは休んでる。私で良ければ聞くわ」
「お前は駄目だ。澪様に話す。至急だ」
エイリと呼ばれた忍びの様子を見るに、確かに只事ではないようだった。母さんは鋭い視線で彼を睨んだあと、ふうと息を吐いて肩をすくめる。
「分かったわ、呼んでくる」
だがそのときにはもう寝間着に着替えたばあちゃんが姿を見せていた。疲れたように目を伏せながら、
「何だい、エイリ」
「至急、お伝えしたいことが……」
エイリはばあちゃんのそばに寄って耳打ちした。静まり返った屋内でこれだけ近くにいても何も聞こえてこない。さすが忍びだなと妙なところで感心していると、ばあちゃんは大きく目を見開き、息を呑んだようだった。しばらく言葉を失ったあと、
「……なんだって?」
絞り出したばあちゃんの声がかすかに震えている。ばあちゃんが動揺しているのを見るのは、記憶にある限り初めてだった。
「……検死の手配は済んでるのかい?」
「先ほど医療部に依頼を。しかし現場の状況から見て、まず間違いないかと」
「……そうか」
検死? 穏やかじゃない。ばあちゃんの声量に合わせたのか、エイリの声は私にも聞こえるようになった。母さんも眉をひそめて成り行きを見守っている。
ばあちゃんは長く、大きなため息をついてから、ゆっくり母さんに向き直った。しばらく黙って見つめ合ったあと、ばあちゃんが静かに言葉を紡ぐ。
「サクモが、自宅で自死した。第一発見者は息子だ」
「み、澪様!」
あっさりと口外するばあちゃんにエイリが慌てふためく。だがばあちゃんはまるで苛立ちを吐き出すように強い口調でそれを遮った。
「どうせすぐに分かることだ」
ばあちゃんの言葉を聞いて、私は頭の中が真っ白になった。サクモおじさんが、自死? 自殺したってこと? 何で? 殉職じゃなくて、自ら? どうして? それを見つけたのが――カカシってこと? 何で? どうして? グルグルと終わりのない問いが全身を巡っていく。心臓がぎゅっと押し潰されるようだった。
だが私以上に混乱しているのは母さんのほうだった。大きく目を見開き、震える歯がガチガチと音を立てる。呼吸が浅く速さを増し、喘ぐように唇が小刻みに動いていた。
「……凪?」
恐る恐る声をかけたのはエイリだ。だが彼の声もまるで聞こえないかのように母さんはただ一点を見つめ、やがて足元からその場に崩れ落ちた。