影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
甘味屋からの帰り道、家の近くまで戻ってきて私はゲンマに引き止められた。夢かと思った。ゲンマは厳しい表情で私の手を掴んでいたけど、それが私を心配してくれてる顔だってことくらい見れば分かる。なんだか懐かしい気持ちになって、思わず目元が緩んだ。
「ゲンマ……どうしたの?」
「どうしたもないだろ。ふらふら歩きやがって、危ないだろ」
ズルい。二週間も無視してたくせに、急に前みたいに優しくしてきて、ゲンマは本当にズルい。でもやっぱり嬉しくて、でも素直にそれを表に出せなくて、私は唇を噛んでゲンマから目を逸らした。
「……何の用? 任務のこと?」
「違う。お前と話したくて」
「私は話すこと、ないよ。ゲンマだってもう私の面倒なんか見たくないでしょ。ずっとめんどくさいことに付き合わせちゃってごめんね。もう迷惑かけない」
違う。本当はこんなこと言いたいんじゃない。追いかけてきてくれて嬉しかったし、私だってゲンマとたくさん話したいし、これからのことだって一緒に話したい。でも自分で思っていた以上にこの二週間の数々の出来事が堪えて、私は素直に自分の気持ちを口に出せなくなっていた。
「誰も迷惑かけるななんて言ってない。勝手に決めるな」
ゲンマは不機嫌そうにそう言って、私の手を引っ張った。そのままズイズイ歩き出して、私は有無を言わさず彼について行かされる形になる。私は慌てて非難の声をあげた。
「ゲンマ、痛い」
「じゃあ黙ってついてこい」
振り向いたゲンマが、強く掴んでいた手を少し緩める。そして返事も聞かないまま、私の手を取って再び歩き始めた。これではまるで、初めてゲンマと一緒に帰ったアカデミーの帰り道みたいだ。強引に手を繋がれて、振りほどけもせずにおとなしくついていくしかなかった、あの日。
ゲンマは何度も一緒に過ごした近所の川原まで私を連れて行った。緩やかな傾斜を降りて、川辺に立つ。ゲンマに促されて、私も彼と一緒に並んで腰を下ろした。
ここに来ると、兄妹みたいに無邪気に過ごした日々を思い出す。どうしてこんなところに、連れてきたのだろう。もうあの頃には戻れないのに。
ゲンマの姿はアカデミー時代とほとんど変わらなかった。ただ卒業と同時に与えられた額当てを、なぜかバンダナのように頭全体を覆うスタイルで巻き付けている。私はというと、多くの忍びと同様に、額に木の葉マークがくるように鉢巻スタイルで身につけている。ゲンマは確かに、この巻き方よりバンダナ風のほうが似合う気がした。
私の視線に気づいたゲンマがこちらを見やる。久しぶりにちゃんと目が合って、私はゲンマが昔と変わらぬ優しい眼差しで自分を見てくれていることを知った。でもそれなら、どうして。ゲンマはもう、私とはまったく新しい関係を築こうとしているのだと思い、それを自分に納得させようと意識し始めたところだったのに。
「悪かった」
ゲンマが出し抜けにそう言った。何のことか分からず、私は目をパチパチさせながら聞き返す。
「な、何が?」
「お前が言ったんだろ。何で無視するのって」
「あ……やっぱ、無視してたんだ」
無視してねぇって言ったくせに。まぁ、そんなわけないんだけど。今さら謝るなんて、どうしたんだろう。
戸惑う私から視線を外し、ゲンマは川面に目をやった。陽光を受けてキラキラ光る水面は、いつ来ても変わらずここにある。あの頃と変わらず、私たちを見守ってくれているような気がした。
「お前のこと、妹みたいだと思ってる。それは今も変わらねぇ。だから、迷ってた。いきなりチームメイトなんて言われて、同じところに放り込まれて……お前とどう接していけばいいか、分かんなくなった。お前のことほっとけねぇって、守ってやんねぇとと思ってきたから……このままの気持ちじゃダメだと思って、迷ってた」
ゲンマの気持ちが変わってないことを知って、私はとても安心した。でも同時に、ゲンマの戸惑いも今なら少し分かる。互いに助け合うのがチームメイトだ。でも私は、ずっとゲンマに甘えて、助けてもらってばかりだった。このままじゃダメなのは、私のほうだ。
ゲンマの声の調子が、少し明るくなる。
「でも今日チョウザ先生の話を聞いたら、俺、考えすぎてたのかもなって。お互い助け合えばいい。大事なのはそれだけで、別にお前のことを俺がどう思ってたって、大した問題じゃないかもなって」
「……このままじゃダメなのは、ゲンマじゃなくて私だよ」
私が小声で絞り出すと、ゲンマはまっすぐ私の目を見てくれた。私の大好きな、優しい目だ。その目を見たら、心の底から安心して涙が溢れそうになった。
「私、ずっとゲンマに甘えてた。私が頼りないから、ゲンマは守らなきゃって思ってくれるんでしょう? だから私が強くなって、ゲンマに安心してもらえるような、頼ってもらえるような、そんな忍びになる。だからこれからも、私のこと見ててね」
ゲンマはずっと、私を見てくれてた。これからも見ていてほしいなんて、ワガママかもしれない。でもきっと追いついて、安心させてみせるから。だから最後のワガママ、言わせてほしい。
「いいよ。俺はお前のこと、ずっと見てるからな」
ゲンマは優しく笑って頭を撫でてくれた。また、妹扱いする。でもやっぱりゲンマの手のひらはすごく安心して、私は思わず笑顔になってしまった。
ゲンマの手が離れて、ちょっと名残惜しく感じる。その寂しさをごまかすように、私はゲンマの顔を見ながら笑いかけた。
「私のこと、真剣に考えてくれてありがとう。やっぱり私、ゲンマのこと大好きだよ」
するとゲンマは少し照れくさそうに目を逸らしながら、
「……知ってるって」
「でもちょっと嫌いになりかけてた」
「えっ」
虚をつかれたような反応に思わず笑ってしまう。私に嫌われるかもしれないことは、どうやらゲンマにとっても多少はダメージになるらしい。そのことを知れただけでも、ゲンマに無視されて傷ついたこの二週間の寂しさを許せるような気がした。
「でもやっぱり、無理だった。もう無視されても何されてもゲンマのこと嫌いになれそうにないよ」
「……それは、嫌ったほうがいいぞ。いつか変な男に騙されんぞ」
「そんなこと気にしないでいいよ。私、恋愛はしないって決めてるから」
「ん? 何で?」
私が何気なく口にした言葉に、ゲンマが片眉を上げる。私は慌てて首を振った。
「何でもない。こっちの話」
余計な話だった。母さんを見ても、ばあちゃんの過去を想像してみても、どうせ恋愛なんてつらい結末にしかならないと思ってしまう。それでも子どもを作ることを強いられるとしたら、初めから誰も好きにならないほうがいいに決まってる。でもそんなこと、ゲンマには関係ない。
それから私たちは、この二週間のことを今さらながらたくさん話した。あのときの任務はどうとか、今日の猫探しがどうだったとか。アイとサクに告げられた事実に痛む私の心はまったく癒えていないけど、ゲンマと過ごせる時間があればまた少しずつ前を向ける気がする。
ゲンマは呆れたように笑いながら私の肩を小突いた。
「あと、ガイにはもうちょっと優しくしてやれ。あいつはあれで一生懸命だから」
「そんなの私のほうが知ってるよ! あいつとは三年の付き合いなんだから、ゲンマより知ってる!」
私が勢いあまって捲し立てると、ゲンマは不思議な表情を見せた。不機嫌そうな、でもそれを少し恥じるような微妙な表情。あまり見たことがないゲンマの顔を見て、私は率直に問いかけた。
「どしたの、ゲンマ?」
「いや、何でもない」
ゲンマはそう言ってすぐに話題を逸らした。私は少し気になったけど、ゲンマと昔みたいに話ができるのが嬉しくて、そのときのことはすぐに忘れてしまった。