影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
ゲンマとの約束の日、自宅に戻ると久しぶりに母さんが帰ってきていた。ちょうど戻ったばかりのようで、玄関先で汚れた中忍ベストを重々しく脱ぎながら、ため息をついている。
「あ、お帰り、母さん。任務どうだった?」
「お帰り、。問題ないわ」
母さんはいつ聞いても、大抵それしか言わない。問題ないならどうしてそんなに疲れた顔をしているのだろう。いつもそうだ。塞ぎ込んだ眼差しは暗く、娘のことさえろくに見ていない。何を聞いても、定型文のような答えしか返ってこない。
私は気にしないように意識しながら、アカデミー用のカバンを靴箱の上に置いた。
「しばらく休めるの?」
「その予定だけど、母さん疲れてるからちょっと休むわね」
見れば分かるよ。声には出さずにつぶやいて、私はカバンの中から忍具ポーチと財布を取り出して身に着ける。
「私、友達と約束あるから出かけるね。ばあちゃんのご飯、冷蔵庫にあるから」
「うん、行ってらっしゃい」
二週間ぶりに会ったというのに、何も聞いてくれない。その間にテストとか演習とか、色々あったのに。考えても悲しくなるので、私は早足で家の外に出た。いつの間にか足元に現れていたアイを蹴りかけて怒られる。
「痛いにゃ!」
「当たってないでしょ! 急に出てきて何言ってんの、当たり屋!?」
「ボクが出てきたとこにお前が来たにゃ! お前が悪い!」
「いった!」
肉球で殴られて一瞬よろめくが、忍猫を追いかけて勝てるはずがない。恨み言をぼそぼそ漏らしながら、私はゲンマとの待ち合わせ場所に急いだ。前に一緒にアイスを食べた川原だ。
ゲンマは爪楊枝ではなく長楊枝を咥え、サンダルの足先を水に浸しながら待っていた。
「ごめん、遅くなって……ゲンマ、爪楊枝やめたの?」
身体ごとこちらを向いて、ゲンマがニヤリと笑う。
「おう。爪楊枝は卒業だ」
「すっご! もう一人前ってこと?」
「いや、長楊枝でまた一から修行だから……親父に言わせりゃまだ半人前だってさ」
「でもめちゃくちゃ進歩じゃん! すごいね、かっこいい! 私も頑張らないと……」
ゲンマのことは素直に賞賛できるし、ゲンマも照れたように笑ってくれるから嬉しくてどんどん褒めてしまう。年上だから、というのもあるかもしれない。生まれたときからアイやサクと一緒で、オビトを弟のようだと思ってはいるが、やはり自分は一人っ子だ。お兄ちゃんがいたらこんな感じかなぁと私は勝手に想像した。
「俺の話はいいんだよ。じゃ、行くぞ」
「うん。あれ? 訓練場はあっちだよ?」
ゲンマが訓練場とは反対方向に歩き出したので,私はきょとんとしてゲンマの背中に声をかける。彼は首だけで振り向き、行く先を指差してこう言った。
「落ち着いて修行できるとこ、案内してやるよ」
***
ゲンマはそこから十分ほど歩いて、里の郊外にある広々した空き地に連れて行ってくれた。周囲は木々に覆われ、それと知らなければ見つけることは困難だろう。
手裏剣の修行も行われているのか、幹に的が設置された木が至るところにある。
「ここは?」
「うちの訓練場。楊枝吹も一族は大抵ここで修行する」
ゲンマがそう言って辺りを見渡したので、私は驚いて声をあげた。
「え、そんなとこ私が使っていいの?」
「親父に許可は取ってある。お前ならいいってさ」
そういえば、前にゲンマが教えてくれた。ゲンマのお父さんはうちのばあちゃんを尊敬していて、ゲンマはばあちゃんの話を耳にタコができるくらい聞かされて育ったらしい。多くの忍猫を従え、情報の扱いに長け、三代目の右腕として里を導いてきた懐の深い人だと。
孫の私にしてみれば、どれも頭に疑問符しか浮かばないのだが。でもあのサクモおじさんでさえ、うちのばあちゃんには頭が上がらないそうだから、子どもの私には分からないことがきっとたくさんあるのだろう。
「なんか大ごとになっちゃったね……ごめんね、ありがとう」
「気にすんな。俺も久しぶりにここで修行したかったし」
「……私の修行のこと、忘れてないよね?」
「ああ、下手な手裏剣術だろ? 見てやるって、どれくらい下手か」
「わざわざ下手下手言わなくていい!」
私が拳を振り上げる仕草をすると、ゲンマはおかしそうに笑いながら私の頭を撫でた。それだけで、モヤモヤの気持ちが溶けてあったかくなるのが分かった。
家族にこんなふうに頭を撫でてもらえたのは、どれくらい前だろう。オビトの両親が生きていた頃は、母さんももっと笑って優しく撫でてくれていたような気がする。でもいつからか母さんからは笑顔が消え、私を見ることも少なくなった。ばあちゃんは家事や呼び出しで慌ただしくなり、最近は「また後でな」が口癖だ。時々家にいるかと思えば、の歴史や使命の話ばかり。
ゲンマに言われたとおり、私は何度か的をめがけて手裏剣を投げた。的の隅っこに刺さったものもあるが、的をはみ出た木の幹や、何ならそれさえ素通りしていったものさえある。これでも的に当たるようになっただけ、一年前に比べれば進歩なんだけど……。
ゲンマは顔色ひとつ変えずにジッと私の投擲を見ていた。
「根本的に」
私が手裏剣を投げ終えるのを確認してから、彼が淡々と言ってくる。
「身体の使い方が全くダメ、それに距離感も全然つかめてねぇ。的が云々の前にいくらでもやることがある」
てきぱきと弱点を指摘されて私は気持ちが落ち込んだ。ばあちゃんにもアカデミーの先生にも指摘されてきたことだ。それをこんな短時間で見抜くゲンマって何者?
気を落とす私を見て、ゲンマが気楽に笑う。
「なに凹んでんだよ。自分が何で下手なのか知るのが一番大事だろ?」
「そうだけど……」
「焦るなよ。上手くなりたくて修行しに来たんだろ? やれること一個一個やってこうぜ」
そっか、私、焦ってたのか。ゲンマの言葉を受けて、私は少し目の前が開けるような気がした。やれることを一個ずつ、か。確かにあれもこれもと欲張りすぎたかもしれない。
ゲンマはその日、手裏剣さえ触らせてくれなかった。近くの石を拾い集めて、それを目標の位置まで投げる練習。近距離から遠距離まで、段階を踏んで少しずつ。
「じゃあ宿題な。次の修行までに、二メートルおきの目標地点に完璧に投石できるようになってること」
「宿題……え、また修行付き合ってくれるの?」
「こんな半端な状態でお前みたいな下手なやつ放っとけねぇだろ。まぐれじゃなく的に当たるまでは付き合ってやるよ」
ぶっきらぼうな言い方だったけど、ゲンマの目は優しい。こんなの適当に一回付き合って終わりでもいいのに、真剣に考えて時間を割いてくれることに感動さえ覚える。
ゲンマに会うのはまだ三回目だったけど、私はまるで子犬のように彼に懐いてしまった。ちょっときついことを指摘されても、あとで必ずフォローしてくれるし、頭を撫でてくれるのも好き。家族からもらえなかった温もりを、ゲンマが与えてくれるような気がした。
「じゃ、今日はここまでな。帰って復習しとけよ?」
「めちゃくちゃ先生みたい」
「ガラじゃねぇからやめろ」
ゲンマがそう言いながら訓練場に背中を向けたとき、私は約束を思い出してアッと声をあげた。
「アイス!」
「なんだ、覚えてたのか。帰ったらすぐ飯だから今日はいいよ」
「え、でも」
今日のお礼にと約束していたことを有耶無耶にされるのはモヤモヤする。でもゲンマは呆れたように笑いながら軽口を叩いた。
「お前がこんなに下手だと思わなかったから、修行のたびに俺に奢ってたら財布すっからかんになるぞ?」
「そ、そこまで言う?」
「アイスはお前がまともに的に当てられるようになったら奢ってもらうわ。一番高いやつな」
「わ、分かったよ……」
一番高いアイスっていくらだっけ。でもアイスだから多分私のお小遣いでも買えるよね。
そんな心配よりも前に、やるべきことはいくらでもある。焦らず、一つずつ。
「ゲンマ、私、絶対できるようになってみせるね。見ててね」
「おう。楽しみにしてる」
早くゲンマにアイスを奢れるように頑張ろう。そしていつか、カカシを絶対に見返してやるんだ。