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「それでも、祈ることをやめない」

影に陽は差し

第一部 (top)

05.ゲンマ

 上級生の名前は、不知火ゲンマ。私の家から歩いて五分のところに住んでいる四年生とのことだった。こんなに近くに住んでいるのに知らなかったと言うと、ゲンマは「何回もすれ違ってるし」と、別に気にする様子もなく答える。
「ま、俺はお前のこと知ってるけど、お前は俺のこと知らなかったんだし。無理もない」
「声かけてくれりゃ良かったじゃん」
「なんて? 『おい、』って? 不審者じゃねぇか」
「確かに……」
 私は自分で言っておいて、あっさり納得して引き下がる。
 先ほど本屋でアイが穴を開けた本は、結局ゲンマが支払いを済ませた。私が弁償すると言い張ったのだが「この一冊しかなかった。中身は一応読めるから、俺はこれでいい」と、彼もかなり頑固なようでさっさとお金を払ってしまったのだ。私は申し訳なくて、せめてアイスでも奢るよと言って、近所のお菓子屋で棒アイスを二本買い、二人で近所の川原に下りた。アイスはすでにしずくが滴っていて、急いで頬張る。
「その本難しそうだけど、何の本?」
 貫通まではしていないといえ、穴の開いた本はさすがに心が痛むし本当に申し訳ない。当のアイやサクは、暑いから帰ると言って素知らぬ顔で消えていった。ゲンマはさっさとアイスを食べ終え、爪楊枝の代わりにアイスの棒を咥えたまま、話し始める。
「親父イチオシのミステリー小説。頭使うから鍛錬にちょうどいいんだと」
「ミステリー小説なのに穴が開いてて読めないところがある……謎が解けなかったら、ごめん」
「いいよ、別に。それなら分かんねぇとこは自分で考えりゃいいだろ?」
 ゲンマは私の知る限り、同世代の中で飛び抜けて落ち着き払っていた。いや、もちろん他に三歳年上の友人がいるわけではないので、それだけ離れていたら当たり前なのかもしれないが。そもそも八歳の子どもが、なんで爪楊枝咥えてるの? 中身はおじさんなの?
「ゲンマって、前も爪楊枝咥えてたけど……なんで? 口寂しいの?」
 率直に問いかけると、ゲンマは咥えたアイス棒の先をチョイチョイと動かした。
「よく言われる。別に好きでやってんじゃない」
「え、それは嘘でしょ」
「嘘じゃねぇよ! これも鍛錬なんだよ」
「な、何の鍛錬……?」
 爪楊枝を咥えて鍛錬とか、ちょっと説明に無理がある。やっぱり口寂しいだけなんじゃないのか。ゲンマの落ち着いたイメージが早々に崩れそうになったところ、ゲンマが眉根を寄せつつ説明してくれた。
「うちのお家芸ってやつだよ。長楊枝をチャクラコントロールで口から吹き出して、単純攻撃の他にもトラップ解除とか、まぁ色々だ。半人前はまず爪楊枝からってな」
「よ、楊枝が武器になるの……?」
 にわかには信じがたい。訝しむ私を見て、ゲンマはめんどくさそうに立ち上がった。
「この本持って、表紙が見えるようにしとけ」
「こ、こう?」
 穴の開いた小説を持たされ、私は言われたとおりに本を掲げる。ゲンマはそこから五歩くらい遠ざかってから、アイス棒を口から外して爪楊枝を咥えなおした。
 何をするというのだろう。目を凝らす私の視線の先で、ゲンマの唇が動いた。プッと小さな音がして、ほとんど同時に両手に衝撃が走る。気が付いたら、私が持っていた本は地面に落ちていた。爪楊枝なんて全く見えなかった。
「え? なに、今の? そこから口で吹いた爪楊枝で、この本落としたの?」
 あのとき両手を震わせた衝撃はそれなりに重かった。すでにゲンマの口に爪楊枝はない。恐らくこのあたりに落ちているのだろうが、私には見つけられなかった。
 ゲンマが得意げに笑いながらこちらに戻ってくる。なんだか急にゲンマがかっこよく見えた。
「めちゃくちゃすごい! 長楊枝にしたらさらに威力上がるってことでしょ? え、かっこいい! お家芸すご!」
「いや、猫使いんちのお前に言われても」
 そうは言いつつ、ゲンマは少し照れたように笑った。私は落ちた本を拾い上げ、ゲンマに手渡しながら首を振る。
「だって私、お家芸みたいなやつまだ一個もできないし……うちは幻術にも強いって言われてるけど、私は全然ダメ。忍猫も全然言うこと聞かない」
「お前、遊ばれてるだけだったもんな」
「わ、分かってる……でもあの二人は、生まれたときから一緒だから、兄弟みたいなもん」
 そんなことを話していると、私はふとあることに気づいた。口から吹くのだからまた別かもしれないが、あんなに正確に爪楊枝を飛ばせるなら、ゲンマはひょっとして手裏剣も上手いのではないか? アカデミーに入学してからばあちゃんは修行にあまり付き合ってくれなくなったし、そもそもばあちゃんの指導は分かりにくい。私は思い切ってゲンマに質問した。
「……ねぇ、ゲンマ。ひょっとして手裏剣も上手い?」
「まぁ、普通。何で?」
「なら、今度手裏剣の修行に付き合ってくれない? 私、ちょっと……ううん、だいぶ苦手でさ」
 ゲンマは一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに表情を緩めて軽く頷いた。
「いいぜ。一回見てやるよ」
「ほんと? やった! あ、でもそれなら何かお礼しなきゃだね。何がいい?」
 するとゲンマは少し考えてから、爪楊枝の先をちょっと揺らして言った。
「じゃ、修行のあとにまたアイス奢ってくれよ」
「え、そんなんでいいの?」
「いーよ。本に穴開けられないなら何でもいい」
 気にしていないように見えて、案外根に持つタイプかもしれない。私が思わず答えに窮すると、ゲンマは吹き出して笑った。吹き出しても爪楊枝が飛んでいかないの、器用すぎる。
「冗談だよ。じゃ、アイス楽しみにしてるな」
「その前に修行だからね」
「ハイハイ、どれくらい下手か見てやるよ」
「ゲンマ!」
 意地悪な言い方をしてくるので非難の声をあげるが、ゲンマはまた笑って私の頭をポンポンと撫でた。完全に遊ばれてる。でも不思議と嫌な気分じゃなかった。
 こうして私は、ゲンマと初めての約束を交わしたのだった。