影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
驚いて顔を上げると、角の路地から現れたらしいゲンマが心配そうにこちらを見ていた。前髪が汗で張り付いているところを見ると、修行の帰りのようだ。私は慌てて涙を拭きながら、呆然とゲンマを見つめ返した。
まずい、絶対にまずい。自分の軽率さが悔しくて、でもどう説明すればいいのか分からない。すっかり固まってしまった私の頭をもう一度撫でて、おばさんは息子に軽口を叩いた。
「泣かせてませーん。あんたのほうがよっぽどのこと泣かせてるんじゃないの? 同じチームなんですって?」
「聞いたのかよ。なんだよ、上手くやってるって……な、?」
ゲンマにそう問いかけられ、収まりかけていた涙がまた溢れ出した。ゲンマがぎょっと目を見開いて、急いでこちらに駆け寄ってくる。
「なんだ、マジで俺か? 俺が何かしたのか?」
「……心当たりでもあるの?」
「ないって!」
おばさんに噛みつかんばかりに言い返しながら、ゲンマが勢いよく私を見る。私の涙を見て、本当に焦っているみたいだった。そんなゲンマを見て少しだけ気持ちが落ち着くと同時に、とてつもない罪悪感が押し寄せてくる。
私は涙をこぼしながら、震える声でゲンマに謝った。
「ごめん、ゲンマ……ごめんね……」
「な、何だ? お前が何かしたのか?」
「……うん、ごめん……ごめん」
何と言えばいいか分からず、私はしばらくただ「ごめん」を繰り返した。状況がつかめず困惑しているゲンマに、おばさんが軽い調子で口を開く。
「ゲンマの火傷のこと、話しちゃった」
「はっ……!?」
ゲンマはそれを聞いて瞬時におばさんを睨んだけど、おばさんは素知らぬ様子でそっぽを向いた。すぐに謝ろうと思ったけど、私はゲンマの険しい表情を見たら怯んでしまう。ダメだ、ちゃんと謝らないと。おばさんは悪くない。
「ごめん、ゲンマ、私がおばさんに聞いちゃって、それで……」
「……お前な」
「ご、ごめん……」
怒られても仕方ないし、ガッカリされても仕方ない。思わず身を縮めてゲンマの次の言葉を待っていると、彼は長々と息を吐いて呆れたように言ってきた。
「……で、お前は俺のことどう思ったわけ? ガキの頃の火傷のせいでビビって火遁やらねぇと思った?」
「え、え、えっと……」
「そーだよダセェだろ。ビビってずっと逃げてたよ。でもお前がめちゃくちゃ頑張って風遁の練習してるの見て俺も覚悟決まった。今日は火遁の練習してきたんだよ」
えええーーー!? 私は驚いて穴が空くほどゲンマの顔を見た。チョウザ先生が火遁の話をしてから悩んでるみたいだったし、おばさんの話を聞いて、きっとトラウマなんだろうなって私は勝手に思ったのに。
ゲンマは一人でとっくに乗り越えてて、もう自分でできることを始めてたなんて。
――ゲンマは、強いな。そんなこととっくの昔に知ってたはずなのに、チームメイトになったから、追いつかなくちゃ、頼ってもらえるようにならなきゃって気張りすぎていたかもしれない。私はまた自分が恥ずかしくなった。
少し不貞腐れた様子のゲンマに、私は笑いかける。
「私ももっと頑張る。早く術を使えるようになって、ゲンマと一緒に色々やってみたい!」
「言っとくが、俺はもう術は二つ使えるからな。さっさとしねぇとどんどん引き離すぞ」
「はっ、はい……」
なんだ、全然心配いらなかった。余計なお世話だったみたい。私は思わず肩の力が抜けて、ちょっとふらついてしまった。ゲンマがすぐに支えてくれて、ホッとしながらゲンマの顔を見上げる。
変わらなくちゃいけないと思っていたけど。変わらなくていいものもあるんだ。
ゲンマのそばは、やっぱり安心する。
「、次はいつ来られる? またケーキ焼くから、一緒に食べましょう」
「母さん、俺たち任務も修行もあるんだよ。アカデミーの頃みたいに暇じゃ……」
「私はに聞いてるの。だって母さん、ゲンマももだーいすきなんだから。また一緒にご飯食べたいわ」
おばさんが満面の笑みで私たちを交互に見る。嬉しい。胸の奥がくすぐったくなるけど、溢れんばかりのこの気持ちを、何て言ったらいいんだろう。ゲンマも、ゲンマの生まれ育った家族も、大好きだ。
「私もおばさんのこと……だーーーいすき!」
思わず飛びついて、おばさんの背中を抱きしめる。もう忍びになったんだし、しっかりしなきゃ、チームの役割も家としての役割も、これから背負って考えていかなきゃと思ってた。チョウザ先生は厳しくも優しいし、チームとして何か不満があるわけじゃない。でも自分の家も安心しきれなくて、そんな中、久しぶりにリンたちと会って気持ちが緩んでいた気がする。私にはまだ、こうやって心から安心できる場所が必要だ。
ぎゅっと強く抱き返してくれるおばさんと、呆れた様子で肩をすくめるゲンマ。おばさんは楽しそうに笑ってそのままゲンマの背中にも腕を回して抱き寄せた。勢いよくこちらに倒れ込んできたゲンマの顔が、すぐ近くにある。私たちはおばさんに抱きかかえられるような形で、気づいたら密着するほど近くにいた。
焦った様子で赤くなっているゲンマから、ほんのり汗のにおいが漂ってくる。でも全然嫌な感じじゃなくて、私もまた片方の手をゲンマの背中に回して笑った。
ゲンマは私の視線に気づいてちょっと笑ってくれたけど、それより強引なおばさんの抱擁に戸惑っている。
「母さん、いい加減恥ずかしいって……もうやめろよ」
「ハイハイ、知ってるよ〜。でも二人とも大好きなんだもん、もうちょっといいでしょ」
呆れながらも、ゲンマもやっぱりちょっと嬉しそうだ。こんなに全身で愛情表現してくれる家族がいるなんて、ゲンマは本当に羨ましい。でも私だっておばさんに大事にされてるし、ゲンマだって一生懸命向き合ってくれる。
ゲンマに出会えて本当に幸せだなって、私は改めてしみじみと噛み締めた。
***
トラウマというほどではないし、火を見てフラッシュバックするとか、動けなくなるとかそんな大層な後遺症はない。ただ火遁の印を結ぼうとすると指先が強張って、息が詰まるような感覚があった。腹の傷跡を見ると、身体の奥が熱く焼け付くような気がした。
だからいつからか火遁を避けて手裏剣や楊枝吹しかやらなくなったし、腹には今でも包帯を巻いている。別にそれで困らなかったし、俺は本家でもない。他の術を磨けば事足りると思った。
でも、の地道な修行を見ていると、昔の自分を思い出して新しい感情が湧き上がってきた。俺も最初は地道な修行からだったな。親父についてもらって、時々伯父さんも来てくれて、イクチの真似事をしながら。
事故が起きたのは俺が六歳の頃だ。あれから四年――チョウザ先生の話を聞いてから、ずっと考えていた。は不器用だがそもそも優秀だ。現状に満足せず、彼女が新しい武器を増やそうとしているのに、俺はこのまま同じことを繰り返していていいのか? それは逃げ道ではないのか?
となら、また挑戦してみてもいいかもしれない。
先日帰還したばかりの親父に、俺は四年ぶりに火遁の修行をつけてくれるように頼んだ。親父は取り立てて何も言わず、そうかとだけ言っていつものように笑った。俺がいつか自分から言い出すことなんか、分かってたみたいに。
敵わない。親父にも母さんにも、まだ全然届かない。
でもいつか追い越して、俺の足で俺の行く先を決めたい。いつまで続くか分からないこのチームで、今はの隣で。
そのときふと、脳裏に聞こえてくる声があった。
『あまりこの子に関わらないほうがいいわ。いつかお互い、つらい思いをするでしょうから』
あれから一年ほどか。の家にはもう行っていないし、あれ以来母親に会ったこともない。それなのに時々こうして思い出される度、苛立つ思いで唇を噛んだ。
俺たちは上手くやれている。時々すれ違ったとしても、その都度ぶつかり合ってここまでやって来た。は俺にも俺の家族にも心を開いている。いくらの家族といえど、外からあれこれ言われる筋合いはない。
そう強く思っても、俺は心の中からの母親の言葉を消すことができなかった。何かあるのか? 俺の知らないや、家柄だとか、俺には考えの及ばないことが。
それでも俺はこれからも、仲間として、あるいはいわば家族として、のそばにいたい。そう、思いを強固にするだけだった。