影に陽は差し
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「それでも、祈ることをやめない」
ゲンマのお母さんはとても明るく気さくに笑う人で、お父さんはどっしり落ち着いているけど優しく笑う人だった。ゲンマの目元はお父さんに、顔立ちはお母さんに似ている。ゲンマの家族といると、なんだかすごく安心した。不知火家はとても温かい。ゲンマが私に穏やかな気持ちを与えてくれる理由が分かったような気がした。
「、ゲンマの教え方で本当に大丈夫だったかい?」
おじさんが枝豆を食べながらこちらを見る。私は口に頬張ったグラタンを急いで飲み込んで答えた。おばさんの料理、全部めちゃくちゃ美味しい。
「ゲンマ、教えるのすごく上手でした! 先生かなと思った。むしろ先生より上手」
「お世辞いいから」
「ほんとのことだもん」
ゲンマが横から口を挟むのを、すぐに覆いかぶせてしっかり否定する。ゲンマはそれ以上突っ込んでくることなく、再び黙々とおかずを食べ始めた。さっきから煮物ばっかり食べてるな。やっぱり中身はどう考えても八歳じゃない。
おじさんは私の答えを聞いて、感心したようにゲンマを見やる。
「ゲンマ、あれだけ泣きながら手裏剣の修行した甲斐があったな」
「や、やめろって!」
ゲンマが口をモゴモゴさせながらも慌てて捲し立てた。私はその横顔をまじまじと見つめる。ゲンマが泣きながら修行してた?
息子が止めるのも聞かず、おじさんは私を見て懐かしそうに言葉を繋ぐ。
「こいつには五歳上の従兄がいてね。アカデミーに入る前はよく一緒に修行してたんだよ。五つも違うんだからそう簡単に追いつけるはずもないのに、絶対イクチに勝ってやるって気張っちゃってね。イクチの父親が一緒に修行を見ててくれたんだが、なにぶんイクチに合わせるもんだから、こいつ、毎日のように泣いてんだよ」
「やめろって……」
ゲンマが珍しく顔を真っ赤にして父親を睨んでいた。今のゲンマからはあまり想像できない話だった。今日だってカカシを見返したいと言う私に、まずは自分を見ろと言ってくれたばかりじゃないか。
でもゲンマだって私みたいな時期を乗り越えて今があるんだと思ったら、私も諦めないで頑張っていこうと思えた。ゲンマはとても恥ずかしそうにしているけど、この話を聞けただけでも今日ここに来た甲斐があるというものだ。ゲンマのことを、これまで以上に身近に感じられるようになった。
おばさんは私を見てさっきからずっとニコニコしている。
「ちゃんほんとに可愛いわね〜。うちは一人息子だからちゃんみたいな子が遊びに来てくれて嬉しいわ。またゲンマに泣かされたらいつでも言ってね」
「泣かせてねぇって」
「おばさん、違うんです……ゲンマが優しいから、泣いちゃっただけです……」
「も余計なこと言うな!」
ゲンマは基本的には黙って食べているが、両親や私の会話を聞いて慌てたり怒ったりと何だか忙しそうだ。またゲンマの新しい一面を知れたみたいで私は嬉しかった。
おじさんはうちのばあちゃんの話をしてくるかと思ったが、意外にもほとんどその話は出なかった。一度おじさんが「さすが澪様の」と言いかけたとき、ゲンマが鋭く声をかけると、おじさんは気まずそうな顔をしてその先を適当にごまかした。
きっとゲンマが気を遣って、事前にばあちゃんの話題を持ち出さないように言い含めてくれたのだろう。余計な心配をかけてしまって少し気が咎めたが、ゲンマの配慮がじわりと身に染みた。ゲンマは本当に、優しい。
まるでパーティーのような豪華な食事が終わり、そろそろお開きかと思えば、おばさんが満面の笑みで「ちょっと待っててね」と台所へ立った。おばさんを追いかけて、おじさんもすぐに席を立つ。
おばさんが棚から出してきたのは、一抱えもあるような大きなホールケーキだ。おじさんがそれを受け取り、こちらに笑顔で戻ってくる。ゲンマはやれやれといった様子だったが、ケーキが置けるように食卓の上を少し片づけて、小皿やフォークを取って戻ってきた。
どうしたんだろう。今日は誰かの誕生日なのかな。でももうお腹いっぱいだし、どうしよう……。
そんなことを考えていると、おばさんは私を見てまばゆいばかりの笑顔になった。
「、二か月間の手裏剣術の修行、お疲れさま〜!」
おばさんとおじさん、そしていつの間にかゲンマの手にも握られていたクラッカーが音を立てて弾ける。私は中の紙吹雪やテープが頭にかかるのも構わず、驚きのあまり固まってしまった。
「え、え……え?」
「、諦めろ。母さんは何でもイベントにしたがる。今日もどうしてもお祝いをするって言って聞かなかった」
ゲンマが深々とため息をつきながら、私の頭にかかったテープを取ってくれた。おじさんはサッとクラッカーの中身を片づけ、おばさんは手際よくケーキをカットして小皿に載せていく。イチゴがたくさん載った一番大きいケーキを私に回しながら、おじさんは自慢げに胸を張った。
「母さんのケーキは美味いぞ。そこらの店には負けないからな」
「あ、ありがとうございます……」
「父さんは母さんのケーキが世界で一番好きだ」
「ハイハイ、知ってるよ〜」
おばさんは軽くそう言いながらも嬉しそうに微笑んで、おじさんの頬を撫でた。するとおじさんはちょっと赤くなりながら、幸せそうに目を細めておばさんの手を握る。突然目の前で繰り広げられたその光景を見て私がどぎまぎしていると、隣にいたゲンマが身を乗り出して不機嫌そうな声を出した。
「人前でやめろって、恥ずかしいだろ!」
「ゲンマ。お前も大人になれば、分かる」
「俺は絶対そんな恥ずかしい大人にはならない!」
どうやらこの光景は珍しくないようで、ゲンマは渋い顔でそっぽを向いたけれど、おじさんとおばさんは心底幸せそうに見えた。お互い想い合ってるんだなと子どもの私にも伝わってきて、こそばゆいけどとても羨ましいなと思った。
だって私の母さんやばあちゃんは、父さんやじいちゃんの話なんて全くしない。いくら早くに亡くなったといっても、思い出話くらいできるだろう。でも私が聞いたって当たり障りのないようなことしか言わないし、母さんは私に話して聞かせるとしたらサクモおじさんの話ばかり。父さんやじいちゃんがどんな人だったのか、どうして結婚したのか……それくらい、話してくれたっていいじゃないか。私の中に、彼らの思い出なんてないのだから。
でもゲンマの両親は、笑い合い、想い合い、こんなに温かい家庭を築いている。ゲンマはちょっと口は悪いけど根は真面目でとても優しい。この二人から生まれたと思えばそれも納得だった。
それに引き替え――心の中ですぐに比較してしまう自分に、嫌気が差す。私が欲しかったものは、全部ここにある気がした。でもここは、私の家じゃない。
「、どうした?」
私の意識を現実に引き戻したのは、心配そうなゲンマの声だった。彼の真っ直ぐな眼差しを見て、思い出す。そうだった。私はゲンマにはなれない。この家の子どもにもなれない。でも、ゲンマは私をよく見て、いつも助けてくれる。初めて会ったときだって、困っている私を助けてくれた。彼の優しさを、彼の家族の温かさを知れて、私はゲンマのことがもっと大好きになった。
「ううん、なんでもないよ」
私は微笑んで、まだ手をつけていなかったケーキを口に運んだ。甘すぎず、でも濃厚で、本当に美味しい。おばさんとおじさんも嬉しそうにこちらを覗き込んでいて、私は素直に「めちゃくちゃ美味しいです!」と答えた。すでにお腹がいっぱいだからちょっとしか食べられそうにないけど。
私はケーキの甘さをゆっくりと味わいながら、不思議と胸の中が温かく満たされていくのを感じた。ゲンマの家族みたいな温かい場所は、自分の家にはないのかもしれない。でもこうして知ることができたのなら、それで充分だ。こうしてゲンマの隣にいられることが、今はただただ嬉しかった。