320.門出


 割れんばかりの喝采がスタジアムを揺らしている。私の持ち場である最上層の梁からも、アリーナの中央で舞うの姿はよく見えた。五大国の大名に五影が集うという、これまでの常識からは到底考えられない豪華な式典。そんな歴史の転換点とも言える舞台で、は凛とした佇まいのまま、堂々と踊ってみせた。

 降り注ぐ拍手の中、深く一礼した彼女が、一度も振り返らずにアリーナを去っていく。

 六代目の傍らに控える護衛の一人は、その様子をあまりにも優しい――それでいてどこか誇らしげな眼差しで見つめていた。

(まったく……)

 あの夜の大福より、甘いわよ。

 呆れ返った私がアリーナから視線を逸らすと、少し離れた梁の上に、一匹の猫が座っていた。深緑色の忍び服を着て、が消えていった入場口に顔を向けている。

「下手くそにゃ」

 忍猫は尻尾を一振りしながら、のんびりとそう言った。

「でも、懐かしいにゃ」

 瞬きをした、ほんの一瞬。

 そのときにはもう、猫の姿はどこにもなかった。


***


「なにぃーーーーーっ!?!?」

 大事な話があるから行くねって伝えてあったのに、ガイはすっかり忘れていたらしい。やっと見つけたとき、彼は火影岩の上にいた。

​ 第四次大戦で、ガイは最後の死門を開いたそうだ。本来であれば助からないはずだったが、ナルトくんの力で奇跡的に命を繋ぎ止めた。その代償として右足は砕け、二度と忍びとして戦うことはできないと言われていた。
​ でも、ガイの『青春』は終わらなかった。車椅子生活になってもなお、残された身体で新たな修行に明け暮れている。

 そんな、里の誰もが敬意を払わずにはいられない不屈の英雄が、今は情けない声を上げながら、驚愕のあまり車椅子ごとひっくり返った。

​「……けっ……結婚……ッ!?  ゲンマ、お前、今なんて……ッ!?」
「だから、結婚。相手はこいつ」

 私の肩をごく自然に引き寄せるゲンマを見上げ、尻もちをついたガイの顎が外れそうになった。

「おっ、お前ら、いつからそんな親密な関係に!? いつの間にそんな愛のコンビネーションを磨いていたんだ!?」
「気づいてなかったの、あんただけだから」

 季節は冬。モコモコの服や帽子に包まれたミライが、紅の腕の中で楽しそうに笑っている。ガイを探す道すがら、散歩中の紅たちに遭遇したので、何とはなしにそのまま話しながら歩いていたら、こんな状況になった。

 まだ信じられないといった面持ちで戦慄くガイに肩を貸し、ゲンマが彼を車椅子に押し戻した。

「これから手続きとかもあっから、二月に入籍して四月に祝言の予定だ。日取り決まったら教えるから、空けとけよ?」
「お、おう……もちろんだ! しかし、お前らがな……いや、人生、何があるか分からんものだ……」
「だから、分かってなかったの、あんただけだから」

 紅のため息が白い靄となり、それを掴もうとミライが小さな手を伸ばす。キャッキャと笑うミライの頭を撫でながら、私は苦笑いした。

「ハハ……それだけ私たちの関係が分かりにくかったってことだよね。ごめんね紅、心配かけて」
「ほんっとにね。でも、今のあんた、これまでで一番キレイよ」
「へへ……ありがとう」

 昔から美人で大人っぽい紅にそう言われて、こそばゆいけどやっぱり嬉しかった。傍らのゲンマをチラリと見上げると、自然と目が合って胸がじんわり熱くなる。
 まだ目を丸くしているガイに向けて、私は笑いかけた。

「これからは、ガイにも分かるくらい、ちゃんとゲンマに気持ち伝えるね」

 そしてゲンマの冷たい手をそっと握ると、ゲンマもすぐに指を絡めてきて、ドキリとした。

​「あー、うー!」
 
 突然ミライが怒った顔をして、こちらに手を伸ばした。もっと撫でてほしかったのかな。私が空いている左手を差し出すと、ミライは小さな両手で掴んでハムハムと私の指をしゃぶり出した。甘噛みなんだろうけど、ちょっと痛い。甘えたいのかな、お腹が空いたのかな。

、ごめんなさい。最近何でも口に入れたがるの。ミライ、それはお姉ちゃんのお手々」
「いーよいーよ。ミライ、何でも食べてもっと大きくなるんだよー」
「あー!」

 その無垢な瞳に、私たちはどう映っているのかな。

 私の誕生日を迎える二月には、新居が完成する予定だ。結局、私たちはの跡地に家を建てることにした。これからは、大好きなゲンマと、新しい家族になっていく。

 仲間と、家族と、新しい未来を作っていくんだ。


***


 祝言には、本当にたくさんの人たちが来てくれた。私たちはこじんまりしたものでよかったのに、コハル様が張り切って、の復活を宣言するために里の外からも来賓を呼ぶだの何だのと大ごとにしようとしたのを、カカシがなんとか止めてくれた。

の復活は記念式典で充分お披露目できましたよ。五大国には通知だけしておきますから」

 終戦記念式典のあと、畏れ多いことに五影たちの非公式な会談の場に呼ばれた私は、影たちから直々に賛辞の言葉を賜った。

 戦後、木の葉隠れの他、雲隠れ、岩隠れでも新たな影が就任した。岩隠れの黒ツチ様は、五影の中で風影様の次に若い。先代オオノキ様の孫だとしても、この年で里を背負うことに、どれだけの苦悩があったか。

​「あんたみたいな美人が里に居座ってくれるだけで、火の国は安泰だね! 落ち着いたらうちの里にも遊びに来なよ。お堅い儀式抜きで、女同士、酒でも酌み交わそうじゃないか」
「あら、土影様。そのような素敵なお誘い、ぜひ私も混ぜていただきたいものですわ」

 フフ、と妖艶に微笑んで、水影様は正面から私に向き直った。スラリとした美しい立ち姿に、こちらの背筋まで伸びるようだった。

「魂のこもったあなたの舞い、本当に素晴らしかったです。きっと歴代の方々も、こうして人々の心を繋いでいらしたのでしょうね」

 人々の心を、繋ぐ。それがこの先、本当の意味で実現できるとしたら。

​「迷いながらも前を向いて歩んできたあなたの道が、あの美しい舞いを生み出した。その生き様そのものが、これからも人々の心を照らす光になるだろう」

 風影様の言葉に思わず顔を強張らせると、彼は穏やかに目を細めて小さく微笑んだ。

「あなたの話は少し、ナルトから聞いている」
「……ナルトくん」

 風影様に、なんてことを。

 ニコニコしているカカシを半ば睨みつけて、私はそっと息をつき、深く頭を下げた。

​「……もったいないお言葉です。連合の仲間たちと繋いだこの平穏の中で、私も忍びとして、舞い手として、できることを一つずつ積み上げて参ります」

 私はの末裔であり、情報部の忍びだ。

 いつか本当の平和を実現できる日を信じて、今は。

ちゃん、チョウザさんが来たよ!」

 着付けを終え、静かな控え室にひとり佇んでいると、扉が勢いよく開いた。
 飛び込んできたネネコちゃんが、私の顔を見てキラキラと目を輝かせる。

ちゃん、めちゃくちゃキレイ!! どうしよう、おじちゃん鼻血吹いちゃわないかな!?」
「あはは。それはそれで良い思い出になるかも」
「……ちゃんも、おじちゃんのこと相当好きだよね?」
「うん、大好き。ゲンマのためなら何でもできるよ」

 私が迷いなく答えると、大人びた振袖に身を包んだネネコちゃんは、茶目っ気たっぷりに笑って肩をすくめてみせた。

「もー、ごちそうさま! おじちゃん、そんなこと言われたらちゃんに一生頭上がんないね。あ、今もか!」

 そのとき、控室の扉がノックされた。あ、と声をあげて、ネネコちゃんが元気に返事をする。

 扉の向こうからゆったりと現れたのは、見事な紋付袴に身を包んだチョウザさんだった。
 その体躯を包む黒い羽織は、見慣れた戦闘服とは違う、静かで、それでいて頼もしい父親のような慈愛に満ちている。

、そろそろいいか?」
「はい! よろしくお願いします、チョウザさん」

 私に父はいない。だから今日は、私たちの下忍時代の担当上忍だったチョウザさんに、父親役をお願いしていた。
 チョウザさんが私の姿を見て、安心したように微笑む。

「いい顔だ。さぁ、行くか。ゲンマの奴、首を長くして待ってるだろうからな」
「……はい」

 チョウザさんの大きな手を握り、もう片方の手で白無垢の裾をまとめる。この衣装は、式典のときに無理を言った仕立て屋で誂えてもらったものだ。ずっしりと重い感触は、これから私が背負っていく幸せの重みのようにも感じられた。
 チョウザさんの横顔を見ていると、ふと、懐かしい声が脳裏に蘇った。

『お前はまるで香車だな。まっすぐ愚直にしか進めねぇ』

 シカクさんはあの頃からずっと、私のことをよく分かってくれていた。

 シカクさん。私――少しは、成れたかな。
 あなたが何度も諭してくれたように、これからはずっと、ゲンマと手を取り合って、話し合って、生きていきます。

ちゃん、裾踏まないように気をつけてね!」

 後ろからネネコちゃんに心配されながら、私はゲンマたちの待つ式場に向かって、ゆっくりと一歩ずつ足を踏み出していった。