319.魂
これまで、誰のために舞っていたわけでもない。ただ、やり場のない思いを乗せて流すかのように、自分のためだけに舞っていただけだ。
それを初めて見て、認めてくれたのは、シスイだった。
舞うことだけが祈りじゃないと、シスイは示してくれた。でもやっぱり、結局私はこうやって、舞うことを選んだ。
『の舞いは、祈りだから。絶望的なことが起こっても、一筋の希望を見出そうとする――形ある祈りだ』
もし再び絶望することがあったとしても、シスイのように思ってくれる誰かが一人でもいれば、私の舞いにもきっと意味がある。
『いつか、人々がまたの祈りを求める。そのとき君に、それを開く勇気が宿ることを信じてる』
ありがとう、シスイ。
あなたを亡くして、私は踊れなくなった。私の舞いなんかに、何の力もないと思ったから。私はあの頃、自分のことばかりで、思い悩む仲間のために何もできなかったから。
でも、あなたと語り合った日々も、あなたが私の舞いを求めてくれたことも、十年の時を経て、私の背中を押してくれた。
この先、たとえどんな意味を背負わされても、私は誰かのために舞える。
また迷っても、何度でも前を向くよ。
私には、大切な人たちがいてくれるから。
何万人という観客の前でも、舞えば全ての音が流れるように消えていく。視界には、かつて散っていった仲間たちの魂が、晴れ渡る空に踊るように錯覚する。
アスマ、見てる?
時間がかかったけど――自分にやれることを、やっていくよ。
あなたたちに出会えて、よかった。
***
神楽鈴は、ペインの術で消し飛んだ家跡から発見されたらしい。は自力で磨こうとしたが、素人の手では限界がある。古くからある忍具店の彫金師に、歪みや音色の調整、鍍金の磨き直しを依頼することにした。
衣装は、の曾祖母が身に着けていたものが長く保管されていたそうだが、消し炭になって消えてしまった。里一番の老舗に再現を頼もうとすると、仕立て屋の長老はかつてのの舞いを覚えていた。
「あぁ、覚えてるよ。翠様は里のため、柱間様のためにと、それはそれは美しく舞っておられた。儂はまだ見習いだったが、当時の型紙は朧げながら頭に入ってる。あの緋袴の揺れ方を再現するのは、今の裁断じゃ難しいが……できるだけ近いモンにはしてやるよ」
「してやるよじゃねぇよ、ジジイ。やるのは俺なんだよ」
店主は俺たちより一回り上の世代だ。やれやれと息をついて、店先の俺とを睨んだ。
「来月の式典までに仕立ててほしいって……いくらなんでもあんまりじゃないですかね、上忍さんよ」
まぁ、嫌味の一つや二つ、言いたくもなるだろう。俺たちだって無茶を言っている自覚はある。
は俺の隣で深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありません……」
「無理を承知でこうしてお願いしています。これは六代目たっての依頼ですから」
「火影様の頼みっつっても、半月が一月になるわけじゃありませんからねぇ。そいつぁ無理ってもんですよ」
ったく、役に立たねぇな、カカシの奴。
さて、どうするか。衣装がなければ、式典で舞うことなど到底できない。
いくつか考えていた手のうち、次にどれを出そうか思案していると、長老の怒号が飛んできた。
「テメェ根性ねぇこと言ってんじゃねぇぞ! ババアを見てみろ! あれくらいのプライド見せろってんだよ!!」
ババア――恐らく、火影羽織を初代から代々仕立ててきたというあの大御所のことだろう。すでに家業は引退しているはずだが、火影羽織だけはと、誰にも仕事を譲らず、死ぬまで続けるつもりらしい。
店主はめんどくさそうに頭を掻いた。
「何がプライドだ、引き際も弁えずにあちこち迷惑かけてるだけじゃねーか」
すると長老のこめかみに浮かぶ青筋が、音を立てんばかりに激しく脈打つのが見えた。
「馬鹿野郎っ! その迷惑を背負ってでも一歩も引かねぇのが職人の格ってもんだろうが! テメェ、初代様の愛した舞いが復活しようっつーのに、納期がねぇで追い返せるわけねぇだろう!!」
「はぁ? 現実見ろよ、そんな昔の型紙、今の俺たちの技術でゼロから再現してたら、式典なんてとっくに終わっちまうぞ」
店主は至極、真っ当なことを言っている――のだろう。が、長老は大仰に鼻で笑ってみせた。
「テメェのプライドなんぞその程度のもんか。納期に間に合わねぇなら、力ずくで何とかすんのがうちの伝統だろうが」
「……はぁ? ババアのあの適当な仕事のこと言ってんなら、うちの看板に泥さえ塗られると思ってるね。俺は自分の納得いくもんしか納品したくねぇんだよ、そんな大事な式典で使いてぇってんならこんなやっつけ仕事じゃなく、もっと余裕持って依頼すんのが筋ってもんだろ。違うか?」
店主の刺すような言葉に、慎重に頭の中を整理する。再び火影の名を出すか――いや、それでは逆効果だ。ここは現実的な妥協案を――。
だが俺が口を開くより先に、がスッと前に出た。
「身勝手なお願いだということは、よく、分かっています」
店主の鋭い視線に気圧されることもなく、は静かに、だが逃げ場のないほどに真っ直ぐな瞳で店主を見つめ返した。
「でも、中途半端なものを納品したくないと仰るなら、なおさら、あなたの手で仕上げていただきたいんです」
「……ア?」
低い声で唸る店主の睨みにも、一切怯む様子はない。ただ純粋な、まるで子どものような無垢な瞳が、店主の奥底を見据えている。
「こちらのお店は、火影の羽織を代々担うほどに、誇り高く里の文化を守ってこられた。私は、恥ずかしながらこの年になるまで自分のことで精一杯で、文化を継承することの重さを、本当の意味で分かっていませんでした。でも、今は違います。ようやく自分の足で、里のため、世界のために立ちたいと思えるようになったんです」
の声は震えていなかった。むしろ、澄み切った決意が店内の空気を凛と震わせるかのようだった。
「どうか、あなたのプライドを私に見せてください。文化を背負って立つということがどういうことか、その仕事で私に教えてください。不眠不休でも何でも構いません。あなたが『これなら出せる』と誇れる一着を、どうか私に着せてください。お願いします」
がもう一度、深く、頭を下げる。
その所作の美しさも、澄み渡る神聖な空気も。
周囲の喧騒を忘れさせるような、不思議な沈黙が店内を制した。
長老がニヤつく傍らで、店主は裁断台に置いた手をきつく握り締めながら、まるで値踏みするかのような目つきでを凝視し――やがて、盛大に舌打ちをした。
「……ったく、これだから……これだから、浮世離れした本物ってのはタチが悪ぃ!」
店主は自棄になってボサボサ髪を掻きむしり、背後の棚から型紙の束をひったくった。
「おい、親父! 紅糸の在庫全部出せ! それと特上の裏地もだ! あークソ、分かったよ! 寝ねぇよ、寝なけりゃいいんだろ! その代わりお嬢ちゃん、あんたも覚悟しとけ。うちの看板背負って舞うんだ。最高の出来じゃなきゃ、舞台の上まで追いかけてって、引っ剥がしてやるからな!」
「……は、はい!」
店主の凄まじい剣幕に、が先ほどまでとは打って変わって緊張した様子で背筋を正す。そのギャップに俺も肩の力が抜けたし、長老も愉快そうに声をあげて笑った。
「最高の舞衣にしてやるからな。生きてるうちにまたの舞いが見られるなんざ、夢みてぇだ」
「だからっ! 作るのは俺だろうがっ!!」
慌ただしく型紙を広げながら、店主が苛立たしげにまたこちらを睨んだ。
「特急料金吹っかけてやるからな。覚悟しときな」
***
これだけ大勢の観客を前にしても、の舞いは堂々としたものだった。
だが、彼女が見つめているのはきっと、現実の景色ではない。共に歩んだ仲間や、失った家族、血の滲むような日々――それら全ての思いを祈りに変え、彼女は生者と死者のため、ただ一心に舞い続けた。誰もが息を呑み、食い入るようにその姿に魅入っていた。
「……鼻の下が伸びてるんじゃないですか、六代目」
周囲に聞こえない程度の微かな声で囁やけば、カカシは悪びれた様子もなく肩をすくめる。
「あんなに綺麗なんだから、誰だって見惚れるでしょ」
「………」
こいつは本当に、開き直るようになったな。思わず顔をしかめる俺には見向きもせず、カカシはの舞う姿を眩しそうに見ていた。
「人は美しいものを見たらさ、こんなに心が洗われるものなんだね」
カカシの言葉に、俺は再びアリーナに視線を落とす。仕立屋が衣装を完成したのは昨日の夜だった。幾重にも重ねられた極薄の絹が、彼女の旋回に合わせて大輪の花のように広がる。職人がこだわったのは、特上の裏地ということだった。表の紅をより深く、鮮やかに引き立てるその仕掛けが、の周囲にだけ幻想的な光を放っている。
「本当に……美しいわね」
カカシの隣に腰かける水影様が、恍惚とした表情でため息をついた。
最後に一つ、シャンと鈴の音が響いた。