317.始まり
「……忍びやめて、巫女になるってコト?」
呆けた顔でようやくカカシが口にしたのは、そんな疑問だった。
また、笑ってしまった。
「違うよ、アスマみたいなこと言わないで」
「……アスマ?」
「こっそり舞ってるとこ、見られたの。昔の話。忍びやめて巫女になったのかと思ったって言われた」
「へぇ……そんなにサマになってたんだ」
「何となく、よ。文献とか見て、型だけ先に覚えたの。私は……ほんとのの舞いなんか、見たことないしね。それも、ペインの術で消えてなくなっちゃったけど」
カカシの瞳が、少しだけ翳る。最後の戦争を経て、写輪眼は彼の左目から消えた。元の持ち主に戻ったらしい。お節介で遅刻癖のある、彼のところに。
「アスマが教えてくれた。祈りは、鎮魂のためだけじゃない。その人が大切にしていたものを守ること……私は、この里も、仲間も、やっと手に入れた国家間の絆も守りたい。舞うことだけが、祈りだとは思わない。ここまで忍びとして戦ってきたんだもん。これからも私は、平和を諦めないために情報の力で世界に貢献したい。火影としてあなたが認めてくれるなら、私は忍びも続けたいし、巫女として、の舞いを復活させたいとも思ってる」
「……つまり、兼業ってコト?」
「またアスマみたいなこと言ってる」
声をあげて笑うと、傍らで煙を燻らせながらアスマも豪快に笑ってくれているような気がした。
カカシはしばらく黙っていたけど、やがて呆れたように息を吐いて、肩をすくめてみせた。
「認めるも何も、もう決めてきたんだろ?」
「まぁね」
「別に俺が認める必要もないでしょ。家当主のお前が決めることに、俺が口出しできるわけじゃない。優秀な部下が引退するって言い出さなかっただけ、ありがたいと思ってるよ」
諦め半分といった面持ちで、カカシがまた顎の下でゆっくりと手を組む。
「ホントは式典で、のお前をアドバイザーとして迎えることにしたって発表するつもりだったんだけど」
「うん」
「代わりに、みんなの前で踊ってくれない?」
「いいよ」
「いいのっ!?」
飛び上がらんばかりに驚いて、カカシは目を丸くした。今日のカカシは、いちいちリアクションが大きいな。六代目を信奉している若い忍びたちに見せてあげたいくらい。
「本当にいいのか? 政治的にどう解釈されるか、お前なら分かるでしょ」
自分から提案しておきながら、カカシが慎重に眉をひそめる。ここにいるのは六代目火影というより、やはり三十年つかず離れずを繰り返してきた旧友、はたけカカシそのものだった。
私は少し視線を落として、口を開く。
「古来より舞いは権力と結びついてきた。平和を祈ったはずなのに、が権威付けに利用されて新たな争いを生んだこともあったと思う。その矛盾がきっと何百年も、を苦しめてきた」
宿場町でゲンマが遭遇したという、と夜摩猫を恨む男。きっとこれまでもそうやって、どこかで憎しみを生んできたんだろう。
忍びがいてもいなくても、争いがなくならないというのなら。
「だからこそ、私は忍びでもあり続けたいの。舞いで大国の心を繋ぎながら、忍びとして、世界が受けてきた痛みを見つめる視点を忘れないでいたい。もし私の舞いが政治的な意味を持つというなら、私はその重みを、小国の絶望を塗りつぶさないための楔として使いたいの。それが、最後のとして、私が負うべきけじめだと思ってる」
大国だけじゃない。その狭間で争いに巻き込まれてきた小国の歴史に目を瞑れば、第二のペインがまた現れるだろう。
答えは出ない。だから、一生をかけても、私たちはもがき続けるんだろう。
「やっぱり、お前で最後なの? ゲンマとの子どもは作らない?」
カカシが淡々と尋ねてきた問いに、私は呆れ返って思い切り顔をしかめた。
「あんた、無神経にも程があるわよ。それ確実にセクハラでしょ」
「あー……やっぱり、そういう判定? だって里にとっても大事でしょ、旧家の存続って」
そりゃまあ、そうだけど。十八歳の頃、ご意見番のみならず、ヒルゼン様やシカクさんにも色々と心配をかけていたことを思い出した。シカクさんは何度も何度も、ゲンマと話し合えって言ってくれたっけ。
「……ゲンマとの子どもは、産みたい。でも、仮に生まれてきてくれたとしても、その子にを継がせる気はないの。は私で最後でいいって、本気で思ってる」
カカシは顔色ひとつ変えず、黙って私の話を聞いてくれた。気恥ずかしいのは、相手が火影様だからじゃなくて、同期の旧友だから、かな。
「ゲンマは、私の大事にしてきたものを大事にしたいって言ってくれた。だから、舞うことも、を残すことも、そうするって二人で決められた。だけど、私たちの子どもは、私たちを選んで生まれてくるわけじゃない。子どもには、自分で選んで、自分の進む道は自分で決めてほしいと思ってる」
「……の名を背負って、生まれてくるのに?」
カカシは、悪意で聞いてるんじゃない。仲間として、私たちのことを真剣に案じてくれていると分かった。
背筋を伸ばして、はっきりと答える。
「を私で終わらせる準備は整える。それに、子どもが独立するまでは、私たちが守るから。それからのことは、その子が自分で決めればいい」
私たちはしばらくの間、黙って見つめ合った。窓の外で子どもたちの笑い声が響いている。世界中で、多くの仲間たちが死んだ。それでもこうして、次の世代の明るい声を、守っていくことはできる。
やがてカカシは大きく息を吐いて、背もたれにドサリと身体を預けた。
「反論の余地ないじゃない。いいよ、好きにすれば。ただし、最後の当主として、里のためにやるべきことはやってもらう」
「分かってるよ」
私も少しホッとして、首周りを緩める。緊張が解けたら、自然と恨み言が漏れた。
「ていうかあんた、最初からを利用するつもりだったでしょ?」
「人聞きの悪いこと言わないで」
間髪いれず切り返してきたカカシだったけど、すぐに頭を振って言い直した。
「……ま、嫌な言い方すればそうね。初代火影との約束は、連合のみんなが共有した記憶だ。忍びの罪や、責任――お前の言葉を借りれば、それらを忘れず大国間の絆を繋ぐための十分な楔になりえると、俺は考えてる」
「それでいいよ。だから、終戦記念式典で私が舞うことには意味がある。でしょ?」
「あぁ、充分だ」
浅く頷いて、身体を起こしたカカシが執務机に肘をつく。それから思い出したように視線を上げて、
「あんまり下手くそだったら途中で下げちゃうから、しっかり練習しといてね」
「うるさいなっ」
反射的に言い返してから、思わず笑ってしまった。不思議そうに首を傾げるカカシに、何でもないと答えてまた笑う。
子どもの頃、カカシから何度も投げつけられた「へたくそ」という台詞を、思い出したから。
思えば私の忍人生は、あの言葉から始まったのかもしれない。
「カカシ」
「ん?」
口布の下には、幾重の痛みを乗り越えてきた笑顔があるって、私は知ってる。
「カカシは本当に、私のことが大好きだね」
カカシはしばらく、ジッと私を見つめたあと、心底穏やかに微笑んで、言った。
「そうだよ。俺はお前のことが、大好きだよ」
私の中にまだ小さく燻っていた捻くれた心が、優しく癒されていくのが分かった。
「ありがとう。私もカカシのこと、大好きだよ」