316.答え


 ゲンマは、優しかった。そんなの昔から知ってるけど、初めて私を抱いたとき、本当に壊れ物でも扱うように、ゆっくり丁寧に、時間をかけて愛してくれた。色々あって結局途中までしかできなかったけど、私はもう数え切れないくらい限界を迎えていたから、これ以上なんかあったら多分もう無理だった。

 私は、昔からゲンマのことが大好きだから、当たり前だけど。

 何とも思ってなかった相手に絆されてしまうような夜って、どれだけ温かかったんだろう。

 父さんは私を――私たちを、愛してくれた。

 父さんが生きていてくれたら、きっと私は愛を疑わずに大きくなれた。もしかしたら、ゲンマやイクチみたいに。

 母さんはあまりにも、父さんと過ごした時間が短かった。

 母さんは許せない。ばあちゃんも許せない。

 でも、それはきっと――母さんやばあちゃんも、同じだったんだろう。

 マダラの魂をも救った翠という人は、どうだったんだろうか。

 母の最後の日記には、ゲンマのことも書かれていた。

『不知火君だってどうせいつか、のそばからいなくなる』

 ゲンマだって、父と同じようにいつか突然いなくなるかもしれない。あのときもし小隊にシズネさんがいなければ、ゲンマは助からなかった。
 だからって私は、ゲンマと出会わなければよかったなんて微塵も思わない。

 ゲンマを愛して、愛されて、私は本当に幸せだよ。

「……ばいばい」

 草を刈って少し整えた神社の境内で、ゲンマやレイが見守る中、私は母の日記を燃やした。自来也さんの本も、すべて。
 日記の中から出てきた一枚の墨絵だけ、手元に残した。

 きっと、父の描いたものだ。

 古ぼけた小さな紙に墨で描かれていたのは、幸せそうに笑う若い女性と、その腕に抱かれた小さな小さな赤ん坊だ。

 三十年という月日は、父が遺した愛の形を、二度と消えないほど深く飴色の紙に刻み込んでいた。


***


「どうしたの? 改まって。やっと返事持ってきてくれた?」

 シカマルくんに席を外してもらって、私は火影執務室で六代目火影と対面していた。言うまでもなく、カカシのことだけど。
 終戦から間もなく一年だから、その式典の準備でカカシも忙しいはずだ。でも、そんなことはおくびにも出さずに、朗らかに手を組んで笑いかけてくる。本当に、丸くなったな。

 私は後ろ手を組んで、より姿勢を正す。

「はい。大変お待たせしました」
「ホント。俺、そんなに火影続ける気ないから。お前を待ってる間に隠居しちゃうところだったよ」
「だから式典までにはって言ったでしょ」
「まーね。発表するなら式典がちょうどいいなって思ったし」

 カカシは、ナルトくんの準備が整うまでに、戦後処理や他国との調整を進めるために火影を引き継いだ。ナルトくんには、世界中からの人望や実力が充分にある。あとは経験を積むだけだ。
 私は慇懃に一礼して、用意してきた言葉を口にした。

「申し訳ございませんが、お断りさせていただきます」
「え〜〜〜」

 まるで子どものような声をあげて落胆するカカシに、思わず笑ってしまう。肩をすくめて、私はそのまま姿勢を軽く崩した。

「だって、ガラじゃないんだもん」
「何言ってんの。適任でしょうが」
「やだよ」
「やだよじゃないよ。やってよ」
「やだってば!」

 間髪いれず言い返すと、口布の上でカカシの顔がどんどん仏頂面になっていく。そんな顔しないでよと言って、また背中の後ろで手を組んだ。

 春先にカカシから頼まれていたのは、私に六代目火影のアドバイザーになってほしいという依頼だった。火影補佐とも、ご意見番とも違う、より実務に近いレベルで対等に火影に助言を与える立場。澪は、長く三代目火影のアドバイザーを務めていた。

 カカシは言った。お前みたいに強くて、お前みたいに弱い者の声が、必要だと。
 正論だけでも、感情だけでも救えないものが、この世にはたくさんある。

「私は、強くなんかない。火影の隣で助言するような立場には相応しくない。私は確かに忍びだけど、忍びでいられないときもある」
「知ってるよ。だから、お前が必要なんだ。俺たち忍びは時に驕る。過ちを繰り返しながら、そのことを都合よく忘れる。だからこそ、お前の目が必要なんだ。お前は忍びでありながら、初代火影が平和を誓ったの末裔でもあるからね」

 。平和。初代火影との約束。それは長年、まるで呪いのように私を縛り付けていた。
 でも、今は違う。

 そっと解いた手のひらを持ち上げ、しわの刻まれた自分の両手を見下ろす。忍びとして、二十年戦ってきた。仲間のため、里のため、平和のためと信じて。
 私に、一体何ができた?

 瞼の裏に浮かぶのは、かつての仲間たちの姿だ。

「私……舞おうと思う」

 カカシが、これまでに見たこともないような顔で、動きを止めた。どこか含みのある笑みも、理屈も、ふてぶてしさもすべてどこかへ吹き飛んだような、あまりにも間の抜けた表情。

 カカシは組んでいた手をほどき、ポカンとしたまま、穴が空きそうなくらい私の顔を凝視した。

「ばあちゃんが舞いを捨てて忍びの道を選んだことが、間違いだったとは思わない。ばあちゃんも曾ばあちゃんも、に何ができるか、何を為すべきか考えて、自分なりの答えを出した。戦ってみて初めて分かったことも、きっとある。忍びがいなければ争いはなくなるのか――そんな、単純なものじゃないって」

 平和が成されないのは、私たち忍びのせいだと思ったこともあった。でも、オビトの言ったように、今争いを生む者が排除されたとしても、また対岸の誰かが同じことをするかもしれない。忍びがいなくなったとしても、また別の誰かが誰かを傷つけるかもしれない。その、繰り返しかもしれない。

「母さんも迷ってた。迷い続けてた。だから母さんは忍猫使いにもならなかった。翠の舞いを見て育った母さんは、戦って、目の前の敵を殺していくうちに、やがて歌も舞いも失くしていった」

 母さんはきっと、忍猫使いになれなかったんじゃない。そのことを望まなかったから。
 それでもレイは、ずっと母さんのそばにいた。

「私だって迷った。ずっと迷ってた。でも、私には仲間がいたから――守りたいものがあったから。何度も逃げて、自分を見失いそうになったけど、最後はやっぱり仲間との繋がりが私を助けてくれた。誰にだってそれは、必要なものだから。どんな人間にも――必要だと思うから」

 オビト。私は最後に、あなたに何をしてあげられたかな。私はあなたの前でただ、子どものように泣くだけだった。
 逆賊となったうちはマダラのために舞い続けた翠。もしもそのことが世間に知れれば、不和と分断を広げたかもしれない。

 それでもきっと、翠の舞いは――。

「私が舞っても、何も変わらないかもしれない。またどこかで新たな火種を生むかもしれない。それでも私は、形ある祈りを届けたい。私の舞いを見た誰かが、今度はまた誰かの心に明かりを灯してくれるかもしれないから」

 誰に教わったわけでもない舞いを、ひっそりと舞う。かつてのを知る忍猫たちに、下手くそと揶揄されながら。
 自己満足と言われてもいい。私は、大切な人たちのために、舞うことを決めた。

 ゲンマがいたから、思い切れた。

「……忍びやめて、巫女になるってコト?」

 呆けた顔でようやくカカシが口にしたのは、そんな疑問だった。