311.肖像
休みは月に数回だったけど、その度に何も言わなくてもゲンマが現れて神社まで付き添ってくれた。こんなに非番が重なるはずがないから、きっと、無理をして合わせてくれてるんだと思う。そんなことしなくていいよって言ったけど、ゲンマは「俺が好きでやってんだよ」って聞かなかった。嬉しいのか、一人にしてほしいのか、自分でも段々分からなくなってきた。
母の日記は、表紙に始まりと終わりの日付が書いてあったから、時系列はすぐに分かった。ばあちゃんもその順番に並べたようだった。悩んだけど、私もその通りに目を通すことにした。
日記は、アカデミーの二年生から始まった。私も日記というほどじゃないけど、勉強や修行の合間に気をつけることとか、その日の記録を疎らにつけ始めたのはアカデミーに入ったあとだった。それも、家が消し飛んだときに粗方なくなってしまったけど。
アカデミーで母が親しくしていた、同期のサヨという女性。彼女と修行に明け暮れたこと。そんな中、曾祖母の舞いを見て育った母が、争いのためでしかない忍術が本当に人々のためになるのか、悩み続けていたこと。
日記の中に、初めてサクモという名が出てきたのは、母が三年生のときだった。
母はやっぱり、サクモおじさんのことが好きだったんだ。
サクモおじさんは、サヨさんの又従兄だった。六つ年上のサクモおじさんは、すでに上忍として活躍していた。母からすれば雲の上の存在だけど、サヨさんを通じて知り合ったおじさんは、とても気さくで、とても優しかったそうだ。
脳裏に、ミナト先生の顔が浮かんだ。
『九月十五日 最悪。サクモさんと話しているところを自来也に見られた。あんなオヤジが好みなのかよって散々こき下ろされた。誰がオヤジよ。あんたみたいなエロ男の百倍マシ』
自来也さんは、母がサクモおじさんを好きだったって、知っているみたいだった。それはアカデミーの頃から、きっと。
曾祖母は、母がアカデミーを卒業する前に他界したらしい。最後の最後まで、誰かを思って舞っているようだったと。初代火影のために舞っていたと世間では思われていたけど、もしかしたら本当は、うちはマダラの鎮魂のために。
アカデミーを卒業した母は、私と同じように忍猫と契約を結んだ。でも母はずっと、忍びになることが正しい道なんだろうかって、悩み続けていた。
生まれたときから一緒だったレイのことも、時々記されている。
『お前は考えすぎだって、いつもレイに言われる。考えなくてすむなら考えてない。サクモさんは、私なんかの話をいつも丁寧に聞いてくれる。サクモさんになら、何でも話せる気がする。この気持ち以外は』
胸が、苦しくなる。何度も何度も、発作を起こしそうになってはゲンマの強引なまでの温もりで現実に引き戻される。薬の世話になることもあるし、気力だけで持ち直すこともある。
いくら読み進めても、母さんがサクモおじさんに片思いしていたことが分かるだけだ。
やめたい。これ以上読んだって意味なんかない。頭ではそう思うのに、嘔吐感を抑え込みながら、ゲンマの腕に抱かれて、私は母の日記を少しずつ読み進めた。
母が中忍になったのは十五のとき。アカデミーを卒業して四年目と考えれば、決して早いほうではない。あの澪様の娘なのにと、陰口を叩かれることも多かったようだ。
サヨさんは母より先にアカデミーを卒業し、中忍になったのも十二歳のとき。日記には、サヨさんへの憧れや劣等感――忍びそのものへの疑念を持つ母からすれば、サヨさんと自分の違いを思い知る日々だったんだろう。
十七のとき、母は祖母から見合い話を持ち込まれることになる。
初めは反発し、逃げ回っていた母だったけど、転機は十八のときに訪れた。
親友のサヨさんが、サクモおじさんと結婚したのだ。
サヨさんとは親友でありながら、恋愛の話は一度もしたことがなかったらしい。六つも離れた優秀な上忍であるおじさんが自分を相手にするはずがないと思っていたし、おじさんはサヨさんの親戚だ。私がミナト先生への想いをリンにも話せなかったように、きっと、母も。
怒りや憎しみというより、母は、諦めたようだった。そして、笑って二人の門出を祝福することにした。大好きな二人が、結ばれるんだ。これ以上に嬉しいことはないと、きっと、自分に言い聞かせて。
そして母は、祖母の見合い話を受けることにした。自分の価値は、血を遺すことだけだと。
見合い相手として紹介された人は、葛城ハクトという名だった。母の同級生だったそうだが、その頃の日記まで、一度も名前は出てこなかった。
ハクト――つまり、後に私の父になるその人は、母に必ず君を幸せにすると言った。でも母はそれを、結婚という契約を結ぶための甘言だと思ったそうだ。ハクトが私を愛しているはずがない。里の要職に在る澪の家に嫁ぐ――それがたまたま、私だっただけだと。
父は優しかった。初めは、結婚生活を維持するためだと思った。夜の営みでも優しかった。ただ雰囲気を盛り上げるためだと思った。
だけど、母は――そんな父に、少しずつ惹かれていった。
――だったら、どうして?
ページを捲る指先が震え、噴き出す汗に、頭がのぼせ上がってくる。
「……今日は、ここまでだ」
私の様子を見て、ゲンマはいつも強引に抱き寄せて区切りをつけさせてくれる。そうしないときっと、私が戻れなくなると分かっているから。
泣きながらゲンマの背に縋りつき、何度かえずく。ゲンマが全身で抱きしめて、ゆったりした呼吸を思い出させてくれる。
『お前がゲンマの愛を受け入れられなかったのも、凪がハクトの愛を受け入れられなかったのも、全て私のせいだ』
祖母の言葉が、脳裏に不協和音のように響く。
『お前は愛されていた。父にも母にも』
思い出せない。そんなこと、あるはずがないのに。
優しかったはずの父。父は本当に、母を愛していたのか?
母もまた、父を愛そうとしたのか?
どうして母は――私を。