310.側面


 休みの融通を利かせてほしいなんて、二十年の忍人生の中で初めての経験だ。戦後の少し落ち着いた今でなければ、きっと切り出すことさえ躊躇われただろう。
 だが、護衛部長は俺の頼みをあっさりと受け入れた。

「おう、いいぞ。の休みに合わせたいんだろ?」

 俺は口から千本を吹き出しそうになった。

「いや、あの……えっ?」
「今が大事な時期なんだろ? いいぞ、どうしても無理なときは言うから」
「いや、その……」

 の休みに合わせたいと思ったのは本当だ。が、そんなことは誰にも一言も言っていない。十五年の付き合いの中で、との仲を部長から言及されたことがないとは言わないが、仕事の話にまで持ち込まれたことは一度たりともない。
 俺ってそんなに分かりやすいのか?

 口ごもる俺に気楽に笑いかけ、部長が軽く俺の肩を叩いた。

「お前たちのことは里のみんなが見守ってる。火影様にも感謝しろよ」
「あ、その……はっ?」

 里のみんな? 火影様? 五代目はとうに引退し、今は六代目の下、新たな里造りが進められているところだ。
 いけ好かないあの訳知り顔が思い浮かんで思わず顔をしかめる俺に、部長は信じられない話を語って聞かせた。


***


「六代目……少し、宜しいですか」

 任務報告を終え、ライドウとイワシは執務室をあとにしようとしたが、ゲンマだけがその場に残って躊躇いがちに声をかけてきた。

「うん、いいよ。ライドウ、イワシ、ご苦労さま」
「は、失礼します」

 ライドウたちが出ていくと、ゲンマはいつも以上に神妙な面持ちで唇を引き結んだ。咥えた千本の先が不機嫌そうに上を向いている。
 のこととなれば、ゲンマは本当に分かりやすい。

「なーに? そんな怖い顔して」
「いえ……休日の件、お気遣いいただきありがとうございました」

 到底、ありがたいとは思ってなさそうな渋い顔でゲンマはそう言った。余計なことをするなと思っているのは明白だった。
 思わず、笑ってしまった。

「いーえ。の母親の日記を読んでるんでしょ? そういうのは、ズルズル長引かせてもいいことないからさ」

 さらりと言いやると、ゲンマはショックを受けた様子で目を丸くした。から何か聞いたと思ったんだろう。軽く手を振って、俺はあとを続けた。

「穢土転生の澪様が現れたとき、俺もそばにいたからね。日記のこともそのときに聞いた。澪様はが両親から愛されていたと言ったけど、はそんなはずがないと拒絶した。その答えが日記にあるとしたら、早く済ませたほうがいい」
「……そんな、簡単なもんじゃねぇよ」

 俺の言葉を聞いて目の色を変えたゲンマの表情は、あのときのと同じだった。血の繋がりなどあるはずがないのに、二人はいつしか全く同じ顔で、同じ感情を共有していると錯覚してしまうほどに、共鳴し合って生きてきたんだろう。
 その激しい眼光はきっと、俺に向けたものじゃない。

「俺はガキの頃からずっとあいつのことを見てきた。家族のことでどれだけ悩んでたか、母親にどんな扱いを受けてきたか。あいつがあの母親から愛されてたなんて……そんなもん、信じられるわけねぇだろ。母親の日記を読むのに、あいつがどれだけ歯ァ食い縛って血反吐吐いてるか……あいつは、愛されてた確証が欲しくて読んでるんじゃない。愛されてなかったことを証明して過去を切り捨てるために読んでんだよ。勝手なこと、言ってんじゃねぇよ……」

 礼節を重んじるゲンマが、いくら俺とはいえ火影を相手にこんな口の利き方をするなんて。ゲンマが冷静さを欠くのは、昔からのことくらいだったな。目に入れても痛くないって、こういうことを言うんだろうね。
 俺には、到底できない愛し方だ。

「確かに俺は、の母親のことは知らない。でもの母親を知る人間から彼女の話を聞いたことはある。の母親はとても不器用で、自分が愛されることを許せない。どれだけ愛し合っていても、それを受け入れることが難しいと。どこかの誰かさんにそっくりの話だ」

 ゲンマはそこで初めて勢いを削がれたようだった。それでも、何か反論を探しているらしい不服そうな眼差しに、とどめを刺すつもりで告げる。

「人には、色々な顔がある。そうだろう?」

 ゲンマはひどく険しい顔をしてこちらを睨んだものの、そのまま押し黙った。
 別に言い負かしたかったわけじゃない。のことは、ゲンマのほうが俺なんかの何百倍もよく分かっているだろう。だからこそ、彼女の言葉を借りてもなお、他の見方があることを知ってほしかった。

 そばにいたはずの父が、澪様が、の母親をどう見ていたのか。

「……非礼をお許しください。失礼します」
「ゲンマ」

 深々と一礼して立ち去ろうとする後ろ姿に、俺は呆れ半分、尊敬半分の気持ちで声をかけた。

「もっと気楽に考えなよ。二人で暗くなっててもしょーがないでしょ。みんな、お前たちの幸せを心から望んでる。確かに過去も大切だ。でもその目的を見失ったら、本末転倒でしょ」

 ゲンマはこちらに背を向けたまましばらく黙り込んでいたが、やがて首だけで振り向いてもう一度一礼してから、静かに執務室を出ていった。

 まったく、本当に世話の焼ける二人だね。

 ふと振り返れば、執務室の窓際で忍猫のトウが日向ぼっこをしている。最近、がゲンマと一緒に神社に行くようになったと教えてくれたのもトウだった。

 程なくして情報部から戻ってきたシカマルの横顔に、俺は軽い調子で呼びかけた。

「ねぇ、シカマル。ちょっと、呼んできてくれない?」