308.一歩


 ネネコちゃんたちと一楽の前で別れて、私はゲンマと一緒に自分のアパートに帰った。神社に行く約束は明日だったけど、ゲンマがこのまま一緒にいたいって。私だって、そりゃ、ずっと一緒がいいけど。

「もう……みんなの前で、あんなこと言わないでよ」

 顔の火照りは引いたけど、抗議の気持ちを込めて唇を尖らせる。部屋に入るや否や、ゲンマは悪びれた様子もなく、ナギサのように淡々と言ってきた。

「あの状況で適当なこと言えねーだろ」
「ん……んー……」

 そりゃ、ナギサがあんなこと言うなんて、私だってびっくりしたけど。
 絶対、泣いてるところを見られた。普段は顔に出さないけど、ナギサにもいっぱい心配かけてきたんだな。

 ナギサだって、傷ついてるはずなのに。

「みんな、支え合って生きてる。お前だけじゃねぇ。抱え込みさえしなきゃ、大丈夫だ」

 ゲンマがそう言って頬を撫でてくれたので、私は不思議に思ってジッとゲンマの目を見つめた。

「……私、ずっとひとりで抱え込んできたのに。何でゲンマは、ずっと、助けてくれたの?」

 純粋に、疑問に思っただけだ。それなのにゲンマは、また呆れたように大きく息を吐いた。

「好きだからに決まってんだろうが。今さら言わせんな」
「………」

 ゲンマはいつも、当然のように好きだと伝えてくれる。落ち着いたと思っていたのに、また身体の奥から熱が込み上げてきた。
 逃げるように顔を逸らす私の頬を両手で挟んで、ゲンマが無遠慮に覗き込んでくる。

 ゲンマもさっきラーメン食べたから、口元からスープのいい匂いがした。

「いい加減、慣れろ」
「だっ……て、恥ずかしい!」

 ゲンマにストレートに気持ちを伝えられて平気なときもあれば、恥ずかしくて消えたくなるときもある。さっきネネコちゃんは何も言わなかったけど、逆に気を遣わせているようで居た堪れなくなった。無限月読のあとも、私たちの様子を見てニコニコしながらその場を離れていったっけ。
 昔からそうだ。ネネコちゃんは、私たちが距離を置いていたときにも、間に立って私たちを繋ごうとしてくれていた。

 早く、ネネコちゃんやコトネさん、ゲンマのおばさんたちも安心させてあげないとな。

 ゲンマは私の鼻先に軽くキスして一度背中を抱き寄せてから、そのまま部屋の奥に入っていった。明かりをつけると、隅でサクとトウが丸くなって眠っている。

 結局、あれからキュウの姿は一度も見ていない。


***


 ​寅の刻、まだ街が寝静まっている中、私たちはアパートを発った。当初はこれくらいの時間にゲンマが部屋に来る予定だったけど、なんだか寝付けなくて、ゲンマと夜更けまで布団の中でくっついたまま、色んなことを話した。ナギサのことも、リクのことも。いのいちさんやシカクさん、オキナくんやネネコちゃん、それに――イクチの話も。
 知らないうちに私は眠っていたけど、やっぱり明け方には目が冴えてしまった。ゲンマも同じみたいだった。

「行くか」
「うん」

 朝ごはんは軽く食べて、外出届を出してゲンマと里を離れた。誰かと一緒に神社に行くなんて、初めてだな。場所については少し話したことがあったけど、ゲンマもこれまで実際に足を運んだことはない。一日かかるかもしれないから、二人でおむすびだけ準備して出かけた。

 半年以上、一度も訪れていない時神社は、雑草も荒れ放題だった。

 石畳の隙間を埋め尽くすように伸びた雑草が、私たちの脛を叩く。ばあちゃんが死んで十五年、私が時々手入れをしていたけど、半年という月日は人の形跡を消し去るには十分すぎた。鳥居の端には厚い蜘蛛の巣が張り、社殿の瑞垣には枯れ葉が吹き溜まっている。

 奥の本殿の前に、サクが退屈そうに座っていた。

「遅いにゃ。さっさとするにゃ」
「はいはい……お願いね、サク」

 サクはピンと尻尾を立てて、古びた本殿の中に進んでいく。その後ろをついて歩き、サクが隠し扉の奥にヒラリと消えると、私の脚はそこで止まってしまった。

「……大丈夫か?」

 ゲンマがそっと、私の背中に手を添えた。そこでようやく、自分の呼吸が浅くなっていることに気づいた。これは、良くない。発作はここ数年出ていないけど、あのときと同じような感覚が忍び寄ってくる。

​「。こっち見ろ」

​ 不意に声が降ってきて、私は顔を上げた。背中にあったゲンマの手が、そのまま私の肩を抱くようにして自分の方へと引き寄せる。
 視界が白くなりかけていたけれど、鼻先をかすめたのは、大好きなゲンマの匂いだった。

​「。ゆっくり吸って、ゆっくり吐け。そう……ゆっくり」

 覗き込んでくるゲンマの瞳を、まっすぐに見上げる。促されるまま、ゆっくり息を吸って、少し止めて、吐く。何度か繰り返して、鼓動が徐々に落ち着いてくるのが分かった。

 大丈夫だ。私は、ひとりじゃない。

​「無理すんな。嫌なら、行かなくていいんだ。日記に何が書かれてたって、お前の過去が変わるわけじゃねぇ。絶対向き合わなきゃなんねぇなんて、思わなくていいんだ」

 ゲンマは、私が家族のことで苦しんでいるのを全部そばで見てきた。母さんが生きてたときから、ずっと。
 そういえば、ゲンマと一緒に母さんの病室を訪ねたとき。ゲンマは一体、母さんと何を話したんだろう。

 小さく首を振って、私はなんとか微笑んでみせる。

「ううん……ゲンマがいてくれるから、私は大丈夫だよ。行かなきゃ。自分の家族とちゃんと向き合ってから……ゲンマと、新しい家族になるの」

 勇気、なんて言葉はちょっとこそばゆいけど。そんな言葉が自然と浮かんでくるような、不思議な感覚が胸を温めた。ゲンマが見せる気恥ずかしそうな笑みに、また心が緩んでいく。

 大丈夫。怖くても、私は進んでいける。

「何やってるにゃ〜」

 奥から何とも気の抜けた声がして、思わず笑ってしまった。ゲンマも笑いながら肩をすくめ、その大きな手をこちらに差し出してくる。
 ゲンマの硬くて温かい手を握り、私はもう一度、深く呼吸を整えてから、隠し部屋に続く階段を降りていった。