306.痛み


 第四次大戦の記録作業が一段落する頃には、季節は春を迎えていた。

 戦死者は六万百五十二名、うち、木の葉隠れは一万七名。十尾の遠距離攻撃による民間の犠牲者は、二百六十四名。民間人に対しては、五大国および鉄の国が共同で拠出する連合基金から補償が行われることが決定した。私たちの記録は、これらの補償内容や金額を確定させるためにも重要な資料となる。
 もちろん、遺体が見つからなかった、もしくは判別できなかったケースもある。それでも、各里のリストと照合し、私たちは確定作業を進めた。

 木の葉には、新たな慰霊碑が建設された。第四次大戦で命を落とした、仲間たち。里では改めて、大規模な慰霊祭が行われた。

「ここに新たに刻まれたのは、英雄の名前じゃない。つい半年前まで、我々とともに笑い、任務に励み、里の未来を信じていた、仲間たち一人ひとりの名前だ。確かに戦争は終わった。だが、家族を、友を、愛する者を失った者の悲しみに終わりはない。その痛みは、無理に消そうとしなくていい。私自身、その痛みとともに、仲間たちと今日までここにこうして歩んできた」

 カカシは四か月前、正式に六代目火影に就任した。綱手様から引き継いだ戦後処理を進めながら、里内の体制強化にも力を入れている。
 慰霊碑を見上げ、火影笠を被ったカカシが目を細める。

「我々にできることは、彼らが守ろうとしたこの里を、世界を、今度こそ誰もが平和に暮らせる場所に変えていくことだ。彼らがここから見守ってくれることに恥じない生き方をしよう。これからも、我々は彼らと共にある。ここに最大の愛と、敬意を」

 ここにもちろん、オビトの名前はない。でも、古くからある慰霊碑に刻まれたオビトの名前は、消されることなくそこにある。

 終戦後、父親のことでわんわんと泣いていたネネコちゃんは、今や毅然と前を向いていた。


***


「うちに来いって言ったのに」
「……け、けじめです」

 私が尻込みしながら答えると、ゲンマは大きく息を吐いて肩をすくめた。

 仮設住宅は、つい先日閉鎖された。私以外の全員が、住居の準備が整い、退去手続きを完了して出ていったからだ。私もいつまでも駄々をこねるわけにいかなかったので、実家跡の近くに新築されたアパートに引っ越した。ゲンマのアパートからは、徒歩五分ほどの距離だ。

 大きな編纂作業は一段落した。これからは、里内部の仕事が増えるだろう。

 実家の跡地は、ゲンマの助言通りに登記だけを済ませ、更地のまま放置している。家を建てれば優遇措置を受けられるけど、今はそれもないから、税の負担は決して小さくはない。私だってそれなりに稼いでるし、払えるよって言ったけど、ゲンマは「半分出す」って譲らなかった。
 どうするか、早く決めなきゃな。頭の片隅ではそう思うのに、ゲンマが「焦らなくていい」って言ってくれるから、私はゲンマの優しさに甘えていた。

 引っ越して一週間も経たないうちに、ゲンマがご飯を作りに来てくれた。私の借りている部屋は、仮設住宅より少し広いくらいのワンルーム。ゲンマのアパートよりは小さい。帰って寝るくらいだし別に困らないって思ってたけど、一緒にキッチンに立とうとしたら、ちょっと狭いかなって思った。

「ゲンマ、次の休み、いつ?」
「んーと、今んとこ二十五」
「その日、空いてたらちょっと付き合ってもらえる?」
「おう、いいぞ」

 どこに、って聞いてこない。どこにでも付き合ってくれる気だ。なんだかくすぐったくなって、思わず笑みがこぼれた。

「神社……行ってみようと思って」

 ゲンマが洗ってくれたお皿を、隣で私が拭く。子どもの頃からずっとそう。ゲンマが少し静かになったから、そっと横目で覗き見たけど、ゲンマは平然とした様子で手元の泡を洗い流していた。

「分かった」
「……付き合ってくれる?」
「当たり前だろ」

 私が躊躇するようなことも、ゲンマはいつも当然のように受け入れてくれる。ありがとうと囁いて、横からゲンマの大きな身体にしがみついた。

 終戦から半年。押し寄せる作業に呑まれて、家のことも、家族のことも、考えないようにしていた。でも、仕事に一区切りがついた今、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。
 ゲンマと家族になるって、決めたんだから。

 もう、逃げないって決めたんだから。

 情報部地下の記録保管庫は、この半年の編纂作業でいつも誰かしら詰めていたため、しばらく雑多に散らかっていた。それもようやく落ち着き、昨日全員で整理を終えたばかりだ。今日は必要な資料のため、立ち寄ったに過ぎない。
 しんと静まり返った保管庫の中、不意に寂しさが込み上げてきて、私は使い古された椅子を引き寄せた。

 嵐のような半年間だった。

 いつも文句ばかりのアオバが、黙って真剣に作業していたのを思い出す。アオバだって、親しくしていた仲間を何人も亡くした。ほんの、半年前の話だ。
 不意に肩を叩かれた気がして振り返ったけど、そこには当然、誰もいなかった。

、ご苦労だったな』

 声が――。

 そんなはず、ないのに。

 もう、いのいちさんはいないのに。

 考えないようにしていた。そんな暇、なかったから。私たちの仕事に、連合の戦死者も、民間の犠牲者の最期も全て、懸かっていたから。
 これまでずっと、考えないようにしてきた。

 でも。

 ​視界が、一瞬で歪んだ。

 喉の奥から声にもならない声がせり上がってきて、突然膝の力が抜ける。椅子の背にしがみつくようにして、私は床に崩れ落ちた。

「あ……ぁ、……っ」

 溢れ出す涙が、ぼろぼろと床にこぼれ落ちていく。一度堰を切ってしまったら、もう止め方が分からなかった。

 十五年。いのいちさんの下で、情報部員として里のために尽くしてきた。時には逃げるように、時には命を張って。チョウザさんと同じように、いのいちさんもまた、私にとっては一人の父親のような存在だった。
 通信班のリク。同じ年に情報部に配属された同期。年齢は私より上だったけど、親しみやすい彼とは、私が昇格したあともよく顔を合わせては軽口を叩き合った。「さっきゲンマさんが来たぞ」って、いつも余計な気を回して。
 シカクさん。私に将棋を教えてくれた人。アスマと初めて引き合わせてくれた人。いつも私に、焦ることの不毛さを説いてくれた。何度も、何度も。

 イクチ――あなたがいなければ、きっと私たちは。

 抑えてきたものが全て流れ出して、身体に力が入らない。

 静まり返った保管庫の中、私は子どものように、ただひとり、声を上げて泣きじゃくった。