「あ、チョコレートガール!」
汽車を降りると、駅のホームは一斉に下車したホグワーツ生でごった返していた。ふくろうの『ホーホー』や、猫の『ニャーニャー』、時折カエルの『ゲコゲコ』まで聞こえてくるがそれも地面を打つ激しい雨音に比べれば大したことはなかった。せっかくの入学式に、ひどい天気。それともこの雨もあのディメンターが運んできたのだろうか?
そんなことを考えていると、どこからともなく、チョコレートガール、という単語が聞こえてきて、は一瞬我が耳を疑った。チョコレート。さっきまで車内でやたらとそれを渡し歩いていたのはあたしだが。まさか、あたしのこと?どぎまぎしながら辺りを見回すと、いくつもの頭を飛び越えた先で、こちらに向けて大げさに両手を振り回している長身の二人組がいた。彼らはと目が合ったことに気付くと、心底嬉しそうに笑いながらまた威勢のいい声をあげる。
「やっぱりそうだ、彼女が噂のチョコレートガール!」
「アンジェリーナが言ってたよ、平気な顔してチョコレート配りまくってる新入生がいるってさ!君のことだろ?」
「ディメンターに会ってそんなことしてる余裕があるなんてまったく恐れ入ったね。ねえ、俺たちグリフィンドールなんだ。君、帽子にお願いしてみてよ、グリフィンドールに入れてくれって!」
「ぜひとも君のような肝っ玉の据わった一年生と語り明かしてみたいね。どうだい、我らが獅子寮ならば君にかくも素晴らしき七年間を保証するよ!」
「くだらねーこと言ってイッチ年生を困らせるんじゃねぇ。おーい、イッチ年生!イッチ年生はこっちだ!」
赤毛の、ついでにいえば双子らしいそっくりの顔をしたその二人組にばかり気を取られて、プラットホームの向こう側にいる大男に気付かなかった。あ、あれが噂のハグリッド!汽車を降りたらホームで待っている大きな魔法使いについて小舟に乗るように、とあらかじめリーマスから言われていた。
「くだらないもんか、すっげー大事なことだ」
「待ってるぜ、ミス・チョコレート!」
ミス・チョコレートって!だが訂正しようにもここからではあまりに距離が遠かったので、周りのくすくす笑いに見送られながらはフランシスたちと一緒に湖のほうに歩いていった。
I'm MISS CHOCOLATE
大爆笑の組み分け儀式
小舟で暗い湖を渡り、たち新入生は城の真下と思われる地下の船着き場にたどり着いた。ハグリッドのランプのあとに従って、ゴツゴツした岩の道を上がっていく。先に先にと進んでいくにつれて次第に腹の中で緊張が膨らんでいき、みんな無言のまま、城の巨大な樫の扉の前に到着した。
「マクゴナガル先生、イッチ年生の皆さんです!」
「ハグリッド、ご苦労様」
確かに声は聞こえてきたのに、ぱっとひらいた扉の向こうには誰の姿もなかった。あれ
おかしいな。声の主、マクゴナガル先生は一体どこにいるのだろうとはきょろきょろあたりを見回したが、やはりそれらしい姿の見えないまま、先ほどの人物と同じ、きーきーと甲高い声が聞こえてきた。
「マクゴナガル先生は用事があって外していましてね。ここからは私が誘導しますよ」
「はぁ、そうでしたか、フリットウィック先生」
フリットウィック。聞いたことある……ええと、確か呪文学の!ハグリッドがやはり誰もいない空間に向けて喋っているように見えたので、は隣のアイビスにこっそりと話しかけた。
「ねえ、フリットウィック先生ってどっかにいる?」
「え?ほら、あそこ」
アイビスが指差したのは、やはりハグリッドが立っているところ。どこ、どこ、と前方の新入生が邪魔になって見えないところは身体を左右に揺らしながらじっと目を凝らすと、ようやくその姿を捉えることができた。ちっちゃい!あれ、あたしの半分もないよきっと!
「小人?先生って小人?」
「さあ……小人よりは大きいみたいだけど。ハーフとかじゃないかな?」
「皆さん、入学おめでとう!どうぞこっちへ、これからのことを簡単に説明します」
こっちへ、と言われても背が低すぎてフリットウィックの示す方向は見えないが、前のほうの新入生がぞろぞろと移動し始めたので、その流れに従ってたちも先へと進んだ。石畳の大きなホールを横切ると、右手の扉の向こうから何百人のものと思しきざわめきが聞こえてくる。だがフリットウィックはそこを通り過ぎて、ホールの隅にある小さな空き部屋に新入生を案内した。
「皆さん、ホグワーツ入学おめでとう!まもなく新入生歓迎会ですが、席に着く前に皆さんの寮を決めなくてはいけません。寮生は家族、ホグワーツにいる間は基本的に寮単位で行動することになります。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。皆さんの普段の行いは得点として寮に反映されますので、皆さんひとりひとりが寮の代表として誇りある行動を取るようにしましょう!なにか質問は?」
フリットウィックがきーきー声で聞いたが、みんな緊張し通しでとても質問などできるような状態ではなかった。よろしい、といってひょこひょことフリットウィックが部屋を出て行く。はなにか喋って緊張を紛らわせようとしたのだが、フリットウィックはさほど間を置かずに戻ってきた。
「準備ができました。皆さん、一列になってついてきてください」
ついに、ついに組み分け!けれどもみんな震えるばかりでなかなか歩き出そうとしなかったので、はすぐ近くにいたニースの手を引いて真っ先にフリットウィックのあとに続いた。先生……ほんとにちっちゃい。歩き方もかわいい。きっとマスコット的存在として人気者なんだろうなぁとぼんやり考えた。
「先生、先生って小人とのハーフかなにかですか?」
たちは新入生の最前列にいたので、誘導するフリットウィックはすぐ目の前。緊張を紛らわせるために話しかけると、ひょこひょこ歩いていたフリットウィックは振り向き様に足をもつれさせてすっ転んだ。
「ひぁっ!」
「せ、先生大丈夫ですか!」
「え、ええ……失礼。足が少し絡まって、ええ大丈夫です」
白い頭を掻きながら、やれやれとフリットウィックが起き上がる。ああ、どうしよう何をやっても可愛いなこの先生!
「いえいえ、小人じゃありませんよ。何代か前のご先祖にゴブリンがいまして、その形質かと」
「そうなんですか?すごーい、ゴブリンってすっごく記憶力がいいんですよね?グリンゴッツでぱっぱっぱって帳簿捲るのすごく速くてびっくりしたんです!」
「あはは、そうですね、そういう人が多いかもしれません。でも私はここのところ朝にした約束を夕方には忘れたりすることがあるので、そういった性質はあまり継がなかったんでしょう。さあ、大広間ですよ」
くすくす笑いながら、フリットウィックが軽く杖を振って大広間のドアをひらいた。うわぁ、すごい!広々とした広間の天井には何千というろうそくが浮かび、四つの長テーブルを煌々と照らしている。クリスマスの教会もきらびやかで美しいけれど、この大広間には完全に負けてる……。
テーブルにはすでに上級生たちが座っていて、きらきら光る金色の皿とゴブレットが置いてあった。上座にはもうひとつ長テーブルがあって、ずらりと先生たちが並んでいる。フリットウィックはそちらに新入生を引率し、上級生のほうに顔を向ける形で一列に整列させた。広間に入ってきたときは内装や上級生の様子を眺めるのに必死だったので、そこでようやくちらりと後ろの教員席を見やる。リーマスは少し離れたところに座っていたが、横目でこちらを見てほんの少しだけ微笑んでいた。それだけで、強張っていた心を溶かすような柔らかい日差しが差し込んでくるような。リーマスがいてくれて、よかった。みんなすごく緊張してるのに、あたしだけパパと一緒でごめん!
フリットウィックが新入生の前にスツールとぼろぼろのとんがり帽子を置いた。継ぎ接ぎだらけのそれはどこかリーマスのローブを思い起こさせる。上等なローブを着た他の先生たちの中で、父のみすぼらしさはより一層際立っていた。けれどもそれは、あたしに新しい入学用品を買わせるため、何年も自分のことは我慢してくれていたから。だからちっとも恥ずかしくなんかない。
話に聞いていた通り、帽子はつばのへりをひらいて独りでに歌いだした。君の頭に隠れたものを、組み分け帽子はお見通し。かぶれば君に教えよう、君が行くべき寮の名を!
「アップルガース・フランシス!前へ」
ひー!いの一番に呼ばれたのは、左隣のフランシスだった。そうか、ABC順だから……アップルガース……ああ、そうか!がんばれフランシス!負けるなフランシス!緊張のあまり青くなったフランシスは、がくがくと機械的な動きで組み分け帽子の前に進み出た。フリットウィックが帽子を取り上げたスツールに腰掛け、受け取ったそれをゆっくりとかぶる。あたしたちの頭にはまだまだ大きな組み分け帽子はフランシスの鼻のあたりまであった。上級生たちの見守る中、しばしの沈黙をはさんで。
「ハッフルパフ!」
帽子の叫び声と同時、右側のテーブルから歓声があがった。ああ、あそこがアナグマの!帽子を脱いでふらふらとそちらのテーブルに駆け寄ったフランシスを、どこからか湧き出たゴーストがハッフルパフ生たちと一緒に嬉しそうに歓迎した。いいなぁフランシス、あたしもハッフルパフがいいなぁ。アナグマ。
それからも順調に組み分けは進み、アイビスは彼女の言っていた通りレイブンクローになった。ふーん、やっぱり親の寮も多少は影響するのかな。グリフィンドールかレイブンクローか……そういえばさっきの双子、グリフィンドールって言ってたなぁ。
「ルーピン・!」
っわ!びっくりした!その場で小さく飛び上がって、はおずおずと前に出た。ニースがそっと軽く背中を押してくれる。ありがとう、と視線だけで告げてフリットウィックの脇にあるスツールに腰を下ろした。渡された帽子を、ゆっくりかぶろうと
。
「おっ!チョコレートガール!」
げっ!は帽子をかぶる直前の姿勢で凍りついた。ま、まさかあの声は……。
「ミス・チョコレート!頑張れ、噛みつかれないようにな!」
「グリフィンドールだぞ、グリフィンドール!」
やっぱりー!まだまだ張り詰めた空気が充満していたはずの大広間はどっと笑いに包まれた。見やると、右から二つ目、ハッフルパフの隣のテーブルにいた赤毛の双子が立ち上がって意気揚々と拳を振り回したりしている。ぎゃああああ恥ずかしい!なんだあのひと!あたしがどこの寮になろうがあんたたちに関係ないじゃない!振り切るように勢いよく帽子をかぶって鼻の下まで引き下ろした。
「いたい!」
「えっ、へ?」
低い声が耳元で叫ぶのを聞いてはぎょっとしたが、すぐにそれが帽子の声だと気付いた。
「ごっごめんなさい」
「あ、いや、声は出さなくてもいいよ。私にはちゃんと聞こえるから」
帽子の外でまた上級生たちの笑い声が聞こえた。ああああ……恥ずかしい。
「ふむ。グリフィンドール?グリフィンドールがいいのかね?」
「えっ!誰もそんなこと言ってないです」
「ふむ、そうかね。さてさて難しいな……はて、どこがいいか。うーむ。いや難しい」
「あの……それってあたしがどこにも向いてないってことですか?」
「とんでもない!まったくの逆だよ、君はどこにだって相応しい力を持っておるよ。ふむ、頭は悪くない、伸びるための立派な矜持もあるし、勇気、はたまた度胸も十分。そして何より誠実だ!うむ、実に難しい」
ひー!すごい、すごい、あたしってば今組み分け帽子にものすごく褒められてる!
「ふむ、そうなのだよ。どこにだって相応しい者がなんといっても一番難しいのだよ。ふむ」
「あの、これって親の出身って関係ありますか?」
「ないこともない。だが何より君はどこにでも相応しい。ふむ、そうだな……あっちか、いや、でもやはり……うむ、ここは……む?アナグマとな?」
えっ!あたし今アナグマのことなんて考えてたっけ?
「ふむ、そうかそうか……なるほど。よし、決まった
ハッフルパフ!」
やったーーー!なんだかんだで思い続けた寮に決まり、は無意識のうちに小さくガッツポーズをとった。帽子を脱ぐと同時、あの双子の心底がっかりした声が広間中にこだまする。
「なんだ、ミス・チョコレート!さんざん悩まれた挙げ句にハッフルパフかよ!」
「おいウィーズリー、それどういう意味だよ」
険悪に反応したのはハッフルパフの上級生で、彼は今にも飛びかからんばかりの勢いで椅子の上に膝を立てた。すると双子
ウィーズリー?はニヤニヤ笑いながらそちらに向きなおり、そのまんまの意味だよ!と切り返す。なんだとコラ!と完全に立腹した様子のハッフルパフ生が椅子の上から飛び降りようとしたところで教員席の誰かが鋭い声を発した。
「アレフ!やめなさい、みっともない。新入生の前ですよ。ウィーズリー、あなたたちも」
「はーい。失礼しました」
まったく悪びれた様子もなくそう言って、双子がしれっと椅子に座りなおす。アレフと呼ばれたハッフルパフ生はまだ怒気が収まりきらないようだったが、隣の友人に宥められて渋々と席に着いた。あ……あの友達は!
最後のチョコレートあげたあの人だーーー!
それだけでこれまで以上に心が沸き立つのを知っては飛ぶようにハッフルパフ席に向かった。だがすぐさまフリットウィックのあのきーきー声が追いかけてくる。
「ルーピン、ミス・ルーピン!」
「は、はい、はいはいはい?」
きょとんとして振り向くと、フリットウィックは爆笑を無理やり押し込んだような奇妙な笑顔でこう言ってきた。
「帽子を持っていかれては困るんですが?」
「へっ?あ……」
再び大広間をどっと笑いの渦が包み込む。握り締めた組み分け帽子で顔を隠しながら、はおずおずとフリットウィックのところに戻っていった。