騎士団に加わり、様々な任務に就くようになってから凡そ二年。

は楽譜屋の仕事の合間に、すっかり人通りの少なくなったダイアゴン横丁の偵察という任務を引き受けていた。人々は次第に激しくなっていく『あの人』一味の活動に怯え、好んで外に出る者はほとんどいない。だが必要な物は外で買わなければ生きてはいけないわけで、身を縮めながらロンドンのその一角に足を運ぶ魔法使いたちと、『デスイーター』と呼ばれる仮面の人間たちと。は実際にそれらの人影に遭遇したことはなかったが、裏通りで仕入れることのできる情報はそれなりに有益だった。
だが、こうしている間にも。最も危険なところで、杖を振るう仲間たちがいる。

は楽譜専門店の常連である『いかにも訳あり』風の男から聞いた話を口の中で繰り返しながら、人知れずため息をついた。この二年で、何人もの仲間たちが死んだ。エドガー、キャラドック、ベンジー、マーレーン、ドーカス……入団当初、新婚だったをドーカスはなにかと気遣ってくれていた。マンネリになったら下着で勝負しろ、たまにはアブノーマルも必要、だとかなんだとか。かくいう彼女自身は独り身だったのだが。
強い魔女だった。歯を見せて笑ったときの表情が、とても素敵で。背中に流した緩やかな赤い髪は、時折リリーのそれと見紛うほど鮮やかな色を映していた。

だいすきだった。あこがれの、まじょだった。

彼女が、死んだ。現場の状況からして、『あの人』に直接手を下されたようだというのがマッド-アイの見解だった。誰もがそうしたところにいる。誰ひとり、逃れることなどできない。
だから、ジェームズがどれだけ危険な目に遭おうとも。フランクが危うく死の呪いを食らいそうになったとしても。シリウスがマッド-アイと共にデスイーターと目される魔法使いの追跡調査に加わろうとも。

子供のように泣き叫ぶことなど許されない。私は私に、与えられたことをする。それだけ。
それだけのことしか、できない。誰もがそれだけのことを、全うしようとしている。それだけのこと。それだけのことを、積み重ねていくしかない。

OCTOBER 1981

ふたりの、けつだん

    話が、あるんだ」

ありがとう、シリウス。今日も戻ってきてくれて。ありがとう、神様。今日もまた、この人を無事に帰してくれて。

抱きついた彼女の背中をそのまま胸の中へ受け入れて、シリウスはひっそりとそう言った。夜風はすでに冷たい。季節は、秋。彼の身体もまた、吹き荒ぶそれにかなりの熱を奪われている。だがは彼の首から腕を離そうとはしなかった。あなたが凍えてしまうなら、私は差し込む陽光となる。どうか、どうか。
シリウスは暖炉に火を入れた居間へと、の背を抱いたまま進んでいった。小さな二人用のソファに彼女を座らせ、自分もその傍らに腰掛けて、黙す。はただならぬ気配を感じて、彼が自分のタイミングを見出すのを、じっと待った。待つのは、苦痛だった。だが同時にそのことに慣れてしまっているのもまた事実だった。

「……別れて    くれないか」

彼の唇から紡ぎだされた言葉を聞いて。はたと、息を止める。何も飲み込めずにただ瞬きだけを繰り返すに、シリウスはさらに続けた。払いきれない蜘蛛の巣の中で、悶えるように。

「俺は……ジェームズは俺にとって、兄弟みたいなもんで。俺は……こうするより、他に……」
「ま、待って、シリウス。どういうこと?ジェームズがどうしたの?ちゃんと説明して!」

彼はその整った顔を、今にも泣き出しそうな子供のように歪めて。
咄嗟に抱き締めた彼女の胸の中、大声をあげて、泣いた。
    つまるところ。

なされた予言の話を聞いても、は顔を上げなかった。『闇の帝王を打ち倒す力を持った子供』    かなり近いところで闇の陣営の動向を探っているダンブルドアの手の人間によると、狙われているのは、ポッター夫妻の間に、昨年生まれたハリーだという。彼女自身も、夫と共に何度か会ったことがある。その名は、彼らの絆の証として、シリウスがつけたもの。二人は子供の頃から、まるで兄弟のように慣れ親しんだ、無二の親友だった。それはよく分かっている。学生時代、ジェームズの口から一体どれほど彼の話を聞かされたことか。
だから、彼があの二人の息子を命懸けで護ろうとする、その気持ちだけは分かる。分かるのだ。けれども。

「誰か……こちら側の誰かが、あいつらの情報を漏らしてる。何度家を替えたところで、あいつらの居場所は全部ヴォルデモート側に伝わってるらしい」

涙を拭いたシリウスもまた、膝の上で握り締めた拳を頑なに見つめ続けていた。

「だから、あいつらを護るには……忠誠の魔法を使うしかないんだ。守り人は、俺が……俺にしか、できないんだ。だから……分かってくれ、……俺と一緒にいたら、お前まで……だから、お前とは……」
    なんで」

そんなの、ない。そんなのって、ないよ。
ずっと一緒にいるって。誓ったのは、あなた。

「なんで?ハリーを……あの子を護るために、私と別れたいって?ずっと一緒にいるって……私がいたらそれでいいって。全部、うそ?」

抑えつけた声音で、叩きつけるように。顔を上げたシリウスの瞳が涙に揺れて、きらめいた。

「私の気持ちはどうなるの?あなたは私よりも、彼らの方が大事なのね」
    俺はそんなつもりで言ってるんじゃ」
「同じことよ!だったら何で結婚したの!ずっと一緒だって約束したのに……何でそんなこと言うの    
!聞いてくれ!俺が守り人になったら、ヴォルデモートは俺を追ってくるはずだ。俺と一緒にいたら、お前まで危険な目に    
「何であの子のために、あなたが命を懸けなきゃいけないのよ!」

かすれるほどに、声を張り上げて。
不意に訪れた静寂に抗うことなく、はシリウスの胸に覆い縋って無音のまま啜り泣いた。彼の肌は、今もこうして温かいというのに。当たり前にあるべきものは、当たり前にこの手からこぼれ落ちていく。
相手の肩に額を押し付け、吐息のような声で囁いた。

「……ごめんなさい。あなたが……ジェームズたちを護りたいっていう気持ちは、分かるの。あなたとジェームズが……どれだけ強いもので結ばれてるか。分からないわけじゃない。私なんかが、入り込む余地もないって」
……それは、ちがう」
「……分かってる。ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて」

彼の言葉を繰り返して。ゆっくりと、顔を上げる。間近で見上げたシリウスの灰色の瞳は、優しく、哀しげに潤んでこちらを見つめていた。私は……この眼に、恋をしたのだった。きっと。

「でも、私……いやなの。いくらジェームズのためっていっても、あなたが……そんな危険なところに、自分から進んで踏み込んでいくなんて」

彼はなにかひどい痛みに耐えるかのように瞼を落とし、そっと、ほんの少しだけ互いの額を合わせて、言った。

「……悪い」

その言葉を聞いて。もまた、時間をかけて目を閉じる。触れ合った額から伝わってくる温もりには、震える恐怖が微かに混ざっていた。それが相手のものなのか、果たして。

「決めたの、ね」
「……悪い」
「やめて。そんなの」

瞼を上げて後ろに身体を起こしながら、はぴしゃりと言い放った。シリウスは大きく開いた目をこちらに向け。
その瞳を真っ直ぐに見据えて、彼女は告げた。

「あなたが身を隠すなら、私もついていくわ。仕事も辞める。何があっても私は最後まであなたについていく」

ぽかんと口を開けたシリウスがひどく面食らった様子で額を押さえつけた。

「お前……馬鹿なこと言うな。夢があるからって、騎士団に入ってもずっと今の仕事続けてきたんじゃねーか。それを、こんなことで……」
「こんなこと、じゃない。やめるとか終わりにするとか……そんなこと、簡単に言ったりなんかしない!」

その声だけで、貫けるように。いや、それは単に感情の昂ぶりに過ぎなかったのだが。
彼は唖然として、何も言えずにこちらを見ていた。

「だけど私は、あなたがいないと。守り人のこと……あなたが勝手にひとりで決めちゃったんじゃない。だったら私だって、ひとりで決めてもいいでしょう。辞めたくなんかない。ずっとこの仕事、続けたい。でも私は、あなたがいなきゃだめなの。ずっと一緒だって……約束したんだから、私たち」

身じろぎひとつしない相手の背中にそっと両手を回して。きつく、力を込めながら。囁く。
それは悲痛なほどの、懇願の声だった。

「お願い……置いていかないで」
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(07.12.20)