「聞いているのですか、

多少    といわず、諌めるような口調で呼びかけられて、ははっと我に返った。反射的に視線を上げると、机を挟んで向かい合ったマクゴナガルが眉をひそめてこちらを見返してきている。慌てて手元のパンフレットに集中しようとしたが、遅かった。

「どうしたのですか、ぼんやりして」

嘆息混じりに聞いてきた寮監を見やって、しょんぼりと項垂れる。

「……すみません」
「OWL本番まで日がありませんよ。もっと身を入れてもらわないと」
「はい……すみません」

に割り振られた個別面談の時間は、ちょうどルーン語の授業とかぶっていた。少人数のクラスでシリウスと顔を合わせなくていいという幸運に感謝しながらマクゴナガルのオフィスを訪れたのだが、進路を何も決めていないに次々と職業パンフレットを開いてみせる寮監の言葉も、昨日の光景に阻まれて彼女の頭にはほとんど入ってこなかった。
いくら少数とはいえ、人前でスネイプを虚仮にしたシリウスに、彼の本を笑いながら焼き捨てたジェームズ。リリーはあれから口を利くどころかまともに目も合わせてくれなかった。まるで一年生に戻ったよう    いや、状況はもっと悪い。何しろ私には、そうされるだけの正当な理由があるのだから。『特別』な友人であるスネイプをあんな目に遭わされたこと、あんな非人道的な行為を平気で仕出かすような人間に自分が惹かれかけていたこと。『信じていた友人』が、いかなる理由であれ自分の秘密を他人に話していたということ。正義感に溢れたリリーが多大なるショックを受けて怒り狂い、そして失望するのもまた無理らしからぬことだった。

「先生」
「なんですか?」

職業パンフレットの山から次の資料を見繕っていたマクゴナガルはその手を休めずに聞いてきた。

「ホグワーツの学歴で、日本の魔法界に就職することもできるんですか?」

からしてみればそれは以前から気になっていたことなのだが、寮監はその鋭い目を少なからず見開いてしばし沈黙した。

「日本での就職を考えているのですか?」
「いえ、具体的にっていうわけじゃないんですけど……父は向こうにいますし、可能性としては含めておきたいなと思って。そもそも何で私ってホグワーツから入学許可書が届いたんですか?後から知ったんですけど、日本にも魔法学校はありますよね」
「ええ、もちろん。ですがイギリスの魔法使いは、すべて生まれたその瞬間からホグワーツの新入生名簿に名前が載ります。あなたはもともとこちらの生まれですから、その時点で名簿に記載されていたのですよ」
「あ、なるほど……それで、あの、日本での就職なんですけど」
「そうですね。ホグワーツは世界的に知られている魔法学校ですし、OWLやNEWTはヨーロッパの魔法学校すべてに共通の試験です。アジアでもその成績は十分に通用しますから、希望さえ出せば問題はないでしょう」

そう言って、マクゴナガルは机の脇に山と積んであるパンフレットではなく、引き出しの奥から取り出した資料を提示してみせた。

「もともと日本とはあまり縁のない生徒だったのですが、何年か前にどうしても日本で働きたいという生徒がいましてね。これはそのときのパンフレットなのですが」
「あ、高野山!」
「ええ、その生徒は結局中国で働くことにしたようですが、これは彼の進路指導のときに取り寄せたものです。よければ、参考までに」
「いただいていいんですか?ありがとうございます」

そうか、空海も魔法使いだったんだ。ぱらぱら捲ってみると、仏教の聖地(だっけ?)高野山の霊場管理やマグルの観光客への対応といった仕事がずらりと並んでいる。へー、こういうことって魔法使いがやってたんだ。

「それでは、。本題に戻りましょうか。六月のOWL試験についてですが」
「あ……はい」

高野山のパンフレットを膝の上に置きながら、は重々しい気持ちで寮監に向きなおった。

「すでにおおよその進路希望を出している生徒にはそれぞれ必要な科目の提案をしているのですが、まだ具体的な進路の決まっていないうちはこれと決めてしまうのは危険です。あなたが現在受講している教科は、呪文学、変身術、魔法薬学、闇の魔術に対する防衛術、薬草学、天文学、魔法史、魔法生物飼育学、古代ルーン語……できればひとつも落としたくはないですね」
「ひとつも……ですか」
「ひとつも、です。それだけ選択の幅を自ら狭めてしまうということですからね。といって手を伸ばしすぎて主要科目が疎かになっては本末転倒ですから、具体的にこれだけは落としたくないという科目だけ言っておきましょう。まずは呪文学。これはあらゆる魔法の基礎として最も重要な科目です。そして変身術、魔法薬学。この三つは魔法使いの基本だと考えてください。この三教科はOWL試験で『E』以上を取らなければ来年度からの受講資格がありませんので、そのつもりで取り組むように」

うう……どれも、不安だな。特に薬学。きっとセンスがないんだよ、調合のセンスというものが。
の不安を察してか、僅かに表情を緩めながらマクゴナガルは言いなおした。

「まあ……今のあなたの成績からいえば、その基準はクリアできるでしょうが。ですが試験では何が起こるか分かりませんから、準備は万全に」
「……はい、がんばります」

どうか、どうかボガートが出ませんように。もう一度あのダンブルドアと対峙したとして、今度こそは倒せるという自信はまるでなかった。

「日本の職業パンフレットも近々取り寄せましょう。それも併せて、自分の将来についてまたじっくり考えるように」
「……はい」
「何かあれば相談に乗ります。それでは、今回はここまで」

Pigheaded mutually

意地

今度こそ、終わった。カーテンを引いた天蓋ベッドに仰向けに横たわって、無音の息を吐く。時折課題をやっているリーマスとピーターの話し声が聞こえてくるものの、やはりシリウスの声は聞こえない。

慎重に、慎重を重ねたはずだった。最初は、エバンスやが談話室や図書館に長居しているときを見計らって、できるだけそこから遠いところでスネイプにちょっかいをかけた。初めのうちは、ほんの少しからかってやるだけのつもりだった。奴の持ち物を浮遊させたり、後ろからちょっと突き飛ばしてやったり。けれども少しずつ奴に構っていくうちに、どうしようもなく胸を掻きむしられるような、そんな激しい感情に襲われるようになったのだ。
こいつが、この男が。僕が狂おしいほどに求めてやまない、あのエバンスにキスをした。こんな男に。こんな得体の知れない陰気野郎に!そう思うと止められなくなって、自分たちの行為が次第にエスカレートしていくことにはまるで気付かなかった。
    あのとき、までは。

昨日、僕らの行為を目の当たりにして怒り狂ったエバンスとが立ち去ってからというもの、僕たちは互いに一言も口を利かなかった。何を言えばいいのか分からなかったし、それは今も変わらない。相手が何を考えているのか、それを量ろうとしたところで詮無い。だって僕こそが自分が(、、、)何を考えているのか分からないのだから。

と、そのとき。部屋のドアが外側からノックされるのを聞いて、ジェームズはびくりと身体を強張らせた。まるで呼びかけでもあったように、彼はそれが誰なのかを容易に悟った。

「どうぞ、開いてますよ」

リーマスはいつもの調子でそのノックに答えた。一呼吸ほど不自然な間があって、扉がひらく。次に聞こえてきたのは、ピーターの、少し上擦った声だった。

?どうしたの」
「あの……ジェームズとシリウス、いる?」

果たして予想した通りの声を聞いて、ジェームズは思わずきつく目を閉じた。さほど間を置かず、リーマス。

「うん。いるけど、でも二人とも今は休んでるよ」
「……そう。それじゃあ、いいや。また後で    
「起きてるよ」

覚悟を決めて、ジェームズは身体を起こした。しばし瞼を伏せて深呼吸してから、ゆっくりとベッド周りのカーテンを引く。広がる視界に見えたのは、ピーターのベッドに腰掛けてテキストを囲んでいたルームメートふたりと、そして入り口に立ち尽くすひとりの女子生徒の姿だった。三人が三人とも、無言でこちらを見つめている。注目されることには慣れていたが、こうした眼差しは決して心地良いものとはいえない。

「シリウス、お前も起きてるんだろ?」

いまだ無反応のカーテンの向こう側へと、呼びかける。まさか本当に眠っているのだろうかと疑いたくなるほどの沈黙のあと、ようやくカーテンがひらいて無表情のシリウスが姿を見せた。は敢えて    としかいえないほど露骨にそちらのほうは避けて、リーマスたちに顔を向ける。

「リーマス、ピーター。ジェームズたちに大事な話があるから    悪いんだけど、外してもらえないかな」

ピーターは少なからずショックを受けたようだったが、リーマスはや僕たちの表情に深刻さを見て取ったのか、すぐに、いいよと頷いて部屋から出て行った。未練がましくちらちら振り向きながらピーターもそのあとに続き、ドアを閉めたがゆっくりとこちらを向く。その瞳に深い波の静けさを見て、ジェームズはぞくりとした。

「ジェームズ。昨日のことだけど、なにか弁明はある?」
「え、あ、弁明というか……あれは、その……」

やはり彼女は、どこまでも直球だった。しどろもどろになんとか言い訳を探そうとするも、はそれほどの猶予も与えない。

「人に聞いたんだけど、あれが初めてじゃないんだってね。それまでも、もう何ヶ月も……ずっとスネイプに、ひどいことしてきたって」

そこまで知られていたのか。それならばもう、弁明のしようがないじゃないか?
は苦しげに瞼を伏せて、消え入りそうな声で言ってきた。

    私の、せい?私が……リリーとスネイプのこと、話したから。だからなの?だからスネイプばっかり狙って、あんなひどいことするの?」

あんな、ひどいこと。に言われるとそれが、取り返しのつかない罪であることをはっきりと突きつけられるようだった。震える拳を握り締めて、は続ける。

「いくらなんでもあんなのひどすぎるよ。私、そんなことさせるためにスネイプのこと話したんじゃない」
「それは……もちろん、その、」
    やめろ。ジェームズじゃない、俺が始めたことだ」

こちらの弁明ともいえない弁明を遮ったのは、今まで黙り込んでいたシリウスだった。はっと目をひらいたがそちらを見やり、そして僕が反論しようとするよりも先にあとを続ける。

「奴がエバンスにしつこく付きまとってるのが悪いんだ。だから少し痛い目見せてやろうと思ったのさ。二度とあいつがエバンスに手ぇ出せないようにな」
、違うんだ僕が全部悪い。何も見えてなかったんだ、僕が浅はかだった」
「シリウス、そんなことしたってリリーは喜ばないよ。分からないの?リリー、ほんとに失望してたよ。あんなことこれからも続ける気なんだったら    ジェームズ、リリーには二度と振り向いてもらえないって覚悟することね」

エバンスが失望した。ああ、そうだろう。あんなところを見られてしまってはもちろんそうだろうと思う。けれどもそれよりも    初めて出逢ったあのときから、運命を信じたに失望されたということのほうがもっとずっと痛かった。ああ、僕はなんてことをしてしまったんだろう。たったいっときの、つまらない嫉妬心なんかのせいで。
口を噤んで項垂れるジェームズとは対照的に、シリウスはあくまでも挑戦的だった。の鋭い眼光にも臆せず、冷えた眼差しで対峙し合う。先にその沈黙を破ったのはで、彼女はふたりを交互に睨みつけると吐き捨てるように言った。

「分かった、よーく分かった!そっちがその気なら好きにすればいい!二人とも、もう知らない!サヨナラ!」

え、ちょ    え!呼び止めようにもさっと身を翻して出て行ったを引き止めることはできず、ジェームズはしばし身動きもとれずに呆然とドアを見つめるだけだった。泣きたい気持ちで、うめく。

「……シリウス、ごめん。僕のせいで」
「なんでお前のせいなんだ。言い出したのは俺だろ」
「でも乗ったのは僕だ!ごめん……ほんとに、ごめん」

そのままうつ伏せに横たわり、ジェームズは文字通り頭を抱えた。どうして、こんなことになってしまったんだろう。シリウスととは、いたって順調だった。付き合ってはいないと言っていたけれど、それはきっと恋人という枠を飛び越えたその先にすでにふたりが到達しているからではないかと思っていたほどだ。ふたりはまさに、僕の理想だった。幸せだったのだ、僕も。    それなのに。
僕はまたひとつ、シリウスの幸せを壊してしまった。

「シリウス……もうやめよう。僕たち、確かにやりすぎたよ。今さら謝ったって……もう、遅いかもしれないけど」
「謝るって    まさか、スニベルスに?」

聞かれて、はたと動きを止める。そうだ、謝る。誰に    奴に?まさか!けれどもエバンスやに謝るということは、それならば本人に謝ってこいというオプションつきになることは目に見えている。
シリウスはだらりと布団の上に横たわって、頭の下に手を添えて天井を仰ぎ見た。

「冗談じゃない。あんなのに頭下げるくらいならベラトリクスと寝たほうがましだ」

ベラトリクス。写真でしか見たことはないが、シリウスが小さい頃から大嫌いだという従姉。もっとも、傍目に見れば申し分のない美女で、おまけにやはり名の知れた純血一族レストレンジの嫡男と結婚したことを思えば、そんなのと寝たほうがましだという比較は一般的にはあまり参考にならないが(もちろん僕にはよく分かる)。

「それじゃあ……どうするんだよ」
「お前は降りろよ。これ以上エバンスに嫌われたくないだろ」
「……は?お前、なに言ってるんだ。僕が降りたら、お前が奴に構う理由なんかないだろ。それに、だって相当怒ってた」
「分かってるよ、んなことは。でも」

そのまま眠るように目を閉じてしまったので、それ以上は口にするつもりがなかったのだろうと考え始めた頃、シリウスはぽつりと独り言のようにつぶやいた。

「今さら、引けるかよ」

あるいはそれは、確かに独白だったのかもしれないが。
その気持ちは    ジェームズにも、分からなくはなかった。
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(08.07.21)