イースター休暇も終わり、学期末のOWL試験まであとはひたすら復習に時間を費やすのみとなった。
そして来るは
進路相談。
「どうしよう、まだ何にも決まらないよ!」
すっかり見尽くしてしまった職業パンフレットをまた最初から開きながら、は嘆息混じりにうめいた。これ、という明確な希望を見つけられた友人はまだ少ないが、いくつかマクゴナガルに提示するための職業は見繕っているようだった。それすらもなかなか見つけられないは、今日だけで何度目とも知れないため息をつく。掲示された彼女の面談日程は明日の午後だった。
「、まだ唸ってたの?」
気楽な口振りで聞いてきたのは、女子寮から下りてきたばかりのリリー。かく言う彼女は、昨日の面談で魔法省の魔法事故惨事部を勧められたのだと言っていた。
「大丈夫よ、方向性さえ決めてればマクゴナガル先生がいろいろ勧めてくれるから」
「その『方向性』が決まらないから苦労してるんじゃない……」
リリーは魔法界の中でも特にマグル界と関連を持つ仕事をしたいと以前から言っていた。その希望を聞いたマクゴナガルが彼女の成績と照らし合わせてピックアップしたのが、魔法事故惨事部。マグル界にまで跨る大事故や大事件を専門に取り扱う部署で、魔法省内でもとても重要な役職だという話だったそうだ。
「リリーがお役所勤めかぁ……」
「まだ分からないわよ。ひょっとしたらこれから新しい目標ができるかもしれないし」
「でも成績によったら来年以降受講できない科目もあるんでしょう?もしも進路を変えたくなっても必須科目が足りなきゃどうしようもないし……」
「全部クリアすればいいのよ。大体『E』以上をとれば来年からも継続できるんだから」
「『E』以上って簡単に言う……」
「あら、あなたが心配する必要ないと思うけど。それより気分転換に散歩にでも行かない?外はいい天気よ」
は膝の上で適当に捲っていた癒術系のパンフレットから顔を上げて、談話室の窓からこぼれ落ちる春の日差しを見た。ほんとに、いい天気。こんな気分でさえなければ最高なのに。
「……うーん、私はもうちょっとこれ見てから」
「何度見たって同じよ。外の風に当たれば新しい考えが浮かぶかもしれないじゃない。行きましょう」
「あっわっリリー!」
強引に手を引かれて立ち上がったは隣のソファでうたた寝していたバーソロミューを誤って蹴っ飛ばしてしまい、近くにいたオーセリーにこっぴどく怒鳴られた(「試合前の選手は神だと思え!」)。
TO PIECES
崩れてゆく
夢に見た光景を、忘れてしまうことは多い。あるいはそれを見たということすら思い出せない夜もある。けれども夢を見ているのだという確信はあった。そうした日々を、当たり前のように過ごしていた。
「私は昨日変な夢見たわ。戦車が通るの、それもひっきりなしに。海の中を走ってるのよ」
「海の中を走る戦車?ふーん、どういう意味だろ、クララだったらなにか言ってくれるかもね」
「あら、占い学なんて信じてないって言わなかったかしら?」
「やだな、クララの試験対策だよ。夢占いの本があるんだって」
呆れた顔で肩を竦めるリリーに、軽く流す感覚で答える。もっともクララはOWL試験を最後に占い学とはおさらばする予定らしいが。
「そういえばクララは魔法省の鼓笛隊に入りたいんだって。だからOWLはあんまり必要ないって言ってた」
「あら、そうなの?でも今のうちから選択肢を狭めるのは得策じゃないと思うわ。やっぱりOWLはきちんと取っておかないと」
話しているうちに玄関ホールにたどり着き、ふたりは樫の扉をくぐって城の外に出た。春の陽気に柔らかい日差し、緑の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら足を踏み出す。
と。
「……あら。あれ、何かしら」
リリーが指差したのは、少し離れた先の湖畔に群がる十人ほどの小さな人だかりだった。一見して高学年の集まりであることは見て取れるが、ここからでは何をしているかは判然としない。けれども囃し立てるような笑い声が絶えず聞こえてきたので、とリリーは顔を見合わせてそちらへと爪先を向けた。
人だかりに近付くにつれ、はそこから聞こえてくる声の一部がずいぶんと聞き慣れたものであることに気付いた。リリーも同じだったのだろう、横目でちらりと見やると表情を険しくしている。
次に一際高い声をあげたのは、やはりジェームズだった。
「まったく口ほどにもないな!不気味なのは顔だけにしてほしいね」
どっと、また笑い声が起こる。続いて聞こえてきたのは
スネイプの、引き裂かんばかりの乱れた声だった。
「かえせっ!」
「ほーらよ、お望み通り。ほい、ジェームズ!」
「任せとけ、ほーら
インセンディオ!」
シリウス、そしてジェームズの軽快な叫び声とともに、人だかりの頭上に舞い上がった本が一瞬にして激しく燃え上がった。
衝撃に、身動きがとれなくなる。そんな
まさか。
「やめなさい!」
怒鳴りあげたのは、怒りで顔を真っ赤にしたリリーだった。騒ぎに夢中になっていた生徒たちはそこで初めてたちの存在に気付いたようで、ぎょっと目を丸くして振り向く。人だかりの中心にいたジェームズとシリウスも杖を握ったままその場で完全に凍りついた。
ふたりの足元には
うずくまる、スネイプの姿。
リリーはぎりぎりと歯の奥で鈍い音を立てながら、一歩、また一歩とそちらに近付いていった。そのあまりの迫力に聴衆たちはじりじりと後退する。
「全員、今すぐここから消えなさい」
「エ、エバンス、落ち着けって」
「全員
今すぐよ!」
リリーが杖を取り出すまでもなく、誰もが悲鳴をあげて散り散りに城へと逃げ帰った。その場に残されたのはこちらに背を向ける形でうずくまったまま動かないスネイプと、杖を握って固まったシリウスとジェームズ。そのふたりもやがて金縛りが解けると城に爪先を向けようとしたのだが、「あなたたちは残りなさい」というリリーの一声で再び動きを止めた。
「……どういうつもりなの」
「ど、どういうって僕たちは、」
ジェームズが最後まで言い切らないうちに、リリーは地面にこぼれ落ちた灰を冷え切った眼差しで一瞥した。続いて彼女が何か言おうと口をひらいたとき、
「分かっただろう」
つぶやいたのは、今まで黙り込んでいたスネイプだった。血のにじんだ口元を袖でさっと拭いながら、その暗い瞳に憎悪の炎を宿して顔を上げる。彼はあたりに散らばった数冊の本を急いで拾い上げた。
「ご立派なグリフィンドールが、どういう連中かということがな」
「なんだと
」
「黙りなさいポッター」
ジェームズの反論をすかさずリリーが遮る。そうしているうちにスネイプはひとりで城への道をがむしゃらに駆けていった。その後ろ姿を愕然と見やって
向きなおると、シリウスは彼女と目が合うよりも先に素早く顔を逸らした。シリウス……シリウス、そんな。
震える拳を胸元で押さえながら、リリーが吐き出すようにしてうめく。
「……よーく分かったわ。あなたが一体、どんな人間か」
「エ、エバンス、違うんだこれは、」
「何が違うの?なにかの間違いかなにかで
こういうことができる人に、ほんの少しでも惹かれかけた自分が情けなくてたまらないわ」
リリーがジェームズに惹かれていたという直接的な発言を聞くのはこれが初めてだったが
とても、喜べるような状況ではなかった。しどろもどろに、なんとかジェームズが言ってくる。
「で、でもそれは危なそうな本だったんだよ。禁書の棚にもないような闇の魔術の本でさ、あんなの個人的に持ってる奴なんてろくなもんじゃないよ」
「あなたにろくなもんじゃないなんて言われてもいい人なんてこの世のどこにもいないわ」
そしてリリーは次にジェームズの傍らで立ち尽くすシリウスへと冷ややかな眼差しを向けた。
「あなたもポッターと同類ね。あなたみたいな人には任せられないわ。行きましょう、」
「ちょ
ちょ、ちょっと待ってリリー!リリーってば!」
は自分の腕を引いて歩き出すリリーに抵抗しようと試みたのだが、思った以上に力が強くてその拘束を解くことはできなかった。そもそもここに留まって、私はあのふたりとどんな顔をして何を話せばいいのだろう。
ただただ、ショックだった。ラナたちの話を聞いても、状況はさほど深刻とは思えなかったのだ。スネイプにしてみれば冗談じゃなかろうが、フラメンコを躍らせるくらい可愛らしい悪戯だろう。その程度のことだと思っていた。
「信じられない」
息もつかずに一気に寝室まで駆け上がったリリーは、の手を離してようやくその一言を吐いた。
「あんな……あんなことができる人だなんて」
そして勢いよくこちらを振り返り、涙のにじんだ瞳で鋭く睨みつけてくる。
「これでもまだ、あの人がほんとはいい人だなんて言うつもり?」
「……そ、それは」
人前で散々スネイプを虚仮にして、おまけに本まで燃やしてしまう。そんな悪行を見せ付けられた後では、まさかそんなことは言えないけれども。
でも、私には
これまで築いてきた、掛け替えのない五年間がある。
「……確かに、さっきのジェームズたちはやりすぎだよ。だけどリリー、リリーを想うジェームズの気持ちは……本物だよ。それだけは、信じてあげて」
するとリリーは信じられないものでも見るように大きく目をひらいて、呆然と言い放った。
「、あなた……まだそんなことを、言うの?」
「だって、」
言いかけて、そのまま口ごもる。だって、だってだって……ずっと築いてきた、大切な思いを。
項垂れるように肩を落として、は小さくうめいた。
「……ごめん。あれ、私のせいかもしれない」
「え?」
「ジェームズ、ほんとはあんなことができる人じゃないんだ。それなのに、私が余計なこと言ったから……でも、まさかこんなことになるなんて……」
「何を、言ってるの」
訝しげに眉をひそめて、リリー。俯いて、は消え入りそうな声でつぶやいた。
「……ごめん。私が、ジェームズに喋っちゃったの。だってジェームズが……リリーのことで、あんまり思い悩んでるから」
「だから、一体何なのよ!」
リリーがイライラと拳を固めるのを見て、はとうとう重い口をひらいた。
「ジェームズが、リリーとスネイプが付き合ってるんじゃないかってすごく心配してたから……だから二人が幼なじみで……その、スネイプがリリーに片思いしてるって……話しちゃったの。それでひょっとしたら……ジェームズ、居ても立ってもいられなかったのかもしれなくて、その……」
キスのことまで喋ったなんて、さすがに言えなかったけれども。リリーには、それで十分だったらしい。しばし言葉を失って、立ち尽くすのみだった。
「リ、リリー?」
「
あんまりだわ」
「リリー……ごめん。ほんとに、ごめんなさい」
「信じてたのに。あなただから、打ち明けたのに」
その深い緑色の瞳に潤んだ失望をにじませながら、彼女は続け様に吐き捨てた。
「ひどい、あんまりよ。あなた、私のことを何だと思ってるの」
「何って……友達だよ、大事な。さっき言ったことは、ほんとに悪かったと思ってる。でも分かって、ジェームズだって本気なんだよ。ジェームズ、ずっとリリーのこと気にしてた。リリーがスネイプに告られて悩んでたときだって、ジェームズは気付いてたよ。ジェームズ、お調子者だけどでもリリーのことは本気なんだよ。だから私、つい……」
必死になって弁明したが、リリーはますます険しい顔をして首を振る。
「だからってあの人がセブルスにあんなひどいことをしてもいいなんてことにはならないでしょう。人として最低よ」
「そ……それは、もちろんそうだよ。ジェームズたちには、私からもちゃんと言って聞かせるから。だからお願い、今回だけは
」
するとリリーはこちらに背を向けて仰々しく腕を組んだ。はっきりと、告げる。
「もういいわ、。あなたは所詮、ポッターやブラックのほうが大事なのよ。あの人たちが何をやってもきっと見逃すんでしょうね。ええ、よーく分かったわ」
「違うよ……どっちが大事とか、そんな話じゃないし……それにさっきのことは、ジェームズたちにもちゃんと……」
「もういい。ああいうことを平気でするあの人たちも、それを擁護するようなあなたも最低よ。もう知らない」
さいてい。胸の奥に激しく痺れるような痛みを感じて動けなくなったの脇をすり抜けて、リリーはそのまま部屋を出て行った。