「、次のホグズミードはどうするの?」
問われて、はどぎまぎしながらそちらを向いた。
「リ、リリーこそ」
「あら、私が先に聞いたのよ?先に答えてくれるのが筋じゃない?」
「うっ……あ、その……リリーさえよければ、私はその……一回、シリウスと一緒に行ってみたいというか」
あうう、言っちゃった。賭けでも何でもなくなっちゃったよ。
リリーは初めからこちらの答えを予測していたようで、さほど表情を変えずにうーんと小さく唸った。
「そうねぇ、あなたがいないなら仕方ないわね」
「な、何の話?」
「いいえ、大したことじゃないの。ちょっと人に誘われて、どうしようか迷ってたんだけど……あなたがいないなら、ひとりで行っても仕方ないものね」
「え、でもリリーがいやなんだったら、私シリウスとのことはまたの機会にしてもいいし」
「いいの、気にしないで。せっかくなんだもの、ブラックと楽しんでらっしゃい」
何でもないふうを装ってリリーはそう言ったのだが、その横顔がどこか嬉しそうに緩むのをは確かに目撃してしまった。そりゃあ、シリウスとホグズミードに行ける堂々たる理由ができたのは、私だって嬉しいけれど。
リリーもひょっとすると、「断らない理由」が欲しかっただけなのかもしれない。
LOVE PRIDE
だいすき
人間って、不思議。今まで幾多の告白を断ってきたリリーが、昔から嫌いだと公言していたジェームズを相手にしてこんなにも揺れているのだから。
「でも、うまくいきそうでよかったね。このままいけばキャンプの件もどうにかなりそう」
ホグズミード週末をいよいよ明日に控えたルーン語の帰り道。うきうきと隣のシリウスに話しかけると、彼はこちらをちらりとも見ずに、そうだなと素っ気なくつぶやいた。
「……ねえ、なんか怒ってる?」
「べつに」
「うそ。怒ってるよ」
「怒ってねぇって」
「シリウスー」
少し歩幅を大きくしたシリウスに小走りで追いつきながら、呼びかける。するとはたと足を止めたシリウスは拗ねた子供そのものの顔付きでこちらに向きなおった。
「負けたわりにえらくご機嫌だなお前」
「へ?だって、ジェームズのことうまくいきそうなんだよ?そりゃ……うれしい、でしょ?」
恐る恐る聞き返すと、到底嬉しそうではない顔で眉間にしわを刻んで、シリウス。
「そーだな、そりゃそーだ」
「……ねえ、シリウス」
「あいつがエバンスのことでうまくいきそうなのが嬉しいんだよな、俺のことなんかどーだっていいんだ」
「ねえ、シリウスってば」
「なんだよ。そうじゃなかったらあんなところであんな賭けなんか持ち出すかよ。別に俺と出かけることなんかお前にとっちゃどーだっていいんだろ」
「シリウス」
すっかり不貞腐れた様子で脇を向いたシリウスの袖を引きながら、は必死にかぶりを振った。
「違うよ、そうじゃないよ。ほんとは私……シリウスと一緒に出かけられるのが、一番嬉しい。だから二人のことだって……ジェームズには悪いんだけど、ほんとはそのことがあるから、だからうまくいってほしいって思ってた」
喋っている間に、どんどん頬が熱くなっていくのが分かる。とてもシリウスの顔は見ていられなかったので、ごまかすようにして下を向いた。
「ほんとは、あのときすっごく嬉しかったの。でも嬉しすぎて、びっくりして、それで咄嗟にあんな言い方しかできなくて……自分でも後悔してたんだよ。素直に私もシリウスと行きたいって、言っとけばよかったって。シリウスが誘ってくれたの、ほんとはすごく嬉しかった」
そっ、と。窺うように視線を上げると、シリウスはまだ不貞腐れた顔をしていたが、その頬は少なからず朱色に染まっていた。それを見ているだけで、胸の奥がざわつくような。
「傷付けたよね、シリウス。ごめんなさい。あのとき、ほんとは嬉しかったし……明日のこと、すっごく楽しみ」
「……おれも」
そう囁いたシリウスの右手が、こちらに伸ばされようとしていたそのとき。
「あらーブラックちゃんにちゃん、こんなところで真昼間からお熱いこと!」
まるで磁石でも反発したかのように慌てて手を離したシリウスは、壁からすーっと現れたそのポルターガイストに、いつの間にか取り出した杖の先を向けた。だがピーブズは一発を食らうよりも先にべーと舌を出して、「ブラックちゃんとちゃんがこんな時間から廊下のど真ん中でお熱いこと〜」と歌いながら再び壁の向こうに消えていった。生徒たちの色恋話というものは、ゴーストたちの間でもそれなりに関心が集まるらしい。もっとも、ピーブズの場合はからかう材料になるのならばネタは何だっていいのだろうが。
やれやれと肩を竦めて視線を上げると、同じような顔をして杖を仕舞うところだったシリウスと目が合い、は幸せを噛み締めるように笑った。
きらきらと、こぼれるような日差し。純白の雪を踏みしめながら、はシリウスとふたりで人通りも疎らなハイストリートを歩いていた。雪はやんでいるがさすがに冷え込むので、みんな店の中に逃げ込んでいるらしい。もごった返すハニーデュークスで山のようにお菓子を買って(これでしばらく課題とも戦える!)、シリウスに付き合ってゾンコの悪戯専門店に行って(初めて中に入った!)、続いて三本の箒へと向かうところだった。途中ですれ違ったカップルの何組かは、手を繋いだり、腕を組んだりしていたので、傍らを歩くシリウスを変に意識してしまってこちらのほうがむしろ気恥ずかしくなってしまう。そうしているうちに、目的のパブへとたどり着いた。
「さむい、さむい!早くあったかいもの飲もう」
飛ぶように中に入ると、三本の箒はいつものようにホグワーツ生でいっぱいだった。こもった人いきれに凍えた身体を伸ばしながらはあたりを見回したが、ごみごみしていてジェームズとリリーがいるかどうかも分からない。二人はたちよりも少し先に城を出たはずだった。
「、バタービールでいいか?」
「うん、ありがとう!」
ここにいろ、と言い残して、シリウスは人混みを縫ってカウンターのほうに突き進んでいった。店主のマダム・ロスメルタはシリウスに気が付くと愛想の良い笑みを浮かべ、なにやら意味ありげに身を乗り出してカウンター越しにシリウスと話し始めた。あれ……シリウス、彼女と仲良しなんだ。
シリウス、やっぱり美人が好きなのかなと考えて落ち込む自分に気付いて、は慌ててそちらから目を逸らした。あんなきれいな『大人の女性』に劣等感持ったって仕方ないでしょうに!
やがて、泡立つバタービールの瓶をふたつ持って戻ってきたシリウスは、店内をぐるりと見渡して口をひらいた。
「どっか外で飲まないか?これ飲んでりゃあったまるだろ」
外?は、寒いけど……確かにこんなに人が多いと、あんまり落ち着かないかも。とりわけ、シリウスと二人きりというこの状況では。実際、すでにパブに入ったときから知らないホグワーツ生にもこっそり指を指されていることには気付いていた。
「うん、私もそれがいい。そうだ、丘のほうに行ってみようよ」
「そうだな」
叫びの屋敷が見下ろせる丘の上からは、広がる一面の雪化粧を見ることができた。そこでシリウスとのんびり話すのも、悪くない。
パブを出るときにふとカウンターのほうを見やると、どういうわけかマダム・ロスメルタと目が合った。ちらちらとこちらの様子を窺っていたらしい。驚くに艶めいた唇で微笑みかけて軽くウィンクしてから、彼女はさり気なくカウンター席の客との談笑に戻っていった。
「どうした?」
「えっ、ううん……ねえ、シリウスってここのママと仲良しなの?」
「は?仲良しって……まあ、世間話程度は」
「ふーん……ママ、ひょっとしてシリウスに気があるのかも」
「はぁ?くだらねぇーこと言ってないで行くぞ、ほら」
くだらなくなんかないし。だってシリウスと話してるとき、ママ、ほんとに楽しそうだったから。話が終わった後だって、ちらちら見てたみたいだし。全然くらだらなくなんかないじゃない。そりゃあ、シリウスにとっては慣れたくだらないことかもしれませんけど!
不貞腐れた顔でそっぽを向きながら、はシリウスについてパブをあとにした。
「おい」
「ん?」
「なに拗ねてんだよ」
「拗ね……てないよ、失礼な」
「だったら何でそんなに離れて座るんだよ」
「はな……れて、ないでしょ、べつに」
言いながらも、自分が敢えてシリウスとの距離を取って雪の上に座り込んだことは自覚していた。目の前に広がる風景もまるで色あせて見える。ああ、いやな自分。シリウスがかっこいいことも女の子に人気があることもとっくの昔に分かっていたことなのに、今更こんなことでもやもやしてるなんて。第一、私たち付き合ってるわけでもないのに!言えるわけない。そんなこと、言えるわけない。
「、もっとこっちこいよ」
「やだ。だったらシリウスがこっちくればいい」
「っは?かわいくねぇ……」
いいよ、慣れてる、慣れてるそんな文言には!けれどもぶつぶつ言いながらもシリウスが本当にこちらに近付こうと腰を上げたので、はぎょっとしながらそれを手で制した。
「ちょ、っと待って!」
「はぁ?俺がそっち行きゃいいっつったのはお前だろ」
「ままままってってば!」
膝をついてこちらに近付いてきたシリウスが何をしようとしているかに気付いて、半ば悲鳴をあげる。だがそれすらも覆い隠すように、シリウスは正面からの背を抱き寄せた。外気に触れた彼のコートは冷たかったが、すぐに身体の芯から込み上げてくる熱が体温を上昇させる。先ほどまで胸の奥で蠢いていたはずの不安はいつの間にかすっかり溶かされてしまっていた。どうしてこんなに、幸せなんだろう。
「いやか?」
「……ううん」
いやなわけ、ない。その胸の中で小さくかぶりを振ると、シリウスはそっと手を離しながらの傍らに腰を下ろした。覗き込んでくる彼の灰色の瞳は、どこまでも優しく澄んで熱を帯びている。見つめられるだけで、すべてを奪われ、そして満たされていくような。
照れ隠しに頬を掻きながら、視線を外して、言った。
「ごめん。ちょっと、妬いちゃった」
「は?」
「だってシリウスと話してるときのマダム、ほんとに楽しそうだったんだもん。美人だし……大人だし……」
ぼそぼそと尻すぼみに言いやると、シリウスは盛大にため息をついた。
「お前、なんか勘違いしてないか?」
「え?」
「別に俺は……その、別にお前がきれいじゃないとかそういうこと言ってるんじゃなくてだな……でも別にお前がきれいだの可愛いだの、そんなことで好きになったわけじゃ……ない、ぞ。分かってんのか?」
真剣な眼差しでそんなことを言われて、今まで以上に身体が熱くなるのが分かった。それに。
(好き、って言われたの……初めて、かも)
お前のことが大事だと、言われたことはあった。けれども、シリウスの口から好きという言葉を聞いたのは、これが初めてのような気がする。彼は、意識していないようだが。
恥ずかしさと押し寄せる幸福感にはしばらく声が出せなかったが、なんとかシリウスの目を見て、ありがとうを告げた。
「……私も、シリウスがかっこいいから好きになったわけじゃないのに……ごめんね。でも……私、自分で思ってた以上にシリウスのこと好きになってるのかも」
言うと、みるみるうちにシリウスの頬が赤く染まっていった。思えば、シリウスのこんな顔を見られるようになったのは……きっと、あのときから。そして彼の存在が、今まで以上に愛おしく思えるようになったのだ。
思い切って背中を伸ばし、はそのまま彼の唇にそっと口付けた。狐につままれたかのように大きく目を見開いたシリウスに、囁きかける。
「私たち……このままでも、いいよね?」
「……ん?」
「友達とか、恋人とか。なんか……なんて呼んでも、しっくりこないから。付き合ってもないのにこういうことするのは、変かもしれないけど……でも、だから付き合おうっていうのもなんか違う気がするし。なんでだろ……みんな、昔の私も含めて、付き合うとか別れるとか結構すんなり決めちゃってるせいかな。シリウスとは、これからもこうやって一緒にいたいけど……」
するとシリウスはなんとも難しい顔であらぬ方向を見やって沈黙した。肯定的な答えを期待していたは途端に不安になっておずおずと口をひらく。
「あの……納得いかないんだったら、言ってね。シリウスの思ってること、ちゃんと聞かせて?」
「……いや、お前の言ってることは分かるし
俺自身が、これまでずっと簡単に付き合う別れるって繰り返してきたから……同じような名前を、お前に当てはめたくはない。お前は、特別だから」
おまえは、とくべつ。ざわつく胸をごまかすように、は無言でシリウスの手からバタービールの瓶を取った。シリウスは躊躇いがちに、その先を続ける。
「でも……率直に言うぞ。俺だって
独占欲は、あるからな」
どっ!口にふくんだバタービールを思わず噴き出しそうになりながら、は目を瞬いた。気まずそうに視線を泳がせながら、シリウス。
「もちろん、お前が俺だけのものだなんて思ってない。でも……」
そのまま黙り込んだシリウスのほうにそっと身体を倒して、ははにかむように笑った。
「私だって、おんなじ気持ちだよ。マダムに妬いちゃうくらいだから」
「……」
「じゃあ、みんなには付き合ってることにしちゃお。ほんとのことは、私たちだけ知ってればいいよ。でしょう?」
こちらを向いたシリウスの表情が穏やかに緩むのを見て、もまた目を細める。そして両手を伸ばしてシリウスの大きな背中をきつく抱き締めた。凍える空気もふたりの肌に触れては、温もりを帯びて揺らめく。
「シリウス、だいすき」
それが今の私の気持ちを、最もよく表した言葉。
形を変えながらも、いつまでもこうして繋がっていられるように。
シリウスは何も言わなかったが、その思いに応えるようにしての身体をその腕の中に強く抱き寄せた。