スリザリンに組み分けされた・がスリザリンの敷居を跨ぐことはなかった。一度スリザリン寮に運び込まれた荷物はあっという間に外に出され、蛇寮生のリストからは人知れず彼女の名前が消えた。
スリザリンから、宿敵グリフィンドールへの転寮
ホグワーツ史上初となるこの大事件に城内は騒然となった。彼女の名を知らぬ生徒は恐らく一人もいないだろうし、どこへいっても彼女に関する好き勝手な噂が数多く出回っている。
そんな中、何の後ろめたい感情もなく明るく声をかけてくれる彼の存在は、彼女にとって大いに有り難かった。
彼はきっと、ホグワーツの伝説になる
ただ漠然と、はそんなことを思った。
ROOM for THE THREE
獅子寮のある一日
新学期第一日目、は慌しくグリフィンドール寮へ移動することが決まった。他の新入生から一足遅れて、寮監のマクゴナガルとグリフィンドール塔へ向かう。校長室の前でを待っていたマクゴナガルは彼女の顔を見るとどこか安堵の色を滲ませたが、すぐにあの厳格そうな顔を作って彼女を獅子寮へと誘導した。
「他の一年生はもう部屋に上がっているでしょうが、監督生が談話室であなたを待っているはずです。そこで彼女たちの指示に従うように。明日は朝から城内オリエンテーションがありますから今日は早めにお休みなさい」
「あ、はい……あの、マクゴナガル先生」
遅れないようにと早足で階段を駆け上がるが後ろから呼びかけると、僅かに歩幅を狭めてマクゴナガルが振り返る。その眼がすっかり『一生徒に過ぎない子供』を見る眼差しに戻っていたので、は思わず、考えていたこととは別の言葉を口にした。
「え、と……あの、私、スラッグホーン先生をがっかりさせちゃったのかなって。せっかくスリザリンに入ったのに、私、結局グリフィンドールを
」
「そのことは、まったく気にしなくて宜しい」
再び真っ直ぐと前を向き、まるで拒絶でもするかのようにマクゴナガルはきっぱりと言いきった。どうしよう、怒らせちゃったのかな。
「組み分け帽子が最終的にあなたをグリフィンドールにと決定したのですよ。つまらないことを言う者もいるかもしれませんが、あなたは堂々としていればいいのです。スラッグホーン先生もそのことでとやかく言うような人ではありません」
それきりマクゴナガルはぱったりと口を閉ざし、あとはただ寮までの道のりを黙々と歩いた。どうしよう……やっぱり、先生怒ってるんだ。転寮なんてめんどくさいことして。おとなしくスリザリンに納まっておけば良かったのかな。
いや、でも組み分け帽子にああ言われて。組み分けの歌をじっくりと聞いて。そうすると、自然とグリフィンドールに行きたいと強く思った。私の居場所は、あそこじゃない。憧れた
私は、獅子になりたいと。
悔いることはない。きっと。自分で選んで道だ。
母も、そのグリフィンドールという場所で七年間を過ごしたというのだから。大丈夫。きっと、大丈夫。
先生は……母さんのこと、知ってるのかな。
「あら、先生、こんばんは」
辿り着いた扉に掛かる太った婦人の肖像が目をぱちくりさせてそう喋った。はびっくりして飛び上がったが、マクゴナガルは平然とその肖像画に向けて何か呪文のようなものを唱えた。
「ホンキング・ダフォディル
ミス・、寮に入るにはここで婦人に合言葉を言わなければいけません。宜しいですか、合言葉を忘れないように」
「気を付けてね、一年生のお嬢ちゃん」
悪戯っぽく微笑んで、婦人がぱっと寮の扉を開く。どきどきしながらマクゴナガルが先に入るのを待っていると、先生はさも当然のように自分はここで戻ると言い出した。
「え!で、でも、私……」
「ご安心なさい。監督生の先輩が待ってくれています。では、おやすみなさい」
そして容赦なく彼女を扉の内側に押し込み、そのままあっという間に元来た道を引き返していった。
談話室はまだ随分と混み合っていたが、の到着に気付くと彼らは一斉にお喋りをやめ、珍しい見世物でも見るようにありとあらゆる眼がじっとこちらを凝視した。緊張のあまり、その場で固まって動けなくなる。
どうしよう、どうしよう
こんなに注目されるなんて、思ってなかった。
ややあって、ようやくその中から歩み出てきた赤毛の女子生徒が「あなたが、・?」と訊いてくる。恐る恐る頷くと、彼女は手にしていた数枚の紙をぱらぱらと捲りながら言ってきた。
「そう
話はマクゴナガルから聞いてるわ。私は五年生のヘイリー。アガサ・ヘイリー。新入生にはさっき一通り自己紹介をしてもらったんだけど、他の一年生はもう部屋に上がってるからあなたはまた後日でいいわ。荷物はもう部屋に運んであるから。あなたはその階段を上がった、奥の十九号室。分からないことがあったら何でも聞いて。このバッジをつけているのが監督生。監督生でなくても、うちの上級生なら誰でも快く応対してくれるはずだから遠慮せずに言ってね。今の段階で、何か聞いておきたいことは?」
まるでつまらない記事か何かを棒読みするような口振りで、ヘイリーが一気にそう告げる。は身体を強張らせたまま、ただ首を横に振るしかなかった。他の上級生たちも、好奇、不審
そういった様々な眼差しでこちらを見つめるばかりで、誰も口を開く者はいない。
「あ、え、と……それじゃあ、おやすみなさい」
控えめに頭を下げて、は逃げるように談話室を去った。先ほど示された階段を駆け上がり、上級生たちの気配を感じなくなってからようやく胸を撫で下ろす。転寮なんて珍しいんだろうな……しかも、スリザリンからだもんな。キングズ・クロスで殴ってしまったあの少女が、スリザリンとグリフィンドールは敵対していると言っていたっけ。そんなところから移動してくれば、誰でも不審に思うだろう。
でも、上級生からあんなにも注目されるなんて。スリザリンでやっていく自信もなかったが、この寮でもうまくやっていけるかどうかとかなり不安になった。
で、でも同じ新入生なら……不安なのは、みんな同じだろうし。あ、だけど、こういう時は排除の理論が働くのだろうか。ああ、どうしよう!こんな所まで来て友達が一人もできなかったら!
途端にジェームズ・ポッターの顔を思い出したが
だめだ。彼は、男の子。たとえ本当に仲良くなれたとしても、そうそう一緒にいられるはずもない。それに彼は気さくで、とても明るいムードメーカーのような存在。どんどん友達もできて、いずれ私のことなんて忘れてしまうに違いない。
まずは、ルームメイトから。そこから始めよう、よし。大丈夫、。少人数から始めればまだ何とかなるだろう!
十九号室と書かれた部屋の前で気合いを入れなおし、は握った拳をドアに二回軽く打ちつけた。
「どうぞ?」
少しおとなしそうな女の子の声。重要なのは、第一印象だ。両方の口の端を指先で持ち上げて数秒ほど笑う練習をしてから、はやっと部屋のドアを開けた。
「こんばんは!私、この部屋になった新入生の
」
一気に簡単な自己紹介をと明るく声をあげただったが、目の前に佇む赤毛の少女を見てあっと声を詰まらせた。
相手もまた、今まで朗らかに笑っていたらしい顔を不機嫌そうに歪めてこちらを向く。
もう一人の茶色い髪の女の子は、愛想よく笑って自らの許へ歩み寄ってきた。
「こんばんは、マクゴナガル先生から話聞いて待ってたのよ。大体みんな四人部屋なのに、ここだけ二人で寂しいねって話してたとこ。隣の部屋も三人なんですって。私、一年生のニース。ニース・ジェファ。よろしく」
「う、うん。よろしく!私、っていうの。・。ちょっと色々あって、グリフィンドールに来るの遅くなっちゃったんだけど……」
良かった。この子とならやっていけそうな気がする。飾らなくても一緒に笑っていられるような、そんな予感。ジェームズといい、ニースといい、ひょっとして、私はホグワーツでの人間関係については意外とついているかもしれない。
だけど
あの子は。
窺うようにちらりと横目で赤毛の少女を見やると、彼女はふいとこちらから視線を外して短く、まるで独り言のように囁いた。
「エバンス。リリー・エバンスよ。『初めまして』
よろしく」
うお、初めましてときたか。そうか、そうきたか。そっちがその気なら……。
は今の自分にできる最高の笑顔
といっても高が知れているが
を何とかして作り上げ、既にこちらから視線を外して荷物の整理をしている赤毛の少女の前に回りこんだ。驚いたように、少女がその動きを止める。
「私、・。『初めまして』、よろしくね」
最後の言葉だけはニースに向けた。むっと唇を引き結んでそっぽを向くエバンスと、二人の険悪なムードにわけが分からず首を傾げるニースと。
は既に届いていた荷物を一つだけ空いているベッドまで引き摺り、空っぽの鳥かごに気付いて振り向いた。
「ねえ、私のふくろうなんだけど
」
「あぁ、ふくろうはみんなの分、着いた時に管理人が放したんだって。マクゴナガル先生が言ってたよ」
「えっ?」
平然と答えるニースに、は間の抜けた声をあげる。放した?飼い主の意向も聞かずに
逃がしちゃった?
「放したってどういうこと?何で?私のふくろう!それに、管理人って?」
「生徒のふくろうは全部ホグワーツのふくろう小屋で生活することになってるんだって。私とリリーのふくろうもここに来た時はもういなかったよ、心配しなくても大丈夫。管理人っていうのは私もよく分からないけど、このお城のこと何でも知ってるらしいよ?管理人の……えーと、リリー、管理人の名前、何て言ったっけ?」
「フィルチよ、アーガス・フィルチ」
エバンスはすかさずそう答えたが、あくまでニースの方だけを向いている。もまたあからさまにニースを見て「ありがとう」と言った。ニースは二人のルームメイトを何度も交互に見つめ、もどかしそうな顔をしたが、結局何も言わずにトランクを開くことに専念したようだった。
も荷物を解き、トランクからパジャマと替えの下着を取り出す。その下から覗く教科書や大鍋をしばらく眺めていると、急に、本当に私は魔法の学校に来たのかなという不思議な感じがした。
ローブのポケットからそっと杖を取り出し、まだ使ったことのないそれをじっと見つめる。魔法……一体、どんなことができるようになるのだろう。瞬間移動とか
そう、空を飛んだり、とか。
トランクの中から、一冊の古いアルバムを抜き出して開く。
幼い頃に隠した母の思い出を、父はが家を去る前にもう一度取り出してきた。娘が見出してしまわないように、屋根裏部屋に長年仕舞い込んでいたらしい。写真の中の母はやはり微笑んでいて、いつまでも優しくこちらに手を振ってくる。は母が友人たちと並んでいるそこがこの城の正門前だということに初めて気付いた。
母は、同じ寮生たちばかりと親しくしていたわけではない。ここへ来てようやく、アルバムが語るものを少しずつ読み取れるようになった。母と一緒に写っているホグワーツ生たちは、赤いネクタイを締めていたり、黄色いワッペンをつけていたり、青いウェアを羽織っていたりと様々だ。
母さん、他の寮にもたくさん友達がいたんだね。
私も、母さんと同じくらいとは言わないけど
心から、友達と思える誰かを得られたら。
写真に写っているスリザリン生はいないのかなとさらにページを捲ろうとした時、不機嫌そうなエバンスの声が聞こえてきた。
「ねえ、そろそろ眠りたいんだけど
明かり、消してもいいかしら?」
はっとしてアルバムから顔を上げると、既に着替えを済ませているエバンスとニースが目に入る。は「ちょっと待って!」と声を荒げ、頭から慌ててパジャマを被った。
友達は
そう、上辺だけじゃない本当の友達は欲しい、できればいいなと思うけど。
でも、いくら同室といっても。
あのリリー・エバンスって子だけは、どうしても無理!
その翌日、は城内オリエンテーションの際に同じ寮の一年生である女の子たちに自己紹介することになったが、彼女らはの転寮に関して上級生ほどに神経質ではなさそうだった。「何で一旦別の寮に組み分けされたのにグリフィンドールに来たの?」「うーん、さあ?私もよく分からなくて。組み分け帽子の間違いだったみたい」「へー、そんなこともあるのね」
お陰で、少し特異な目で見られることはあるが、名前が知れたこともあって同寮の同級生に関しては『友達』に困らなかったし、ルームメイトのニースはエバンスよりもと行動することが多かった。第一段階はクリアとするか。
本当の『友達』と呼べる誰かは、これからゆっくりと探していけばいい。小学校みたいに、ただ学校でのみ共に行動する
そんな下らない繋がりなら、要らない。ここから少しずつ、このホグワーツで育んでいけたら。
一方のエバンスもたくさんの友達ができていたようだった。と親しくしているスーザンやメイもよくエバンスと話をしていたし、エバンスと行動することが多いクララやディアナも、とは冗談を言って笑い合うような仲ではあった。またエバンスは他の寮生たちから声をかけられることも多く、どこでいつ見かけてもほとんど常に誰かと一緒だった。
も、遠くから見ているとエバンスの魅力は分からないでもなかった。側にいると、これでもかというほど刺々しい雰囲気を突き刺してくるが、平生の彼女はとても笑顔が可愛くて優しく、穏やかだ。ディアナに聞いたところによると、細やかな気配りもできて頭の回転が速く、本当に申し分のない女の子だという。
アルバムの中、たくさんの友達に囲まれて笑う学生時代の母を思い出した。
あんな『最悪の出逢い』さえなければ、もっといい関係を築けていたのかもしれないけど。
それもこれも
あいつ!セブルス・スネイプのせい!あいつがわけの分からないことで突っかかってきたから!
次に会ったら、今度こそ殴る!
心に決めて拳をきつく握るも、どうせ何もできやしないのだろうなとは小さく溜め息を吐いた。どのみちあの男は、私のことなんて覚えてやしないだろう。
授業を終えてニースと寮への道のりを辿るに、後ろから追いかけてきたジェームズが声をかけた。
「!ちょうど良かった、一緒に帰ろうよ。もちろんニースも一緒にさ」
「いいけど珍しいね、ジェームズが一人なんて。相棒は?」
「ああ、あいつはちょっとスラッグホーンに呼ばれててね
あぁ、ちっとも大したことじゃないよ」
ニースがびっくりした顔をしたので、ジェームズが慌てて付け加える。はばつの悪い心地でさり気なく二人から目を逸らした。スリザリンを離れてからあの老教授と顔を合わせるのはなんだか気まずい。スラッグホーンも彼女を見る度、実に残念そうな顔をするのだ。
でも、それは仕方がない。自分で決めたことだ。割り切って
前に進まなければ。
三人でグリフィンドール塔まで戻ってくると、太った婦人の前で鉢合わせた同級生の女の子たちの集団がぱっと顔を輝かせてこちらに近づいてきた。
「、おかえり!そうそうポッターくん、ポッターくんって魔法薬の調合も上手よね!すごいね、何でもできるんだから」
「ほんと!あたし尊敬しちゃった。ねえ、今度あたしに虫除けの調合法教えてくれない?」
ハナったらずるい!だとか何だとか、女の子たちが一斉に黄色い声をあげる。あっという間に彼女らに囲まれたジェームズは少し困ったような顔をしながらも、満更ではなさそうだった。ニースとちらりと目を合わせては嘆息する。
まだ学校が始まって一週間だというのにジェームズやブラックの人気はホグワーツ中で急上昇だった。二人とも既に魔法をたくさん知っているし、驚くほど頭も良い。記憶力も抜群。ブラックは『超』がつくほどの美形だし、ジェームズにいたってはそこそこ顔も良くて明るく、裏表のない素直な性格でどこか悪戯っぽい瞳が魅惑的
だそうだ。友人たちとくだらないことをお喋りするのは楽しかったが、ジェームズたちが現れるとあっという間にそちらに気をとられてしまう彼女たちには少しうんざりしていた。
まったく……どこでも女の子っていうのは本当に『かっこいい男』が好きなんだから!
自分もジェームズやブラックにどきりとしたことはあったが、それとこれとは話が違う。あんなの、一時的な気の迷いなんだから。
ジェームズと付き合う……ない、ないないないない。そんなこと、あるわけない。ブラックなんか論外。
談話室に入ろうかと婦人の肖像へ視線をやると、ちょうど女の子たちの集団から一人だけ抜け出してきた女の子が不機嫌そうに合言葉を唱えた。エバンスだ。彼女は明らかに軽蔑しきった眼差しでジェームズの方を一瞥すると、開いた扉をくぐってあっという間に寮の中に入っていった。女の子たちはそれに気付いた様子すらない。
あー……どうしよう。
あの子がいる部屋には、あんまり戻りたくないな。
女の子たちに囲まれたままデレデレと動く気配のないジェームズを置き去りに、はニースを連れて当てのない散歩へと出た。