魔法生物は時として予測不能な行動を取る。それが結論だった。混乱したボガートが起こした、予測外の事故。実際、そのあと防衛術教官の一撃で、すでに弱っていたボガートはあっさりと消えてしまったという。
けれども彼は、それが予測不能な『事故』などではないことを知っていた。
「へぇ……そりゃあ一番びっくりしてるのはそのお嬢ちゃんだろうな」
「ああ、そのときの驚き様は半端じゃなかったって聞いたよ。ぶっ倒れて医務室に運ばれたくらいだ。でもおじさんが、どうしてそんなこと?あの女に一体何があるっていうんだよ」
「そう急ぐな、エバン。まだ先は長い。その間に、せいぜいしっかり学んでくれよ。お前には期待してるんだ」
長年目をかけてきた、アルビテルの息子。父親よりもずっと頭が良さそうだと、幼少時に初めて出会ったときから分かっていた。
「お前にもそのお嬢ちゃんにも、もっと勉強してもらわないとな。そしてその時がくれば話そう。信頼に足る男だと、お前が俺に認めさせれば」
「……分かってる」
青年は噛み締めるように呟いて、すっかり冷えた紅茶を口に運んだ。聡い子供だ。自分の進む道、為すべきことを聞かされずとも理解している。同年代の子供が馬鹿のようにはしゃぎ回っているとき、こいつの目だけは確かにその輝きが違って見えた。
俺にもこの血が欲しかったと
何度願ったところで、叶わない。それならば、せめて。
「ひとつだけ、言っておこうか」
「……はい」
不意に空気が変わったことに、気付いたのだろう。やはり、あの木偶坊の父親なんかよりも遥かに頭が良い。
「直球勝負、結構。塗り固めた人間は暴かれて終わりだ。お前という存在に誇りを持て。だが大人になる前に、三つくらいは変化球を覚えておいてほしいところだな」
「……尽力します」
こいつは自分の言葉を守る男だ。だからこそ育つ。必ずあの方の役に立てる。だが、せめて二つくらいは。
生き延びるために、必要な嘘がある。
SNOWY ACCIDENT
ありえないありえないありえない
眠れない。
医務室で、なんとなくそんな雰囲気になってシリウスとキスして、そのとき不覚にも、以前スーザンが言っていた「恋と友情の違い」なんてものを思い出してしまったせい、ではなく
いや、完全に違うとも言い切れないが。確かにシリウスのまるで割れ物でも扱うかのような優しすぎるキスに、すっかり頭の中が溶かされてしまったことは認めよう。こんなふうに今まで他の女の子にいっぱいキスしてきたのかなと考えて、ものすごくもやもやした気分になったことも認めよう。だが決してそれだけではなく、ふとした意識の中に思い出すのはやはりあのときのボガートの姿だった。
見たことない、あんなダンブルドア。
教師陣としては、混乱したボガートが、誰かの記憶にあるダンブルドアと、誰かが最も恐ろしいと思っている人物の表情とを間違えてミックスしてしまったのだろうという結論に落ち着いた。彼女が気を失ったのは、フクロウ病で疲れていたから。なるほどありえそうな話ではある。五年生と七年生は、それぞれの病
名称は違えどもその症状はほぼ同じだ
に苦しんでいる。しっかり休んで望めば試験本番では大丈夫だろう、不安があれば個人的に練習するといい、ボガートを見つけたら五年生には連絡するからとレッドフィールド。結局が倒れたあと教室内は混乱状態に陥ったので、残りの生徒に演習させる余裕はなく、ボガートはレッドフィールドが一撃で倒したらしい。
因みにレッドフィールドが最も恐れているのは、綺麗な茶髪をうねらせた中年の魔女
俗に言う、内縁の妻。これで一ヶ月はレッドフィールドで遊ぶ材料ができた!とジェームズは喜んでいたが。そういえばジェームズが怖いものって何だろう。リリーは、シリウスは?
どうして私は、ダンブルドアなんだろう。
まったくの無関係とは思えない。何より、私自身が。
(あのダンブルドアを……知ってる)
見たことはない。それだけは断言できる。ダンブルドアがあんな顔をして襲ってきたら……どうしてそんな重大事件を忘れることができよう。見たことはない。あれは私の記憶ではない。
けれども……確かにあのダンブルドアを、私は知っているような気がした。
(何で……何で私のじゃない記憶を、私が持ってるの)
こわい、そのことがおそろしい。
私の中に、もうひとりの誰かがいる。
いるわけない
だって私は、ここにいる。ここにいるのは、確かに私で。私は私の時間を、ちゃんと全部持っているのだから。
(ほんとうに?)
聞こえてきたそれは、もうひとりのじぶん。いや、ちがう。これはわたしだ。
得体の知れない闇に引きずり込まれていくような。ぞくりと身震いして、はベッドから跳ね起きた。ルームメートたちの寝息を妨げないように、足音を潜めて自分のトランクに向かう。そこから手探りで羊皮紙を取り出し、カーテン越しに差し込んでくる月明かりだけを頼りに部屋を出た。ああ、そうだ。もうすぐまた満月がやってくる。
月が満ちる夜は、最も魔力が満ちる夜。そういわれる所以はなんとなく分かるし、そして実際にその通りなのだろう。だからこそリーマスのような人々が苦しんでいる。月の力は甚大で、どんな形であれ誰もが多少なりともそのことに縛られながら生きている。
談話室におりると、案の定誰かが置きっ放しにしている羽根ペンとインク壺があった。ちょっと拝借、とひとりで呟いて、テーブルにまっさらの羊皮紙を広げる。
フィディアス、私、不安なの。
目には見えない何物かが、少しずつ私の心を侵食していくようで。
ありもしない記憶が、ときどき思い出したようにポンと弾けては散っていく。
ねえ、私はだれ?
それとも、これは記憶などではなくただの夢なのでしょうか。
それならば、ねえ。
わたしはこのまま、たいせつなひとといっしょにいられますか。
彼女からの手紙に、ざっと目を通して。恐れていた時期を迎えたこと、そして同時に、いいタイミングかもしれないとも感じた。そうだ、遅かれ早かれ彼女は自分でそのことに気付く。今はまだ漠然とした不安を抱いているに過ぎないが、彼女はとても頭が良い。封じられるものにも、当然限界があるだろう。
ふと、考える。もしもあの男が組み分けのやり直しなどという明らかに不自然な工作をしなければ、どうなったろう。いくら人手不足といえ、この私をホグワーツに雇うなどという過ちを犯さなければ。あの子に会える、その思いだけでその提案を受けなければ。巡り巡っては同じところに行き着く。だからこそ、私は今こうしてあの子からの手紙を受け取ることもできるのだ。
「……」
何度その名を呼んだか、分からない。そしてきっと、これからも幾度となく呼び続ける。引き出しの奥に仕舞った薄いアルバムを引いて、指先で繰った。写真は好きではなかったのだが、女の子というものは何かの折にその記念を形として残したがるらしい。思春期を越えていつからか距離がひらいてしまっても、大きな行事があるたびに彼女はよく私のところにやってきて楽しそうに写真を残した。
だからこそ今になっても、こうしてあの頃の彼女の笑顔に出会うことができる。
「、あの子は本当にお前にそっくりだよ。でも鼻の形は父親似だな。まあ、どっちにしたって低いことに変わりないが。あのふてぶてしさは絶対にお前譲りだ」
呼びかけて、そっと表紙を閉じる。こちらの憎まれ口に頬を膨らませて怒る彼女はもういない。
もう誰の、美しい言葉にも騙されるものか。
今度こそ、俺のこの手で護り切ってやる。
「なあ。どういうことだ、なあ?」
「うっせーな。邪魔なんだよどっか行け」
「お前、薄情じゃないか?お前がとそれはそれは仲が悪かったとき、取り持ってやったのは誰だ?」
「お前……どんだけ古い話持ち出してくんだよ。恩着せるにはちょっとばかし遅すぎたな?」
「くっ、友達甲斐のないやつめ!なんだよ、ちょっとくらい僕の恋に協力してくれたっていいだろ!」
「あのな……別に俺はエバンスと仲がいいわけじゃ、」
「それじゃあ最近エバンスとよく話してるのはどういう了見だコラ」
「よく、なんて話してないだろ!お前うぜーな、ちょっとのこと聞くことあるだけだろ文句あっか!」
「はあ……どいつもこいつも!リーマスだってさ、監督生になってからエバンスと名前で呼び合ったりする仲になったっていうのに僕にはちっとも協力してくれないんだ!ああ僕ってなんて友達に恵まれなかったんだろう!こんなことなら監督生になれるようもっと努力すべきだった!」
「はあ?まかり間違ってもお前に監督生なんて無理だな。それにリーマスの話聞かなかったのかよエバンスお前のこと百パー嫌ってんぞ」
「そんなことはない!あー面白くない!まったく!くそ、どいつもこいつも!」
勢いだけで部屋を飛び出して、そのまま談話室を突っ切って外に出る。課題はやたらと多いし、エバンスには相変わらず避けられるし。珍しくエバンスがこっちのほうにくる!と思ったら当然のようにリーマスと仕事の話か、もしくはシリウスにのことを話してさっさと去っていく。とシリウスがなんだかすごくいい感じなのは嬉しい。もちろん嬉しい。でもみんな僕のこと蔑ろにしすぎてないか?きっと気のせいじゃないよな?
僕だって
結構、本気なのに。
雪の積もった校庭に出て、ぶらぶらとあてもなく歩く。ふと振り向いたときに残る自分の足跡の軌跡を見るのが、実は好きだったりするのだ。これは、決して箒では味わえない喜び。もちろん風を突っ切るあの快感も最高だが。
枝に載った雪をときどき身震いして払いのける暴れ柳を眺めてから、なんとなく、温室まで足を伸ばす。マクゴナガルほどでないにせよドレークに悪戯を仕掛けるのは命懸けだったが、ごくごく稀に悪戯で返してくるその茶目っ気は我らが寮監にはないものだった。
第一、第二と温室を覗き込んで、その不在に半分がっかりしながら空を見上げる。やっぱりいないか。まあ、今ドレークに会ったとしても頭に花を咲かせるくらいしかできないだろうが。いや、案外似合ってると思う!まあダンブルドアほどじゃないが。校長の頭に花を咲かせたのはもう遠い昔の話だが、あれは傑作だったな!
あまり期待はせずに覗いた第三温室の中に、ジェームズは思いもしなかった人影を見つけて飛び上がった。
エ、エエエエエバンス!
あわわわわどうしようどうしよう!選択肢その一、気付かない振りをして通り過ぎる。いやもったいない!その二、陰に隠れて観察する。いやそれってストーカーじゃないか?その三、やあ奇遇だねエバンスこんなところで何してるんだい?よしこれだ、これでいこう!実際奇遇なんだから恐れることはない、ちょっとでも近付くチャンスじゃないか。これは神様が頑張る僕に授けた贈り物なんだ!よし、気持ちを落ち着かせて、それから、ええと、髪をもっとくしゃくしゃにしてみたりなんかして、それから……。
茂みにしゃがみ込んで必死に髪を整えながらちらりと温室に視線を戻すと
プランターから小さな花を摘んでいる彼女は、なんと笑っていた。
もちろん、こちらに向かって、ではない。彼女はまだ僕の存在に気付いていない。あらぬ方向を見て、にこやかに笑っている。
え?
だがその理由はすぐに知れた。今まで座り込んで何か作業していたらしい誰かが、エバンスのすぐ近くで立ち上がった。泥だらけのその顔を同じく泥まみれの袖で拭いながら、彼女と話している。その内容までは聞こえてこなかったが。
まさか。
まさか、まさかそんな。
ありえないその光景を目の当たりにして、髪の端々を摘んで直していたジェームズは自分が果たして何をしようとしていたのか、すっかり忘れてしまっていた。