「えぇ?結局シーカーに戻っちゃったの?」
「うん、そう……オーセリーに今度は二時間もぶっ通しで説教されちゃった」
「当たり前でしょう!追い出されなくって不思議なくらいよ!なんだってそんなコロコロ……チームにいるんだからもっと自分の行動に責任持たないと!」

ああ、ほんとにもう……ママにそっくりだ。

「なにニタニタしてるのよ、聞いてる?」
「あ、うん、ごめんごめん」
「謝るんだったら私じゃなくてチームのみんなに謝ってよ。特にバーソロミュー!可哀相、何度もジェームズのわがままに振り回されて!」
「あ、うん、そうだね……みんなに頭下げて回らなきゃ」
「ほんとだよ。何であんなことしたの?何かあった?」
「あ、ええと……ううん、ちょっとゴールなんか決めちゃったりして、いい格好してみたかったというか」
「は?」

素っ頓狂な声をあげて瞬いたに、しどろもどろになって答える。

「ほら、シーカーもいいけどさ、たまにはチェイサーになってばんばんゴールでも決めてちょっとエバンスにいいところ見せたかったというか。だけどやっぱり僕にはシーカーが一番似合ってるかなって」
「……そんなこと聞いたら、リリーますますジェームズのこと嫌いになると思うよ」
「えっ!い、いやだ勘弁してくれよ!今の、エバンスには絶対内緒で!」
「もちろん言わないけど……」

困った顔で頬を掻いて、はもどかしそうに言ってきた。

「ジェームズ。リリーに好かれたいんだったら、もっとまともになるべきだよ」
「まとも?まともって……僕は『まとも』じゃないとでも?」
「……私もよく分からないけど。とにかくもっと常識的にならなきゃ」

まとも。常識的。なんだろう、それは。そもそも、『常識的』な僕とは本当に僕なのだろうか。そしては果たして本当に『まとも』だといえるのだろうか?

「ありのままでいられないなら……一緒にいる意味って、あるのかな」
「え?」
は、シリウスといるときに無理してる?」

は面食らった様子で目をぱちくりさせたが、すぐにぶんぶんと大きくかぶりを振ってみせた。

「してないよ。ちょっと……緊張するときも、あるけど」
「……そうだよね。やっぱり自然体が一番だよね。無理してまともになろうとしたって、それはもう僕じゃないというか、だから僕は僕としてエバンスに好きになってもらいたいというか、だからその、」
「そういうこと考えるのは、ちょっとでもリリーと仲良くなってからにしたら?私そろそろ行かなきゃ、リリーと約束してるんだ」

そういってバタバタと部屋を去っていくの後ろ姿を見送って、ジェームズは人知れずため息をついた。エバンスのことになると、最近ってちょっと冷たい。まあ……いいか。なんとかごまかせたみたいだから。

DREADFUL DEFEAT

関節ひとつぶん

ここ数日の曇天が嘘のように晴れ渡った、青空。山から吹き降ろす冷たい風がひんやりと空気を澄ませ、透き通った視界が競技場の景色をより鮮明に浮かび上がらせる。最高の、クィディッチ日和だった。

「もうすぐだね」

毎年クィディッチの開幕戦は観客席にハッフルパフやレイブンクローも押しかけて、それはそれは激しい熱狂に包まれたが、今年の同級生はOWL試験対策で日々鬱々とした生活を送っていたので、普段はあまり観戦にやってこない友人たちもストレス解消にグラウンドを訪れた。

「ねえ、スリザリンのシーカーってブラックの弟なの?」

『普段はあまり観戦にやってこない』、そのうちのひとり    ハッフルパフの五年生、カトリーナがに借りた双眼鏡で更衣室から出てきたばかりのスリザリンのほうを見ながら聞いてきた。

「ふーん、それなりにイイ男。だけどお兄ちゃんのほうがやっぱりずっとカッコイイわね」
「あ、そう……でも飛行術はかなり上手らしいよ。ミランダが言ってたけど、ロジエールも太鼓判捺してるって」
「でもロジエール、一回もジェームズに勝てなかったじゃない。あいつが捺してたってねぇ」

軽く口笛を吹きながらカトリーナが返してきた双眼鏡を、今度は右隣のリリーに手渡す。リリーはマフラーを巻いた上から双眼鏡の紐を首にかけ、大まかにグラウンド内を見渡しているようだった。

「そういえばってブラックと付き合ってるのよね?」

どうということのない口調でカトリーナが聞いてくる。友人からのその質問に慣れていたは軽く手を振ってあっさりと否定した。

「付き合ってないよ。そりゃあ一緒にいることは増えたけど」
「えっ?でもみんな言ってるわよ、去年からって」
「はは、みんなそういう噂が好きだからね」
「始まるわよ」

カトリーナが口を開こうとしたそのとき、競技場を見下ろしていたリリーがそう言った。同時、審判であるフーチの笛が高らかに試合開始の合図を鳴らす。十五本の箒が、一斉に空高く舞い上がった。

「さあ、試合開始です。クアッフルはグリフィンドールのトイ、バート・トイがキャッチしました。トイ選手、素晴らしい箒さばきでスリザリンのブラッジャーをかわします。お、ホラティオ・アシュレーに見事なロングパス    ああ!スリザリンのウィットマン、コリン・ウィットマンにクアッフルを奪われました!ウィットマン選手、まっしぐらにゴールへと向かっております」

解説はレイブンクローの四年生、エイプルトン。時折感情的になってしまうこともあるが、概ね淡々とした的確な実況で定評がある。二年前に卒業したグリフィンドールのパトリック・モークリーは、あまりに私情を挟んだ解説をするのでよくマクゴナガルに怒られていた。

「お、スリザリンのフェルグソン、ジョン・フェルグソン、強力な一打でグリフィンドールのジェームズ・ポッターを狙いますが    素晴らしい、ポッター選手、あっさりとあの高速なブラッジャーをかわしました」

上空を得意げにぐるぐると回りながら、ジェームズが観客席に向けてピースサインを送ったりしている。毎度のことながらスリザリン席からはブーイングの嵐、グリフィンドール席からは割れんばかりの歓声があがった。もっとも、リリーだけはチームのシーカーなど目に入らないようで、ひとりだけクアッフルを追ってみんなとは明らかに別の方向を見ていたが。

「スリザリンのジークフリード・ブリッジ、シュート    これはグリフィンドール、キーパーのオーセリー・ディレクが阻みました。クアッフルは再びグリフィンドール、アシュレー選手の手に。アシュレー選手、バーソロミュー・ショーにきれいなパス」

クアッフルを巡る争いは熾烈を極めた。ビーターの打ち付けたブラッジャーが飛び回る間を縫うようにしてひた走るチェイサーたち、身体を張って護るキーパー。そして不規則に上空を動き回る、ふたりのシーカー。
何度かキーパーのディフェンスをくぐってゴールが決まり、グリフィンドール対スリザリン、五十対五十    バーソロミューがゴールし、同点を刻んだ、そのとき。

「お    ブラック選手、凄まじいスピードで急降下!すぐさまポッター選手があとを追います。あれはスニッチでしょうか?」

エイプルトンの実況で、はっとして顔を上げたが、すぐにはジェームズたちがどこにいるかは分からなかった。カトリーナが指差した先を見て、ようやくそれを視界に捉える。ふたつの小さな丸い影は超高層ビルから落下しているかのように凄まじい速度で、確かに何かを求めてひたすら真っ直ぐに下降していた。
ふたりが腕を伸ばし    地面にぶつかる直前、きらりと光るそれを掴んだのは。

「や    やりました!ブラック選手、スリザリンのレグルス・ブラック選手、見事スニッチをキャッチ!レギュラーに抜擢されて以来三年間無敗の無敵と呼ばれた最強シーカー、ジェームズ・ポッター選手を破りました!二百対五十、スリザリンの勝利!」

過去にエイプルトンの、こんなにも興奮した実況放送をは一度も聞いたことがなかった。スリザリン席からも、まるで爆発でも起こしたかのような大歓声が噴き出す。解説席に鎮座したマクゴナガルは、エイプルトンの隣で狐にでもつままれたようなぽかんとした顔をしていた。
うそ……ジェームズが、あのジェームズが    負けた?

「嘘でしょう!そんな……ジェームズが!」

誰かの絶望的な声が聞こえてくる。誰も、ジェームズの勝利を疑ったことなどはなかった。少なくともこの観客席に座る寮生たちは、そう、信じていたはずだった。
グラウンドを見やると、グリフィンドールのメンバーはいまだにこの結果を受け入れられないでいるようだった。負けたことはない。ジェームズがシーカーに選ばれてからは、一度だって。ジェームズも、何も掴めなかった拳を握り締めたまま、なんともいえない奇妙な表情をしていた。見たことない。あんな……ジェームズの、顔。

だがそのこと以上に気になったのは、スリザリンのユニフォームを着た一団をふと見下ろしたときのことだった。狂喜乱舞するチームメートたちにもみくちゃにされながら、観客席のほうへと連れて行かれるレグルス。だがスニッチを掴んだ彼の横顔は、少しも嬉しそうではない。むしろ    これ以上にないといわんばかりの、屈辱的な顔をしていた。

「いつまでも調子に乗ってるからよ。いい薬だわ」

冷ややかに吐き捨てて、リリーが立ち上がる。も急いで彼女に倣ったが、どうしても気になったので、グラウンドを立ち去ろうとしたリリーの背中に声をかけた。

「リリー。ごめん、私どうしてもシリウスと話したいことがあって……先に戻っててもらえる?」

振り向いたリリーは少しだけ不機嫌そうに眉をひそめたが、すぐにいいわと頷いて先に客席を出て行った。
まだ結果を信じられずに狼狽えるグリフィンドール生たちの間を縫って、目的の人物を探す。だがシリウスを見つけ出すことはできず、代わりにまだ呆然とグラウンドを見つめているリーマスとピーターを見つけて、はそのふたりに声をかけた。

「リーマス、ピーター」
「あ、ああ……か。どうしたの?」

空ろな目をしたリーマスが、振り向いて何度か瞬きする。ピーターはどこか泣き出しそうな顔でこちらを見上げ、は二人の顔を交互に見ながら問いかけた。

「ねえ、シリウス探してるんだけど、知らない?」
「え、シリウス?……なら、ついさっき、出て行ったよ」
「出てった?帰ったってこと?」
「いや……多分、ジェームズのところ」

ばつの悪い様子で、ぼそぼそとリーマスが答える。ジェームズのところ……なんだかとてつもなく、嫌な予感がした。そのはっきりとした正体は、彼女にもよく分からなかったけれど。
ありがとうと告げて、は小走りで観客席を降りた。ジェームズのところ……更衣室、かな。

階段を下りて選手たちの控える更衣室に向かう途中、どこかで低く抑えつけた声が叫ぶのを聞いて、は足を止めた。

「……っざけんな!」

聞き取りづらい声ではあったが、それは確かに、シリウスの。辺りをきょろきょろ見回しながら、はその声の出所を探した。
そして少し離れたところに生えている木の陰にその姿を見つけ出したとき、彼はまだユニフォーム姿のジェームズの胸倉を掴んで力強く自分のほうへと引き寄せていた。

「いい加減にしろよ、くだらねーことばっか言いやがって……わざとだろ。お前があいつに負けるわけねぇ!」
「何回も言わせるな。僕はいつもと変わらない    僕は全力でやりきったさ!」
「ふざけんな!だったら最後の最後で何で失速した!あのままのペースでいけば確実にお前のほうが先に届いたはずだろ!」
「それは僕の力不足だ、もしくはレグルスがお前の思ってる以上にいい選手だったってことだろ」
「いー加減にしろ!お前はわざと負けたんだよ、くだらねぇ負い目かなんかのお陰でな!」
「くだらないのはお前のほうだ!お前が気にしてるほど誰もそんなことは気にしちゃいないんだよ!」
「なんだ    って!」
「シリウス!やめてよ、ジェームズも!」

とうとう取っ組み合いを始めて互いの拳が相手の頬を何度か打ちつけたとき、耐え切れなくなってはその場から飛び出した。だがふたりの拳の応酬は止まらない。あたふたと周りを見回したが助けを求められそうな人影はまったく見当たらなかったので、は仕方なく取り出した杖でふたりとも一気に吹き飛ばした。悲鳴をあげながら後ろに転がって、ようやくふたりの身体が離れる。

「シリウス!ジェームズも……どうしたの、何やって、」
「何でもねーよ」
「何でもないわけないでしょ。ちょ、血が出てる……」
「何でもない」

もう一度ぶっきらぼうにつぶやいて、シリウスは荒々しく立ち上がった。ハンカチを差し出そうとしたの手を振り払ってさっさと城に向けて歩き出す。は途方にくれたが、その場に尻餅をついたまま赤く腫れた頬を押さえるジェームズに向き直って、その傍らに膝をついた。

「ジェームズ、大丈夫?」
「僕だったら平気だよ。それよりあいつのとこ、行ってやって?あいつ寂しがり屋だから、追ってきてくれないと拗ねるよきっと」
「でも、ジェームズも血出てるよ。はい」
「……ごめんね、心配かけて。ありがとう」

受け取ったハンカチで唇の端を拭いながら、ジェームズ。その横顔をしばらくぼんやりと見つめたあと、はひっそりと、聞いた。

「……わざと、負けたの?」

するとジェームズは、しばしの沈黙を挟んでようやく、小さく噴き出してから首を振った。

「まさか。そんなことしたら、レグルスに申し訳ないし……それに何より、一緒に頑張ってきたチームメート、僕らを応援してくれるグリフィンドールのみんなに悪いよ。僕らは寮の代表なんだ」

そう語るジェームズの言葉に、嘘はないと思った。

「それじゃあ……シリウスは、何でそんなふうに思ったんだろ。ジェームズのこと……一番よく分かってるの、きっとシリウスなのに」
「それはどうかな。近すぎるからこそ、見えないものもあるんだよ」

ジェームズはそんなことを言って、自嘲気味に笑った。どこか皮肉めいた、瞳。

「あいつ、僕がレグルスに負い目を持ってると思ってるんだ。だからレグルスにはどうしても勝てない    負けるしか、なかったんだって」
「……負い目?」

そう、といって、ジェームズは折り目を変えたハンカチをまた唇に当てた。

「僕のせいであいつは家族と衝突するようになったんだ。僕が純血主義なんてしがらみの馬鹿馬鹿しさをあいつに知らせたから。だからあいつが家族から阻害されるようになった、レグルスから『大好きな兄さん』を奪ったのはこの僕だから」
「……そんな、そのことはシリウスだって」
「そう、分かってるはずなんだ。僕だって今更そんなこと気にしちゃいない。どっちみちこうなる運命だったんだろ。なのにあいつは、僕がまだそんなことを気にして……わざと負けたなんて思い込んでるのさ。あいつはあまりに長い間、弟から目を逸らしてた。レグルスがどれだけすごい乗り手か知らないんだ、ただそれだけのことだよ」
「……そう、だったの」

ちっとも知らなかった。思いつきもしなかった。ジェームズが……レグルスから、『大好きなお兄ちゃん』を奪い去っただなんて。シリウスがそのことを、気にしていたということも。

「私、シリウスのとこに行ってくる」
「うん、そうしてあげて。あ、ハンカチ……ごめん、今度新しいのプレゼントするから」
「いいよ、そんなの。気にしないで。じゃあね、ジェームズ。お疲れさま」

新しいハンカチ、持っていこう。そう決めてばたばたと走り出したの背中を、地面に座り込んだジェームズはいつまでもぼんやりと見つめていた。
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(08.07.06)