「あの子に、会ったそうじゃな」

本当は、入れたくはなかったのだ。戸口で話すようなことではない、誰か(、、)に聞かれると都合が良くない    そんなことを、言われたから。茶の葉を切らせていましてね。そんな言い訳を、口にする気にもなれない。

「……何を、話したのかね」
「どうしてそのようなことを、あなたに申し上げねばならないのでしょう」

目を見れば噴き出してくるのは憎悪と軽蔑のみだったので、嘆息混じりに脇を見やった。告げる。

「私はもう、あなたの使用人ではないんだ」
「そのようなつもりで言ったのではないよ。じゃが、教えてくれぬか……あの子に、彼女のことを話したのかね?」

    彼女。あんたに、その名を呼ぶ資格などない。

「あなたに教える義理はないな。これは私と彼女の問題だ」

ぴしゃりと言いのけると、長く伸ばした白い髭を腰のベルトに挟み込んだその男は、祈るように瞼を伏せて、その胸元にしわだらけの右手を添えた。祈り……。
遠い昔、何も知らない子供だった頃。この男を慕っていた時代も、あったかと思うと。

「……頼む。あの子には、然るべき時がくればわしから話をする。あの子はまだ、そのための下地を養っている段階なのじゃ。その時がくれば、必ずわしから話をする。だから、頼む、フィディアス    
「そのための下地とは何だ。あんたに『その時』は決してこない」

扉を閉ざした玄関口で対峙した老人に。思いの外、大きな声を出してしまったことに気付いて彼はそれとなく咳払いした。だが勢いはそのままに、続ける。

「自ら語ろうとしない限り、あなたのもとに『その時』は永遠にやってこない。私はもうあなたの使用人ではないんだ、あなたの指図を受ける理由はない。止めたければ杖ずくで止めてみたらどうだ」

男はどこか苦しげに目を細めたが、それがむしろこちらを憐れむようなそれにも見えて殊更に彼の怒りを煽った。あんたは、一体どこまで……。

「本当に、それでいいのかね?今、あの子が『そのこと』を知ったとして……それが果たして、彼女のためになるじゃろうか。彼女の思いを、ジェーンは尊重しようとした    
「聞きたくない。言ったはずだ、私はジェーンとは違う!」

もはや、抑えきれなかった。身体の奥でじんじんと疼く憤怒を本能に任せ、目の前の男に叩きつける。

「あんたは彼女の言葉を自分の利便のために歪めてるだけだ。そうだろう、あの子の未来に歪んだ干渉を加えた以上、あんたが何を言ってもそれはもう彼女のためなんかじゃありえない。俺だって真実を知る人間のひとりだ、どう動くかは自分で決める。あんたの指図は受けない」
「……そうか」

そっと。眠るように瞼を伏せた男は、去り際に、こう言い残した。

「君の意志は、よく分かった。じゃがあの子と向き合う前に、もう一度だけ考えてみてほしい。何が一番あの子のためになるか、どうすべきが彼女の望んだことか」

ドアを閉め、ひとりきりになった部屋の隅で、人知れず膝を抱えてうずくまる。立てた爪は生地を通して食い込み、ほとばしる激情を己の肌に生々しく伝えた。

俺はいつだって、あいつが何のために自分の尊い命を犠牲にして果てたかを考えているさ。

BROTHER and BEST FRIEND

負い目

オーセリーにこっぴどく絞られて、ようやく折れてもらった。三年も務め上げたシーカー。まだまだ、未練は残るけれども。

「ジェームズ、チェイサーになったってほんと?」

談話室でスーザンたちと課題をしていたが通りかかった僕を呼び止めて聞いた。

「ああ、うん。しこたまオーセリーに説教されちゃった」
「お説教には慣れてるでしょ?それより、どうしたの?だってジェームズ、僕にはシーカーしかないんだって」

お説教には慣れている。確かに、その通りだな。俯いて失笑を隠しながら、彼は曖昧に笑った。

「やだな、僕にできないことなんてないよ。ばんばんゴール決めるチェイサーなんてのも悪くないかなって」
「それだけ?」

訝しげにそう聞き返してきたに、ほんの一瞬だけ動きを止めたが    すぐに顔を上げて、にっと白い歯を見せた。

「他に何があるっていうの?」
「それは……分かんないけど」

が不審に思うのも無理はない。隠し通せるとは思っていない。それだけの時間を、共に過ごしてきた。けれども。
部屋に戻ると、案の定ひどい仏頂面をしたシリウスが腕組みしてベッドの脇に腰掛けていた。

「何でシーカーやめたんだ」
「言っただろ。僕には何でもできるって証明したいのさ」
    あいつがシーカーになったからだろ」

何度このやり取りを繰り返してきたか。うんざりと息を吐いて、ジェームズは乱暴にドアを閉めた。自分のベッドにどさりと倒れ込んで、うめく。

「関係ないね。レグルスはバーソロミューが負かす    それだけのことだろ」
「お前がシーカーやめる必要なんてないだろ。お前が負い目を感じることなんかないんだ」
「だから、それはお前の思い過ごしだって言っただろ」

シリウスに背を向けて、眠った振りをしようと目を閉じる。だが続けてシリウスが何か言ってきそうな気配を見せたので、それこそ重苦しくなってすぐさま身体を起こした。

「もういいだろ。どっちみち僕はもうチェイサーだ。お前がどれだけぐちぐち言ったってな」
「おい、ジェームズ    
「うるさいな!それよりのところでも行ってあげたらどうだ?またルーン語のことでひーひー言ってたみたいだぞ」

。その名前を出しただけで、ここ最近はシリウスが面白いほど真っ赤になってすぐさま静かになる。いい気味だ、と胸の中だけでつぶやいてジェームズはさっさと部屋を出て行った。
僕だって、できることならやめたくなかったさ。風のように疾走するスニッチをこの手に掴んだとき、その瞬間に爆発する競技場の熱狂がたまらなく好きだった。この胸に湧き上がる興奮が最高潮に達して一気に燃え上がる。この僕が世界の勝利者だ    そんな妄想にすら、囚われることがあった。あの瞬間が、大好きだった。
でも、仕方がないじゃないか?

「レグルスかー、初めまして。僕、ジェームズっていうんだ。よろしく」

差し出したその手を、レグルスが握ることはなかった。空しく広げた手のひらを、歯がゆい思いでそっと閉じた。
けれどもあの頃から、彼は気付いていたのだろう。この男は自分から、大切なものを奪っていく    悪魔に違いない、と。
あいつは何も知らない馬鹿だと、シリウスは言った。だが本当は、まったくの逆なのではないのか?彼こそが本当は、誰も知らない些細なことに誰よりも先に気が付くのだ。僕には分かる。彼はとてつもなく    それこそ兄の比にならないほど、頭が良い。

間違ったことをしたとは思っていない。だが、後ろめたさは残る。きっと、一生消えることのない。だってそれは、掛け替えのない絆を砕いてしまったことへの罪の意識。

「ポッター」

ふらりと足を伸ばした校庭の隅で、ぼんやりと眼前に広がる湖を見ていた。時折風が流れて水面を揺らしては消えていく。じきに雪が降るだろう。そしてこの城は、一面の銀世界へと生まれ変わる。
おもむろに振り向くと、そこに立っていたのは今まさに回想に耽っていたばかりのスリザリン生だった。

「やあ、レグルス。ひさしぶり。うれしいなあ、君のほうから声をかけてくれるなんて」
「そんな白々しい挨拶は要らない。あんた、チェイサーになったらしいな」
「ずいぶん早耳だね。誰から聞いたの?」
「誰だっていいだろう。それよりどういうことなんだ。初戦までもう三週間しかないのに、何で今になって」
「気が変わったのさ。たまにはポジションチェンジもいいだろ?君こそレギュラーになったそうだね、おめでとう。お母さんもそれはそれは喜んでることだろ」
「白々しいんだ、あんたは昔からずっとそうだ!」

突然弾けたように声を荒げて、レグルスが怒鳴った。不意を衝かれて目を見開くジェームズに構わず、握った拳を解いて自分の胸元を示しながら、続ける。

「何もかも演技なんだろ。あんたを見てるとこのへんがムカムカするんだ。何でもかんでもヘラヘラしながら隠そうとして!僕は選抜チームなんて興味はない。あんたがシーカーじゃなきゃ意味がないんだ」

ひたすら真っ直ぐにその感情をこちらにぶつけてくるところは    まったく、怖いくらいによく似ているな。さり気なく視線を逸らして、囁いた。

「人って……多かれ少なかれ、誰でも演じながら生きてるものじゃないか?」

するとレグルスは一瞬ぐっと息を呑んで口を噤んだが、程なくして先ほどまでの調子を取り戻した。

「そういう知ったような口を利くところも大嫌いだ。僕はあんたがシーカーだからこそエバンの提案を受けたんだ。僕と勝負しろ、ポッター」
「……僕は君と戦うつもりはないよ、レグルス。僕はチェイサーとして全力を尽くす。君はシーカーとしてバーソロミューと戦う    それでいいじゃないか?お互い相手チームだってことは変わらないんだからさ」
「あんたじゃなきゃ意味がないって言っただろ。僕はずっとあんたを憎んできた。僕の家族をめちゃくちゃにしたのはあんただ、ポッター」

恐れていたことを、真正面から突きつけられて    身動きが、とれなくなった。レグルスの家族……シリウスの家族をめちゃくちゃにしたのは、そう、それは紛れもなく。
そのことを思い知らされるのが怖かった。シリウスにとっての、しあわせ。それはが、心の底から願ってくれている。それを奪ったのは    本当は、僕自身だったのかもしれないと。そのことを突きつけられるのが、他の何よりもおそろしかったのだ。

「あんたさえいなければ兄さんはあんな風にならずにすんだ。あんな馬鹿なことを言い出したり、何でもかんでも父さんや母さんに反発したり……僕だって、こんなふうに兄さんと、」

そういってかすれた声を震わせながら、俯いたレグルスはなんとかその続きを絞り出した。

「僕は必ずあんたを負かす。だから僕と勝負しろ、ポッター」

なんと言えばいいのか。ぎこちなく目線を彷徨わせて、沈みきった声でつぶやいた。

「……クィディッチなんて、所詮はただのゲームだ。そんなもので僕に勝ったからといって」
「そんなこと分かってるよ。こんなものであんたに勝ったからといって、兄さんが戻ってくるわけじゃない。でも僕は……こうするより他にないんだ。あんたを一度でも負かさないと    僕はここから、前に進めないんだよ」

その悲痛なまでにこもった声を聞いて。
ゆらりと身体を動かし、ジェームズはレグルスに背を向けて、平らな湖面にあらためて向きなおった。

「分かった。勝負しようか、レグルス。ただ」

そしてゆっくりとそのスリザリン生を振り返って、告げる。

「ひとつだけ、分かってほしい。確かに僕は、シリウスが純血主義と決別するきっかけのひとつになったかもしれない。でも、それだけなんだよ。あいつの中にはもともとそのための土台があったんだ。僕にはあいつを百八十度転換させるような、そんな大層な力なんてないからね。だから遅かれ早かれ……君たち家族と衝突する日は、きっと訪れたはずだよ」
「そ……そんなものはない!兄さんは、小さい頃僕に家柄のこと、何代もずっと続く血筋のこと……それを教えてくれたのは兄さんだ!あんたがおかしなことを吹き込んだから……だから兄さんは、ああやって!」

急に取り乱したように声を荒げたレグルスを、そっと細めた眼差しで見やり。
肩を落として小さく笑いながら、ジェームズは最後の言葉を告げた。

「君は僕を買いかぶってるよ、レグルス。僕にはそんな力、ないんだから」

もしくは彼女ならば、そんなことも不可能ではないのかもしれないが。
声には出さずにそうつぶやいて、彼はレグルスの脇を城へと向かって歩きはじめた。
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(08.06.29)