「フィディアス、恋人は?」
問われたリンドバーグは、ストローを口に含んだまま、さほど間を置かずに言ってきた。
「悪いが俺は子供には興味がないぞ」
「こっ……どもじゃないし、それにそういう意味で聞いたんじゃないです!」
「分かってるよ。冗談の通じないやつだな」
忍び笑いを漏らしながら、どうやら癖であるらしいストロー噛みを始める。は爽やかな刺激の突き抜けるアイスを時折口に運びながら、彼の答えを待った。
「いた時期もあったな。だが昔の話だ」
「何で……別れちゃったんですか?前……手紙で、言ってくれたことがありますよね。大事な人がいるんだったら、一緒に過ごす時間は忘れちゃいけないって。だからフィディアスにも……そういう人がいるものだとばっかり、思ってました」
すると彼は口からストローを離し、心持ち身体を後ろに引きながら青い空を仰ぎ見た。
「いたよ、確かに。だが以前お前に話したそれは……過去の過ちから得た、私の教訓でもあるんだ。俺自身がしくじったんだ、だから恋の相談をされたところで言ってやれることなんて限られてるぞ」
先んじて予防線を張られ、はがっくりと肩を落とした。だがそれでも、聞いておきたかった。覚悟を決めて、口を開く。
「自分がどうしたいのか、どうなりたいのかよく分からなくても……その人と一緒にいたら、分かるでしょうか。いつか、こうなりたいっていう形が……見えてくるでしょうか」
思いの外、彼の答えは早く、率直なものだった。
「形を持たないこともまた、ひとつの形だよ」
「……え、それって?」
「この世には便利な言葉がある。恋人、友人、名付ければそんなものはいくらでも定義できる。だがそんなものでは表せない、そういったものこそが愛と呼べるんじゃないかと
私は、思う」
彼はそう言って、どこか遠いものでも見るような眼差しで、のことを見た。
「大切なんだろう、その人のことが。だったらその人の思いを……どうすれば最も尊重できるか。それを思いやっていれば、あとは自ずと後ろからついてくる。無理して形を決めてしまうことはない」
そして、いつかそういった相手を見つけられたら紹介してくれと、言った。
それが叶うことは、二度となかったけれど。
What's the Happiness ?
ハッピー・アンド・ラッキー
気付けば夏休みもあっという間に過ぎて、新学期は目前だった。けれども今年は今まで以上に、ホグワーツに戻るのが楽しみ。そしてちょっぴり……どきどきする。
「あら、。待たせちゃったみたいね、ごめんなさい」
『漏れ鍋』のカウンターで常連の魔法使いと話していたは後ろから声をかけられて振り向いた。
「あ、ペティグリューさん!ピーターも、久しぶり」
「久しぶり、。元気だった?」
「うん。まあ、そこそこ」
ピーターと新学期のことを二言三言ほど話すと、すぐに意気揚々としたペティグリュー夫人がの前に進み出て言った。
「それじゃあ、早速行きましょうか。ピーター、ひとりでお買い物できるわよね?」
「で、できるよそれくらい。もう子供じゃないんだから」
むっとした顔で、ピーターが言い返す。どうだか、と疑わしげな眼差しを送りつつ、夫人はの背を押して二階の客室のほうへと上がった。
「まあ、、私に相談してくれて嬉しいわ。ラルフくんとはうまくいってる?」
「あ、いえ、その……彼とは、もう」
「あら、ごめんなさい!でも、そうよ、若いうちはたくさん経験を積んでおいたほうがいいわ。メイクは初めて?」
「はい……一回だけ美容院でやってもらったことはあるんですけど、自分ではまだ……」
「そう、でも大丈夫よ。こんなの慣れれば十分もかからないんだから」
の借りている部屋に入り、鏡台の前に彼女を座らせて、夫人はバッグから何やらポーチを取り出しながら片目を閉じた。
「だけどね、」
「はい?」
「最高の美容液は恋だって言われるほどだから、今のあなたにはこんなもの必要ないと思うけど?」
瞬時に耳まで真っ赤になった彼女を見て、夫人は軽やかに声を立てて笑った。
スーザンやラナのようにしっかりしたメイクをしようとは思わなかったが、ほんの少しは大人っぽくなりたいと思って、思い切ってピーターのお母さんに手紙を書いた。夫人は快い返事をくれ、ピーターの新学期の買い物に出てくるとき、喜んでメイクの基本を教えようといった。
そしてこの後……シリウスに、会う予定。
基本的なことを教えてもらい、教科書通りにそれを実践して。気恥ずかしい思いでバーに下りると、すでに買い物を済ませたピーターが戻ってきていた。
「あ、……なんか、ちょっと雰囲気変わったね」
「そ、そうかな。ありがとう」
呆然と立ち尽くしてそんなことを言うピーターに、照れ笑いを返す。すぐ後ろからついてきた夫人は彼女の肩に手を添えて嬉しそうに言った。
「ピーター、あなたの言ってた通り、この子は飲み込みが早いわね。あっという間に覚えちゃったわ」
「そんなことないですよ。ペティグリューさんのお陰です。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、はなぜかまだぼんやりしているピーターに向き直った。
「私、これからシリウスやジェームズと会う約束してるんだけど、ピーターも来る?」
「えっ?ううん……僕はもう、帰らないと。それじゃあ、、またね」
ぎこちない声で言いながら、彼は母親の腕を引いてそそくさと逃げるように出ていった。
どうしたんだろう……変な、ピーター。
「!こっちこっち」
こちらが恥ずかしくなるほどに大きく腕を広げて左右に振っているジェームズは、が駆け寄ると神妙な顔をして真っ先にこう言った。
「非常に残念なお知らせだが、今日はシリウスは来られない」
「へっ?あ、……そう」
そんなつもりはまったくなかったのだが、つい『非常に残念』な思いが出てしまったのだろう。ジェームズは失笑しながらもどこか寂しげに口を尖らせた。
「気持ちは分かるけど、ひどいなぁそんなにあからさまにがっかりされちゃ」
「えっ、そ、そんなことないってば!ジェームズに会えてすっごく嬉しい!」
「その胡散臭い顔、鏡で見たらきっとびっくりすると思うよ。見せようか?ってこれは両面鏡だけど」
言いながらジェームズは懐から小さな丸鏡を取り出した。ぎょっと身構えて、慌てて首を振る。
「いや、いやいやいや……いい、そんなの要らない!」
「なんで?だって率直に言うけど
今日の、すごくきれいだよ。ここにあいつがいないのが僕だって歯痒いくらいだ」
あまりにもさらりと、ジェームズはそう言った。顔を合わせたときは何も言ってこなかったので、ひょっとして気付いていないのかな……と思っていたのに。
水を求める魚のようにぱくぱくとぎこちなく口を動かすににやりと笑いかけて、ジェームズは仕方なく両面鏡を仕舞った。
「実は、ほんとは昨日あいつの家の近くで会うことにしてたんだけど……見つかっちゃったらしくてさ。今日は一日監視強化さ。ごめんね、せっかく楽しみにしてたのに」
「ううん、私はいいの。でも……つらいね、シリウス。そんなにいつもいつも、監視状態なんて」
手紙も、ブラック家に届ければシリウスの手元に着く前に処分されてしまうから、彼と連絡を取ろうとすればジェームズの両面鏡に頼るしかなかった。家族のもとにいるときが、最も不自由なシリウス。いつか通じるよ、と口で言うだけで……結局私は、大切な人に、何もしてあげられない。
「レグルスは……どうなのかな」
「ん?なにが?」
「レグルスも、家にいるときはそんな風に……不自由な生活してるのかなって」
ジェームズはそう思うこと自体が疑問だというように不可解な顔をしながら、言ってきた。
「レグルスは監視される必要なんてないよ。あいつと違って従順だからさ。必死に監視しようとするのはその必要があるからだろ?」
「でも、あの子だってもう四年になるんだし……そろそろ反抗もしたくなるような年頃なんじゃないかなって」
「……どうしたの?レグルスのことが気になる?」
意味ありげな目付きでこちらの顔を覗き込んでくるジェームズをむっと睨みつけて、うめく。
「そういうんじゃないけど。だってシリウスが一番悩んでるのは家族のことで……何か手伝えたらいいなとは思うんだけど、私、シリウスの家族はあんまり知らないし。唯一知ってるレグルスは
シリウスが苦しんでる、『家族の愛』っていうのを一身に受けてるはずなのに……あんまり、幸せそうには見えない」
ジェームズがはっと目を開くのを見ながら、はあとを続けた。
「どっちが幸せなのかなって……どうすれば、
シリウスが幸せになれるのかなって思って」
すると程なくして、うっすらと目に涙を浮かべたジェームズがほとんど抱きつかんばかりの勢いで
だがそれはなんとか踏み止まって、掴んだこちらの肩を揺らすだけに留まったが
何しろ興奮した様子で、に縋りついた。
「っ!き、君ってなんていい子なんだ!僕は感動した!」
「ちょ、やめてよジェームズ、どうしたの?」
「あいつ、こんなに思ってくれる子と巡り合えてほんとに幸せ者だよ!君でよかった、あいつのこと大事に思ってくれてありがとう!」
感極まってそう叫ぶジェームズの姿は、本物だった。それこそきっと、長年のシリウスの苦悩を知っているからこそ、滲み出てくるものなのだろう。そう
強く、思う。
「君がいてくれるだけで、あいつは幸せだと思うよ。だから、僕からも頼む
シリウスのこと、これからも大事にしてやってほしい」
改めてそんなことを言われると、恥ずかしさのあまり頭の中が沸騰しそうだったが。
なんとか笑みを浮かべて、頷いてみせた。
「私も、シリウスといられて、みんなといられて
幸せなんだよ、すごく」