「いいのか?事故とはいえ、
過去があるお前がこの部署でやっていくのは難しいぞ」
「はい、覚悟はできています。父の遺志を
そしてここまで育てていただいた伯父様に報いるためにも、すべてを省に捧げるつもりです」
彼は荘厳な座椅子に腰を据えたまま、やがて向かいのソファに掛ける若い魔女にゆっくりと視線を戻した。
「これからますます忙しくなるぞ」
「はい、そのために今日まで学んでまいりました。全身全霊を懸けて
ミスター・クラウチ」
恭しく頭を下げたその姿を見て、声には出さずに、失笑する。
まったく
あの両親から、どうすればこんな娘が生まれてくるというのだ?
ICE-CREAM CHAIRS
サラリーマン・リンドバーグ
「ふうん……ブラック、ねぇ」
リリーがいかにも胡散臭そうに眉をひそめる。は苦笑しつつ、窓の外に大きなトランクを持った生徒たちが少しずつ増えていくのを見た。
「付き合ってるわけではないの?それは」
「うん、それはまだ……なんていうか、多分お互い、しっくりこないんだと思う。一緒に過ごして、これから……私たちに合う『ラベル』を探していこうって
そんな、感じかな」
早めに城を出たたちは空いているコンパートメントを見つけて乗り込んだ。じきに相席になってしまうだろうが、それまではずっと話しそびれていたことを、休暇前に一気に話してしまう時間が取れる。案の定、シリウスの名前を聞いて、リリーはあまり良い顔はしなかった。
「あんまりこんなこと言いたくないけど……ブラックって、ずいぶんたくさん女の子と付き合ってきたんでしょう?」
「それは……まあ、否定はしないけど。でもシリウスがどうってことじゃなくて、
私が一緒にいたいなって思ったの。もっとシリウスと一緒にいて、もっとシリウスのことたくさん知って……できることなら、好きになりたいなって」
そこでふと、自分の言葉に違和感を覚えて、言い直す。
「ううん、好きなんだけど……なんだろう、もっとシリウスの『特別』になりたくて、もっと……うう、ごめん、自分でもよく分かんない」
「好き、なのね。彼のこと」
「……うん」
好きなのねと言われれば、好きなのだと答えるしかない。急に恥ずかしくなってが下を向くと、リリーは考え込むようにして聞いてきた。
「そんなに好きなのに、それは『恋』とは違うの?」
「……分かんない。なんか、どういう呼び方をしても……的外れって感じがするの。シリウスは、シリウスだから。友達とか、恋人とか……なんか、うまく言えない。シリウスもきっと……同じなんだと思う」
だから、踏み止まる。不用意な固定化は、この関係を壊すことにもなりかねない。そんな危惧が、頭の中から離れなかった。
「信じられるのね。彼の、気持ち」
言われて初めて、そのことの大きさに気付いた。胸の奥がぽかぽかと温まるように、綻ぶ。
「そうだね……自分でもびっくりするくらい、それだけは信じてる。もともと、思ってることしか言えない人だしね」
リリーはまだしばらく難しい顔をしていたが、やがて何かが崩れたように緩やかに微笑んで、肩を竦めた。
「あなたがそんなに言うんなら、応援してる。あなたは他のどんな女の子よりずっと、彼と過ごした時間が長いんでしょうから。いい形に、落ち着くといいわね」
「うん。ありがとう、リリー」
ありがとう。あなたはいつだって、私の選択を尊重してくれる。本当に大人だなと、改めて思った。
と。
「こんなところにいたんだ、。ねえ、ここ、いいかな
その……エバンスさえよければ、」
不自然な笑顔でそう言いながらコンパートメントのドアを開けたのはジェームズだった。すぐ後ろにはシリウスやリーマス、ピーターといつもの面々が揃っている。リリーは一瞬で険しい顔をしたが、決してジェームズのほうは見ずにぶっきらぼうに言いやった。
「生憎だけど、他を当たってもらえないかしら」
「あ、でも、その……もう僕たち四人で入れるところって見つからなくて……それにシリウス!と話したいことがあるんだよな?な?」
「は?いつ誰がそんなこと言った?」
「言っただろさっき、って話合わせろよ気の利かないやつだな!」
「そういうことは事前に言えよ!」
「言わなくても気付けよバカ!」
「
申し訳ないけど、そこ、友達が来る予定なの。だから他のところを当たってもらえないかしら」
小声で詰り合うジェームズとシリウスを、リリーが冷ややかに遮る。ジェームズはすぐさま凍り付いて、救いを求めるようにちらりとこちらを見た。けれども、もう……どうすることもできない。
「他のコンパートメントを探そう。、エバンス、邪魔したね。それじゃあ、また新学期に」
最後を締め括ったのはリーマスだった。名残惜しそうにこちらを見ているジェームズを引きずって、四人で立ち去っていく。ふと振り向いたシリウスと目が合って、はどきりとしながらも軽く手を振っておいた。
憤然と鼻を鳴らして、リリーが窓の外を向く。
「あのスプレーのことがあってから、あの人、何かと話しかけてくるんだけど、私を馬鹿にしてるのかしら?」
「えっ?ま、まさか……」
「あなたはブラックと話したかったかもしれないけど、
私はあの人と同じ空間にいるだけでイライラするの。悪く思わないで」
「うん、気にしてないよ、そんなこと。でも……ねえ、リリー。そんなにジェームズのことが嫌いなのは……スプレーの件があったから?」
聞くと、リリーは思い出すだけでおぞましいとばかりに身震いしながら言った。
「それもあるけど、もともと合わないのよ。あるでしょう、そういうの」
「で、でも……いい人なんだよ、ほんとに。一度ゆっくり話でもしてみたらどうかな?きっと新しい発見が
」
おずおずと提案してみたものの、案の定、ものすごい剣幕で睨みつけられた。
「どうしてそんなこと言うの?少し前から気になってたんだけど、あの人とそろって、何か企んでるんじゃない?」
「なっ!そ、そんなんじゃなくて……」
何も企んでなどいないが、なまじジェームズの気持ちを知っているだけに下手なことは言えない。しばらく考え込んだ挙げ句、ふとの脳裏にそれはぱっと閃いた。
「私はただ、リリーもジェームズも大事な友達だから……だから、仲良くしてほしいなって思ってるだけで……」
リリーが小さくため息を吐いて窓枠に肘を添えたとき、汽笛が鳴り響いてまだホームに残っている生徒たちが慌しく中に乗り込み始めた。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でももう一回だけ言うわよ。
私はあの人が嫌いなの」
「そ、そう……分かった。ごめん」
ああ、絶望的。
ジェームズの気持ちをなんとかしてあげたいとは思っていたのだが、こうもはっきりと撥ね付けられては、にはどうすることもできなかった。
キングズ・クロス駅でリリーと別れた後、はその足で『漏れ鍋』に立ち寄り、いつものようにすぐには暖炉に向かわず、まずトムにトランクを預けて裏口の秘密の通路をくぐった。一年ぶりの、ダイアゴン横丁。この時期に来ることはなかったので、その閑散とした様子に驚いた。新学期が始まる前にはいつもあんなにもたくさんの魔法使いでごった返しているというのに。
なんにせよ、は待ち合わせのアイスクリームパーラーに向かった。ジェームズとも寄ったことがある、こじんまりした、けれども少し、お洒落な店。目的の人物はまだいないようだったので、外のテラスで空いているテーブルに着いた。
と、そのとき。
「背後が空いてるぞ」
刹那、何か柔らかいものを背中に押し当てられては息を呑んだ。同時、ぱっと振り向いてそれが何なのかを確認する。だが真っ先に見えたのは、その『何か』をこちらに押し付けてたたずむ男の姿だった。
「せっ、先生!」
「おや、君はまだ私を『先生』などと呼んでいたのかな、ミス・」
喉の奥で笑いながら、彼は小さな丸テーブルを挟んでの向かいに腰を下ろした。教師だった頃のローブ姿ではなく、ごくごく普通のサラリーマンのようなワイシャツ、だらしなく緩めたネクタイ。もっとも、マグルのそれとはやはりどこか決定的に異なる空気を帯びていたのだが。
彼が手にしていたのは、どういうわけか小さな子供にとって一抱えほどの熊のぬいぐるみだった。あまりに突然現れたことと、なぜ彼がそんなものを持っているかということがまったく理解できずに、呆然と目を見開く。すると彼はにやりと笑っていきなりその熊をこちらに投げつけてきた。咄嗟のことに驚いて、まともにそれを顔面に食らってしまう。たかがぬいぐるみなので、さほどダメージはなかったが。
「なっ、何するんですか!」
「あの程度の攻撃に対処できないようでは、まだまだ学ぶべきことは甚大だな、」
意地悪くそんなことを言いながら、彼は軽く声をあげてフォーテスキューを呼んだ。
「俺はいつものを。、お前も何か頼んでいいぞ」
「え、奢ってくれるんですか?」
「自腹がいいなら無理にとは言わん」
「いいえ!それじゃあ私は爆発サイダーサンデーで!」
遠慮なく他のサンデーよりも飛び抜けて高いものを注文したを見て、リンドバーグは隠しもせずに失笑した。まったく……こんなところまで、お前に似たんだな。
「いつものっていうほど、ここにはよく来るんですか?」
「そうだな、暇があれば。決まったミーティングはこの店ですることもあるくらいだ」
ミーティング。そうか、リンドバーグはここから少し離れた町で働いていると、言っていた。
「今日も仕事終わらせてきたんですよね?今はどんなことやってるんですか?」
「おいおい、企画の内容を部外者にぺらぺら喋れるとでも思ってるのか?それよりお前のほうこそどうなんだ、何か話したいことがあるんだろう」
いきなり核心を突かれて、は黙り込んだ。本当は来年のOWL試験明けまで会わないつもりだったのだが、母のことを聞かないという条件で無理をいって時間を取ってもらったのだ。
けれど……そう簡単に、さらりと言ってしまえるようなことではなく。
「そ、それよりこれ、この熊、どうしたんですか?」
「ああ、それは」
リンドバーグは先ほどフォーテスキューが運んできた水を軽く口に含んで、言った。
「ここに来る前、マグルのゲームセンターで獲った。俺が持っていても仕方ないから、やる」
「……へ?」
「誕生日だっただろう、お前」
当たり前のように言ってきたリンドバーグに、目を丸くしながら、
「な、何で知ってるんですか?」
「気にするな。ほんとはもっと気の利いたものでもやれたらよかったんだけどな、生憎お前くらいの年頃の女の子が気に入るものなんて思いつかなかった」
「い、いいえ、好きです、こういうの。ありがとうございます!」
確かに少し前、は十五歳になったばかりだったが。
まさかリンドバーグが自分の誕生日を知っているとは
おまけにプレゼントをくれるだなんて思ってもいなかったので、本当に驚いた。けれど、心底嬉しかった。スーツ姿でゲームセンターに立ち寄り、熊のぬいぐるみを狙うリンドバーグ……。
顔の筋肉に指令を出して、なんとか笑いを抑えようとしていた矢先、容赦なくリンドバーグの声が飛んできた。
「余計なことは想像しなくてよろしい」
「え、そんな……してません、そんなこと」
「お前は何でもすぐ顔に出る。感情を御せないと思わぬところで躓くぞ」
「そんな……せんせ……えっと、フィディアスだって、すぐに思ってることずばずば言うじゃないですか」
「俺は出してもいいところでしか本音は出さない。仕事に感情を持ち込まないのは大人のルールだ。お前も早いうちにそれを学んだほうがいい。仕事がどうだとかそういったこと以上に、生きるために必要な力だ」
そんなこと、言ったって。お前はすぐ顔に出る、とは、誰からも指摘されることだった。いけないのかな、それでは。変わらなければ……ならないのだろうか。
「変わる必要はない。だが分別をつけることは必要だ」
思っていた通りのことを的確に言われ、は仰天した。前にも一度、感じたことがある……そうだ、組み分けをやり直したとき。ダンブルドアのことを、人の心が読めるのかと勘繰った。
「言っただろう。お前はすぐ顔に出る。それを素直に出してもいい相手と、そうではない相手とを正しく見極めろということだ」
ちょうどそのとき、フォーテスキューが緑色のサンデーとコーラフロートを持って戻ってきたので、話は一旦そこで打ち切りとなった。