「えぇ?リリーに?」
近くの空き教室に入って話を聞いたは非難がましい声をあげた。ジェームズはすっかり項垂れ、座った椅子の上で膝を抱えて縮こまっている。
「……うん、やっちゃった」
「やっちゃったって……それで、どうなったの?リリーは?」
ジェームズは下手な悪戯を仕出かして怒られた子供そのものの表情でこちらを見た。
「多分、フリットウィックかマクゴナガルか……そのへんの先生のとこじゃないかな?スコージファイじゃ取れないから」
「スコージファイじゃなければ取れるの?」
「…………いや、半日は絶対に取れない」
「はっ……!?」
ジェームズの答えに、はしばし唖然と言葉を失った。
「はっ、半日取れないって……な、何やっても?」
「……うん。魔法で取ろうとしたらもっと増える」
「ちょ、それちゃんとリリーに言った?」
「一応言ってはあるんだけど……彼女が僕の言うこと聞いてくれると思う?」
「……どうだろーね」
かんかんに怒ったリリーの様子を想像して、絶望的に嘆息する。彼女ならばジェームズが何を言おうがきっと、自力でか、もしくは彼が先ほど言った先生たちに取ってもらおうとするだろう。早く戻って、決して魔法は使わないようにと言い聞かせなければ。
「……でも、何でそれでジェームズがそんな泣きそうな顔してるわけ?間違えて関係ない人に迷惑かけちゃうことって今までも何回かあったじゃん。まさか罰則が怖いわけじゃないでしょ?」
「まさか!で……でも、だって……エ、エバンスは、の友達だからさ」
「だから?」
『だから』の意味を飲み込めずには眉をひそめたが、急に頬を染めて下を向いたジェームズの姿を見て、突然はっと閃いた。
「ジェー……ムズ、まさか……?」
彼はますます顔を赤くして、抱えた膝の上に突っ伏した。ジェームズのこんな表情……一度も見たことが、ない。
次にジェームズが口を開いたとき、は今度こそ何を言っていいか分からず、ただ呆然と悩める友人の横顔を見ていた。
The course of TRUE LOVE
すんなりとはいかぬもの
「
それで首にタオルなんて巻いてるのね?」
そう言ったニースの視線の先に言葉通りの格好で座っているリリーの形相には凄まじいものがあった。思わず、一年生の仲が悪かったときのことをまざまざと思い出す程度には。
「フリットウィック先生でも取れなかったの?」
「……ええ。どんな魔法も、かえってこの気持ち悪いネバネバを増やすばっかりで」
おぞましげに顔をしかめるリリーの目に見えるところにはその『ネバネバ』は見当たらなかったが、衣服、そして首に巻きつけたタオルの下には、緑色をした粘着性の液体がへばりついている。まともにスプレーを浴びた制服はやはりネバネバが取れないため、早々に着替えたということだった。
「で、でもわざとじゃないし……ジェームズ、は、反省してたよ?」
恐る恐る言ってみたが、やはり鋭い視線でぎろりと睨み付けられた。
「反省?そう、そうでしょう。そして一日も経たないうちに全部忘れるんでしょうね。ええ、あの人はそういう人なのよ。違う?」
「や、べつに……その、忘れてるわけではないと思うんだけど……」
「覚えてるのに同じことを繰り返す?それこそ馬鹿よ、信じられない。もう……ほんとは、かゆくてかゆくてしょうがないんだから!」
ジェームズがフィルチを狙った悪戯に運悪く巻き込まれてしまったリリーは完全に激昂していた。これまでも彼らの悪戯行為、強いて言えば彼らそのものにも決して好意的ではなかったリリーだが、今回の一件でそれが決定的になったらしい。
「ご、ごめんってば……二度とこんなことないようにジェームズには私からも言っておくから」
「あなたが謝ることじゃないけど……でもね、ああいうことを面白がる人間だけがこの城にいるわけじゃないってことをあの人は自覚すべきだわ。そうでしょう?」
「そ……そうだね。確かにそれは、その通りだよね」
一度感情的になったリリーに逆らうのは恐ろしかったので、素直に頷いておく。こっそり視線だけでニースに助けを求めてみたものの、彼女は困った顔で微笑むばかりで何も言ってはくれなかった。
「で、でもね、リリー、ジェームズってほんとはすっごくいいやつなんだよ。ね、ニース?ほんとに友達思いだし、仲良くなったらきっと楽しいと……」
「あの人が友達思いだっていうことは認めましょう。それは認めるけど、だからってあの人と仲良くなるつもりはこれっぽっちもありませんから。きっとお互いにね」
はっきりとそう断言するリリーの目はいたって本気だった。それ以上は何も言うことができず、は膝を抱えてがっくりと項垂れる。
(……望みは薄そうだよ、ジェームズ)
「ええぇっ!リ、リリーが
好き?」
「…………かも、しれない」
そう囁いたジェームズの表情は、いつもの自信に満ち溢れた彼からは遠くかけ離れていた。もじもじと落ち着きなく視線を彷徨わせながら、まるでこの世から消えてなくなりたいとばかりに身を縮めている。は次の言葉を探して必死に考えを巡らせたが、何を言っていいか分からなかったので、結局は最初に思いついたことをそのまま口にした。
「……いつから?」
「いや、それが……僕にもよく分からないんだ。これがほんとに好きってことなのか、それすら自信がなくて。だから……そうだね、いつからって聞かれても……ごめん、自分でも分からない。何にも……分からないんだ」
でも、といって、彼は照れくさそうにを見た。なんだかこちらが恥ずかしくなってしまうほどに、純粋な目をしている。
「ほら、マグル学って
まあルーン語ほどじゃないだろうけど、そんなに人数いないからさ。なんていうか……普段の授業より、いろいろと目につくっていうか」
「……そうだね。それ、分かるよ」
「うん、それで……これはたまたまなんだけど、僕がよく座る席から、エバンスがよく座る席ってちょうど見えやすくってさ。授業中は暇だったし……それにまあ、彼女、可愛いから……なんとなーく、見てることが多くって」
普段ならそこで「授業は聞きなよ」と突っ込むところだったが、今はただ、黙って彼の話を聞いていた。
「……少し前だけど、エバンス、元気なかったときがあるよね?」
「え?」
少し、前。それって……まさか。
「それ……いつ頃の話?」
「いつ頃って……ええと、そうだね。年明けか、そのあたりから……結構、最近まで?なんか授業中もぼーっとしてることがよくあったし」
例の……スネイプのことがあってから、だろうか。まさか、ジェームズが気付いていただなんて。
「強いて言うなら、その頃からかな……いつも元気なエバンスが、どうしたんだろうって……なんとなく気になるようになったんだ
って、あああああ!なに言ってるんだ僕!!」
自分の台詞に混乱したように、ジェームズは頭を抱えて身悶えた。
「ジェームズ……落ち着いて。なにもすぐに答え出さなきゃいけないようなことじゃないでしょう?」
「それはそうだけど……あああ、どうしよう!事故とはいえあんなことになっちゃって……どうしよう、嫌われた、嫌われたよね?ああ……僕、それがショックでショックで……」
「うーん……そのまま逃げてきたっていうのが一番痛かったかもね……」
「うっ!だ、だって……フィルチに追い回されるわ、どうすればいいか分からないわで……気付いたら、つい……」
「それは……ちゃんと謝ったほうがいいよ。いい加減なのって、リリーは一番嫌いだと思う」
いつもの調子でストレートに言い過ぎてしまい、ジェームズが青ざめて俯くのを見て悪いことをしたと思った。だが同時に
好きかどうかも分からないとは言っているものの、結構本気なんじゃなかろうかと想像した。
「でも、リリーにスプレーかけちゃったこと自体はわざとじゃないし……誠心誠意を尽くして謝れば、何とかなるよ!いや、えっと、なるかも?うん、きっとなる!」
「そうかな……うん、でもそうだね、何も言わないとどうにもならないもんね。ありがとう……頑張ってみる」
ジェームズは弱々しく笑って頭の後ろを掻いた。もともとくせのある髪が、あらぬ方向にはねて乱れる。それを直してやろうと手を伸ばしかけたが
どこか後ろめたいものを感じて、曖昧にごまかした。
「ごめん、僕のことばっかり。ところではどうしたの?何があった?」
「えっ?」
すっかり抜け落ちかけていたが、言われてようやく思い出した。もうずいぶんと、昔のことのようにも感じられる。けれど、また彼の体温やその胸の大きさなどを思い出して、かっと身体の奥が熱くなった。
「いや、べつに、その、とくに…………なんでも、何でもないです」
「なんでもない?ないわけないだろ、ここまで、沸騰したみたいに真っ赤だよ」
こちらの両耳を掴んで、少しだけ引っ張るジェームズの指先がひんやりと冷たい。それが忘れかけていた涙を誘うように、かえって鼻頭を熱くした。
「ジェームズ……シリウスって、私のことどんなふうに思ってるのかな」
今度はジェームズが大きく目を見開く番だった。こちらの耳たぶを掴んだまま、まるで信じられないものでも見るかのように、ただひたすら凝視してくる。さらに体温が上昇するように感じては慌てて目を逸らした。
「え、それは……えーと、なんで?」
「だ、だから、べつに……何でもないってば。なんでも……」
「……ひょっとして
あいつのこと、好きなの?」
ようやく手を離しながら、そっと、ジェームズが訊いた。両手で額を押さえつけ、うめく。
「分かんないよ。私にも、何がなんだか分かんない……」
「あいつに何か、言われたの?」
「……言われないから分かんないんじゃない」
なにも、何ひとつ。シリウスは言ってくれなかった。
いや、ただひとつ……残してくれた、言葉は。
「あいつは不器用だから、うまく表現はできないかもしれないけど。でも嫌いな人とは一緒にいないよ。そんな器用なことができるやつじゃない」
「……分かってるよ、そんなの。でも……」
分かんないよ。
なんで。どうして
あんな、こと。
「ひとつ、聞いてもいいかな?」
ジェームズは椅子の上に座りなおして、さほど間を置かずに聞いてきた。
「は、あいつのことどんなふうに思ってるの?」
分かるはずがない。けれども。彼が真摯に聞いている以上、私もまたそれに真摯に答えなければならない。
「……分からないよ。ずっと友達だったし、いろいろ心配してくれて、言い合いするのも楽しくて
つらいのに、家族のこととか話してくれたり、弱いところとか見せてくれて……大事なひとだよ、すごく。それは、分かってるんだけど……」
「それなら、急がなくてもいいんじゃないかな。慌てて出した答えじゃ、誰も幸せにはなれないかもしれない」
さらりと言ってのけたジェームズに、はっとして向きなおる。彼は少し戸惑いながらも、あとを続けてきた。
「あいつと何があったか知らないけど、あいつ、本気だよ」
息が、詰まった。なに。いま
なんて言ったの?
「ごめん、ほんとは僕からこんなこと言うべきじゃないんだけどさ。じれったくて見ていられないんだもの」
「ちょっ……待ってよ。なに、それ……そんな……まさかシリウスが言ったの?」
「いや、あいつは何も言わないけどさ」
「それじゃあ、そんなの……ジェームズの思い違いだよ。だって私たち、ずっと
」
「だったらあいつと何があったか話してみてよ」
鋭く突き刺す、ジェームズの言葉。眼差し。耐え切れなくなって、きつく瞼を閉じた。
「君も知ってるだろ、あいつは別れた後のゴタゴタがいやでグリフィンドールの女の子とは付き合わないって」
「うん……そうだよ、それにシリウスは年上のきれいな人が好きなんだし」
「だからだよ。だから同じ寮の
しかも、ずっと友達でいた君に何か仕出かすなんて、よっぽどの気持ちがなきゃできないよ。そうだろ?」
「………」
そんな、そんなの。
そんなこと、言われたら……。
「困らせたくて言ったんじゃないんだ。でも……何か、あったんだろう?」
気遣うような声音でそっと問いかけられ、はとうとう、その重い口を開いた。
「……急に抱き締められて、びっくりした」
僅かに目を開いて、ジェームズが口を閉ざす。しばし躊躇の沈黙を挟んでから、彼女はぼそぼそと続けた。
「でも、前にもそういうことはあったし、今度も……何かつらいことでもあったのかなって思って、聞いてみたんだけど……何もないって言うし、わけが分かんなくて……シリウス、結局そのままいなくなっちゃって……もう!なに考えてるかちっとも分かんないよ!」
「ははー、そうかなるほど」
「なにがなるほどなの!」
どこか合点がいったように相槌を打つジェームズにすかさず突っ込む。いや、なんでもないよといって首を振った彼は立ち上がって両手を広げた。
「まあ、とにかく……僕から聞いたってどうせ信じやしないだろ?だったら直接あいつに聞いてみたらいい」
途端に突き放されたような気がして、ちくりと痛みを覚える。だがジェームズはにこりと微笑んでの背に軽く手を添えた。
「あいつの口から直接それを聞いて、それからゆっくり考えてみたらいいよ。あいつのこと、大事に思ってくれてるんだろ?」
は答えなかったが、帰ろうというジェームズの呼びかけで、おとなしく彼に従って歩き始めた。
何でもないと繰り返したシリウスが、たったひとつだけ残してくれたのは。
(お前のことは、そんな風にいい加減に思ってるわけじゃ)
ひょっとしたらそれは、不器用な彼にとっては十分すぎるほどの言葉だったのかもしれない。