「お前、もっと言い方ってものがあるだろ?」
背中の後ろから聞こえてくるその音を、ベッドに横たわったまま耳を塞いでなんとか遮ろうとする。無論それは、徒労に終わったのだが。
「のことが心配なのは分かるけどさ、あんな言い方されちゃ誰だって傷付くだろ。お前はいちいち口調がきついんだよ、『絶対』って二回も使う必要あったか?」
「うっせー、俺はこれで十五年やってきたんだ」
「だからお前は傷付けなくてもいい相手を傷付けるんだって言ってるんだよ」
傷付ける?俺の言葉が……あいつを、傷付けている。
「せめてに言ってあげなよ。お前のことが死ぬほど心配なんだ、だからアニメーガスなんて俺のためにやめてくれって」
「バ……んなこと言えるか!お前じゃあるまいし。そういう恥ずかしい台詞はお前の担当だろ」
「誰が決めたんだそんなこと。だいいち僕はフリーのがこの計画に加わるかどうかはの意思に任せるべきだと思ってるね」
「……お前、こんな魔法に本気であいつを……」
「だってピーターの言う通り、はそこいらの魔法使いの中でもよっぽど優秀だろ?でもお前がそんなに心配なんだったら、手っ取り早く、ほんとのこと言っちゃいなよ」
「は?」
ほんとのこと?何のことか分からず、眉をひそめながら身体を起こして後方のジェームズを見やった。リーマスとピーターは図書館に出かけている。意味ありげに笑って、ジェームズは大仰に叫んだ。
「好きなんだ!ってさ」
な
んだって?唖然と目を見開いて、ようやくその言葉の意味に気付いて声を荒げた。
「バっ、バ、バ……バカ言うな!お前、いきなり何言って……な、なな、な、んなわけあるか!」
「あーれー?なに動揺してるんだ?」
空とぼけてニヤニヤと笑みを浮かべながら、ジェームズ。
「お前は俺の大好きなトモダチなんだ!ってさ。あれ?ひょっとして、何か勘違いしてないか?」
「……テメ」
別の意味で真っ赤になりつつ、彼はベッドから跳ね上がってジェームズに詰め寄った。
「テメェ!きたねー真似しやがって!」
「うん?何のことかねシリウスくん。あ、ひょっとして君
」
「それ以上言ったらぶっ飛ばすぞコラ!」
「やれるもんならやってみろ!お前を見てるとじれったくてこっちがイライラするんだよ!まともに友達続けられないくらいならお前が何とかしろ!僕はともっと楽しみたいことだってたくさんあるんだよ!お前が本気だったら僕だって本気で応援する。でもどっちつかずで何でも怒鳴るだけのお前と一緒にいたらこっちが迷惑だ!」
立て続けに突きつけられた言葉の節々に、ひどく胸を痛めるものを感じたが、それよりも苛立ちのほうが勝って彼は腹の底から怒鳴りあげた。
「だったらお前が言ってやれよ!好きなんだろ、あいつのこと!」
するとジェームズが見せたのは、普段は決して見せることのない、失意に満ちた眼差しだった。
「そーか、分かった。勝手に拗ねてろ」
そして緩めていたネクタイを外してベッドに放り投げ、静かに部屋を出て行く。
ひとり残された室内をぼんやり見渡して、シリウスはどこにもぶつけられない鬱々としたものを枕へと叩きつけた。
OFF BALANCE
誰もが最後まで辿り着けないでいる
すき、というのは、どういうことなのか。こんなにも真剣に考えたことは、未だかつてなかった。
女と付き合ったことは、自慢ではないが幾度となくある。四人までは数えたが、途中でめんどくさくなってやめた。美人と並んで歩いているとどことなく気分が高揚したし、いわゆる『女のワガママ』も嫌いではないが、関係がしばらく続くと情事も含めて何もかもが面倒になった。そんなことを、何度も繰り返して。所詮はこんなものだと、割り切っているはずだった。それなのに。
いつからか、そんな当たり前の営みを遠ざけている自分に、気付いた。
ひょっとしてこれが、恋というものだろうか。そんなこともふと考えた。けれど……分からない。あれだけ彼女のことを大好きだと公言するジェームズが、彼女は友達だと確信をもって明言する。
(何でだよ……傍から見りゃ、お前らが一番似合ってるっつーの)
彼女のことが、好きだ。それは疑いようもない。あるところでは尊敬もしている。だが……一体何が友情で、一体何が恋だというのか?もしジェームズが女だったら、俺はあいつに『恋』していることになるのか?……いや、やめよう、気持ち悪い……。
ただ。
疚しい気持ちはなかったものの、あいつを抱き締めたあのとき
思っていたよりも小さなその身体に、どきりと胸が弾むのを感じたのは、確かだった。
あのときからか?気付くと……彼女の姿を、目で追うようになったのは。
(クソ、ジェームズのやつ……分かってる、分かってんだよ、クソ)
そんなことを考えられるほどには、冷静だったはずなのだが。
「あ、いたいた。シリウス、ちょっと話さない?」
のどかな春風にあたり、ひとりで涼んでいた天文台の上で。
今まさに思考の隅々までを埋め尽くしていた同級生の声が背後から聞こえてきて、彼はそのままの勢いで手元の手すりに鼻をぶつけた。
「シリウス!?」
いきなり話しかけたので驚いたのか、俯き加減に佇んでいたシリウスはそのまま手すりの棒に顔を強打した。無音の悲鳴をあげる彼のもとへと駆け寄り、血が出ていないことを確認してからあたふたと声をかける。
「だ、大丈夫?ごめん、でもシリウスってそんなに心臓弱かったっけ?」
「……いや、悪い……ちょっと考え事、してて……少し驚いただけだ、何でもない」
さすがに変形まではしていないが、真っ赤になった鼻先を押さえつけてシリウスは首を横に振った。
「それより……何か用か?」
「あ、えっと……よかったら、話さない?」
その素っ気ない物言いに
もとより、朗らかな反応を期待していたわけでもないが
少なからず怯みながらも、なんとか同じことを繰り返す。彼は訝しげにこちらを見たが、おもむろに前方へと向き直って半分ほど瞼を閉じた。本当に、どんな顔をしたって様になるんだから。
はシリウスと並んで手すりの前に立ちながら、ひっそりと口を開いた。
「あの……こないだの、話なんだけど」
「ああ」
彼は短くそう返した。こちらをまったく見ないところを見ると、話題にあがっている内容については理解しているのだろう。彼女も眼前に広がる湖の向こうにそびえる森や深い山々を見渡してその先を続けた。
「……私、やっぱり動物もどきになるの、やめる」
「あ?」
シリウスが不可解な声をあげながらこちらを向く。その灰色の瞳を見上げながら、は繰り返した。
「やっぱりやめとく。でも分からないことがあったら相談してね、私も一緒に考えるから」
「……なんだ、ばかに素直だな」
「私が素直じゃおかしいですか」
「だって、おかしいだろ」
「おかしくないし!それはシリウスが人を素直にさせないようなことばっかり言ってるからでしょ。ほんとは私だって素直で可愛い女の子なんですよ」
「……自分で言うかよ、それ」
「ってマデリンが言ってくれたの!ちゃんと見てる人は見てるよねー」
「……なんだ。おい、覚えとけよ、お前は知らねーかもしんねーけど女同士の褒め言葉なんてこの世で一番あてにならねーんだってさ」
「そっ、そんなことないってば!」
いや、ある意味それも、真理かもしれないが。いやいや……ちがう、そんなことを言いにきたんじゃない。改まった咳払いをひとつ挟んで、は手すりの上で手のひらを組み直した。
「ほんとはね、みんなの気持ちを……大事にしたいなって思って」
シリウスは眉間のしわをより深くして、何も言わずに黙って彼女の横顔を見つめた。
「ジェームズは、私の好きにすればいいって言ってくれたけど……リーマスも、それにシリウスだって
私のこと、心配してくれてるでしょう?ほんとはみんなと一緒に何かになりたいんだけど……そんなみんなのことやきもきさせるのも気分良くないし。ちょっとだけ悔しいし、寂しい気もするけど、もうあんなこと言わないようにするよ。ごめんね。ありがと」
面と向かって言うのは恥ずかしかったので、言っている間ずっと、シリウスのほうは見なかった。だが彼がこちらを向いているのは分かったので、熱を帯びる頬を隠すように俯いて髪を垂らした。
「ほんとは、私が男の子だったらみんなと一緒にもっといろんなことできるのかなって思ったりもするんだけど」
「……お前、なにくだらねーこと言ってんだよ」
あっさりとそう言ってのけたシリウスに、向き直る。彼はどこか怒ったような顔付きで、真っ直ぐにこちらを見下ろしていた。
「女じゃなかったら、お前今頃はどっか別の、まったく違うところにいるかもしれないだろ」
「………」
考えたことも、なかった。そしてシリウスが、そんなことを言ってくれるとは思ってもみなかった。なぜか突然照れくさくなって、再び手すりに手を置いて眼下の湖を見やる。
「そ、そうかな?」
「そうだろ」
なんか……不思議。シリウスに断言された、ただそれだけのことで、本当にそんな気がしてきた。女だから。女だからこそ、今の私がここにいる。確かにホグワーツ、そして天文台の塔、シリウスのとなり、に。そのことが、幾多の奇跡の重なりのようにも思えてきた。そう、ここにこうしていられるのも……わたしが、わたしだから。シリウスが、シリウスでいてくれるから。みんなが、いるから。
「……ありがとう、シリウ
」
瞼を閉じて、そして開きながら顔を上げると、真剣なシリウスの眼差しと目が合った。ただひたすらに熱く、燃えるような瞳。初めて見る
少なくとも、そう思える視線を一身に受けて、は途端に心臓が跳ね上がるのを感じた。なぜか追い詰められような心地で、ほんの少しだけ、無意識に身体を後ろに引く。だがシリウスは、身じろぎひとつしなかった。
「え、と……シリウス?どうしたの?なんか……その、」
だがこちらの呼びかけに答えることなく、咄嗟に動いた彼の右手がの腕を引き寄せた。あ、と声をあげる間もなく、いきなり抱き寄せられてその腕の中に納まる。突然の出来事に何が起こったか分からず、ようやく自分の置かれた状況に気付いたのは、熱いシリウスの身体に密着した自分の皮膚が燃え上がったときだった。
意味不明な音を羅列しながら、なんとか言葉を発する。
「あ、や、わ、わ、い、あ……シ、シシシシリウス!な、なに、ちょ、どうし、」
彼は何も言わず、ただただきつく背中に腕を回してくるだけだった。身体中が火を噴きそうで、頭の中までも沸騰してしまいそうで。ひたすら理性に働きかけて、泣き出さないようにと懸命にこらえた。
「……シ、シリウス……ちょ、痛い……」
なんとか絞り出すようにして訴えると、彼は磁石が反発でもするかのようにすぐさま拘束を解いた。それでも身体中の熱が容易に引いてくれるはずもなく、真っ赤に染まった頬を押さえつけながら恐る恐る視線を上げる。シリウスは赤くなった顔にこれまで見たことがないような絶望の色を浮かべ、呆然と自分の手のひらを見下ろしていた。
「……ど、どうしたの?なんか……あった?」
これがシリウスでなければ、いきなり何するんだとぶっ飛ばしてやるところだったが、彼にはつらいときに抱き締めてやったという前歴があるので、そう邪険に扱うこともできなかった。もっとも、『なんかある』度にこうして抱き締められていては、身体がいくつあっても足りないが。
もう……いくら友達っていったって、やっぱりこんなことされたらどうしたって意識するじゃない!ぱっと見はすらりとしているのに意外としっかりした筋肉や、独特の服の匂いだったり。ああ、男の子なんだなって。
シリウスの言う通り。一緒になれるはずがない。まったく同じ友情なんて……築けるはずが、ないんだ。
それでも
それに、似たものは。
「……悪い」
「へっ?」
「…………悪かった。忘れろ、さっきのなかったことにしてくれ!」
「ちょっ、まっ!」
こちらを見もせずにそれだけを言って逃げ出そうとしたシリウスの腕を、むんずと掴む。彼はつんのめりそうになりながらも何とか足を止め、こちらにも聞こえるほどその息を乱していた。
「……な、何なのよそれ。わけ分かんない」
「……悪かった」
「なに、謝ってるの?何かあったんだったら……聞くよ?」
「……いや、ちがう。そうじゃないんだ……そういうことじゃ、ない」
「じゃあ何なの?何にもないのに……シリウスって、ああいうことするんだ?」
本当は、今すぐにでも声をあげて、泣きたかった。何がなんだか……分からない。友達……一年のときからずっと、憎まれ口を叩きながらもたくさんの時間を一緒に過ごしてきた。シリウス。私の大切な
ともだち。それなのに、どうして。
だが彼はこちらの台詞を聞くと、ひどく真面目な顔をして歩み寄ってきて、がっしりとの両腕を掴んだ。その真剣な形相に気圧されて、思わず息を呑む。
彼はほとんど独白のような声音で、絞り出すように言ってきた。
「……いきなりあんなことして……悪かった、謝る。でも俺は……お前のことは、そんな風にいい加減に思ってるわけじゃ……ない」
それこそ、いきなり何を言い出すのだろう。要領を得ずに、ただ呆然と瞬きすることしか、できない。そうしている間にも、シリウスは何度かもどかしそうに口を開きかけたが、やがて振り切るように踵を返して出口に向かった。
「ちょっと……シリウス!」
呼びかけると、彼はその場でぴたりと歩みを止めたものの。
「……わるかった」
ただそれだけを繰り返して、開いた扉から出て行った。
(……なによ、何なのよ。いきなり……あんなことして。何の説明もなしにさっさといなくなっちゃうなんて、)
怒りとも悲しみとも困惑ともつかないもやもやしたものを抱えながら、足早に階段を下りる。身体中を支配していた熱はほとんど収まっていたが、あのときの感触を思い出すだけで再び芯から同類の何かが湧き上がってくるのを止めることはできなかった。シリウスが……あのシリウスが、なぜ突然、あんなことを。
抱き締められたことは……初めてでは、ない。けれども去年の学期末に起こったそれは明らかに友達としてのものだった。血筋のこと、家庭の、そして母親のこと……悩み苦しむシリウスは、素直に涙を流せる胸を求めていた。それが分かったから、当時は恋人がいた私だってその求めに応じたのだ。たとえそのことが周囲の誤解を生んだとしても、自分が間違っているとは思わなかった。
でも、今回は違う。
また……何かあったのかと、思った。けれども彼がそれを否定して口を閉ざした以上、どうすればよかったというのだ?同じものは築けない……そう言ったのは、シリウスじゃないか。
(……何があったの?私に……どうしろって、いうのよ)
あのときの感触が、まだこの肌に残っていて。高鳴る鼓動を、抑えることができない。
(当たり前じゃん……だって、あなたは男で、私は女なんだよ
シリウス)
悪かった
そんな風に、言うくらいだったら。
はじめからこんなに、悩ませないでよ。
嘆息混じりに目尻をこすって、突き当りの角を曲がったそのとき。
「いっ!」
果たしてそれが、どちらの発したものだったのか。
はその陰からちょうど飛び出してきた人影と物の見事に正面衝突を果たした。そのまま尻餅をついて、前頭部に走る鋭い痛みにうめき声をあげる。ぶつかった相手もその場に倒れこんだようで、黒い影が丸くなって痛みに悶えていた。
「た、たたったた……すみません、その
って、!」
「え?」
名前を呼ばれて顔を上げると、目の前にしゃがみ込んでいたのはジェームズだった。打ち付けたらしい顎をさすりながら、涙目で言ってくる。
「、探してたんだ!ていうか、君
なんてひどい顔してるんだ!」
「そ、そっちこそ……何で泣きそうになってるのよ?」
あっさりと指摘され、シリウスに抱き締められてからずっとこらえていた涙を流したばかりの目を両手で覆う。だがどういうわけかジェームズも今にも泣き出しそうな、いかにも珍しい顔付きをしていた。