「
だあぁぁぁっ!何なんだ、これは!!」
誰もいない寝室で、枕を自分のベッドに叩きつけながら声を荒げる。別にお前らのこと別れさせようなんて思ってない。お前は女で、俺は男だ。だからお前には分かんねーことが、分かるかもしれない。何かあったら、相談しろ。俺にも何か、してやれることがあるかもしれない。
全部、本音だった。嘘はついてない。ついて、いない。それなのに
それなのに、どうして。
「何でこんなに気持ち悪いんだチクショウ!!」
喉の奥に何か小さなものでつっかえているような不快感に、シリウス・ブラックは飽きもせずに再び持ち上げた枕を頭上から振り下ろした。
Out of sight, out of mind
知らぬ間に
『なんだかソワソワしてるから、私、これは怪しい、何かあるなって思ったの。ほら、乙女の直感よ』
バーサの自慢げな顔を、思い出す。
『それであいつの後を追いかけたら……温室の裏に、リリーがいたの!』
医務室から地下へと下りるこの階段が、この距離が、もどかしい。
『あの二人、しばらく深刻そうに話してたんだけど
あれはきっと、フラれたのね。そしたらスネイプったら、もうガマンできませんって感じで』
いきなり、しちゃったのよ。キス。バーサはどこか不吉なものでも振り払うように、小さく身震いして頭を振った。
『可哀相に、リリーったら泣いてたわ』
許せない。
『だから私、スネイプのところに行ったの。見てたわよ、あんたってひどい男ねって』
そうしたら
このザマよ。バーサは右の頬をそっと撫でながら、疎ましげに顔をしかめた。
『リリーって、誰にでも優しいじゃない?それできっと、勘違いしたのね、あいつ』
スリザリン寮に続く廊下の最後の角を曲がって、はきつく拳を握り締めた。
あの野郎
絶対、許さないんだから!
「スネイプ!」
スラッグホーンのオフィスに続く回廊を曲がったところで、目標の男子生徒を見つけてすぐさま怒鳴りあげる。スネイプはただでさえ虫の居所の悪いところへ厄介なものがきたとばかりに苦々しい顔をして、吐き捨てるように言ってきた。
「何か用か」
「ええ、ええもちろん大有りよ!あんた何様のつもりなの、誰だってね、断る権利ってもんがあるの。それを無理やり……無理やり、キ、キ……キ、キスするなんて、最低よ!リリー……泣いてたそうじゃない。好きな子泣かせていいと思ってんの?」
するとスネイプは一瞬面食らったように瞬いたが、すぐさま顔をしかめてその黒い目に軽蔑の色を浮かべた。
「……あの女か。ぺらぺらと口ばかり軽い、馬鹿な女だ」
ば、馬鹿……確かに彼女の詮索好きと口が軽いことは周知の事実だったが、それをこの男の口から聞かされると反吐が出そうだった。
「そんなことはどうだっていいの!私はあんたの人の気持ちってものをまったく考えないその横柄な態度のことを
」
「お前には関係のない話だろう。大きなお世話だ」
「関係ないと思ってるのはあんただけよ!リリーは私の大事な友達よ!それを傷付けられて、関係ないなんて思ってられるのは冷酷非情なあんたくらいよ!どうせあんたには、その人のために怒れるような友達、いやしないんでしょうから!」
勢いのままに捲くし立ててから、はしまったと思った。いくらなんでも言い過ぎた……かも。だがスネイプはまったく動じた様子もなく、平然と言いのけた。
「ああ、そんなものは要らない。だから僕のしたことにお前が干渉する謂れなんてないはずだ」
「……この、分からず屋!あんたなんかどうだっていいわよ、でもこれ以上リリーに近付かないで!また同じことしたら、今度は私があんたを呪ってやるから!」
するとスネイプはつかつかとこちらに歩み寄り、その黄色い歯を剥き出しにして、にやりと笑った。そのあまりの不気味さにぞっと後ずさると
いつの間にか取り出したらしい杖を喉元に突きつけられて、ごくりと唾を飲んだ。
「これ以上余計なことをぺらぺら喋ると
次は腫れ物ではすまないと、あの女に伝えろ」
「……そのときは、あんたもただじゃすまないわよ。ドレーク先生が、あんたをきっと許さない」
「心配するな。生徒の処罰を決めるのは寮監だ。ドレークが何を言ったところで、最終的な決定はスラッグホーンが下す」
「スラッグホーンはあんたを罰しないとでもいうの?」
「幸い、あの男は『一部の生徒』には甘いからな」
寮監を『あの男』だって?つくづく、尊大な野郎だ。スネイプはふんと鼻を鳴らして杖を仕舞い、の脇を通ってつかつかと歩き出した。
「待ちなさいよ!まだ話は終わってな
」
「女ってやつは、まったくお節介な生き物だな」
ふと足を止めたスネイプが、振り返らずに呟く。は身体ごとそちらを向いて、嫌味たっぷりに切り返した。
「まさかリリーが女だってこと、忘れてるんじゃないわよね?」
するとスネイプはちらりと一瞬だけこちらを向いて、嘲るように付け加えた。
「彼女がそのあたりの女と同じだったら、僕が好きになるとでも思うか」
はしばしの間、言葉を失って呆然とその後ろ姿を見つめていたが。
「と
とにかく、二度とリリーに妙な真似するんじゃないわよ!そのときは私があんたをネズミにでも変えてやるんだから!」
今度は振り返らずに、スネイプの姿は突き当たりの角に消えた。
リリーはすっかり参った様子で、授業を休むことはなかったが日頃の元気をまったく失っていた。彼女は何も言わなかったし、こちらも切り出す糸口を見出せず、二人の間でスネイプの話題があがることは一度もなかった。バーサはの頼みを聞き入れてスネイプとリリーのことは口外しないと約束したので、リリーはきっと彼女がそのことを知っていることにすら気付いていないだろう。
「リリー、今度のホグズミードは一緒に行こう」
の誘いに、リリーは心底驚いたようだった。確認するように壁のカレンダーを見てから、
「だけど、……今度のホグズミード週末は、バレンタインよ?せっかくサイラスと二人で出かける、いい機会なのに」
「いいの!いいの、それより……私、リリーと一緒に、いたい」
ぼそぼそと、尻すぼみに呟く。リリーはしばし黙した後、控えめに口を開いた。
「、あなたもしかして……知ってるの?私が……私が、セブルスと……」
握り締めた拳が、リリーの膝の上で震えている。はその手をそっと包み込んで、告げた。
「言わなくて、いいよ。うん、私……ごめん、知ってた」
面食らったように大きく目を見開くリリーから、ほんの少しだけ目を逸らして、また視線を上げる。
「二人のこと、見てた子がいて……でも、その子、誰にも言わないって約束してくれたから大丈夫だよ。それより、私……ごめん、なんて言ったげればいいか……」
「……そうだったの」
リリーの身体の震えは収まっていたが、項垂れるようにしてぐったりと前のめりになった。その肩を支えて、そっと背中に腕を回す。彼女は縋るようにこちらの胸にしがみついてきた。初めて見る友人の姿に、激しい衝撃の走るのを感じて身震いする。
「……なれなかった。友達だと、思ってたのに」
そのとき、なぜか不意に、あのときのスネイプの声が蘇ってきた。
やつは確かに、彼女を好きだと口にした。
けれども。
ぎゅっときつく拳を握り締めて、告げる。
「友達だって、リリーの気持ち無視して、む、む、む……無理やり……ええと……」
言葉の選択に悩んだ挙げ句、そこは適当にごまかしてはあとを続けた。
「……ごめん。そんなやつ、リリーの方からおさらばしちゃいなよって……口で言うのは、簡単なんだよね」
こちらの肩口に顔をうずめたまま何も言わないリリーの背を撫でて、囁く。
「ねえ、リリー。もし……思い出したくもなかったらほんとに悪いんだけど……正直、あいつにキスされて……どう、思った?」
ぐずぐずと洟を啜る音がして、やがてか細い声で、リリーが言ってきた。
「……よく、分からないの。戸惑ったのがすごく大きいんだけど……初めて、だったから……」
「そっか……」
ファーストキスがスネイプだなんて……だが、自分が考えている以上にリリーには複雑な思いがあるのであろうことを感じて、はただただ、優しく彼女の背を抱き締めた。
「お前、明日はどうすんの?」
それは、不意に訪れた。
不意に、というのは語弊があるか。いつものように、古代ルーン語の時間。ここのところは、ずっとこの授業時間を他の寮の友人たちと過ごしていた。言葉を交わすこともまったくといっていいほどなかったので、セスナと同じように、誰もがとラルフとはとっくに破局したものと思い込んでいた。実際、似たようなものだったが。
そんな、ある日。授業を終えて、レイブンクローのフィービーやラナたちと教室を出ようとしたところ、つかつかと歩み寄ってきたラルフが声をかけてきた。
「、一緒に帰ろうぜ」
面食らったのはだけでなく、フィービーたちも目をぱちくりさせて互いに顔を見合わせた。レイブンクローとは階も同じなので、いつものごとく寮の近くまで彼女らと戻るつもりだったのだ。
「あ、え、と……うん」
「それじゃ、私たちここで。またね、」
ニヤニヤ笑いを残して足早に去っていく友人たちを見送り、ひとりで帰っていくシリウスの背中に一瞥を投げかけてから、はようやく傍らのラルフに視線を向けた。こうしてまともに顔を見るのは……ずいぶん、久しぶりのような気がする。先に歩き出した彼は、何気ない口調で言ってきた。
「お前、明日はどうすんの?」
「へ?あ……」
明日。ちょうどバレンタインの土曜日は、今年二度目のホグズミード週末だった。
「ええと……私は、リリーと出かけるよ」
一呼吸ほどの、間を置いて。一歩先を行くラルフの足が、ぴたりと止まる。つられて立ち止まったは、大きくため息をついたラルフの冷ややかな眼差しがゆっくりと振り向くのを見た。
「お前、俺のことどう思ってんの?」
「どうって……」
それを口に出すことに少なからず躊躇を覚えたものの、ここではぐらかしては、取り返しのつかないことになると思った。目線を外しながら、呟く。
「……好きだよ。いまさら、そんなこと言わせないでよ」
へえ、と白けた声をあげて、ラルフ。
「そうだったのか。知らなかったな、それは」
「……ラルフ?」
彼はこれ見よがしに肩を竦めてこちらに背中を向けた。程なくして、言ってくる。
「もういーや。すっぱり別れようぜ、俺たち。お前も、そのほうがいいだろ」
「……ま、待ってよ。何でそうなるの?リリー、いろいろあって……今、疲れてるんだよ。友達だもん、そばにいたいって思うのは当然でしょう?」
勢いのままに捲くし立てたが、首だけで振り向いた彼の瞳はやはり冷えた眼差しを帯びていた。
「そうやって、俺のそばにいてくれたことがお前に一度だってあったか?」
「……それは、」
「俺ももう、疲れた。これ以上お前のことでこんな思いはしたくねえ」
そのままつかつかと去っていくラルフの後ろ姿を見つめて、は喪失感の中にも、それほどの打撃を受けていない自分に気付いてそのことに驚いた。