しばらく待っていると、校長室からひとりで出てきたのはスネイプだった。激しく怒っているようで、顔を真っ赤にさせて歯を剥きながら、が身を隠しているガーゴイル像の陰にはまったく気付かないまま足早に去っていく。なんだ、あいつ。やっぱり怒ってても……気持ち悪いな。
となると、何か仕出かしたのはあのスネイプか。一体何をやったんだろう。とりあえず、ざまあみろとだけ言っておこう。こんなことを口に出せば、リリーはまたあいつを擁護するだろうか?
スネイプが何をしたのかが気になって、は隠れてスラッグホーンやハッフルパフの寮監ドレークが出てくるのを待った。
「やれやれ……まったく、子供というものは本当につまらないことでつまらないことをやってくれるもんですな。これはこれは本当に、失礼をしました」
「つまらないではすみません、先生。あの子が使ったのは……闇の呪文ですよ?」
やがてガーゴイル像の向こうからスラッグホーンと一緒に下りてきたドレークは、人目を憚るように周囲を見渡しながら小声でそう言った。きょとんと目を丸くして、スラッグホーンが大袈裟に首を振る。
「闇の呪文だなんて!つまらない子供の悪戯ですよ」
「悪戯ですって?『つまらない悪戯』で自分の寮の生徒を傷付けられて、あなたは黙っていられますか?それこそ本当に、些細なつまらないことで!」
「ですからそれは……セブルスには、私からよく言って聞かせますので」
「当然です。二度とあの子が怪しげな呪文で生徒を傷付けたという話は聞きたくないですね。私はこれからもう一度バーサのところへ行ってきます」
「はぁ……それなら、ぜひ私からも一度謝罪を」
「結構です。どうせならそれはあの子本人の口から聞きたいですね。口先だけでない、心からの謝罪を」
ぴしゃりと言いのけて、ドレークは踵を返した。スラッグホーンはほとほと困り果てた様子で肩を竦め、それとは逆方向
オフィスかスリザリン寮にでも戻るのだろう
によたよたと歩き出す。はしばらく像の陰に座り込んだまま、ドレークの消えた方向を見ていた。
an affair after school
目撃者
先ほどの話を総合すると……つまりスネイプが、『つまらないこと』でバーサに呪いをかけたということか?一体、どうして。スネイプが怪しげな闇の呪文に詳しいということは一年生の頃から噂になっていたし、彼が部屋にこもって哀れな動物を実験台にして新しい呪文を開発しているという話までまことしやかに囁かれていた。だが、入学した当初のジェームズやシリウスのように、明確に彼を狙って呪いをかけるような相手ならいざ知らず、スネイプが『無害』な誰かを相手にそうしたことを仕掛けることは、少なくとも彼女の記憶する中では一度もなかった。
彼は、無関心なのだ
きっとリリー以外の、誰に対しても。あの夏、リリーにスネイプのことを打ち明けられ、彼のことを観察するようになってから、はそのことに気付いた。それこそ
人間であることすら、疑いたくなるほどに。
いや、裏返せばそれは、リリーが彼を『人間』に戻すことのできる、唯一の存在ということなのかもしれない。
はその足で、医務室へと向かった。スネイプに呪いをかけられたのなら、バーサはまだそこにいるはずだ。ドレークも、そちらの方向へと消えていった。
案の定、が着いたとき、ちょうど医務室から疲れた様子のドレークが出てきたところだった。彼女は鉢合わせになったを見て口元に笑みを浮かべながらも、やはりどこか影を滲ませながら口を開く。
「こんにちは、。マダム・ポンフリーなら留守にしていますよ」
「え?あ、そうですか……残念だなーちょっと休ませてもらおうと思ったのに。ハハ、ハ……失礼しました」
笑ってごまかせたかは不安だが、はそのままドレークの前から姿を消した。だがすぐ傍の角に身を隠し、教授が立ち去るのを確認してからまた医務室に戻った。彼女の言った通りポンフリーは不在で、がらんとした部屋の一番奥にあるベッドの周囲にだけ、白いカーテンが引いてあった。
「……バーサ?」
いつドレークやポンフリーが戻ってくるか知れない。声を潜めて呼びかけると、程なくしてそのカーテンがばさりと開いて横になったバーサが嬉しそうな笑顔を見せた。
「!どうしたの?見舞いに来てくれたの?おめでとう、友達の中ではあなたが一番乗り」
「……なんだ、元気そうじゃない」
「『なんだ』!?何それ、ひどい。ついさっきまで、ここにこーんな大きな腫れ物ができてたんだから」
言って彼女が示したのは、右の頬だった。確かにその名残か、まだ少しだけ赤みが残っている。だがそれも寝違えたといわれれば納得してしまうほどの些細なものだった。
「でも良かったよ。スネイプに闇の呪いかけられたって聞いて……びっくりしたんだから」
「そう、それよ、それ。ひどいの、聞いてよあのベトベギトギト男!」
べとべとぎとぎと……思い出すだけでちょっと気持ち悪い、あの男の髪、肌。は嘆息混じりに脇の小さなスツールに腰掛けた。先ほどドレークが座っていたのか、まだ少しだけ温かい。
「でもさ、あいつ見境もなく誰彼呪ったりしないじゃない。何かやったの?スネイプ、ずいぶん怒ってたけど」
「あら、あいつに会ったの?そりゃあ、まあ、そうでしょうね」
ふんと鼻を鳴らして窓の外を見やってから。バーサは意味ありげな視線をこちらに向けてきた。
「ねえ……、知ってた?」
「え?何よ……私が知っててバーサの知らないことなんて」
言うとバーサは少しだけ嬉しそうに頬を綻ばせたが、すぐに深刻そうな顔をしてを手招きした。不審に思って眉をひそめながらも、求めに応じて顔を近づける。彼女は無人の室内でも人目を気にするように辺りに視線を走らせてから、ひっそりとその先を続けた。
「スネイプ……あいつも、人の子だったってことよ!」
「はぁ?」
「ねえ、驚かずに聞いてよ?あいつ、今日の放課後どこにいたと思う?」
「どこって……スネイプのプライベート、私が知るわけ……」
「もう!あいつ、あんたのリリーにキスしてたんだから!」
「キっ……………」
予想だにしていなかったことを聞かされて、思考が停止する。キス?あの、スネイプが……一体、誰にだって?
「
えええぇぇーーー!!?」
それを理解したその瞬間、はバーサが両耳を押さえて喚くのも構わず力の限りに絶叫した。
「出て来いスネイプ!」
石の壁の前に立って、はあらん限りの声を発した。一年生の学年末、シリウスと忍び込んで以来のスリザリン寮。とりあえずその当時の合言葉を唱えてみたが扉はぴくりとも動かなかったので、仕方なくは壁の向こうにいるであろうスリザリン生たちに向けて大声を張り上げた。今はただ大切な友達にひどい仕打ちをされたことで頭に血が昇っており、羞恥心などはかなぐり捨ててとにかく今すぐにスネイプを殴りたかったのだ。
なんて野郎だ。リリーはあんなにも悩んで、苦しんで、やっとのことで『大切な友達』の告白を断る決意をしたというのに。それを伝えるのに、どれだけの勇気が要ったことか。変化には並々ならぬ恐怖が伴う。そのことは、にもよく分かっていた。
それなのに、あいつはそんな彼女の思いを踏み躙ったのだ。
「出て来いスネイプ!あんたに大事な話がある!出て来いスネイプ、このー!」
「騒々しいな」
声は、背後から聞こえてきた。はっとして振り向くと、見覚えのないスリザリン生がひとり立っている。どうやら、上級生のようだった。胡散臭そうに顔をしかめながら、その黒髪を掻き上げて言ってくる。
「スネイプなら、ついさっきスラッグホーンのオフィスで見たぜ。あんまりよそ様の寮の真ん前で怒鳴り散らすのは良くないと思うな、ミス・・。まぁ、こんな不躾な訪問にいちいち応じるほどスリザリンの人間はお人好しじゃないがね」
う……なに、こいつ。同じような目で相手の顔を見返しながら、はじりじりと壁伝いにその男子生徒の周囲を回り込んでスリザリン寮の入り口から離れた。
「それは、どうも……失礼しました」
「へぇ、スネイプ
ねぇ。あんた、どうも面白い趣味をしてるようだな」
言っている意味が分からず眉をひそめるも、その蔑むような眼差しにかっと頬を染めて怒鳴りあげた。
「へ、変なこと言わないで!誰が……あんなやつ……」
「あぁ、これは失礼。人の好みは千差万別だからな、てっきりシリウス・ブラックの次は、我らがセブルス・スネイプかと
」
冗談!シリウスのことは、わざわざ否定するのも面倒になってきていた。
「
だ、そうだ。良かったな、兄貴の次はスネイプに鞍替えされたなんて、笑えないだろう」
小馬鹿にするように笑って、彼はそんなことを言った。わけが分からず、何度か目を瞬かせてゆっくり振り向くと
いつの間にやらの背後に立っていた男子生徒は、激しい嫌悪をその瞳に宿し、こちらの存在などまるでないように、じっとその上級生だけを睨みつけていた。
「兄がどんな女と付き合おうと、その女がどんな男と付き合おうと僕には一切関係がありませんし、興味もありません」
「そうかな?そうは言っていられないときがいつか必ず来るぞ」
それには答えず、レグルスはと上級生の脇を通り抜けてさっさと寮の中に戻っていった。合言葉は
小さすぎて、よく聞こえなかった。
「つまらない噂ばかりを持ち出す、つまらない連中だと思っているだろう?」
彼はまた、唐突にそんなことを言った。まったく、何を言っているのかさっぱり分からない。そのスリザリン生はにやりと笑って、傍らの壁に手を添えた。
「だが、誰もが分かりやすいものを見る、目につきやすいところばかりを見る
それが道理だ。あんたの、目には見えないところなんて、俺たちには見えやしないんだからな」
そして先ほどのレグルスと同様、石壁にぼそぼそと合言葉を唱えてあっという間にその姿を消した。
「……なによ、あれ」
苦々しく独りごちて、は他のスリザリン生たちが戻ってくるより先にその場を離れた。