三年連続でクィディッチ杯の初戦を制したグリフィンドール寮は、夜の遅くまで談話室でお祭り騒ぎだった。鼻高々のジェームズは、チェイサーとして今年新しく入団した三年生のバーソロミューがひどく気に入ったようで、厨房    どうやら地下にあるらしい。今度連れていってくれると言った    から頂戴してきたカボチャジュースを浴びせるように飲ませていた。は、リリーがこうした寮全体をあげての宴会に長居するのがあまり好きではないことと、ラルフが同じ空間の違う場所にいるということが重苦しく、早々に部屋に戻ったのだけれど。
    眠れない。ニースも帰ってきて、しばらく三人で話をして、電気を消して、いつものように布団に潜って。

もやもやしたものを拭い切れず、暗闇の中、右手を伸ばして枕元の目覚まし時計を覗くと、明け方の四時だった。寝なおす気にもなれず、ふらりと身体を起こして、何となく談話室に下りる。さすがにドンちゃん騒ぎは終わっていたが、そのまま眠り込んだらしい生徒も少なからずいて、ソファ、はたまた床の上で丸くなっている者をは何人も見つけた。彼らの脇を通り過ぎて、バルコニーに続く階段を上がる。眠れない夜は、こうして空を眺めに行くことがよくあった。

だが、ちょうどドアの向こうで先客と鉢合わせになったのは、これが初めてのことだ。ドアノブを押し開けたはそのままの姿勢で思わず呆然と立ち尽くした。

PROMISE and PIE-CRUST

予期せぬお誘い

手摺りに前のめりになって空を見上げていたシリウスが、ゆらりと振り向いて瞬く。

「……なんだ、お前。こんな時間に」
「そ、そっちこそ、こんな時間まで何やってたの?」
「べつに。涼みたい気分だったんだよ」

涼みたいって。今、何月だと思ってるんだろう。声には出さずに呟いて、はこんなにも冷え込む明け方にコートも羽織らず外に出てきた自分に呆れ果てた。刺すような寒気に、程なくしてくしゃみが飛び出す。両腕を抱え込むようにして身震いする彼女を見て、しっかりとコートを着込んだシリウスが自然な動きでそれを脱ぎながら、こちらに近付いてきた。
ぎょっとして目を見開くをよそに、シリウスは自分のコートを彼女の肩に掛け、嘆息する。

「ったく、何やってんだよ。上着くらい着てこいっての」

瞬間、頭の中を駆け巡ったのは、ラルフの顔と    リンドバーグからの、手紙。そしては反射的にその手を払い除けた。肩から滑り落ちた、彼女には少し大きすぎるコート。間近に立って、不可解な顔をするシリウスを見上げて、はようやく、彼がずいぶんと大きくなったことに気付いた。ばつの悪い思いで、視線を落とし、ぶつぶつとうめく。

「……ごめん。でも、いいってばそんなの」
「……なんだ、お前。かわいくねーな」

かわいく、ない。なによ、そんなの。分かってるわよ。すでにパーマの落ちた髪を撫で付けながら、コートを拾い上げるシリウスに背を向ける。
だがその場を立ち去ることはせず、は彼に背中を向けたまま、そっと口を開いた。

「シリウス……さぁ」
「あ?」
「……シリウス、今まで、何人も女の子と……付き合って、きたよね。しばらく距離置こうって……言いたくなるの、どんなとき?」

彼はしばらく、答えなかった。考え込んでいるのか、それとも。
やがて彼は、平淡な口調で逆に聞き返してきた。

「言われたのか?あいつに」
「……答えなきゃ、だめ?」
「いや。どっちでもいい」

それは本当に、どうでもよさそうな口振りだった。どこか空しさを覚え、下を向く。彼はこちらの答えを待たずに、続けて言ってきた。

「男は    別れたくは、ないもんだ。たとえ、相手にどっか冷めちまってても……女みたいに、あっさり別れようなんて言えない。未練がましい生き物だ、男なんてもんは」

え、うそ?だってシリウス、何度も何度も、それこそあっさりした顔で、『とっくに別れた』って    
意表を突かれて振り向くと、平然とした面持ちで軽く肩を竦めたシリウスはすぐさまこちらの疑念を解決した。

    って、言うやつが多いな、男は。だから、わざわざ自分から別れようなんて言わねーんだ。『しばらく距離を置こう』、で、逃げる。次の女が現れるまでの、保険みたいなもんだな。所詮は」
「ちょ……なによ、それ!」

込み上げてきた怒りと    それとは少しだけ違う、不快感。かっと頬を赤く染めながら、は素知らぬ顔をしたシリウスに詰め寄った。

「ラルフがそうだって言いたいの?大体、あんたなんかちょっとキレイな人だったらほいほい付き合って、またすぐに『別れた』、じゃない!そのあんたが言えること?」
「ほいほい?失礼だな、俺だって誰とでも軽々しく付き合ってるわけじゃ    
「ないって?そりゃあ結構なことね、カッコイイシリウスくんは何もしなくても美人が次から次って声かけてくれるもんね!そりゃあ誰とでも付き合ってるわけじゃないでしょうよ、そりゃあ!」
「テメ……大体、聞いてきたのはそっちだろ!だから俺は一般的な男の心理ってもんを」
「もういい!シリウスに聞いた私がバカだった!」

吠えるように怒鳴りつけて、今後こそ踵を返す。階下に続くドアを潜って右足を踏み出すと、すぐに腕を掴まれて立ち止まらずを得なかったが。きつく握られたシリウスの右手が    氷のように、冷たい。この寒気の中、ずっと外に出ていたのだとすれば当然だろう。
は振り向かなかった。頑なに階段の先を見つめ、唇を噛む。彼女の腕を引き寄せたまま、シリウスは抑えつけた声音で囁いた。

「聞けよ。俺だって別にお前らのこと別れさせようなんて思って言ってるんじゃねーんだ。忘れたか?俺たち……なんだかんだで、それなりに長い付き合いだろ」

それなり、に。彼と初めて出逢ったのは    一年目の、ホグワーツ特急の中だった。愛想のない、無口な……こいつとは仲良くなれそうにないって、何となく思ったっけ。初めはただの、『ジェームズの友達』。それが、いつの間にか。ちょっぴり強引な、ジェームズの策略で。

「ジェームズだけじゃない。俺だって    お前のことは……それなりに、心配してるんだ。そりゃあ、お前のことは、たまにすげーやつだって思うけど……でもこういうことは、てんでダメだろ、お前」
「てんでダメって……ええ、ええ、経験なくて悪うございましたね!」
「いちいち噛み付くなって!それで、その……だから、俺だって……お前とあいつのことは、心配なんだ。だから、その……」

次第に尻すぼみになっていくシリウスの声が途切れ、こちらの腕を掴んでいた右手は力なく脇に落ちた。視線をも外し、ほとんど独白のような声音で、呟く。

「……さっきは、確かに言い過ぎた。でも……そういう男が多いってのは、多分ほんとのことだと思う。お前は、女だ。俺は男で……お前には分かんねーことが、分かるかも、しれない」

俺は男で、お前は女。そんな当たり前のことを聞かされただけだというのに、はこのとき、なぜか高鳴る鼓動を抑えることができなかった。

「だから、なんかあったらまた相談しろ。ひょっとしたら、何か……俺にも、してやれることがあるかもしれない」

まさかこんな申し出をシリウスがしてくるとは思ってもいなかったので、しばし言葉を失って呆然と目を開く。彼がひどくばつの悪い顔で背を向けるのを見て、はようやくありがとうを口にした。

「……私も、すぐに怒鳴っちゃって……ごめん。私も、何かできるかもしれないから……何かあったら、遠慮なく言ってね」
「……ああ。俺の方こそ……ありがとう、な」

結局こちらの顔は見ず、彼は逃げるようにバルコニーを出て行った。ひとりになった屋上でやっと星空を見上げ、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。冬の夜明けは、まだ先のことだろう。凍えながらふと入り口を見やると、丸めたコートが無造作に置いてあった。
その必要があったわけではないが、足音を潜めて歩み寄り、そっと手に取る。彼の温もりが宿ったコートは、ゆっくり、確実にの凍った肌を溶かしてくれた。

「……あいつ、すごい、いいやつ」

くすりと笑い、しゃがみ込んでシリウスのコートを抱き締める。あったかい。あいつ、いつの間にこんな気配りができる男になったんだろう?まさか単に忘れていったとかいうオチじゃなければ、だけど。
こういう付き合い方も、できるんだ。男とか、女とか    それを受け止めた上での、男の子との付き合い方が。

リンドバーグの顔、そして先月受け取った手紙の内容を思い出し、彼女は空を見上げてほくそ笑んだ。
年が明けても、は結局リンドバーグの手紙に記された『困ったときの部屋』をずっと使えないままでいた。授業がどんどん高度になり、課題も嘘のように増えて    もちろん、グリフィンドール生にとって最も過酷なのは防衛術だった    とても放課後の時間を実技の自習に充てるような余裕はなかったのだ。その代わり、リンドバーグのアドバイス通り、変身術や呪文学の実技には特に力を入れた。お陰で二月に入る頃には、クラスのほとんどの生徒が手こずるような呪文を、いの一番に成功させるようになった。

「皆さん、のゴブレットをよくご覧なさい。見事です、。グリフィンドールに十点」

授業中にマクゴナガルがこんなにも満足そうな顔をすることは、滅多にない。そのことが素直に嬉しくて、はゴブレットに変身させた中型のイタチを慈しむように撫でた。

「ここのところ、頗る調子がいいようだね    ?」

。スラッグホーンに名前で呼ばれるのは    ああ、そうだ。入学した頃以来だから……三年ぶり、か。はどこか落ち着かないものを感じながら、お愛想程度に微笑んだ。
彼女はある日、魔法薬学の授業が終わった後、陽気なスラッグホーンに呼び止められてひどく驚いた。彼は悪い人ではない、とリリーが何度か言っているのを聞いたことがあるが、    少なくとも大半の生徒は、お気に入りの生徒をあからさまに贔屓するスラッグホーンのやり方にあまり好意を持っていなかった。薬学の苦手なもほとんど声をかけられたことはないし、それはこの先もきっと変わらないだろうと思い込んでいた。
だが四年目のバレンタインを目前にしたある日のこと、オフィスに呼び出されたはスラッグホーンのお気に入りを集めた例の『スラッグ・クラブ』の誘いを受けて驚きのあまり飛び上がった。な、なんで……だって私、相変わらず薬学は失敗が多いし……。

「フリットウィック先生がえらくご機嫌でね。君の実技の成長は目覚ましいと。マクゴナガル先生もお喜びだよ」
「あ……ええと、そう……ですか。ありがとうございます」

だが肝心の薬学は、相変わらずじゃないか。スラッグホーンの顔はあまり直視できず、しばしばごまかすように視線を逸らす。彼のオフィスは以前と変わらず、生徒たちの    今ではそれが、『スラッグ・クラブ』のメンバーであることが分かる    写真を誇らしげにたくさん飾っていた。

「何か目標でもあるのかな?将来の夢、だとか」

夢。そういえば、考えたこともなかった。将来の、夢……それはこの、魔法の世界で?

「いいえ……そういうわけじゃ、ないんです。ただ……約束、してて」
「約束?」

興味をそそられたのか、スラッグホーンのセイウチ髭がぴくりと動く。はどこまで話したものかと一瞬考えたが、さほど間を置かずに答えた。

「はい……ええと、人と、OWLのことで約束を」
「人と?それはそうだろう、。ユニコーンと約束する魔法使いは珍しいと思うがね?それもOWL試験のことで」

自分のジョークが面白かったのか、くすくすと笑いながら、スラッグホーン。は反応に困ったので、曖昧に笑っておいた。

「OWLで……ベストを尽くすって。約束したんです。だから」
「そうか。約束とカボチャパイの皮は破られるためにあるという諺があるが、なるほど君は感心な生徒だね。気に入ったよ、君にもぜひ私の主催するパーティに来てほしい。お友達のリリーも来るよ」
「あ、ええと……そうですね、都合が合えば」
「他の寮、他の学年の生徒たちと交流する良い機会だと思うがね。ぜひみんなとゆっくり話でもしようじゃないか」

うわぁ……気に入られて、それはいやな思いはしないけど。でもやっぱり、素直には喜べない……というか。大体、何をそんなにゆっくり話すことがあるというのか?『スラッグ・クラブ』といえば、確かロジエールもいたはず。
返事に窮して口ごもっていると、誰かがノックもせずに突然オフィスのドアを開いた。振り向くと、フィルチがうんざりした顔付きで戸口に突っ立っている。そしての存在に気付くと、胡散臭そうに顔をしかめた。

「おや、ミスター・フィルチ。どうかしたのかね?」
「ええ……プロフェッサー。お宅の生徒が、何やらちょっとした問題を起こしたそうでして。至急、校長室までお越しいただきたいと」
「ダンブルドアが?」

仏頂面で小さく頷いて、フィルチ。スラッグホーンは少しだけ困った顔をして、丸い身体を椅子から起こしながらの方を向いた。

「すまないね、。もっといろいろと話したいと思っていたのだが……たった今、フィルチさんから聞いた通りだよ。愛すべきスリザリンの子供たちは、少々冒険が過ぎることがある    もちろん、それは君たちとて同じことだろうがね」
「どうやら今回は、『冒険』ではすまないかもしれませんよ。ドレーク教授はすでに校長室にいらっしゃいます」

いつの間にやら現れたフィルチの猫、ミセス・ノーマが主人の足首にじゃれついている。だがその猫までも、じとりと疎ましげにのことを見た。なんだよ……飼い主ともども、可愛くないの!

スラッグホーンはドレッサーから出したライム色の上着を羽織り、顔をしかめて出っ張った腹を掻いた。

「ドレーク先生?さては……はぁ、まったく困ったものだ……」

ぶつぶつ言いながら、フィルチとミセス・ノーマ、そしてを部屋の外に出して簡単に鍵を閉める。スラッグホーンはまた気楽な笑みを見せ、ぽんと軽くの肩を叩いた。

「またゆっくり話でもしよう。パーティーは私の部屋だ。楽しみに待ってるよ    それじゃあ」

スラッグホーンが背を向けてひょこひょこと歩き出すと、胡散臭そうにちらりと振り向いたフィルチがそのあとに続き、さらに主人とまったく同じ動きをして去っていった黒猫の背中を見て、は思い切り舌を出した。

「はぁ……どうしようかな、パーティー」

リリーがいるので、心細いというわけではないのだが。
そのまま寮に戻る気にはなれず、はスラッグホーンたちの姿が見えなくなってから、こっそりとそのあとを追いかけた。見失っても大丈夫。行き先は、分かっているのだから。
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(08.04.20)
Promise and pie-crust are made to be broken...Jonathan Swift