リンドバーグからの初めての手紙は、十月の中頃に差し掛かったとき、の手元に届いた。はそれまでに、自分の近況を伝えるものを含めて三通の手紙を一方的に送り続けており、いい加減に迷惑だったろうかと不安に思い始めていたので、封筒を裏返したとき『F・リンドバーグ』というサインを見たときは心底ほっとした。
「あら、初めて見るふくろうね。こんにちは」
リンドバーグの手紙を運んできた茶ふくろうを見て、リリーが声をかける。は昼食の胡桃を割って、少しだけそのふくろうに分けてやった。嬉しそうに啄ばむふくろうの嘴が手のひらを突いて……痛い。
「前に話したよね?リンドバーグ先生がお母さんの友達だったって」
「ええ。まさかその手紙、先生から?」
「うん。新学期が始まってから、何度か先生に手紙書いたんだ。多分、その返事だと思う」
「リンドバーグ先生、なんて?」
こちらの会話が聞こえていたらしい。斜め前の席に座っていたメイが、ずいと身を乗り出して聞いてくる。スーザンやマデリンたちも、それにつられてこちらを向いた。慌てて声を落とし、捲くし立てる。
「あんまりおっきな声で言わないでよ……みんなには内緒にしてるんだから」
「どうして?いいじゃない、独り占めなんてずるいわ」
メイはいまだにリンドバーグへの思いを忘れていないようで、の母親とリンドバーグが友人であり、二年後に会う約束をしたと聞いてひどくがっかりしていた。
「だって、先生も忙しいし……みんながみんなふくろう便なんか出し始めちゃったらどうするの?先生、仕事どころじゃなくなっちゃうよ」
「そうね。いくらもうホグワーツの先生じゃないとしても、生徒とふくろう便のやり取りをしてるなんてみんなが知ったら、それじゃあ自分も送って大丈夫かしらって思うかもしれないし。みんなが同じことをしたら、先生のところ、大変なことになるわ」
もっともらしい口振りでリリーが言いやると、メイは頬を膨らませてぷいと明後日の方向を向いた。
「いいわよ、いいわよ別に。私はリンドバーグより、そんでもってラルフよりもっとずっといい男見つけてやるから」
「なっ!何でそこで、ラルフが出て……」
反射的に大声をあげてしまい、の肩で羽を休めていた茶ふくろうは驚いてそのまま飛び立っていった。真っ赤になりつつ口を塞ぎ、恨めしげにメイを睨む。彼女は素知らぬ顔で再びスプーンを動かし始めた。
リンドバーグの手紙を、そっとポケットに仕舞いこんでから、眼球だけを動かしてこっそりグリフィンドールテーブルの向こう側を見やる。
ワットたちと楽しそうに談笑しているラルフは、そんなこちらのことなどまったく気付かない様子で、やがて席を立ち、大広間を後にした。
an unbrief BRIEF
手紙
リリーと一緒に部屋に戻ったは、逸る気持ちを抑えながら封を切った。厚みのある、手紙。それは彼女が送ったものよりもずっと重みがあった。もっとも、三度に分けたものをすべて併せれば、優にこの重量を超えるだろうが。
リンドバーグの字は、あの頃のまま
右上がりの、だが少し丁寧に書こうと試みたのか、以前より読みやすい筆記体だった。
『・様
遅くなってすまない。十月の上旬まで、抱えていた企画の仕事が詰まっていてね。ようやく一区切りがついたので、こうして羊皮紙に向かうことができました。まずは礼を言おう。興味深い手紙を、ありがとう。元気そうで何より。ホグワーツで雇われていたときは、立場上、なかなか踏み込んだ話はできなかったので、こうして個人として君と向き合うことができるのをとても嬉しく思います。進級、おめでとう。私も元気にやっているよ。
さて、まずは防衛術の授業についてだ。残念ながら、私は教職に戻るつもりはない。それを望んでくれる生徒たちのいることは、嬉しい限りだがね。ひとつ、いいことを教えてあげよう。理論は大事だよ。その新しい先生が、理論を中心に教えてくれるのならそれに従っておいて損はない。だが理論のみでは駄目だ。幸い、君たちは良い先生方に恵まれているから、他の授業、例えば変身術や呪文学、理論と実践を共に重視する授業にこれまで以上に力を入れなさい。校長も馬鹿ではない。その先生がもしも君たちの想像するような先生なのであれば、他により良い先生を探し出すはずだ。
そしてこれは、あまり人には話してほしくないのだが、ホグワーツにはいい場所がある。実践の呪文を、先生方に知られずに練習できる場所だ。理論だけではいけない。ぜひ、実践の自習をしてほしい。ホグワーツの外には、君の想像もつかないような危険がいくらでも潜んでいるのだから。
もちろん、君が共有したいと強く願う友人がいるのなら、私にそれを止める権利はない。八階の廊下に、不思議な部屋がある。私や君のお母さんは、『困ったときの部屋』と呼んでいた。私たちの、秘密の部屋だよ。』
はどきりとして、ずっと紙面を滑らせていた視線を止めた。不思議な部屋。リンドバーグやお母さんが、『困ったときの部屋』と呼んでいた
お母さんとリンドバーグの、秘密……。だがそのことに思いを巡らすのはひとまずやめておいて、その先を読み進める。
『それは文字通り、いざというときのための部屋だ。私たちはその部屋を、まだ幼い頃に二人で城の中を探索しているときに見つけた。今の生徒たちの中にも、その部屋の存在に気付いている人はきっといるだろう。ひょっとしたら君も、すでに知っているかな?心の中で強く願い事を唱えながら、像の前を三回行き来するんだ。するとその時々で必要に応じた部屋が現れる。ぜひその部屋で、実践の練習をしなさい。理論は必ず、活きてくる。』
八階の、像の前。ひょっとして……あのときの、ピアノの部屋のことだろうか。あれ以来、一度も見つけられなかったのだけれど。コツ、があったんだ。リンドバーグはそれを、お母さんと一緒に見つけ出した。
『それから、先月の下旬に送ってくれた手紙の中で、君が書いてくれていたことだ。
男と、女。それは誰しも、一度は考えることだろうと思う。男とは何か、女とは何か。性とは。一体いつから、人はその間に壁を感じるようになるのだろうか。実際、壁はある。決して越えられないものが。
君にはきっと、大切に思う異性の友達がいるのだろう。良いことだ、とても。だが同時に、恋人もいる。あまり野暮なことは言いたくないが、これだけは聞いてほしい。ずっと友達でいたいのなら、その人と必要以上に触れ合うことは自粛すべきだということだ。確かにボディータッチは重要なコミュニケーションの一つだが、男女間の場合、使い方を誤ればそれこそ厄介事を引き寄せる要因になりかねない。もう子供ではないのだから、その辺りの線引きは明確にしておいた方がいい。分別を身につけるとは、そういうことでもあるんだよ。』
知っているのだ
リンドバーグは。学年末のあの騒動も……どこかから、聞いていたのかもしれない。
『そして、もうひとつ。どんなに慌しくとも、恋人との時間は少しでも取ること。特別なことをする必要はない。ただ、一緒にいるだけでいい。そしてその時間を大切になさい。その人のことが大事ならばね。言わずとも伝わることなんてないんだよ。思うことがあるならば、伝えたいものがあるのなら、それは口に出さなければ相手には伝わらない。互いの気持ちを知るためにも、共に過ごす時間を忘れてはならないよ。』
時間。共に過ごす、時間。
今からでも、間に合うのかな。もう……ラルフの心は、私から離れてしまっているかもしれない。セスナに、まだ付き合っていたのかと聞かれたとき、自信を持ってそうだとは言えなかった。『別れてはいない』
ただそれだけのことではないか?こんな、宙ぶらりんの状態で。
「……どうしたの?」
「……ううん。なんでも、ないよ。ちょっといいことが書いてあっただけ」
涙のにじむ目を軽く擦ってから、不安げに声をかけてきたリリーに笑いかける。は残りの行数にざっと目を通し、折り畳んだ羊皮紙を元の封筒に戻した。
『たくさん食べて、たくさん学びなさい。身体には気をつけて。それでは、また。
追伸。
私はもう君の先生ではないのだから、先生と呼ぶのはやめてもらえないかな。フィディアスと呼んでくれて構わない。呼びづらければ、リンドバーグでも。ただ、私はこの名があまり好きではないので、できればファーストネームで呼んでもらいたいと思う。
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フィディアス・U・リンドバーグ』