「、最近変わったよなぁ」
「……そうか?」
ベッドの隅に胡坐をかいて、クィディッチ雑誌を覗き込んでいたシリウスが無感動に呟く。だがその背がぴくりと小さく反応したのを、ジェームズは決して見逃さなかった。
「そうだろ。なんか急に女の子っぽくなっちゃってさ」
「それ、単にパーマかけただけの話だろ」
「そこだよ。だってお前、ってそういうことする子だったか?」
夏休みを挟んでヘアスタイルを変えたり、女の子だったらメイクを始めたり、だとか。そうしたことは、別段珍しくない。けれども彼女が多少なりとも評判の黒髪ストレートに緩いウェーブをかけて戻ってきたことは、グリフィンドール寮の中で、ちょっとした話題になった。
シリウスは広げた雑誌の中を頑なに見つめながら、表面上は興味なさそうに、ふーん、などと唸ってみせる。
「まあ、あいつだって一応女だろ」
「一応、ねぇ。そりゃまあ、そっか。なんてったってには恋人がいるもんなー、ラルフって恋人が」
何気ない調子で言いながら、ちらりとあいつの横顔を盗み見る。シリウスは、意地でも膝の上の雑誌から目を離さないつもりらしかった。
「あいつら、まだ付き合ってんの?」
「ああ、別れてはないらしいよ。なんか、いろいろあるみたいだけどさ」
含ませるものを含ませて、告げる。こちらの台詞に友人がほとんど反応を示さないのを確認してから、ジェームズは素っ気無く聞いた。
「お前の方こそどうなんだよ?」
「何が」
「何がって、レイブンクローのクランマー嬢さ」
シリウスはつまらなさそうにこめかみを掻きながら、もう片方の手でページを捲った。
「とっくに終わった」
「あ、そう。お前もそろそろ、一回くらいは真面目に女の子と付き合ってみれば?」
「おーきなお世話だ。お前こそ、どうなんだよ」
「どうって?」
きょとんと目を開いてそちらに向き直ると、シリウスはいつの間にやら雑誌を閉じ、こちらに背を向ける形で立ち上がっていた。振り向かずに、言ってくる。
「
前から思ってたんだ。お前、ほんとはずっとのこと」
なんだ、その話か。嘆息混じりに脇を向いて、頭の後ろを掻く。
「お前もしつこいな。は友達だって言ってるだろ。大体、そもそもとラルフの仲がこじれる原因を作ったのは僕じゃなくてお前じゃないか」
「俺のせい?」
心外だとばかりに眉を動かしたシリウスに、容赦なく告げる。
「忘れたのか?お前が誰に見られてるかも分かんないような状況で不用意に恋人のいる女の子を抱き締めるから悪いんだろ。僕がラルフでも怒るね。お前、そんなことも分からないで女の子と付き合うもんじゃないよ。相手の子に失礼だ」
かっと頬を赤くしたシリウスは一瞬こちらに飛びかかってきそうにも見えたが、すんでのところで踏み止まって足早に部屋を出て行った。ひとり残された部屋の中で、深々とため息をついてベッドに倒れ込む。
……まったく。
を好きなのは、僕じゃなくてお前の方だろう?
BRIGHT SPARKS
鋭いやつと、鈍いやつ
「、少し時間あるかな?」
魔法生物飼育学からの帰り道、慣れない声に呼び止められてはきょとんと振り向いた。一歩進んだ先でリリーも揃って足を止め、声のした方を見やる。歩み寄ってきたのは、同じ授業を受けていたハッフルパフの男子生徒だった。他の寮生たちからは離れ、ひとりでこちらに近付いてくる。
「あ……セスナ。ええと、何か用?」
「悪いんだけど、少しだけ時間をもらいたんだ。いや、すぐに終わるよ」
何だろう。セスナとは顔を合わせても挨拶を交わすか交わさないか、その程度の仲なので、呼び止められる覚えはない。だが離れたところから彼の友人と思しきハッフルパフ生たちが小声で囃し立てるのが聞こえてきたので、何となくその理由に行き当たってどきりとした。
「それじゃあ、私は先に戻ってるわね」
リリーは意味ありげに目配せして去っていき、他の同級生たちも次々に城への道を辿り始めた。セスナの友人たちも彼に合図しながら帰っていき、は彼に誘導されるまま校庭の隅へと向かう。途中グリフィンドール生の集団に紛れたラルフの顔が見えたような気もしたが、気付かなかった振りをしてすぐに目を逸らした。
「付き合ってほしい、」
ひとけのない湖畔の一角で振り向いたセスナはそう言った。まさか、とは思っていたけど、本当に……。
僅かに昂ぶった鼓動を抑えつけるように、セスナの青い瞳から視線を外して、囁く。
「……ごめん、セスナ。でも、私……」
「
好き、なのかい?」
問われ、反射的に顔を上げる。彼は不自然な沈黙を数秒ほど挟み、続けた。
「ブラックのこと」
「……シリウス?」
何で、どうして。みんな、見当違いのことばっかり。
教科書を掴んだ手のひらにきつく、力をこめて、わななく唇を開く。
「何で、シリウス?シリウスは
友達、だよ。私、ラルフと……サイラスと、付き合ってるんだよ?」
「えっ?」
そのことが余程意外だったのか、上擦った声をあげて、セスナ。
「まだ……サイラスと付き合ってたのかい?」
そりゃあ、今はちょっと……離れては、いるけれど。声には出さずに呟いて、咎めるように眉を上げる。少なからず困惑した様子のセスナに、問いかけた。
「私が、シリウスのこと好きって……それ、学年末の……噂の、せい?私とシリウスが、授業サボって一緒にいたって」
「……それはほんと、なんだろう?」
「それは……そうだけど。でも私、シリウスのことはそんな風に思ったこと
ないよ」
それは、嘘じゃない。そりゃあ、あれだけの美形ですから、どきどきしたことがないとは言わないけれど。抱き締められたあのときも、口から心臓が飛び出るかと思ったけれど。でも……そんな、風には。
「それじゃあ、今でもサイラスのこと?」
「……ごめん。気持ちは、嬉しいんだけど」
「いや
いいんだ。胸のつかえは、取れたから。ありがとう」
微かに笑みを浮かべて去っていくセスナの後ろ姿を見つめながら、彼女は己の幸運を強く思った。
先生、私、分からないんです。人はいつから、男と女に分かれてしまったんでしょうか。
何も考えずにただ抱き合えた日々は、確かにあったはずなのに。
こんなことを、書くべきではないと思ったんです。でもどうしても、抱え込むにはつらすぎて。思い浮かんだのは、先生の顔でした。お忙しいのに、本当にごめんなさい。
先生は、母のお友達だったと聞きました。先生と母との間にも、ひょっとしたら似たような経験があったかもしれないと思ったんです。
友達なのに、どうして秘密を共有してはいけないのでしょう。抱き合って語り明かしてはいけないのでしょうか。誰にもそんなことを制限する権利なんてないのに、いつからか私はそれができなくなってしまいました。掛け替えのない、大切な大切な友達なのに。
大人になるとは、そういうことなのでしょうか。だとすれば人はなぜ、大人にならなければならないのでしょう。
私は、大人になんてなりたくはないです。
「みんな、よく見てごらん!ほら、最高だ
理想的な、若草色だよ!」
そう言って嬉しそうにスラッグホーンが掲げてみせたガラス瓶の中で揺らぐ液体を、はぼんやりと見上げた。今日の毛巻き薬もいつものように抜群のセンスでリリーがクラスで最高点を取り、それに続いてスネイプ、ジェームズ、ロジエール……。シリウスはいつからかわざと少しだけ手を抜くようにして、一刻も早くスラッグホーンに愛想を尽かされようという無駄な努力を続けていた。
「うん、まあ……悪くはないよ、ミス・。君の髪の毛程度にはカールするだろう」
僅かに濁った緑色をしたの薬を見てスラッグホーンが苦笑しながら通り過ぎると、スリザリン生たちが密やかに忍び笑いした。無視して、器具を片付ける。悪くなければそれでいいだろう。
リリーと二人で教室を出ようと歩き出したそのとき、ちょうど出口付近に差し掛かったスリザリン生のひとりがこちらを一瞥して姿を消すところだった。これまでが見たことのないような、熱っぽい眼差しで。
思わず息を呑んで、こっそりと傍らのリリーを盗み見る。彼女もまた口を噤んで、ざわめく胸中を落ち着かせようとばかりに目を閉じていた。
脇を通り過ぎていく誰にも聞かれないように、声を落として、尋ねる。
「彼には……もう?」
「……いいえ、まだ。でも、近いうちに、必ず」
彼女は心を決めている。視界の先で遠ざかっていくグリフィンドール生たち
そのうちのひとり、ラルフ・サイラスの後ろ姿を眺めながら、は投げやりに息を吐いた。
私もまた、心を決めなければならない。