そんな、馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……。ひとり、呪詛のようにつぶやきながら足音を忍ばせて移動するは、目標の人物を本棚の向こうに見失って思わず物陰から首を突き出した。
と、そのとき。やはり同様に身を隠していたらしいひとりの男子生徒が姿を現し、いかんともしがたい仏頂面でこちらを睨み付けている。
「何か用か」
「あ、いや、その……べつに」
「だったらついてくるな。気味が悪い」
そう吐き捨てて、馬鹿のように分厚い本を抱えたスネイプは憤然と図書館を出て行った。
He invites MISUNDERSTANDING only
やつもまたオトコだった
「先生!これ以上無理です、さっき変身術も呪文学も、いやってほど宿題が出て……」
「はい?」
黒板に山のような課題を書き付けていた老教授は、首だけで振り向いてとぼけた顔をしてみせる。
「何か言いましたか?」
「先生、僕たち至極真面目ですからこんなにたくさん宿題があると気が変になって病気になりそうです」
ワットに代わり、『至極真面目』そうな顔付きでジェームズが発言すると、教室の至る所から笑い声があがった。その反応に満足したのか、ジェームズはすぐさまにんまりと笑う。
だが教授は軽蔑しきった眼差しで遠目にジェームズを眺め、言った。
「だったら一度勉強のし過ぎで病気にでもなってみたらどうですか」
するとまた辺りで押し殺した笑い声が起こったが、教授のそれが冗談でも何でもないと分かると誰もが口を噤み、思わず身を竦ませた。
聞こえよがしに嘆息し、教授はその冷たい視線を教室中に振り撒いた。
「あなたたちは魔法教育において最も重要な段階の一つにきているのです。それが
何ですか。あの程度の問題で九割を取った生徒が五人もいないとは……情けない」
「だったら先生、僕らに実技の練習させてくださいよ。ずっと教科書ばっかり見てたらやる気が出ません」
負けじとジェームズが言いやると、教授は不機嫌そうに眉根を寄せて再びジェームズを見やった。
「理論を知らずして何ができますか。そういうことは一度勉強のし過ぎで病気にでもなってから言ってください
本日は以上」
「なんだ、あいつ!嫌なやつ!」
その日の午後のジェームズは延々と愚痴りっぱなしだった。ハッフルパフの友人と約束があったため、クィディッチの練習に向かうジェームズと並んで階段を下りる。今年また新たにやって来た防衛術の教授はどうやらスリザリンの出身らしく、必要以上にグリフィンドール生に厳しく当たる嫌いがあった。ジェームズも他の生徒たちと同様リンドバーグの授業を気に入っていたので、そのことへの反発は尚のこと強かったのだ。
「あーやだやだ、これだから蛇なんてろくなもんじゃないよ。リンドバーグ、何で辞めちゃったんだろう?絶対教師って似合ってると思うな」
「そうだね……でも、あんまり子供好きじゃなかったみたい。きっと前の仕事の方が性に合ってたんだよ」
「えぇっ?そうなの?そりゃあ子供大好きって感じじゃなかったけど……でも愛情の裏返しだと思ってたなぁ。でも前の仕事って何やってたんだろ?」
「出版社にいたんだって。ロンドンの、近く」
ごくごく自然に口にしたつもりだったのだが、ジェームズは意外そうに瞬いてこちらを見た。
「何でがそんなこと知ってるの?」
そういえば、学期末のリンドバーグのことは誰にも話していなかった。母がリンドバーグの同級生だったこと、そして交わした二年後の約束のことを打ち明けると、ジェームズは目を輝かせて振り向いた。
「へえ、そうだったんだ!なんだかすごいね、ドラマチックだ!」
「ドラマチック……?まあ、すごい巡り合わせだなぁとは思ったけど」
「それにさ、のパパですら知らないママの秘密を君に話すって言ったんだろう?何だろう、ワクワクするな。わざわざそんな風に君に教えようとするなんて、よっぽどのことだと思わない?すごいよ、ドラマチックだ!」
「何でジェームズが興奮してるのよ」
「だって、気になるじゃないか!何だろうね、リンドバーグってひょっとしてのママと付き合ってたりしたのかな?」
「えっ!ま、まさか……」
「もしかして、君のほんとの父親は私なんだよ、なんて」
「えええっ!!!?」
うろたえて悲鳴をあげるを見て、ジェームズは冗談だよと笑ったが、彼はふと思い出したように目を開いて言ってきた。
「そういえば、どうなってるの?ラルフと」
どう……どうって。
口ごもるに、ジェームズはそっか、と声の調子を落とした。
「まあ、そういうことは急がなくていいよ。ゆっくり、時間をかけて解決しないと後々しがらみが残るだろうしさ」
「うん……そうだよね。しばらく、距離を置こうって言われちゃった……それって多分、そういうことなんだろうね」
ジェームズは驚いたように目を見張ったが、そこで最後の階段に差し掛かったため、また足元を見て段を下り始めた。もそれに続いて足を踏み出す。
「、ひとつだけ覚えておいてほしいことがあるんだけど」
「ん?なに?」
ほんの半歩だけ先を行くジェームズは、振り返らずに答えた。
「ラルフだけが、男じゃないってことさ」
「え?何それ、どういう
」
こと、と聞くよりも先に、ジェームズがふと立ち止まったのでも足を止めて言葉を切った。視線を上げたその先に、新たな人影がひとつだけ見える。
向こうもこちらの存在に気付いたようで、あからさまに顔をしかめながら大きく迂回でもするように広い階段の向こう端に寄って段を上り始めた。
「良かったな、今度の防衛術は蛇贔屓だ。ひょっとしたらネクラなお前らでもよっぽど楽しめるかもな」
スネイプはまるで先ほどの防衛術の教授そのものの冷えた眼差しでちらりとこちらを見やっただけだった。そのまま何事も言わずに擦れ違い、後ろに消えていく。
ジェームズは聞こえよがしに舌打ちし、次第に遠退くその後ろ姿に向けて罵りの言葉をひとつふたつ吐いた。
「フン、やっぱり蛇なんてどいつもこいつも似たようなやつらばっかりだ」
「そうかな……あ、うん、そうかもね」
ジェームズがおかしな顔をしたので、慌てて言いなおす。は何気なく、スネイプの消えた階段の先をぼんやりと見上げた。
「どうかした?」
問われ、思わず大袈裟なまでに首を振る。
「何でもない!何でも、なんでも……」
そして怪訝そうに首を傾げるジェームズと共に、最後の階段を変わらぬペースで下った。
「ええっっ!?スネイプ!!?」
素っ頓狂な悲鳴をあげて後ろに仰け反るに、リリーはまるで誰かが聞き耳でも立てているのを恐れるように二人だけの部屋を視線だけで慎重に見回した。
ようやく声の調子を取り戻して、ひっそりと訊ねる。
「す、すすす……な、何でスネイプ?だって、二人が仲良くしてるとこなんて、今まで一度だって……」
するとリリーはばつの悪い顔で少しだけ微笑んだ。
「実はね、私たち、実家が近くで入学前からの知り合いなの。セブルスには、魔法のことたくさん教えてもらった……魔法だけじゃないわ、魔法界のいろんな機関とか、法律だとか、ほんとにいろいろ」
まさか……だって二人とも、今までそれらしい素振りなんて一度も。
リリーは瞼を伏せて、苦しげに唇を噛む。
「好意は……昔から、なんとなく感じてたの。あんな風に振る舞ってるけど、ほんとは真面目で、とても真っ直ぐな人で……だけど私は、あのままの関係が心地良かった。だから気付かない振りをしてたの……でも」
「だ、だってリリー、スネイプなんかろくに話もしてなかったじゃない!」
まったく予期していなかった名前を聞かされたので、落ち着いたつもりでいてもまだ幾分も動揺していたらしい。再び声が大きくなったは慌てて口を押さえながら、リリーの俯いた横顔をまじまじと見つめた。彼女がスネイプと親しげに話をしている姿は
少なくとも自分は、一度たりとも見たことがない。
確かにリリーがあの『気味の悪い』スネイプを陰で庇うような発言をしたことがあるのは事実だが、それは彼女の人徳ゆえだと信じて疑わなかった。
「それは……セブルスが学校ではあんまり、話しかけてほしくなさそうだったから。彼はスリザリンで、私はグリフィンドール。あまり仲の良い寮じゃないでしょう?寮が違うと、そんなに話をする時間もないし」
「そんな……関係ないよ、そんなの。そりゃあ、何かっていうとうちとスリザリンは対立してるけど……でもスリザリンだっていい子はいるし、スリザリンの中にだってそう思ってる人はいると思うよ。スネイプだって、実際そうやってリリーに告白してきたわけじゃない」
スリザリンにもいい子はいる。それは以前から感じていたことだった。普段は頭の中にグリフィンドール対スリザリンという図式が明確にあるため、どうもそうした意識でスリザリン生を見てしまうことがあるのだが、去年から選択している古代ルーン語の授業を受けてきて、考えが変わった。あのクラスはかなりの少人数制なので、これまで見えてこなかった他の寮の個人個人が傍に感じられるようになったのだ。まだあまり深く付き合っているスリザリン生はいないが、それでも普通に会話を交わす程度には親しくなった。なかなか厄介なルーン語という勉強そのものを共に学んでいるという仲間意識もあるのだろう。
リリーは顔を上げ、困ったように肩を竦めた。
「……そうね。だけど彼が仲良くしてるスリザリン生……私たちのこと、快く思ってないみたい。それで少しずつ、私も人前ではほとんどセブルスに話しかけなくなったの。でも、やっぱり友達ではいたかったから……時々は図書館で一緒に勉強したり、外を散歩したりしてたのよ?あなたと仲良くなったのは二年生のときだから、それまでのことは知らなかったかもしれないけど」
「ちっとも知らなかった、よ……」
ぼそぼそと尻すぼみに呟いてから、は遠慮がちにそのあとを続けた。
「でも……何で?分かんないよ。こんなこと言っちゃ、悪いとは思うんだけど…リリーがそこまでしてスネイプと友達でいたい理由がよく分かんない。あいつのどこが魅力なの?何考えてるかちっとも分かんないし、正直……気味、悪いし。私なら、あんまり友達になりたくないなって思うよ」
こちらの台詞を聞き咎めるわけではないが、やはり多少なりとも表情を曇らせて、リリーが言ってくる。
「言ったでしょう?確かに、誤解されやすい人だけど……でも真っ直ぐな人なのよ、本当は。だから尚更、返事に困ってるの。何て言ったらいいのか……セブルスとはこれからも、いい友達でいたいの。私にとっては魔法界でできた、初めての友達だから」
はじめての、ともだち。その言葉に自然とあの日のジェームズが重なり、は思わず次の反発を飲み込んだ。そっか……リリーにとってそれは、あのねちねち鉤鼻のスネイプだったんだ。
いやだけど。リリーがスネイプと仲良くしてるなんて、ましてや付き合うかもしれないなんて、すごく、凄まじくいやだけど!でも。
「そっか……そうだね。ほんとに……難しい、ね。男と女、って」
どちらかが友達のラインを一線でも越えてしまえば、純粋な友情の存続は困難を極める。思いの食い違いから友達としても破局してしまった、スーザンたちのように。
それが、いやだった。こわかった。だから私は、リーマスにあの頃の気持ちを伝えられなかった。
リリーは寂しそうに微笑んで、そっと瞼を閉じた。
「……そうね。だけど、この世に男と女がなかったら、それはそれで味気ないんでしょうけど。あーもう、ほんとに、考えるだけで頭が痛くなりそう」
そして不意にその目を開き、徐にこちらの顔を見やった。
「、あなた……ポッターからの好意を、感じることはない?」
「へ?こ、好意っていうとその……異性としての、ってこと?ないない、ないよ、そんな……」
思い切り首を振っては強く否定したが、すぐにリリーの疑念とはまったく逆のことが思い当たって、はたと動きを止めた。恐る恐る、口を開く。
「……ジェームズが私のこと好きなのかなとか、思うことはないけど……でも私はひょっとして、ジェームズのこと好きなのかもって思ったことは……ある、よ」
今度はリリーが驚く番だった。慌ててかぶりを振り、そのことだけはしっかり否定しておく。
「ち、ちがうよ!そうじゃなくて……ええと、ひょっとしてって、思ったことがあるだけ。だって内緒話とかですごく顔近付いたりしたときとか……それから、えっと……実はね、二年生のとき、私が聖マンゴ病院に連れてかれる前の夜……医務室に、ジェームズがきてくれたの。そのとき……おでことおでこ、こつんってされて」
うわぁ、まずい。思い出しただけで、顔が熱くなってきた。リリーの反応を見るのが怖くて、思わず下を向く。
「……私
ジェームズとキスしても……いいって、思った」
あわわわ、しまった。こんなこと、言うべきじゃなかった。リリーが何かを言ってくるよりも先に、は急いで言い訳の言葉を探した。
「で、でも結局は何もなかったわけだし、私もジェームズとの今の関係に不満があるとかそんなこともちっともないし!むしろラルフと付き合ってても今までと変わりなく友達として付き合ってくれてるジェームズのこと、ほんとに最高の友達だって思ってるし!だからほんとに、ちらっと『そんなこと』思ったって友情には特に何も響かないっていうか、そりゃあその『ちらっ』とした異性としての気持ちを抑えきれなくなったら、それはもう友達じゃいられないかもしれないけど、でもそんなことは全然ないし、その……」
ああ、どうしよう。何が言いたいんだ私!そもそも何で、こんな話になったんだっけ?
相手の顔色を窺おうと恐る恐る少しだけ視線を上げると、リリーは思い詰めた表情で、その広げた両手で口元を覆っていた。深々と嘆息し、うめく。
「それって……彼、やっぱりあなたのことが好きなんじゃない?」
「えっ!いやだから違うって……」
「違うって言い切れる?ポッターにそう確かめたの?」
「そ、そうじゃないけど……」
まるで尋問でも受けているかのような気持ちになって、しどろもどろに返す。そんなこちらの様子に気付いて、リリーははっと目を見開いた。
「……ごめんなさい。私
羨ましいの。、あなたのことが……とても」
伏せられた彼女の瞼のラインから、一筋の雫がこぼれ落ちる。あまりの事態にぎょっとして、はしばしの間、言葉を失った。
「そんな風に……確信を持てる男友達がいることも、心から好きって思える男の子がいることも。私、どっちも中途半端で……どうしていいか、分からないわ」
「……リリー、好きな人、いるの?」
「少し……気になってる、だけ。でも、だからどうしようとか、まったく思わないし……」
「告白してみたら?距離が変われば、もっと好きになるかもしれないよ」
「……付き合いたいって、思わないのよ。それに……『好き』って、言い切れない。このままの距離で、いいって思うの。本当よ?」
涙を拭い、顔を上げたリリーはなんとか気丈に微笑んでみせた。だがその笑顔がかえって彼女の心の内を反映しているようで、は思わずリリーの背をきつく抱き寄せた。
「……ごめんね、リリー。大したこと、言ってあげられないけど……でも、無理に誰かを好きになる必要なんかないし、スネイプのことだって……やっぱり、正直に伝えるべきだよ。それで離れていっちゃうようなら、その程度のやつだったってこと。ホグワーツにはスネイプだけってわけじゃないんだからさ!初めてできた友達は特別って、私にも分かってるつもり。でもそれで自分の気持ちを偽るくらいなら……そんなの、ない方がまし
でしょ?」
以前に聞かされた彼女の言葉を借りて告げると、そこでようやくリリーは心底おかしそうに笑った。
「そうね……あなたの、言う通り」
そしてこちらの頬を両手でそっと包み込み、かつてジェームズがそうしてみせたように、こつんと軽く額を合わせた。冷えた、リリーの手のひら。けれどもそれは、ゆっくりとの心まで溶かしていくようだった。
「
ありがとう、。あなたに話して、本当に良かったわ」
「そんな……私は、ずっと前にリリーが教えてくれたこと……そのまま、繰り返しただけだよ。今の全部、リリー自身の言葉だよ」
リリーは唇に穏やかな笑みを浮かべたまま、まだ涙に濡れた艶やかな瞼を開いた。
「いいえ。たとえおんなじ言葉でも、私にとっては、あなたの口から出てきたからこそ意味があったのよ。ありがとう、。踏ん切りが、つきそう」
「そう……良かった。何かあったら、いつでも言ってね。私なんかで分け合えることがあったら……こんな身体、いくらだって貸すから」
「ありがとう
十分よ、」
彼女の笑顔を見ていると、改めて思い知らされる。
救われているのは、きっと
いつだって、私の方なんだ。