リンドバーグ先生
しばらくぶりですが、お元気ですか?私たちは、相変わらず日々の課題に追われながら、何とかやっています。四年生に上がったということもあり、先生たちはOWL試験が近いと山のような宿題を出して私たちを脅します。まだ二年もあるのに。
もちろん、私は先生との約束を忘れず、先生がぐうの音も出ないほどの素晴らしい結果を出す予定なので、覚悟しておいてくださいね。
ところで、新しい防衛術の先生はあまり私たちに実践的な呪文を教えてくれません。みんな、先生の授業をとても懐かしんでいます。戻ってきてはくださいませんか?せめてもう一年、OWL前の一年を先生が教えてくれたら、みんな防衛術はきっとパスすると思うんです。去年の先生の授業で初めて防衛術が好きになった友達もたくさんいます。お忙しいとは思いますが、先生の復帰を心から願っている教え子たちのいることを、時々は思い出してみてください。
それでは、お体にお気をつけて。またムーンに手紙を持たせます。
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one's LOVE THEORY
ある朝のこと
例年のように新学期が始まる少し前に煙突飛行で漏れ鍋に到着したは、約束の朝、目覚まし時計の鳴る一時間も前に起き上がった。すっかり冴えた目をこすり、個室に備え付けられた鏡を覗き込んで「げっ」とうめく。
「最悪……」
ほとんど眠れなかったので、当然といえば当然なのだが
両目の下に、黒ずんだクマが目立つ。
錯覚かと思い込もうとし、冷たい水で顔を洗ってから再び眼前の鏡面を見やったが、そこにはやはり顔色の悪い少女がひとり、唖然とした様子で自分を見つめ返していた。
「あーもうやだ!こんなんじゃラルフに会えないよ……」
がっくりと肩を落として、つぶやく。休暇前に何とか二人で話す時間を取れないかと思案したのだが、結局まともに顔を合わせることすら叶わなかったため、は休み中に一度ラルフにふくろう便を出した。一ヶ月後にようやく届いた返事は、短く、簡潔に
『それじゃあ、二十六日の午後二時、マダム・エックルズで。』
もしかしたら返ってこないかもしれないと思っていた分、確かに返事があったのは嬉しかった。
けれども、会って話がしたい、このまま有耶無耶になるのはいやだと感情を込めて書いた手紙にただそれだけの反応というのもまた空しかった。
好きだと、ラルフは言ってくれた。それは
今でも、まだ?それとも……。
にじみ出てきた涙を手元のタオルで拭い、はしわだらけのパジャマを乱暴に脱ぎ捨てた。
「クマを消す魔法?」
簡単な朝食を取り、ミルクを頼んだカウンターの一角で。軽く杖を振って牛乳瓶を取り出してきたトムは困ったように眉をひそめた。
「そうですね……元気が出る魔法だったり、顔色を明るくさせる魔法だったりっていうのはいくつかありますが」
「顔色を明るくさせるって……全体的に黄色っぽくなるやつでしょう?これ以上黄色くなっても仕方ないし……目の下だけパーって明るくなれば」
「なに?ちゃん、これからおデートかい?」
漏れ鍋の常連である白髪の魔女が、少し離れたカウンター席からにやにや笑いを浮かべてこちらの様子を観察している。はトムに手渡されたコップを口に運びながら険悪に目を細めた。
「なにさ、フェーラーばあちゃんには関係ないでしょ」
「おやおや、言ってくれるね。どれだけたまったクマだってほんの十秒で消えちまう夢のような魔法薬を紹介してあげようと思ったのに」
「……要らない。ばあちゃんの薬飲んで、火を吹きながら一日中踊り回ってた人のこと、私が知らないとでも思ってた?」
「さて。何のことやら」
フェーラーは素知らぬ顔で、朝っぱらからすでに五杯目となるアルコールを呷った。はあ、と大きく息をついては手元のミルクに視線を戻す。と、そのとき、表のマグル通りに続く扉から入ってきた客を見て、グラスを磨いていたトムが、あ、と声をあげた。
「ちょうどよかった、ペティグリュー夫人。お宅の商品で、確かクマがすっきり映えるって薬がありましたよね?」
ペティグリュー?怪訝に思って振り向くと、店内に入ってきたのは一組の親子だった。その息子の方が知った顔で、は身体ごとそちらを向いて無意識のうちに呼びかける。
「ピーター!」
「え?あ、?」
ピーターはかなり驚いたようで、目をぱちくりさせながら上擦った声をあげた。その傍らに立つすらりとした中年の魔女が、一、二度息子とこちらとを見比べて、小首を傾げてみせる。
「ピーター、お友達?」
「うん、そう!ほら、話したことあるでしょう?スリザリンから来たっていう……」
言ってから、彼はしまったという顔で恐る恐るを見た。
「……ご、ごめん」
肩をすくめつつ、軽く返す。
「いいよ、そんなの。今更気にしてないから」
「ああ、息子さんとお友達でしたか」
トムはグラスをカウンターの上に置き、歯並びの悪い口元でにこりと微笑んだ。
「ペティグリューさんは個人経営で美容関係の魔法薬を扱っているんですよ。夫人、こちらのさんがクマを消す魔法を教えてほしいとおっしゃいましてね。なにかアドバイスでもあれば」
「ああ……それなら」
言って、ピーターのお母さんはシンプルなハンドバッグの中から一本の小さな瓶を取り出してみせた。
きょとんとするのもとに歩み寄り、笑顔でそれを手渡す。
「私の使い古しで申し訳ないけど、これを目の周りに回し塗りすれば、一時間ほどですっきりするわ。個人差はあるけど、あなたくらいのクマなら問題ないはずよ。あ、ただし、目の周りはデリケートだから、あまり力を入れずに優しくね」
「えっ……いえ、その、そんな……悪いです、そんな!」
「いいの。ピーターのお友達だったら、サービスよ」
お母さんは慣れたように軽くウィンクすると、狼狽するの手にしっかりと小瓶を握らせた。
そしてこちらに次の言葉を言わせないうちに、畳みかけるように言ってくる。
「もっとも、クマなんて作らないですむように今夜からはちゃんと寝た方がいいわよ?分かった?」
「……はい。ほんとに、ありがとうございます」
深々と頭を下げて、は受け取ったガラス瓶をスカートのポケットに入れた。目の前で行われた薬品の受け渡しを不思議そうに眺めていたピーターが、ようやく顔を上げて口を開く。
「なんだかよく分からないけど、良かったね、。僕たちこれから新学期の準備にダイアゴン横町に行くんだけど、はもう済ませた?」
「ううん、私はまだ。明後日リリーと会う予定だから、そのとき一緒に買いに行こうと思ってて。この後はスーザンと約束があるんだ」
「え?スーザン?なんだ、ラルフじゃなかったんだ……」
目をぱちくりさせてピーターがそう言うと、どうやら耳をそばだてていたらしいフェーラーがすかさず口を挟んできた。
「へえ、ちゃんの恋人はラルフっていうのか。坊っちゃん、そのラルフってのはどんな子だい?」
「ばあちゃん!」
「え?えっと、ラルフっていったら……ちょっと背は高めで、プライド・オブ・ポートレーのファンで……」
「ピーター!答えなくていいから!」
虚空を見上げてたどたどしく説明しようとするピーターに歯を剥いて唸りながら、はケタケタと笑う老女をぎろりと睨み付けた。
まったく……フェーラーとはすっかり顔馴染みだが、彼女は自分以外の人間を、からかうためだけの生き物だと生涯信じてきたような魔女で、嫌いではないが、は
どうも彼女を好きにはなれなかった。
当惑して立ち尽くすピーターをダイアゴン横町に続く裏庭へと押し出して、最後にもう一度お母さんに頭を下げる。
「あの……ほんとに、ありがとうございました」
「いいえ。また何か気になることでもあれば、遠慮せずにふくろう便を送ってね。ピーターのお友達なら、お安くしておくわ」
なるほど……こうやって客を引き込んでいくんだ。生まれて初めて商売人の姿を見たような気がして、は息子の後を追って店内から姿を消した魔女の後ろ姿をぼんやりと見送った。カウンターに戻ってすっかりぬるくなったミルクを口に含みながら、声には出さずにつぶやく。
……ラルフって、プライド・オブ・ポートレーのファンだったんだ。
「えー!ほんとに?すごい、ちっともクマなんて見えないじゃない。ペティグリューのお母さんって、よっぽど腕のいい調合師なのね!」
「なんなら、残りの薬、あげるよ。私はとりあえず今日のクマをどうにかしたかっただけだから」
「えっ、ほんとにいいの?」
「うん、もともと私のものになるはずじゃなかったものだし」
「ありがとう、!」
小瓶の中身は少ししかなかったが、スーザンは嬉しそうにそれをバッグの中に仕舞い込んだ。もっとも、彼女にそれが必要だとはあまり思わなかったが。
ピーターのお母さんからもらった薬を言われた通りに目の周りに塗り込むと、漏れ鍋を出掛ける頃には黒ずんだクマがすっかり明るい色に変わっていた。あまりの効果にびっくり仰天し、約束の場所に
飛んでいくや否や、は同級生のスーザンに興奮しきってそのことを話した。
すごい、運が良かったわねと笑ってみせたスーザンも、目的地へと向かいながらふとその顔を曇らせる。
「でも、どうするの?ラルフ、学期末はずいぶん怒ってたわよ」
「そうなんだよね……なんて言ったらいいんだろ。シリウスとは、ほんとに何にもないのに……」
「でも選択授業をサボって一緒にいたっていうのは事実なんでしょ?おまけに抱き合ってたなんて、弁解のしようがないわよ。勘ぐるなって方が無理」
「……そういう言い方しないでよ。シリウスもいろいろ悩んでて……確かに、励ましたはしたけどさ。ていうか、何でバレちゃったんだろ?誰かに見られてたのかな」
「あ、それは、調子が悪くて医務室に向かってた子がいたんだって。その子が、たまたま」
ずいぶんと間の悪い偶然があったものだ。だが今更、そのことをどうこう言っても仕方がない。嘆息混じりに首を振って、は傍らの友人を見やった。
「そういえば、スーザンは?セオドリックと仲良くやってる?」
「あら、言ってなかったっけ。別れたわよ、とっくに」
「えっ?」
寝耳に、水。素っ頓狂な声をあげて、は思わず歩みを止めた。数拍遅れて、立ち止まったスーザンが首だけで振り向く。
「わ、別れた?い、いつ?」
「そうね……試験前だったから、ちょうど二ヶ月くらい前かな」
「聞いてないよ!何で?スーザンたち、仲良さそうにしてたじゃない!」
「なんていうのかな……二人でいることに疲れたのよ。セオドリックのこと、好きは好きよ?でも敢えて恋人っていうスタンスでいる必要性を感じなくなったっていうか……うーん」
考え込むように天を仰ぎ見てから、スーザンは諦めの印に小さく肩をすくめた。
「うん、要はよくよく考えてみれば友達だったってことね」
「へ、へぇ……ねえ、恋と友情の違いって何なのかな?」
すると彼女は待ってましたとばかりに瞳を輝かせ、開いた距離をすぐさま縮めてに詰め寄った。
それに気圧されて思わず後ずさると、スーザンは上半身を屈めてこちらに顔を近づけ、囁く。
「私も、ずっとそれを考えてたのよ。何が違うんだろう、どうして友達じゃいけないのかしらって」
「……あれ。でも、告白したのはスーザンなんでしょ?」
「だからよ、何で友達のままじゃいけないと思ったのかしら?って。確かにあのときは我慢できなくて私から告白したんだけど、なんていうか……違ったのよね、何となく」
「違った?」
スーザンは自分と同じく三年生のバレンタイン頃からセオドリックと付き合い始めたため、二人の動向はも気にかけていた。それなのに……二人は、とっくに別れていただなんて。けれども試験前といえば自分もラルフやシリウスのことでいっぱいいっぱいだったので、スーザンは敢えて何も話してくれなかったのかもしれない。彼女は背筋を伸ばして再び視線を上向かせながら、眉をひそめて唇を尖らせた。
「何かが『ちがう』って感じてた。何が違うんだろう……『ともだち』で良かったはずなのにって。それでね、私、思ったの。あのときは、彼を他の子には取られたくなくて告白したけど、それって別にセオドリックが好きってことじゃ
ええと、男の子として好きってことじゃなかったんじゃないかしら?って。じゃあ、何で勘違いしたんだろう、『好き』って何なのかしら?って」
「それで……結論は?」
「急かさないでよ。まぁ、お望みなら教えてあげるけど、私の持論」
そしてスーザンは、どこか人目を気にするようにこっそり辺りを見渡し、傍を通りかかる人たちが誰もこちらに気を取られていないことを確認してから言ってきた。
「要はね、その人と『したい』って思うかどうか」
ん?したい。シタイ?友人の言葉を何度か頭の中で繰り返し、不意にその意味に気付いたは耳まで真っ赤になって上擦った悲鳴をあげた。
「なっ!な、な、なな……何言ってんの、スーザン!そ、そんなの……そんなこと考えてから付き合ったりするわけないじゃん!第一、私たちまだそんな年じゃ……」
「あら。あなたってばずいぶんと古い物の考え方をするのね。私たち、もうすぐ十五になるのよ?あ……それとも、ってアレがまだ……」
「ち・が!そういうことじゃなくてさ……」
大慌てで周囲を見回し、は強引にスーザンの腕を引っ張って脇の小道へと入り込んだ。声量を落として、必死に捲し立てる。
「『アレ』はもうきてます!そういうことじゃなくて……私たちまだ十四だよ?そういうのって、まだまだ大きくなって、もっといろんなこと勉強して……」
するとスーザンは隠しもせずに大きく噴き出した。あまりの反応にぽかんと口を開けると、喉の奥で可笑しそうに忍び笑いを漏らしながら、スーザン。
「って、そういうところはびっくりするくらい頭が固いのね。一体いつの考え方よ?それとも日本ではそうなの?もしくはマグルが?ラルフ、かわいそー」
はむしろ、スーザンのその反応に驚いて言葉を失った。古い考え?頭が固い?どこで身に付いた考え方なのか……判然とはしなかったが、それでもイギリスで過ごすようになってから特にそうしたことを意識する機会はあまりなかったので、日本で染みついたものではあるのだろう。そんなにも古くさい考え方だろうか?
「だったら……ええと、まさか、その……スーザンは、セオドリックと?」
「やーね。だから『ちがう』って言ったでしょう?何となく、違うなーって。いざってときになって、なんだか違和感があったのよね。だから別れたの。私たち、友達が一番だなって」
そうだったんだ。ラルフとキスをすることはあっても、そうしたことはまるで考えたことがなかったのでは当惑してしばし口を閉ざした。やや間があって、ようやく問い掛ける。
「それでセオドリックは、イエスって?」
「ううん。俺のどこが気に入らないんだーって泣きつかれてめんどくさくなったから、そういうとこが嫌になったって言って喧嘩別れよ」
「……スーザン、ひどい」
「ひどい?言っておくけど私は彼と付き合ってるときに他の男と抱き合ったりなんてしませんでした」
ぐさりと心臓を抉られて、次の言葉を失ったは恨めしげにスーザンを睨み付けた。
「一番気にしてるのに……」
「だったら自分のことを棚に上げて他人の選択にケチをつけないでほしいわね。私からすればラルフをあんなに怒らせたあなたの仕打ちの方がよっぽどひどいわよ」
ひどい、ひどいひどい。だが反論できずにが沈黙すると、大きくため息をついたスーザンはの頬を軽く抓りながら小さな子供にでも言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。
「だから、今日は勝負の一日よ!あなたがどれだけラルフのことを好きかってことを行動で示して、学期末のことは水に流してもらう!それが無理でもなんとかラルフに許してもらうこと!分かってる?」
「……ひゃ、ひゃひゃってひゅ」
両方の頬を引っ張られているのでうまく発声できずにわけの分からない腑抜けた音になってしまったが、満足げに頷いてスーザンは手を離してくれた。
「それじゃ
少し遅くなったけど、とりあえず行きましょうか」