クィディッチの結果よりも、今まさにトロフィー室でトロフィー磨きをしているはずのラルフと、図書館でマダム・ピンスにこき使われているであろうシリウスのことが気掛かりだった。ジェームズはここのところいつも以上に調子が良かったし、昨年のクィディッチ杯を制したこともあって、彼のシーカーとしての腕は信用していたからだ。苦戦は強いられたものの、ジェームズは今年もロジエールとの一戦に勝利し、グリフィンドールは二年連続のクィディッチ杯を手に入れた。そのことを知らせようと、真っ先にトロフィー室へと向かう。

階段を上りきったとき、その少し先にあるトロフィー室に足を運ぶことには少なからぬ躊躇いがあった。あの日以来、まともに顔も合わせていない。古代ルーン語の授業でも、あからさまに避けられてばかりで。シリウスに諭されたあの後も、結局ラルフを訪ねることはできずにいた。

「ラルフ……はかどってる?」

そっと声をかけて、トロフィー室を覗き込むと。山のようなトロフィーに囲まれたラルフは、拭き取り用の布を放り出して気だるげに胡坐をかいていた。こちらの存在に気付くと、すでに腫れの引いた顔を少しだけ上げたが    すぐに目線を逸らして、落ちている布と次のトロフィーを手元に引き寄せる。やっぱり……まだ、怒ってる。それとも、このまま、本当に。

「ごめん……邪魔だったかな」
「何か用か?」
「え、と、その……勝ったよ、クィディッチ。グリフィンドールの、優勝」

大雑把にトロフィーの側面を拭き始めたラルフは、さほど関心もなさそうに、へえ、とだけつぶやいた。

「そりゃー良かった。めでたいな」
「……うん。だから、この後、みんなで宴会やるだろうし……いつ頃終わりそう?手伝おうか?」
「いや、いい。そんなことフィルチにバレたら、また一からやり直しだ」

それっきり、こちらの存在など始めからなかったかのようにトロフィー磨きに専念するラルフに、はやっとのことで言葉を発した。

「……うん、そうだね。ごめんね、邪魔して。じゃあ……先に帰ってるから」

返事すら、ない。絶望的な思いで、彼女はひっそりとトロフィー室を後にした。

A FINAL PROMISE

さよならのやくそく

精神的に不安定なこの状態で臨んだ期末試験は、これまでで最低の出来だった。実技試験はあまり問題なかったのだが、暗記物がさっぱり分からなかったのだ。中でも魔法薬学は最悪で、リリーのように調合のセンスもなければ材料や攪拌の方法などをほとんど覚えていなかったため、三つの課題のうち一つしか完成させられなかった。

(結局はラルフと一言も話してないし……)

もう、やだ。踏んだり蹴ったり。変身術や防衛術の実技がそんな薬学の点数を何とか補ってはくれたのだが。

「……ひょっとして、私って恋愛に向いてないのかも」
「なんだ?恋煩いか?」

    と。何の前触れもなく背後から声をかけられて、は飛び上がった。ひとりでふらりと立ち寄った天文台の塔。憎いほどの晴天を見上げ、ぼんやりと物思いに耽っていた。
振り向いた先に悠然と立っていたのは、相変わらず飄々とした掴みどころのない防衛術の教授だった。

「せっ、せせせ先生!いつからそこに……」
「たった今だよ。いや、、独り言は言っておくものだよ。どこかでそれを聞いた誰かがふとしたときにそれを思い出して君のために動いてくれるかもしれない。もっとも、その逆も然りだ。独り言にも注意が必要だな」
「ええと……いえ、その、変なこと聞かせてすみません……」

ぼそぼそと尻すぼみに答えて、は恥ずかしさのあまり下を向いた。聞かなかったことにしてそのまま立ち去ってくれればいいものを、どういうわけかリンドバーグは無遠慮に塔の上へと進み出てくる。うろたえて口ごもる彼女に、手摺りまで歩み寄ったリンドバーグはあっけらかんと聞いた。

「ここにはよく来るのかい?」
「え?ええと……そうですね、たまにふらーっと……先生は、どうして?」
「ああ    この職を退く前に、もう一度ホグワーツをよく見ておきたくてね。城内を歩き回っていたんだよ」

さらりと言ってのけたリンドバーグに、は思わず上擦った声をあげた。目を丸くして、尋ねる。

「え?あの……先生、辞められるんですか?」
「ああ。契約はきっちり一年だ。私は元の仕事に戻るよ」
「元の仕事って……何をされてたんですか?」
「知ってどうするんだい?その頃にはもう私はここにはいないよ」

それは、そうかもしれないけど。口を噤んで項垂れるに、リンドバーグは僅かに皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。

「大したことじゃないよ。地方の出版社に勤めていたんだ。『アルバス・ダンブルドア』の頼みとあってね……編集長に、社会勉強だと思って行ってこいと追い出された。これからは、『教育に携わった経験のある身としてより斬新な切り口で』    まったく、一年で一体何が分かると言いたいんだか」
「出版社?すごい……じゃあ、これまでも教育関係のお仕事とかされてたんですか?」
「いや、生憎、私は子供の育成には興味はない」

とんでもない爆弾発言を聞いたような気がして、は唖然とリンドバーグの横顔を見上げた。子供の育成に興味はない?それじゃあ、何でこんなところで先生なんてやってたの?教え方だって、すごく良かったのに。

「ああ、誤解しないでくれよ。子供が嫌いと言ってるわけじゃない」

その口振りはどう好意的に受け取ろうとしても、決して子供が好きと言っているようには聞こえなかったので、は心持ちリンドバーグと距離を取った。そうか……先生、子供のこと好きじゃなかったんだ。リンドバーグはそんなの行動にもまったく無頓着で、ぼんやりと校庭の眺めを見下ろしている。

「ああ……学生は元気だな」

しみじみと。校庭で各々、くつろいだり、駆け回ったりしている生徒たちを見やり、リンドバーグがつぶやいた。だがその目はどこか、より彼方を見据えている。そのことは、子供ながらににもはっきりと分かった。

「先生だって、元気な学生時代があったんでしょう?」
「ああ……そうだな。確かに、あの頃は元気だったな」

リンドバーグが、自嘲的に笑む。年をとると、みんなこうなるのかな……ふとそんなことを考えて、気が重くなる。だめだ……どんどん暗い方向に思考が傾いていく……。

「ミス・

真っ直ぐに前を向いたまま。リンドバーグがの名を呼んだ。僅かに首を傾げながら、そちらを向く。

「はい?」

いつの間にやら目を閉じ、額に軽く手を添えて動きを止めたリンドバーグは、やがてゆっくりと顔を上げ、こちらに向き直りながら慎重に口を開いた。

「君の実技の結果は……悪くなかった。その調子で、これからも学びなさい」

不意打ちで成績のことを言われるとは思っていなかったので、は驚いた。そもそもすでに結果は授業で手渡されている。褒められたことは素直に嬉しかったが、どこか胸騒ぎに似たものを感じて彼女は我知らず眉をひそめた。そうしている間にも、リンドバーグは先を続ける。

「誰のためでもない、自分の未来のために学びなさい。学べば道は開ける。自分の進む道は自分の力で、自分の意思で選びなさい。そのために、学ぶんだ。いいね    約束してほしい」
「え?先生……どうしたんですか?」

いきなり大真面目に、何を言っているのだろう。気圧されて、心持ち後ろに引きながら問いかけると、リンドバーグは少しだけ眉間に力を入れ、悩ましげに目を細めた。

「今はまだ……何も聞かずに、ただ約束してほしい。驕らずに、だが自分に自信を持って、学びなさい。そのときが来れば、分かるようになるよ」
「……先生?どういう意味ですか?『そのとき』って……何なんですか?何があるんですか?」

それは否応無しに、三年前のダンブルドアの言葉を思い出させた。物事を知るには、適切な時期がある。今はまだ……。同じだ。まったく同じだ    あのときと。
すると、リンドバーグは聞き分けのない子供に言い聞かせる仕草そのもので、腰を屈めて真っ直ぐにの顔を覗き込んだ。

「よし……それじゃあ、こうしよう。学びなさい、しっかりと。そして五年生のOWL試験で好成績を収めれば、そのときは君のお父さんが知らないお母さんのことを話してあげよう」
「え……お母さん?父さんの知らない……それ、どういう意味ですか?」

意味が……分からない。どうしてそこで、母さんが出てくるの?

「どういうことですか?先生……先生は母のこと、知ってるんですか?教えてください    『そのとき』って何ですか?それが母と、何の関係があるっていうんですか?」
「すまない、……君にはまだ少し、早い気がするんだ」
「そんな!私、一年生のときからずっと待ってました……ダンブルドア先生が言ったんです、私の組み分けをやり直したとき……今はまだその時期じゃないから、だから事情は話せないって。私の組み分けのことと何か関係があるんでしょう?私のことなのに、どうして私が知っちゃいけないんですか?」

は勢いだけで捲くし立てたが、組み分けの話が出た途端、リンドバーグは突然厳しい顔をしてきつく眉根を寄せた。そのことに驚いて、思わず口を噤む。彼は唸るように囁いた。

「いや……君の組み分けの話は、聞いている。だがそのこととは関係ない」
「そんな……でも、それじゃあ一体何が……」
    約束しよう、。君はOWL試験で最善を尽くす。その結果如何で、私は君に私の知っていることをすべて話す。それで納得してくれないか?」
「OWLって……だってそのときにはもう、先生はここにいないんでしょう?」
「私はバジルドンにいるよ。ふくろうを飛ばしてくれれば、どこにでも    あぁ……イングランド内だったら、どこにでもすぐ行ける。ロンドンなんてあっという間だよ」

そう言った彼は、の前で初めて、心底穏やかな笑みを浮かべたように見えた。そっと伸ばした大きな手で、の頭を撫でる。それは本当に優しい、慈しむような手付きだった。不意に、頑なだった心をじわりと溶かされていく。

「だから、約束しよう。OWL明けの夏休み……ロンドンで、会おう。それまでしっかり、学びなさい。いいね?」
「……はい」

項垂れるようにして、彼女は瞼を伏せた。OWL試験後……あと二年、か。まだまだ先は長そうだな。だがダンブルドアのときとは違って、明確な期限を示されたことは確かに大きな安堵には違いなかった。
の頭から静かに右手を離して、リンドバーグが囁く。

「私がこの職を辞すれば、そう頻繁には会えなくなる。別れの言葉として、大したことが言えるわけじゃないが
    君はお母さんに似て、笑顔がとても魅力的なのだから……もっと、笑っていた方がいい。壁にぶつかったときも、たとえ涙が出るほどつらくとも……笑っている方が、いい。君の笑顔に癒された誰かが、いつか君の役に立ってくれるはずだよ」

今まさに泣き出しそうな顔をしていたは、なんとか瞬きをこらえてようやく声を発した。

「先生……これだけ、聞いていいですか?先生は……ひょっとして母の、お友達だったんですか?」

不意に、気が付いた。リンドバーグの年代、そして彼が、このホグワーツの出身者だということ。
彼はどこか翳りを帯びた微笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を伏せた。

    ああ。同級生だった。彼女ほど自然に多くの人間を惹き付ける魅力を持った魔女を、私は他に知らない」
そして二年後の再会を約束したリンドバーグは、宣言通り学期最終日を迎えるとともにホグワーツを立ち去った。城を離れる前にがふらりと立ち寄ると、あれだけ散らかっていたはずの彼のオフィスは、今や人の暮らした気配を感じさせないほどに無機質な体相を晒していた。
これは、ずいぶんと後になってから思い付いたことだが。

リンドバーグはきっと、母のことを愛していたのだろう。ふと、彼の瞳を思い出したときに、は強く、そう感じたのだった。
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(08.02.24)