「私は恥ずかしいですよ」

はっきりと失望の色をにじませて、マクゴナガルが口を開く。彼女は腫れた口元に絆創膏を貼り付けた情けない姿の寮生ふたりを厳しい眼差しで見据え、尋ねた。

「一体何があったのですか?」
「いえ……大したことじゃ、ないんです。お騒がせして、申し訳ありませんでした」

右手に立つ、僅かにくせのある黒髪を短くまとめた青年が答えると、その傍らの男子生徒は一瞬険悪な目付きで彼の方を見やったが、寮監の手前、口には出さずにおとなしく前へと向き直った。
深々と息をつき、マクゴナガルが軽く頭を振る。

「とにかく、喧嘩はホグワーツの規則違反です。おまけにお互い怪我をするまで殴り合うだなんて……グリフィンドールの生徒には、もっと気品を感じさせる行動を取って欲しいものです。グリフィンドールは二十点減点、二人には罰則を受けてもらいます」
「……はい」

項垂れるようにして一礼し、二人のグリフィンドール生は部屋を出て行った。

Sirius has SECRETS

プロパー・プライド

「お前、なんだってラルフと」
「うっせー」

二十点の減点と、クィディッチ決勝戦がある週末の罰則を言い渡されて戻ってきたシリウスは、無愛想にそう吐き捨ててベッドに倒れ込んだ。まったく……せっかくのきれいな顔が台無しじゃないか。声には出さずにつぶやき、素知らぬ風を装ってちらりと親友の顔を盗み見る。医務室で手当てはしてきたようだったが、まだ腫れの引かない頬と口元に絆創膏を貼り付けたシリウスは大の字に横になってぼんやりと天蓋を見つめていた。リーマスは気にしながらも触れないことに決めたらしく、ピーターは判断しかねてオドオドとうろたえている。
そのとき、背後で突然寝室のドアが開いたので、ジェームズは厨房から取ってきたバタービールの瓶をくわえたまま何気なく振り向いた。

「シリウス!どういうこと?ラルフと喧嘩したって……」

入ってきたのは、今のピーターとまったく同じ顔をしただった。彼女の闖入には不意を衝かれたものの、なんとか口腔のバタービールを飲み込んで、口を開く。

「あー、シリウス。『彼女』が文句言いにきたぞ」
「もう、ジェームズは黙っててよ!」

すぐさま怒鳴りつけられ、肩をすくめながらジェームズはおとなしく黙した。がずかずかと部屋の中に踏み込んでくると、ようやく身体を起こしたシリウスがばつの悪い顔で頭を掻く。そして彼女から視線を外しながら、ぼそぼそとつぶやいた。

「その……悪かったな、あいつのこと、怪我させて」
「そんなこと言いにきたんじゃなくて……謝るなら本人に言ってよ。ていうか、シリウスだって怪我してるじゃない」

彼女は純粋に、シリウスの身を案じているように見えた。ジェームズはそのことに驚きながら、がシリウスのベッドに歩み寄り    だがさして近付かないうちに足を止め、次の言葉に迷っている様子を眺めた。

「あの……その、ひょっとしてって……私の思い過ごしなら、それでいいんだけど……でも、もしかしてって……」
「何だよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」

お前が喧嘩腰になるなよ。口を挟もうかとも思ったが、があまりに切羽詰った表情をしているので、ジェームズは何も言わずに黙って二人のやり取りを見守った。
声量を落として、ひっそりと、がつぶやく。もっとも、どうしたところで静まり返ったこの部屋においては聞き逃す音などほとんどありえないが。ピーターの唾を飲む音すら聞こえてきそうだ。

「あの……ひょっとして、昨日のこと?」
「昨日?」
「だから……その、昨日のルーン語の後!私が、シリウスに余計なこと言っちゃったから……ってジェームズ!こっち見るな!」
「えっ!あ    いや、気のせいだよ、。気のせい」
「じゃあ向こう向いててよ!向こう!ピーターも!」
「ひっ!ご、ご、ごめん……」

指摘されたピーターはベッドの上で飛び上がって、慌てて天蓋からぶら下がるカーテンを引いた。ジェームズも仕方なく、二人に背を向けて残りのバタービールを飲む。背中に目はついてないけど、聴覚は三百六十度ちゃーんと効くんだよ、

やや間があって、つぶやいたのはシリウスだった。

「昨日のことは、関係ない」
「で、でも……だってシリウス、ラルフとは……そんなに仲悪かったわけじゃ、ないじゃない……」
「つまんねーことだよ。お前が気にするようなことじゃない。それより、あいつのとこには行ったのか?」
「それは……まだ、だけど」
「えっ?ラルフのとこ、行ってないの?」

思わず声をあげたジェームズは、にすぐさま鋭く睨み付けられてあっさりと口を噤んだ。
はあ、と大きく息をついて、シリウス。

「だったら、俺なんかじゃなくてあいつのところに行ってやった方がいいんじゃねーの?」
「それは……分かってるよ、そんなの。せっかく心配してあげてるのに、可愛くないの!」

もどかしさを詰め込んだような声で怒鳴りつけ、は脇目も振らずに部屋を飛び出していった。ようやくシリウスの顔を見ることができ、その何とも言えない複雑な表情を捉える。撫でるような心地で、ジェームズは空っぽの瓶を掴んだまま、ひっそりと声を発した。

「昨日のことって、何だ?」
「……言いたくない」
「おーいみんな、聞いてくれー。こいつ、ついに秘密ができたぞー。思春期の到来だー」
「うっせージェームズ!つまんねーこと言ってる暇があったらクィディッチの練習でもしてこいってんだ!」
「お生憎様。今日は五年と七年の補習があるから練習は休みなんだよ」

軽く口笛を拭きながら言いやると、シリウスは握った拳をベッド脇に叩きこんでイライラと立ち上がった。きょとんとして見上げるこちらのことは無視して、ひとりでさっさと部屋を出て行く。
残った三人はしばらく無言でルームメートの立ち去ったドアを見つめていたが、やがて困り果てたピーターが消え入りそうな声でつぶやいた。

「……どうしちゃったんだろうね、二人とも」
「さあ?まあ、なかなか只ならぬ雰囲気ではあったね」

軽く返して、脇のテーブルにバタービールの瓶を置く。だがジェームズの頭の中には、半ば確信に近い一つの推論ができあがっていた。

(……あいつ、ひょっとして、)
    本当だ。私はどうして、真っ先にシリウスのところへ駆けつけたのだろう。当てもなく、ふらりと城内を歩きながら嘆息する。どうしよう。ラルフとシリウスが喧嘩をして医務室で手当てを受けているという噂を聞きつけて、無意識のうちに爪先が向いたのはシリウスのところだった。シリウスに、会いに行かなければ。何とはなしに、そんなことを思った。殴り合いの喧嘩をしたと知って、真っ先に案ずべきはもちろん恋人のことではないのか?

(でも……飽きられちゃったんだよね、私って)

あれは別れの台詞だったのだろうか。判然としない。だがそれを問い質す勇気は、ない。

(あれから……ずっと避けられてるしな)

約束をした日でなくとも、自然と二人で集まっていた放課後の図書館。いつもの座席に、今はラルフの姿はない。
またひとつため息をつき、廊下の角を曲がったところではその陰から出てきた誰かともう少しでぶつかるところだった。慌てて足を止め、心持ち身体を引きながら咄嗟に詫びる。

「す、すみませ……」

だが眼前の人物が誰なのか分かると、あ、と声をあげて思わず口を閉ざす。現れたのは、スリザリンの同期生、ロジエールとウィルクスだった。どこか嘲るように笑みを浮かべながら、ロジエールがゆっくりと肩をすくめる。

「これはこれは……失礼しました、さんよ」
「……どうも」

眉根を寄せながら短く挨拶を返し、二人の脇を通って歩き出す。一秒でも早く彼らから離れようと急ぐを尻目に、すぐさまロジエールの声が後ろから追いかけてきた。

「お前、サイラスと付き合ってるんじゃなかったのかよ」

ぴたりと足を止め、無意識に拳を握る。ロジエールは軽い調子でさらにそのあとを続けてきた。

「それが今度はシリウスか?なるほど……なかなかいい趣味だな」
「……なによ、あんたに関係ないでしょう?第一、シリウスとはそんなんじゃ」
「隠すなよ、みんな知ってるぜ。お前らが授業サボって裏庭でいちゃついてたなんてな」

何だって?信じられないものを聞いて、振り向いたはしばし言葉を失って呆然と立ち尽くした。いけ好かないスリザリン生の嘲笑を見つめ、思案する。単なるはったりか、それとも本当に誰かに見られていたのか。考え込んだ挙げ句、彼女は下手なごまかしを諦めた。

「あれは……あれはね、あんたたちがつまらないことでシリウスを縛り付けてるからいけないのよ。純血だ、家の名前だ……そんな下らないことで。だからシリウスは、ああやって……ずっとずっと、苦しみ続けて。私は『友達』として、彼の話を聞いてただけよ。何でもかんでもそうやってすぐにつまらないことで勘繰るのやめてくれない?迷惑なのよ」

何かを聞き咎めたのか。突然、ロジエールの顔が険悪に歪められた。そのことに少なからず戸惑い、は思わず、一歩、後ろに下がる。ロジエールはその場から動かなかったが、はっきりと蔑んだ眼差しでこちらを睨み付けた。

「『つまらないこと』?お前みたいにマグルだか魔法使いだか、その血筋がすっかり分からなくなってるような連中に分かるものか」

ロジエールの顔付きは、これまでにが見たことのないほど、明瞭な憤りに満ちていた。気圧されて、額にじとりと嫌な汗がにじむ。そうしているうちにも、彼はほとんど表情を変えずに言ってきた。

「俺たちが負ってるのは、何十年も何百年も……ずっと保ち続けてきた高潔な印なんだ。お前に何が分かる。お前にシリウスの……俺たちの痛みが分かってたまるか。お前らみたいな連中がいるから血が乱れるんだ。俺たちの築いてきたものを、お前やポッターのような連中があっさり打ち壊していくんだ」
「………」

何も言い返すことができずに、唇を噛んで視線を逸らす。ロジエールは音を立ててその場に唾を吐き、素早く踵を返した。

「行くぞ、ソキウス。不愉快だ」
「……ああ。、あんまりこいつを怒らせるなよ。後で扱いに困るのは俺なんだ」

言葉ほどにはさほど困った様子も見せず、そう言い残してウィルクスもまた廊下の向こうへと消えた。ひとり取り残された廊下の隅で、なぜか込み上げてくる空しさに、涙の溢れそうになるのをこらえる。シリウスの……純血の、痛み。私には一生、分からない。

(分かるはずないじゃん……だって私、純血じゃないんだもん)

あんたには分からないよ、ロジエール。純血じゃない魔法使いの気持ちなんて、一生。

(シリウスの気持ちなんて……一生)

声には出さずにつぶやいて、は二人の立ち去った廊下に背を向け、振り切るように歩き出した。
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(08.02.24)
Sirius has SECRETS!! ...James