隠しているつもりは毛頭なかった。だが気恥ずかしさが先行して、人前では以前とほとんど変わらぬやり取りを続けていただけのことだ。だがそれでも人の口に戸は立てられぬもので、とラルフの噂はあっという間に他の寮にまで知れ渡っていた。もっとも、広めたのは九割方あのバーサ・ジョーキンズだろうが。

「君、一体いつからラルフと?」

リリーがスラッグホーンのお気に入りを集めた恒例のナメクジ・クラブのため談話室を留守にしているとき、ひとりでふらりと姿を見せたジェームズがさり気なく聞いてきた。ジェームズもシリウス同様ナメクジ・クラブに勧誘されているうちの一人だが、クィディッチの練習を口実に度々パーティを欠席しているようだった。
ぎくりと身を強張らせ、取り掛かっていたレポート用紙を知らず知らずのうちに自分の手元へと引き寄せて、心持ちジェームズとは反対側に身体を倒す。周囲の誰もこちらに注意を向けていないことを確認してから、は声を落として早口に捲くし立てた。

「ちょっと前……ホグズミードに行ったときだよ。私だって、いろいろあるの!」

ふうん、とどこか冷めたものをにじませて、ジェームズ。彼はどうということもない素振りでの傍らに座り、テーブルの上にどさりと片足を投げ出しながら口を開いた。

「いろいろあるのは分かるけどさ……君って、あいつみたいなのが好みだっけ?」
「ええと……好みっていうか、そういうの……実際好きになっちゃうと、あんまり関係ないんじゃない?」
「ふーん、そっか。ラルフのこと、好きなんだ」

ラルフのことが、好き。その響きに少なからず頬を紅潮させながらも、はジェームズの言葉の端々に含まれる苦々しい音に胸を痛めた。ジェームズは曇った天気の話でもするかのように天井を仰ぎ、

「別に、君が誰を好きになろうと、誰と付き合おうと、僕に干渉する権利なんかないけどさ」

そしてゆっくりを立ち上がり、ポケットに両手を突っ込んで足を踏み出す直前、独り言のような口調で囁いた。

    でも、どっかからの噂話なんかじゃなくて、君の口から直接聞かせてほしかったな」
「……ジェームズ    

ソファの上で思わず身を乗り出し、彼の名を呼んだが。
振り返ることなく、ジェームズはまるで何物も自分を呼び止めなかったかのように、迷いなく男子寮の階段を上がっていった。

JUMBLE of ANYTHING

がらくた

ショックだった。ジェームズがあんな風に、突き放した物言いをするだなんて。
誰かを好きになったら、真っ先に君に教えるよとジェームズは言った。私はそんな誓いはしていない。けれども彼が約束した以上、私も話すべきだったのではないか?たとえそれが口約束だったとしても、そのときが来なければ何も分からない。分からないままにそのときを迎え、私は彼に何も伝えなかった。
告げねばならぬという義務はない。けれども告げるべきだという義理はなかったか?

分かっている。分かっているんだ。後ろめたさがあったから、私はジェームズに何も言えなかった。
リーマスのことが好き。リーマスの力になりたい。その想いがあったからこそジェームズは私に彼の秘密を打ち明けたし、リーマスは私に重大な秘密を打ち明けてくれた。それなのに、いつしかこの想いは別の方向を向いていた。ラルフ。私だけを見つめていてくれる、ラルフを。彼の真っ直ぐな瞳に、私もまた惹かれていった。彼と一緒ならば、この先もずっと笑っていられる。安心して身を任せられる。そう思った。
悩んでいるのなら付き合ってみればいいと言ったのはリーマスだ。けれども。でも。

「君、そこの    ミス・

ぼんやり廊下を歩いていると、ふいに名前を呼ばれては飛び上がった。見やると、数メートル先の階段を上がってきたばかりのリンドバーグが、横幅が優に一メートル半はあろう大きな黒塗りの箱を大儀そうに抱えてこちらを見据えていた。

「浮かない顔をしている君に、立派な仕事をあげよう」
「へ?は……」
「つまらない物思いに耽るのは、君が限りなく暇を持て余しているからだよ。忙しなく動いている間は誰でも無心になれる。今の君に最も必要なことだと思うね」
「いえ、私は別に……暇じゃ」
「つべこべ言わずにこれを私の部屋まで運んでおきなさい」

有無を言わせぬ口調で、リンドバーグ。相変わらず表情の読めない顔付きを保っているので、冗談とも思えずは思い切り肩を落とした。めんどくさい人に捕まってしまった。いや、誤ってミセス・ノーマを蹴飛ばしてしまったときのフィルチほど手に負えないものではなかろうが。

「先生……それ、ものすごく重そ    ひっ!」

なんとか逃げ口上を考えようとうめいていると、いきなりドン!とその箱の中から何物かが殴りつけたような鈍い音が響いては悲鳴をあげた。だがリンドバーグは眉ひとつ動かさず、平然と続ける。

「心配しなくてもいいよ。重量自体はさほどない。次の三、四年生の授業で使おうと思っていてね。暇すぎて死にたくなるくらいの被害妄想が止まらないようなら一足先に実習しておいてくれても構わない。ああ、もちろん放すなら私の部屋で頼むよ。この城内で逃げられてはまた捕まえるのが面倒だ」
「死にたくなるくらいの被害妄想なんてしてませんし、そもそもそんな正体も分からないような危険なもの、ひとりで勝手に放したりしませんよ!」

おかしい、おかしい。やっぱりこの人おかしい。授業自体は話を聞いていさえすれば毎回分かりやすく、進め方が丁寧なので、嫌いではないのだが、は例のケルピー事件以来、リンドバーグに苦手意識を持つようになっていた。肩をすくめて、リンドバーグが告げる。

「闇の生物が君たちの状況を見定めて襲ってきてくれるとでも思っているのかい?私の指示を無視して哀れなケルピーを昏倒させたときの君の勢いはどこへ行ったのかな」
「………」

くそー!突かれて一番痛いところを!
の不貞腐れた顔を見てもリンドバーグはにやりともせずに、黒塗りの箱を床に下ろしてくるりと踵を返した。上がってきたばかりの階段を下りていく。

「せ、先生!これ、本気なんですか?!本気で私にひとりで運べって!?」
「君は運搬係もできないのかな」
「だ、だってこの中、闇の生物が入ってるんですよね!?」
「心配性だな、君は。君が暴れて壊さない限り、その箱からは出られないよ」

あっけらかんとそう言って、後ろ姿のリンドバーグが愛想程度に片手を上げる。私もすぐに行くから、先に運んでおいてくれと付け加え、彼はさっさとの視界から姿を消した。愕然と肩を落とす。

「な、何で私がこんなこと……」

ちょうどそのとき、再び箱の中から大きく木の板を打ち付ける音がして、は二度目の悲鳴をあげた。
「ご苦労だったね」

部屋に戻ってきたリンドバーグは、脇に分厚い封筒を四、五通挟んでいるだけだった。確かに彼の言う通り、運ばされた箱はそこまで重さのあったものではないが、それでも小柄なには運びにくい代物であることは間違いなかった。か弱い生徒に闇の生物を押し付けて、自分は手紙を持ってきただけか?くそー!世の中の不条理ってこういうことだ!

「それでは……私はこれで」
「待ちなさい、ミス・

彼と入れ替わりに部屋を立ち去ろうとしたを、どうということのない口振りでリンドバーグが呼び止める。何を言われるのかとドギマギしながら振り向くと、彼は火の入った暖炉の中に、持ってきた封筒の一つを滑り落としながら、

「帰ったところでどのみち暇だろう?お茶でも飲んでいかないか?フリットウィック先生に分けていただいたチョコレートがあってね、私ひとりでは食べきれないと思っていたところなんだよ」

えっ!?私……今、あのリンドバーグにお茶に誘われてる!?
まったく想像できなかった展開に呆然としているの意識を、部屋の隅に置いた例の箱から響いた打撃音が引き戻した。

「そ、それじゃあ……いただいてもいいですか?」
「ああ。使うだけ使ってポイと捨てるような輩とは違うんだよ、私は」

リンドバーグはいつもより何やら皮肉めいたものをにじませて呟いたが、別段返事を求めているようでもなかったのでは何も答えなかった。いずれにしても、何と言えばいいのかよく分からない。『そうですね』、『そうですか?』……ううん、やっぱり沈黙が吉だな。
リンドバーグが取り出した杖を振ると、どこからともなく現れた椅子がの傍らに落ちた。ありがとうございます、と言ってその上に腰掛け、改めて室内を見回す。もちろん、あからさまにならない程度に。

リンドバーグのオフィスは    有り体に言えば、雑然としていた。レポートの提出などで何人かの先生の部屋を訪ねたことはあるが、ここまで整頓のできない教授も珍しい。潔癖そうな    実際、そのオフィスは全体として秩序立っていた    マクゴナガルが見れば、最悪の場合は怒り出すかもしれない。そうした状況すら考えられるほどに。
こんなところで生徒をお茶に誘う神経もなかなかのものだと、は漠然と感嘆していた。二方の壁に置かれた背の高い本棚にはぎっしりと小難しそうな本が並べられているが、その並べ方はまったくもって統一感がなく凸凹している。簡易クローゼットの扉からはしわだらけのローブが二、三枚はみ出しており、その下には片方だけの黒い靴下が落ちていた。デスクの上もが来たときには書類や筆記具、封書の類が山のように積まれていたのだ。今はティータイムのために杖を振ってそれらを片付けたのだが    片付けたといっても、単に後ろの棚の中にすべて無造作に放り込んだだけだった。初めて見たときから、その風貌は身だしなみへの無頓着さを証明していると感じていたのだが……まさか、ここまでとは。

(重要な書類とかなくなってたら……私のせいにされちゃうのかな?)

ふとそんなことを考えて、恐ろしくなる。まさか、まさかそんなこと!

「あまり人の部屋をじろじろと眺め回すものではないと思わないかな、ミス・

杖を一振りし、やかんを暖炉で燃え上がる火の舌先に浮かべたリンドバーグがさらりと言ってくる。視線だけで部屋の様子を盗み見ていたはずのはぎょっとして椅子の上で飛び上がった。

「す、すみません……あの、すごく個性的な部屋だったので、つい」
「個性的?よく言われるな、お前の辞書には整理という言葉はないのかとね」

なんだ、分かってるんじゃないですか。声には出さずに、独りごちる。その声が聞こえたはずはなく、リンドバーグはデスクの引き出しから両手に収まりきらないほどの大きさの茶色い包みを取り出して続けた。

「誰にでも得手不得手があるだろう、ミス・。私はどうも整理という単語を持たずしてこの世に生まれてきたようだ」
「あー……その、そうですか」

そうとしか言えず、そう言う。彼は滑らかな手付きで包みのリボンをほどき、急場凌ぎで片付けたデスクの上に置いた。中には一つ一つを個別に包装したチョコレートが無数に詰められている。リンドバーグが手だけで勧めてきたので、は軽く頭を下げてそのうちの一つを取った。

「常に身の回りを整頓できる人間はこう言うな。そもそも何も持たなければいいとね。散らかすだけの物を持っていないんだよ。なるほどそれが最も賢いやり方だろうと思う」
「……はぁ」
「だが私は、どうも物が捨てられない性分でね。半年でこの有り様だ」

本当に、教室の外で出会えばよく喋る人だな。ハロウィンのホグズミードを思い出し、はまじまじとリンドバーグの顔を見つめた。どうということのない、中年の魔法使い。
彼は自分も一つ手に取ったチョコレートを口にふくみ、物憂げに室内を見回して嘆息した。

「捨てられないな、何も。不要なものなんて何もない。身の回りを整理するということは何かを捨てるということだ。君は整理が得意かな、?」

相槌を打つことに慣れてしまっていたので、自分に問われたのだと気付くにはほぼ二呼吸ほどを要した。はっと目を開き、首を振る。

「いいえ、そんなには……あ、でも先生よりはましだと思います」

するとリンドバーグは声をあげて笑い、チョコレートの甘い香りを漂わせながら徐に席を立った。引き出しからマグカップを二つ取り出し、杖を振って沸き立ったやかんを火から下ろす。

「整理の魔法は覚えておいて損はないよ。機会があればマクゴナガル先生にでも教えてもらえばいい。私が思うに、この学校で最もその魔法が得意な魔法使いは彼女だよ。フリットウィック先生は呪文使いの達人だが、整頓に関していえばいささか私の側だと思うね」
「はぁ……そうですか。その、機会があれば」

きっとそんな機会はしばらくないだろうなと考えながら、は二つ目のチョコレートに手を伸ばした。そのとき、ふと引っ掛かりを覚えてリンドバーグの背中へと視線をやる。彼は暖炉の脇に置いた小さな机の上で二人分の紅茶を淹れていた。

「先生、ひょっとしてマグル生まれの方ですか?」

こちらに背を向けているため、彼がどんな表情をしているかは分からない。だが、リンドバーグが答えるまでには、確かに幾ばくかの間があった。ひょっとして……私はまた何か、血筋のことで人を傷付けてしまったのだろうか?先生が相手ならば、そんなことはないだろうと思っていたのだが。

「どうしてそう思うのかな?」
「あ、いえ……その、気を悪くされたんだったら、謝ります……ごめんなさい」

だが振り向いたリンドバーグは、少なくとも怒ってはいないようだった。もっとも、笑っていたわけでもないが。ただ純粋な疑問を抱いたようで、同じことを繰り返す。

「いや、そういうことではないんだよ。どうして私がマグル生まれだと思ったのか、それを聞きたかっただけだよ」
「ええと……その、先生がお水を火で沸かしてたから。薬学の授業で、熱湯を使うときはいつも魔法で沸かしてるんです。だから……ホグワーツで、そうやってお湯を沸かしてるの見るの、そういえば初めてだなって思って」
「ああ、そういうことか」

彼は合点が行ったようにうなずきながら、再びこちらに背を向けてとりあえずの役目を終えたやかんをテーブルに置いた。

「魔法界でもこういったことは間々あるんだよ。マグル式のやり方で沸かすと時間がかかるために、授業では魔法を使うのが普通だがね。茶を沸かすときはこちらの方がより良い味が出るんだ。薬学でも、もっと高度なものを調合するようになればマグル式のやり方で沸かすようになるよ」
「……そうだったんですか?」

そんな違いがあるなんて知らなかった。談話室でお茶を飲むときも、薬学の時間に習った魔法でずっと水を沸かしてきたのに。
二つのマグカップを持って戻ってきたリンドバーグは、それをこちらのデスクに置きながらまた自分の椅子に腰を下ろした。

「私も大きくなるまで知らなかったのだがね。君も知らなかったところを見ると、魔法使いの家の生まれかな?」
「あ……いえ、その、私は……」

何と言えばいいんだろう。しばらく考え込んだ挙げ句、うまい言葉が浮かばず、しどろもどろに答える。

「ええと……私は、ほとんどマグル生まれみたいなもので。母は魔女だったそうなんですけど、でも私が赤ちゃんのときに亡くなったから母のことはちっとも覚えてなくて……ずっとマグルの父に育てられたんです。魔法のことも、許可書が届くまで知らなくて……だから実質マグルみたいなものなんです。でも私、家で沸かしてるお茶と、魔法で沸かしたお茶の味の違いなんて……」
「そうか。まあ、いつか分かるようになるよ。自分がどれほど美味しいコーヒーを飲んでいたのかね」

コーヒー?言われて、ふと目の前のマグカップを見下ろすと    立て続けにチョコレートを食べていたため、香りに気付かなかったらしい。中に注がれていたのは紅茶ではなく、コーヒーだった。だがリンドバーグのカップには、レモンを浮かべた紅茶。

「……あれ。先生……何で私はコーヒーなんですか?」
「え?」

言われて、彼はずいぶん驚いたようだった。取り乱したようにこちらから視線を外し、ぎこちなく言葉を発する。リンドバーグのそんな表情を見るのは、初めてのことだった。そのことに、もまた驚かされる。

「あ……すまない。ひょっとして、紅茶の方が良かったかな」
「いえ、違うんです。そうじゃなくて」

慌ててかぶりを振り、は捲くし立てた。

「何で、私がコーヒーの方が好きって分かったのかなって思って。こっちの    あ、私、日本に住んでるんですけど    イギリスの人って、どっちかっていうと紅茶ばっかり飲んでるでしょう?だからコーヒーの方が好きって、なかなか言い出せなくて」
「そんなことはないよ。最近は英国人にもコーヒーを好む人は多い。嫌いでないのなら、良かった」

リンドバーグは曖昧に締め括り、心持ち、身体の向きをこちらから逸らした。何かまずいことを言ってしまっただろうか……気付かないうちに、知らず知らずのうちに。私の言葉は、誰かの心を抉っている。そのことをまざまざと突きつけられたようで、は膝の上で掴んだマグカップをきつく握り締めた。
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(08.02.14)
(08.10.19一部修正)