待ち合わせは、玄関ホールで。談話室は恥ずかしいから絶対にいやだと彼女は突っ撥ねた。そんな彼女を、素直に愛おしいと思った。一年生のときは、ただの「気になる同級生」だった。彼女の名をホグワーツ中に知らしめることになった転寮騒動、ジェームズやシリウスとの馬鹿騒ぎ。第一印象は    変な女。
頭は悪くない。マグル育ちということもあってときどき非常識なことを平気で口にするが、次第にそうした傾向もなくなっていった。適応度も高いのだろう。今では彼女がマグル育ちだなんて気にするやつはいない。
女として初めて意識したのは、いつだったろう。彼女が聖マンゴに入院したときか?犯人を捜して奔走するジェームズたちを見て、自分の無力さに腹が立った。同時に、彼女に近づくのが怖くなった。

彼女を気にかける男は、一年生のときから少なくなかった。何しろ転寮などホグワーツの創立史上初のことで、一見何の変哲もないはずの一新入生が、誰もの注意を引いたのだ。東洋系の彼女は小柄で、後ろに流したストレート、大きな黒い瞳が特徴的。だが、可愛い、可愛いと口にしながらも、誰も彼女に告白しようという者はいなかった。ジェームズか、シリウスか。その二人があまりに近くにいたため、勇気が出なかったのだろう。自分もまた、それを伝えるだけの度胸がなかった。男なんて所詮は誰もが臆病な生き物だ。

彼女がルーン語に興味があると言っていたのを、覚えていた。半ば賭けのつもりで、その授業を選んだのだ。本当に彼女と同じ授業になったときは、少し戸惑った。だが、同時に    覚悟を決めた。

「ラルフ!おはよう、ごめん……遅くなって」

背後から自分を呼ぶ声を聞いて、振り向く。大理石の階段を、他の生徒たちに紛れて駆け下りてくる彼女を姿を見上げ、ラルフは思わず息を呑んだ。反射的に目を逸らし、最後の段を越えてこちらの脇で立ち止まった彼女に、告げる。

「いや、全然……それより、その……」

その先を思いつけずに口ごもるラルフに、彼女は不思議そうに瞬きしたが、すぐに思い当たったように軽く髪を正しながら苦笑いした。

「あー、えーと……あの、これ、リリーが勝手に!えーと……変かな、やっぱり。慣れないことすると、ちょっと落ち着かないというか……」
「……いや、」

とりあえず、否定して。結い上げた彼女の髪を、ちらりと一瞥する。

「悪くないんじゃないか?別に」
「そ、そう?それなら、いいんだけど……」

言いながらも、やはりまだ慣れない髪型が気になるらしい。眉間にしわを寄せ、スタイルを壊さない程度にしきりに髪の毛を触っているその姿に、どきりと心臓が跳ね上がる。そちらから慌てて視線を外し、ラルフは玄関口で外出する生徒たちを逐一チェックしているフィルチを見やった。

「そろそろ行くか?あんまり遅くなったら店も混むだろう」
「あ、うん、そうだね」

前方へと足を進め、振り向くと、こちらを見上げると目が合う。ぎこちなく身体を反転させながら、ラルフは声には出さずに毒づいた。
やたらとこちらをじろじろ見てくる道行くホグワーツ生たちも気にかかるが、それは原因がはっきりしているので別段どうということもないとも言える。もとよりそれ以上に、予想外だったのは。

(……反則だろ!なんだって、こんなに    

髪型を変えるだけで、女ってやつは何でこんなにも色気ってもんが出てくるんだよ!

Gather ye rosebud while you may

命短し、恋せよ、乙女

……似合ってないのかな。

ハニーデュークスでお菓子を買って、しばらくぶらぶらとウィンドウショッピングをした後、三本の箒のバタービールで寒気に触れた身体を温めた。だがそうしている間、連れのラルフはほとんどといっていいほど喋らなかったし、まともにこちらを見ようともしない。リリーがこんなことするから……うなじだってスースーして落ち着かないし。似合ってないんだ……ラルフ、がっかりしたかな。ショック。

「この後、どっか行きたいとこあるか?」

ようやく口を開いたかと思えば、次の行き先のこと。ほとんど空になったバタービールの瓶に唇を当てたまま、は虚空を見上げて考え込んだ。

「うーん…………………ゾンコ?」
「ゾンコ!?」

ラルフが素っ頓狂な声をあげたので、つられてびくりと身体を強張らせる。何事かと目を見開くと、彼は頭を抱えるようにしてテーブルに突っ伏し、やがて抑えた声音で笑いはじめた。

「なに?それ、笑うとこ?」
「いや……だってな、お前、ゾンコって……色気ねー」
「だ……だって前はリリーと一緒だったから行けなかったんだもん!」

色気なんて……そんなもの!
こんな風に考えてるから、ラルフにがっかりされちゃうのかな。もっと女性らしく、もっと……うううう。今度はこちらが頭を抱えてうめいていると、すいと自然に伸びてきたラルフの右手がそっとの頭を撫でた。

「まあ、お前らしくて良いんじゃないか?分かった分かった、じゃあ、後で行こうな、ゾンコ」

撫でられたところからじんわり温かい熱が伝わってくるような気がして、はラルフが手を離してから思わず同じところに触れた。どきどきと、心臓が奇妙に脈打つのが分かる。どうしよう……今さら、緊張してきた。ごまかすように残りのバタービールを一気飲みして、は向かいのラルフに訊いた。

「ラルフは行ったことある?ゾンコ」
「まあ、少し覗いた程度だけどな」
「どうだった?」
「そうだな……とりあえず、品揃えはすごかったな。四方の棚に悪戯用品がぎっしり    混雑しすぎてあのときは中には入れなかったけどな」
「そんなに人気なんだ……」
「まあ、店自体が狭いからな。誰かが間違って長々花火ぶっ放して大騒ぎになってたし」

どうしよう、うずうずしてきた。やっぱり一年生のときにジェームズたちと悪戯したことの記憶がまだ身体にも刻み込まれているようだ。それをごまかすようにふと辺りを見回すと、混み合った店内の奥に見慣れた顔を見つけては思わず目を見開いた。シリウス    シリウスが、の知らない女子生徒にほとんど抱きつくような形でもたれかかっている。女子生徒の方も、うっとりした眼差しで仰ぐようにシリウスを見上げていた。何あれ、なにあれ、なにあれーーーー!!!???
シリウスの恋人を見るのは何も初めてではない。二度ほどハッフルパフの上級生と付き合っていたこともあるが、大抵はレイブンクローの美人系。グリフィンドールの女の子と交際しないのは、同じ寮だと別れた後が面倒だからで、スリザリンは論外、だそうだ。別れた後のことを考えて付き合っているだなんてにはまったく理解できなかったが。
    いずれにせよ。

(あ、あ、ああああんなに密着してる……!)

何かというとすぐに目くじらを立てる子供のようなシリウスしか知らなかったので、はただただ混乱した。へえぇぇぇ……シリウスも、男の人なんだ。ああやって女の子を抱き締めるんだ……。

「何かあったか?」

ラルフの訝しげな声で、我に返る。は慌てて彼に視線を戻し、そして再び振り向いた。だがそのときには、店内の人混みは流れ、シリウスの姿もその向こうへ消えていた。
かぶりを振って、微笑む。

    ううん、何でもない」
「……お前、そんなもん一体いつ使うんだよ」
「うーん、そうだね。いつかのラルフのカボチャジュースにでも仕込んであげようか」
「おいおい、冗談はやめろよ」

呆れたように肩をすくめながら、だがどこか楽しそうに、ラルフ。その様子に少なからず安堵し、はゾンコの悪戯専門店で買ってきた『入れ替わり薬』を紙袋の中に戻し、代わりにハニーデュークスのお菓子箱を取り出した。百味ビーンズ。前回買って帰ったときには随分とひどい目に遭った。けれども。
村の中心を外れ、降り積もった雪を溶かした上にラルフと並んで腰掛けたは蓋を開けたビーンズの箱をラルフの前に差し出した。

「はい、一個ずつ、順番に食べようよ」
「えー。俺、これ好きじゃねーし……」
「いいじゃん、普通にお菓子食べるよりこういうのの方がずっと楽しいよ」
「お前……ゲロに当たった俺の気持ちが分かるか?あれ、軽くトラウマだぞ」
「軽いのはトラウマって言わないよ」
「……可愛くねえ」

その言葉にさも傷付いた素振りを見せながら、はぷいとラルフから顔を逸らした。可愛くない。そうですか。分かってるよ、自分が可愛げのない女だってことくらい。
不貞腐れた振りをしたまま、ビーンズをひとつ取り出してしげしげと眺める。クリーム色……そこはかとなく嫌な予感はするけれども。大きなことを言った手前、捨て去るわけにはいかない。覚悟を決めて、はそのビーンズを口の中に放り込んだ。

「……あ!」
「……何だ?何味だった?」

訝しげに問われ、ゆっくりとそちらを見やる。渋面を作ったを見てラルフは憐れむように眉をひそめたが、やがてじわじわと口元に笑みを浮かべながらはにやりとした。

「やったー!やっぱり日頃の行いがいいんだよ、見て、バナナだった!」
「は……バナナ!?お前、そんなわけあるか!やせ我慢でもしてるんだろ?」
「私そんなに器用じゃないもん。ほんとだよ、やった、バナナ!」

一発目からまともな味に当たったは諸手を挙げて喜んだが、ラルフはまったく信じていない。じゃあ次はラルフだよと新しいビーンズを取り出そうとしたところ    
ぐっと突然ラルフの上半身が前屈みになり、気付いたときには睫毛が触れ合いそうになるほどの至近距離に彼の顔が近付いてきていた。はっとして、目を見開く。ぎりぎり、あと数ミリほど    実際、ほんの一瞬だけ唇に何かが触れた気がする、その極限の距離を保って。
やっと全身が沸騰しそうなほどの熱を噴き出したのは、一呼吸を置いた後だった。

「 …………ラ、」

僅かに唇を動かすと、ただそれだけで相手の唇を感じてぞくりと身体中が粟立つ。反射的に上半身を引こうとしたとき、咄嗟に伸びてきたラルフの両手がの腰を引き寄せて抱いた。
抗う間もなく、すっぽりと彼の腕の中に納まってしまう。

一瞬、呼吸すらも忘れたが。はっと我に返ったは、ラルフのコートの上から目だけを出したまま、視界に映る白い世界をただ唖然と見つめていた。もしくは何も、見えてはいなかったのかもしれない。今までに意識したことのない    ジェームズのものとも、リーマスのものとも違う、匂い。微かにバナナの香りが漂う。

初めての抱擁は、きつく、だがどこか怯えを含んだ不器用さをはらんでいた。

「……
「……なに?」

心臓は確かに激しく早鐘を打ちつけているというのに。
同時に、漠然とした安穏を感じてふと瞼を閉じる。こちらの肩口に顔をうずめたラルフの吐息が微かに耳元をくすぐった。思わず、身を捩る。さほど動けたわけではないが。

「俺、やっぱお前のこと……」

ラルフの肩に鼻先を押し付けたまま、ゆっくりと目を開けて。そして再び、閉じる。その繰り返し。ただ耳元で、相手の呼吸だけを聞く。
やがて彼はの肩をそっと掴んで少しだけ後ろに押し戻し、間近で見下ろした彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。その熱い視線に、再び身体が沸騰するかのような錯覚に襲われる。

    付き合ってくれないか、

すべての世界から切り離された、たった一瞬の永遠。
は自分の身体が自然と動くのを待ってから、相手の胸にもたれかかり、その背にそっと両の腕を回した。感じる香りを肺いっぱいに吸い込んで、静かに瞼を閉じる。

それが答えだった。
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(08.02.12)
『入れ替わり薬』……以前メールでご提供いただいたマホさんの悪戯案を参考にさせていただきました。
ありがとうございます!機会があれば実際に使用してみたいです。

Gather ye rosebud while you may... Robert Herrick