「尊敬するよ……、君って子は、ほんとに」
「あーあーあーもうやめてよ。照れるから」
「これが『愛』の力かぁ……」
「……ジェームズ
!」
小声で囁きながら、彼らは八階の廊下を歩いていた。がリーマスの秘密を聞いた隠し部屋を、ジェームズ、シリウスと三人で探して彷徨っていたのだが、ついぞ見つけられずに談話室に戻るところだ。
とのピアノを介したやり取りの後、リーマスはジェームズたちにも自ら秘密を打ち明け、そして今まで頑なに心を閉ざし続けたことを詫びたという。君たちの温かい気持ちには気付いていた。気付いていながら、傷付くのを恐れて知らぬ振りをしていたのだと。
「だいぶ前だけど、僕もフィルチから隠れるときに、この辺で隠し部屋みたいなところ見つけたよ。ひょっとして、本当に必要なときにしか出てきてくれないのかもね」
「えー。ジェームズたちにもピアノ弾いてほしかったのに」
「まあ、機会があればそのうち、ね。それまで、ピアノの思い出は君たち二人だけの秘密にしておけばいいさ」
歯を見せて笑いながら、ジェームズ。彼は太った婦人に合言葉を告げると、さっさと中へと入っていった。二人だけの秘密……なんだか、ぞくぞくする響き。
滲み出てくる笑みを押し殺し、その後ろに続こうとして
ふと。は足を止め、振り向く。
すぐ背後のシリウスは、なんとも不可解な顔でじっとこちらを見つめていた。
「な……なに?どうかした?」
「いや、別に」
ぶっきらぼうにそう言った彼はの脇を通り、談話室へと戻ろうとしたが。
その途中でやはり静かに振り返り、眉をひそめる彼女に向け、ぽつりと呟いた。
「……お前とリーマスが、ねぇ」
「はぁ?」
「あいつも趣味が悪いよな」
「は……何よ、そんなんじゃないってば!もう、シリウス!」
肩を竦めて逃げるように談話室へ入っていったシリウスに、真っ赤になったは拳を振り回して怒鳴った。
The choice is YOURS
あなたの自由というけれど
「結局、はどうするの?」
まっさらの羊皮紙を前に、は眉根を寄せながら顔を上げた。寮から下りてきたリリーが机を挟んでちょうど向かいのソファに腰掛ける。選択授業の希望は明日までに寮監に直接提出することになっていた。
「うう……ん。どうしようかな……」
「チェンバーズ先生はなんて?」
「ええと……防衛術が好きだからって、それでこれを取らなきゃダメってのは特にないんだって。興味のあるもの取ればいいよって。将来なりたいものとかあるんだったらそれに関係ありそうなものを選べばいいし、何を取ってもそれなりに有益だろうって」
言ってから、ふと思い出して、付け加える。
「あ、でも占い学はそうでもないって」
それを聞いたリリーはくすくすと笑った。
「マクゴナガル先生も似たようなこと言ってたわよね。具体的にこれとは言いませんが、役に立ちそうにないものは避けた方がいいですよって」
「え、それって占い学のことだったの?ちょっと面白そうだなーって思ってたんだけど」
「あら、それなら取ればいいじゃない?一番大事なのは好奇心よ、好奇心」
「そういうリリーはもう決めた?」
「ええ。私はマグル学と、魔法生物飼育学」
「マグル学?」
どうして。だってリリーは、マグル生まれじゃないか。
思っていたことがそのまま顔に出たのか、リリーは的確な答えを与えてくれた。
「私も随分悩んだんだけどね。どれも面白そうだけど、そんなにたくさん取る余裕はないし。でも魔法使いから見たマグルのこと、いろいろ勉強してみたいなって思って。それから、魔法生物なんてワクワクするじゃない?どんな動物に会えるのかしら」
「そうだね。私も魔法生物飼育学は取りたいなって思ってるよ。あと……もう一つくらいなにか取りたいな」
「だったら数占いにしない?」
唐突に割り込んできた声に、は反射的に振り向いた。いつからそこにいたのか、羊皮紙の切れ端を掴んだジェームズがピーターと並んで立っている。彼はのすぐ後ろまで近づいてくると、耳元で意地悪く囁いた。
「リーマスは数占いにするらしいよ」
「なっ……ジェームズ!関係ないから!そういうの!」
「ふーん。ま、いいけどさ。ピーターも数占いだって。僕はマグル学だけど。あとは、魔法生物飼育学も」
「え?ジェームズがマグル学?」
その光景がまったく予想できず、は素っ頓狂な声をあげる。リリーはジェームズのその台詞を聞いて僅かに口元を引きつらせたが、気付かなかったことにでもするらしい。すぐに顔面から表情を消し、素知らぬ風に脇を向いた。やはりリリーは、どうにもジェームズたちのことは好きになれないようだ。
「うん。ほら、のお父さんが時々送ってくれる、日本のマグルのお菓子あるだろう?ほんっとに美味しくてさ!アジアのマグルの勉強がしたいのさ!」
「それ、あんまりマグル関係ない気がするけど……ふーん、そうなんだ」
ジェームズから視線を外し、は手元の羊皮紙を見下ろした。魔法生物飼育学、マグル学、占い学、数占い学、古代ルーン語……。
「そういえば、チェンバーズ先生が言ってたんだよね」
呟くと、再びこちらを向いたリリーの緑色の瞳と目が合った。
「防衛術って最も古い学問の一つだから、本格的に勉強したいって思ってるならルーン語でもいいかもねって」
「え?、まさか将来、闇の魔術に対する防衛術の教授にでもなるの?」
驚きのあまり声を裏返らせて、ピーター。は声を立てて笑いながら首を振った。
「まさか……ただ、先生がそういうことも言ってたなーって」
「えぇ?ルーン語?やめときなよ。そんなの取るのはよっぽどの暇人か変人だって。父さんが一度本格的に勉強しようかって言ってたんだけど、四日で諦めてたよ」
「えっ!?ま、まさか……そんな大変なの、授業でやらないでしょ!?」
「だから選択授業なんじゃない?ほら、去年のOWL対策で医務室送りになった上級生、いただろう?ルーン語の時間に倒れたらしいよ」
「そ、そんな馬鹿な……」
OWL試験。確か、五年生の学年末に行われる一斉試験で、その後の進路にも大きく影響するらしい。毎年必ず複数の上級生が医務室送りになっている。そのことは彼女もよく知っていた。だが、それにしたって……。
ジェームズが脅迫じみたことを並べ立てていると、口の端を不自然に上下させたリリーが、突然ジェームズに向けて苛立たしげに声を発した。
「なに?何なの?決めるのはでしょう?どうしてあなたがそうやってのやる気を削ごうとするの?」
まさかリリーに口を挟まれるとは思っていなかったのだろう。面白いほど目を丸くして、ジェームズが言葉を止める。彼は慌てた様子で両手を振りながら、
「え?僕は別に、そういうつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもり?がどの授業を取ろうとの自由でしょう?」
「そ、そりゃあそうだよ……だから僕は別に、の邪魔をしようなんて……」
「してるじゃない。あなたがやってるのは立派な脅迫よ?」
「そんな大袈裟な……」
すっかり参った様子で、助けを求めるようにジェームズがこちらを見る。もなんと言っていいのか分からず、曖昧に笑ってジェームズとリリーを交互に見やった。とうとうギブアップしたらしいジェームズがピーターを引き連れてそそくさと寮に戻っていく。
二人の姿が完全に見えなくなってから、リリーは憤懣やるかたない形相で口を開いた。
「何なの、あの人。人のやる気に水を差すようなことばっかり言って」
「そ、そんなことないよ……リリー、ジェームズのことってなるとちょっと過敏なんじゃない?」
「なにそれ。どういう意味?」
ぎろりと睨んでくるその瞳が恐ろしく、「何でもありません」と言って黙す。やはり彼女は、神ではなかった。
(当たり前だけどね……)
むしろそのことに安堵して、苦笑する。リリーはもう一度ジェームズたちの消えた階段を睨み、こちらを向いた。
「なんだか腹が立つから、、あなたはルーン語にしない?」
「あーうん、そうだね。それがい
って、えっ!?」
「いやでしょう?ルーン語を取るなんてよっぽどの暇人か変人だなんて言われて。悔しくないの?」
「えーと、悔しいっていうか、その、別に……」
「く・や・し・い・で・しょ・う?」
「あー……うん、言われたらなんとなく、そんな気がしてきた……」
「だったら、決まり!ここは敢えてルーン語を選択して、ポッターをぎゃふんと言わせてやるの!グッドアイディアでしょう?」
「えーと……」
(さっきのジェームズが脅迫罪なら、今のリリーも同罪だと思うけど)
口には出さずに、独りごちる。ここ最近分かったことだが、彼女は時に、こちらが疲れてしまうくらい負けず嫌いになる。それが殊、ジェームズのこととなると顕著に思えるのだ。本人に言えばすぐさま不興を被るだろうが。
だが取り立てて断る理由も見当たらず、はおとなしく羊皮紙に希望の選択授業を記入した。魔法生物飼育学、古代ルーン語。これでいいや。チェンバーズのアドバイスに素直に従ったと思えば。防衛術の次に得意な変身術の教授であり、グリフィンドールの寮監でもあるマクゴナガルも、自分の思うように選べばいいと言っていた。ジェームズの余計な情報は、ひとまず忘れよう。まっさらな頭に、新しいものを詰め込むんだ。魔法史とおんなじ。私の大好きなあの魔法史だって、みんなは苦手と言っているじゃないか。そうだ、頑張ろう
ジェームズを、とことんぎゃふんと言わせてやろう。
「へー、ルーン語かぁ。君って相変わらず、ちょっと変わってるね」
談話室に戻ってきたリーマスは、の希望用紙を見るなり可笑しそうに笑いながら、そう言った。
「あ、相変わらず?変わってる?」
「そうだよ。まあ、そこものいいところだから」
リーマスに、笑顔でそんなことを言われると。嬉しくて、どきどきして。苛立つ気持ちなんて、すぐに忘れてしまう。
その様子を見つめるリリーの眼が物語っていた
『あなたたち、最近いい雰囲気ね。』
リーマスが羊皮紙を見下ろしているうちに、そんなんじゃないよ!と唇だけでリリーに告げて、は火照る頬を必死に手のひらで冷やした。
「そういえば」
ふと、思い出したように。リーマスが口を開く。
「古代ルーン語っていえば、ラルフも取ってたかな。あと、シリウスも」
いた。私の他にも、変人が二人。