「……ローブ三着、三角帽一個、安全手袋一組、それから冬用マントが一着……」
入学許可書とともに送られてきていたリストに目を通しながら、はハグリッドに遅れまいと人混みの中を縫うように進んでいった。大柄な彼の歩いた後は嫌でも人の流れが途切れるので、この喧騒の中にしては思いの外歩きやすかったが。
彼女の首元ではクロスのネックレスが揺れていた。
MAHOGHANY, 11"
杖を選んだ少年
「鍵はお持ちでいらっしゃいますか?」とカウンターの向こうから覗き込んできた小さな変な生き物に驚いて、は思わずハグリッドの後ろに隠れた。ここへ来るまでも何度かその生き物には遭遇し
一応自分たちを迎え入れてくれたのだろうが、じっと見つめられると恐ろしくてたまらない。
「安心しろ。普通にしてれば何もしてこんよ」
ちらりと後ろを振り返ってハグリッドが言った。彼は「ちょっと待ってくれ」とその生き物に言い、ポケットの中から小さな黄金の鍵を取り出してカウンターに置いた。その生物は鍵を慎重に調べてから、「承知しました」と言った。
「小鬼だ。頭がええからグリンゴッツで働いとるやつが多いな」
カウンターの者とは別の小鬼に導かれ、らは大理石の通路を通り抜けて小さなトロッコに乗り込んだ。ハグリッドの身体があまりに大きすぎて、彼女は彼の膝の上に乗ることとなってしまったが。まるで小さな子供みたいだ。少し恥ずかしくてこっそり辺りを見回すと、彼らの他には近くに誰もいなかった。
暗闇をびゅんびゅん突っ切っていくトロッコの中で、は飛ばされまいとハグリッドのごわごわしたズボンを掴んだ。彼はそんな彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でてくれた。
トロッコはとある小さな扉の前で急停車した。まず小鬼が降り、次にが飛び出して振り返ると、酔ったのかハグリッドは青くなって背を丸めていた。
ハグリッドが落ち着くまで待ってから、小鬼は扉の鍵を開けた。すると中から緑色の煙が噴き出し、それが消え去るとは息を呑んだ。輝く金貨が山のように積まれていたからだ。
「これはみーんな、お前さんの金だ。無闇に使えとは言わんが、これからは好きにしてええ」
そう言って金庫の中へと入っていくハグリッドについていきながらは声をあげた。
「え、何で?何でこんなにお金あるの?お母さんってお金持ちだったの?」
「……あぁーそれはな」
ハグリッドは苦笑した。
「実はな、奴さん七年生の末に宝くじなんぞ買いおって……たったの一枚だぞ?それが、どんぴしゃりだ!あん時はさすがの俺もたまげたぞ!ダンブルドア先生もだいぶ驚いとったわ。普通学生は宝くじを買っちゃならんことにはなっとるんだが……まぁ、買ってしまったもんは仕方ないし、ダンブルドアもそれを取り上げようなんて思わねえ。それを奴さんは……全部、未来の子供の
つまり、お前さんのために全部、残していたんだ」
は目を丸くして、もう一度辺りの金貨の山を眺めた。見たことのない硬貨だったが、これが魔法使いの世界のお金なのだろう。
「……私、全然知らなかった……」
私、母さんのこと何も知らずに。
目尻に涙が浮かんできたの肩にぽんと手を置いてハグリッドは言った。
「仕方ねえ。お前さんの父さんはマグルだし、お前さんはずーっとマグルの世界で生きとったんだ、知らねえで当然だ」
「さあ、これにでも好きなだけ詰め込むといい」とハグリッドはバッグを手渡してくれた。彼女は手当たり次第に金貨を入るだけ入れると、ハグリッドと金庫を出た。トロッコに乗り込む時に彼が嫌そうに顔を歪めるのを見て、は小さく笑った。
「俺たちの世界の硬貨は三種類。金貨ガリオン、銀貨シックル、銅貨クヌート。十七シックルが一ガリオン、一シックルは二十九クヌート
」
「あー待って待って!」
そう言っては慌てて懐からメモ帳とボールペンを取り出した。
「えー何なに?もう一回言って」
彼女がメモ帳に書き込んでいくのを見て、ハグリッドは怪訝そうな顔をした。
「何だそれは?マグルの道具か?」
「ん?何が?」
「お前さんが今持ってるやつだ」
は手元のボールペンを見て言った。
「あぁ、これはボールペンっていって書くために使うんだよ?魔法使いの世界にはないの?」
「俺らが普通使うのは羽根ペンだな」
「へ〜」
マダムマルキンの洋装店、フローリシュ・アンド・ブロッツ店、鍋屋
全てが驚きの連続だった。勝手に服の裾を縫い付ける針と糸、パクパクと歌う本、独りでに小さくなる大鍋
。
錫製の鍋を買い店を出た時に、ハグリッドが言った。
「あとは杖だな」
「杖?」
はぱっと顔を輝かせた。魔法使いの杖。うわぁ、私、ほんとにこれから魔法使いになるんだ。
二人が向かった店は見るからにみすぼらしかった。剥がれかかったような金色の文字で、扉に『オリバンダーの店
紀元前三百八十二年創業、高級杖メーカー』と書いてある。
店の前で、ハグリッドは立ち止まった。
「お前さん、杖は一人で買うてきてくれんか。杖なら店の主人がちゃーんとやってくれる。俺はちっと、別の買い物があるんでな。終わったらここまで迎えに来るから」
「え?」と不安げな声をあげそうになっては踏みとどまった。そうだ、彼は自分の買い物に付き合ってくれているだけだ。面倒を看てくれているだけだ。我侭を言ってはいけない。
はこくんと頷いて、彼が去っていくのを見つめていた。
ハグリッドが完全に視界から消えると、は店の中へと入っていった。
そこには、先客が一人いた。
「いらっしゃいませ」
柔らかくそう言ってきたのは、カウンターの老人だった。彼がオリバンダーなのか。
「こ、こんにちは」
はぎこちなく答えた。すると老人に腕などの寸法を測られていた黒髪の少年が、くるりとこちらに顔を向けて笑った。
「やぁ、君も杖を買いにきたの?」
は不覚にもどきりとしてしまい、その場で固まった。初対面でこうして朗らかに話しかけてくるような男の子に、彼女は今まで一度も会ったことがなかったのだ。
しかも少しだけ……かっこいい。
「……う、うん」
何とか自然な笑みを返そうと努力しながら、はそちらへと近づいていった。少年は邪気のない爽やかな笑顔でこちらを見つめている。
次に口を開いたのはカウンターの老人だった。
「いらっしゃいませ、さん。お目にかかれて嬉しいよ」
「え?」
とは、母の旧姓だと聞いている。は目を丸くして老人を見た。彼の瞳は銀色に輝いている。
「母を知ってるんですか?」
老人の口元は、にやっと笑った。
「あぁ、わしは売った杖も、その持ち主のことも全て覚えておる。あなたのお母さんのことも、この子のご両親のこともな。あなたはお母さんにそっくりだからすぐに分かりましたよ」
そんなすごいことをさらりと言ってのけるこの老人も、それを表情を変えずに聞いている眼前の少年も信じられなかった。私なんか昨日の朝食が何かすら覚えていないのに。
「もう少々お待ち下さい、これからポッターさんの杖を探しますから」
ポッター?この少年の名前だろうか。老人がそう言うと、少年
ポッターは軽く手を振った。
「僕は後でいいよ。いろいろ見てまわりたいし」
「しかし……」
「いや、是非そうして下さい。レディーファーストですから」
ポッターはそう言ってカウンターの奥に勝手に入り込み、棚から細長い箱を取り出しては物色し始めた。老人は呆れ顔で溜め息をつくと、に顔を向けて言ってきた。
「ではさん、寸法を測りましょうか。杖腕はどちらですかな?」
「あ、あの
」
は下から覗き込むように老人を見上げた。
「……確かに母はでしたけど……私は、です……」
すると老人は、あっと息を呑み、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「これはこれは、失礼しました。確かお父さんはマグルでしたな……いや、これは失敬」
何だか居たたまれなくなって、は老人から目を逸らすと右腕を突き出した。老人は寸法を測りながらも渋い顔をして独り言のように漏らした。
「……さんもあんなことになってしまって……残念でなりませんな」
病気のことだろうか。はどうでもいいから早くしてくれと思った。母のことは色々知りたいが、この老人の口からは聞きたくない。
寸法を測り終えたのか老人が奥の棚の方に身体を向けたちょうどその時、一本の杖を手にした少年が嬉しそうに声をあげた。
「オリバンダーさん!僕はこれにするよ!」
だが老人は、小さく肩を竦めてみせた。
「マホガニー、二十八センチ……じゃがポッターさん、杖はあなたが選ぶのではなく
」
「
『杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶ』、でしょう?分かってますよ。要は僕が気に入った杖に気に入られればいいわけだ」
そう言って少年は、手にした杖を軽く一閃した。すると。
杖の先から勢いよく金色の光の帯が放たれ、ぱちぱちと火花を散らして消えていった。老人が「おぉ!」と驚愕の声をあげる。もびっくりして固まってしまった。
「……な、なんと!」
杖をくるりと回して軽く構える仕草を見せると、ポッターは誇らしげに笑った。
「これでいいですか?」
「おぉ……もちろんですよポッターさん!」
ポッターはカウンターから出てきて老人に金貨を支払うと、にっこりとこちらに笑みを向けてきた。洒落たフレームの眼鏡が彼の瞳にとてもよく似合っていた。
「僕はジェームズ。ジェームズ・ポッター。今年からホグワーツに入るんだ。君は?」
ドキドキと高鳴る鼓動を抑えようと深く呼吸をしながらは口を開いた。
「え?私は、……あ、えーと、・。私も九月からホグワーツに行くの」
「へえ、そうなんだ!それじゃあ僕たち、同級生になるんだね。嬉しいな、よろしくね。買い物は、ひとりで?」
「ううん……付き添ってくれる人と、二人で来たんだけど……その人、ちょっと別の買い物があるからってどっか行っちゃったんだ。後でここの前まで迎えに来てくれることになってるんだけど……」
するとそのとき後ろのドアベルが鳴ったので、は反射的に振り向いた。顔を覗かせたのは明るい栗色の髪をした中年女性で、こちらに視線を留めるや否や大げさに肩をすくめてみせる。
「あ、ママ!」
「あらあら、あんまり遅いからひょっとしてそのままふらふらどこかに出掛けたのかと思ったんだけど
大人しく、まだここにいたのね」
「ひどいな!息子を信用してないの?」
「信用されたかったら少しは大人しくしてなさい」
どうやらポッターのお母さんらしい。そういえば、その大きな瞳がどことなく似ている。お母さんは恐縮した様子で店内に入ってきてオリバンダーと話し始めた。
母親の隙をつくようにこっそりと声を潜めて、ポッター。
「うちのママ、ちっとも息子を信用しようとしないんだ。ねえ、君からも何か言ってやってよ」
ええええ!?なんでわたしが?は?こいつ初対面の女の子になに頼んでんだ!
と、一区切りついたのか、こちらを振り返ってお母さんが聞いてくる。
「ジェームズ、お友達?」
反射的に「違います」と言いそうになったよりも先に、ポッターは大袈裟な手振りで「そうだよ。っていうんだ」と説明した。
「そうなの。、迷惑かけることもあるでしょうけど、これからもジェームズと仲良くしてやってね」
「え、あ……はい、もちろん」
何、なに、何なの、何が『もちろん』よ。私まだ、こいつがどんな奴なのかも知らないっていうのに!
だがポッターとお母さんのニコニコした笑顔を見ていると、それをわざわざこの場で訂正することもないだろうと思い直し、は作り笑いでもう一度頷いた。ひょっとして、イギリス人ってみんなこうなの?
「それじゃあオリバンダーさん、お世話になりました。も、また会いましょうね」
「じゃあね、。ホグワーツで会おう」
そう言ってお母さんと一緒に元気よく店を出て行こうとしたポッターは、ドアをくぐる直前に思い出したように振り返った。
「そのネックレス、素敵だね」
ポッター親子が去っていった扉を呆然と見つめ、は言葉を失った。何だったんだろう。まるで、心地良い嵐でも通り過ぎていったような。不思議な感覚。
『友達』かぁ。本当に、そう思ってくれてたのかな。
「さん、これはどうですかな?振ってごらんなさい」というオリバンダー老人の声で、はようやく意識を取り戻した。