裁判での証言を終えた後、ニースとリリーは一度実家に戻ったが、のことが気掛かりで、マクゴナガルに連絡をとって一足先にホグワーツへ戻る手筈を整えてもらったのだという。あの夜プライアの誘いを受けて湖の教室に集まった生徒たちは、全員一ヶ月ほどの罰則を受けることになるらしい。だがその晩のことを何ひとつ思い出せない彼女にとっては、それもどこか他人事のように聞こえるのだった。
「まったく
お前はお人好しが過ぎるんだよ」
プライアが病院まで謝罪に来たことを話したとき、嫌悪感を剥き出しにしたシリウスはの頭を小突きながらそう言った。
「お前、殺されかけたんだぞ?何で百発くらい殴ってやらなかったんだ」
「百発って……そんなの私の手の方が痛くなるじゃない」
「百発はともかく
それで、あっさりと許しちゃったわけ?」
理解に苦しむ、とばかりに眉をひそめるジェームズに向き直り、は同様に顔をしかめた。
「別に、許したってわけじゃないよ。でも……思い出せないんだもん、あの人に何されたかなんて。そんな状態で怒れっていわれても……全然、実感が湧かなくて」
「それってやっぱり……頭打っちゃった、ショックなのかな。そのときのことだけ思い出せないなんて」
クリスマス休暇もすでに明け、城に戻ってきたピーターが不安げな顔でを見た。
「うーん……多分。でも他の記憶は問題ないらしいし……そのまま退院してきちゃった」
「大丈夫なのかな。後になって何か……後遺症とか出ちゃったら……」
「心配しすぎだよ、ピーター。聖マンゴで問題ないって診断されたんだ。もう大丈夫だって。思い出したくなきゃ、まあ思い出さなきゃいいさ」
「で、でも……あの人、半年経ったらまた戻ってきちゃうんでしょう?僕、判決聞いたとき、びっくりしたよ。だってパパにの事件のこと話したら、プライアさん、退学くらいにはなっちゃうだろうって
」
おどおどと捲くし立てるピーターの言葉を遮るようにして。
手元の教科書を閉じ、は必要以上に音を立ててソファから立ち上がった。どうやらこちらの会話に耳をそばだてていた生徒たちが多かったらしく、談話室にいた大勢の寮生たちが虚を衝かれたようにこちらを振り向く。
彼ら全員に聞かせるような心地で、ははっきりと告げた。
「そんなの、私にはどうだっていいの。もう余計なこと蒸し返さないで」
WINTER SPRINGTIME
青春、到来…?
「遅くなったけど
退院、おめでとう」
図書館でそう声をかけてきたのは、ルーピンだった。はレポート課題に勤しんでいた手を止め、瞬きしながら顔を上げる。同じ課題の資料を探していたのか、彼の右手には魔法史関連の本が二冊ほどあった。
「あ……ごめん、邪魔したね」
「ううん、いいのいいの。良かったら、座って。あ、そこはリリーの席だから、その隣に……」
「いや、僕はいいんだ。すぐに行くから」
彼は小さく笑ってかぶりを振ってみせた。そう?と言って、は斜め前を示していた右手を引っ込める。
「ありがとう。ごめんね、みんな心配させちゃったみたいで」
「いや……僕に謝ってもらう必要はないよ。何も、できなかったんだから」
「そんなことないよ!そう言ってもらえるだけで嬉しい。ありがとう」
彼は照れくさそうに微笑んで、もう一度僅かに首を振った。
「僕はともかく、ジェームズたちの心配は尋常じゃなくてね……傍で見てて、今にも倒れちゃうんじゃないかって不安だったんだ」
「そ、そんなに?うわぁ……みんなに悪いことしちゃったな。でもそんなに愛されてるなんて、まいったまいった」
少しばかり茶化して言ってみたのだが、ルーピンは微笑んだだけで、そのことに関しては特に何も言ってはこなかった。それが逆に恥ずかしく、は赤くなっていく頬を両手で押さえて脇を向く。
資料を探しに席を外していたリリーが戻ってきたのは、ちょうどそのときだった。
「あら。こんにちは、ルーピン」
「ああ……エバンスさん。それじゃあ、さん、邪魔して悪かったね」
彼はリリーに場所を譲って後ろに下がりながら、に軽く目配せしてそのまま去っていった。不思議そうにその後ろ姿を見送ったリリーが、ふとこちらの様子を見て目を見張る。
「……あなた」
「え?なに?」
クリスマス休暇のあの日以来、はリリーとすっかり仲良しになっていた。ニースとも仲直りはしたのだが、彼女はに対する負い目があるせいか、行動を共にするということはあまりない。
リリーは大真面目な顔をして、机越しにずいとこちらに上半身を近づけてきた。声を落とし、聞いてくる。
「あなた……ひょっとして、ルーピンが好きなの?」
「へっ?」
突拍子もないことを聞かれ、は思わず上擦った声をあげた。身体を起こしたリリーは正面の椅子に座りながら、難しい顔で何やら必死に考え込んでいる。
「ルーピンねぇ……ポッターやブラックなんかよりは、もちろんずっといいと思うんだけど」
「え、え?ねえ……リリー」
「でもね……彼、ちょっと何を考えてるか分からないときがあるじゃない?あ、でも勘違いしないで?もちろん、が好きになったんなら私は応援するわよ!」
「な……何の話ですか」
がっくりと肩を落として、は呻いた。
「あら……違うの?」
「……そう見えた?」
「だってあなた、耳まで真っ赤になってたから」
「ち……が」
そう言っている間にも、引いていったはずの熱が再び顔中にこもっていくのを感じる。反論しようとしたのだが、頭の中に先ほどの同期生の顔を思い浮かべてははたと動きを止めた。ルーピン。ルーピン……リーマス・ルーピン……ジェームズたちの、ルームメート。
もう、リリーが変なこと言うから!
不敵に笑んだシリウスとお馴染みのチェス盤を挟みながら、は視線だけで談話室を見回した。冬の真っ盛りである談話室は、暖炉の炎とたむろした寮生たちの発する熱とが相まってほかほかと暖かい。ジェームズとピーターはの父親が病院に置いていった日本のお菓子をつつき、二人のチェスの行方をぼんやりと見守っている。リリーはそこから少し離れたところで、他の女子生徒たちと楽しげにお喋りをしていた。彼女はがジェームズたちと付き合うことをあまり快く思っていないのだが、こういうときは何も言わずにさり気なく距離を置いてくれる。そうした気遣いがとてもありがたく、はリリーのそうしたところも大好きだった。
だが。今のは、決して彼女を探して視線を巡らせたわけではなかった。
「ルークをDの6へ
チェックメイト!」
が我に返ったのは、そうしたシリウスの声と、駒が倒れるガシャン!という音とが続け様に聞こえてきたときだった。右の拳を頭上に振りかざしたシリウスが、勝ち誇った笑みでこちらを見やる。
「今日は俺の勝ち、だな。約束通り今夜のお前の肉は、俺のものだ」
「なっ……ちょ、いつの間に……!」
「、どうしちゃったんだよ。さっきからずーっと、上の空でさ」
不可解そうに眉根を寄せて、ジェームズが口を開いた。はそちらに向き直り、必死の形相でかぶりを振る。
「そ、そそそそんなことない、よ!ない、全然ない!」
「あーひょっとして、シリウスとの勝負に飽きちゃった?こいつがいつまでも上達しないもんだから」
「な、なにを!こいつ今、俺に負けたぞ!」
「あんなにちょくちょく別のところ向いてたら、そりゃ駒の動きなんて見えないさ」
き、気付かれてた!?
は頬を紅潮させ、ジェームズを横目で睨みながら高鳴る心臓を押さえつけた。シリウスは強烈なショックを受けたようで、ひくひくとこめかみを震わせながらに向けて声を荒げる。
「なんだよ、お前、そうなのか!チクショウ、そんなに俺とのゲームが退屈か!だったら片手で本でも読みながら俺に勝ってみやがれっていうんだ!」
「な……そんなこと、言ってないでしょう!勝手に怒らないでよ!」
「あーそうかよ!どうせ俺は勝手に勘違いして勝手に怒って勝手に喚く、どうせお子様だ!ああそうだ、悪いか!文句があるなら言ってみろ!」
「あああ……もう、君たちってほんとにいつまで経っても成長しないというか、なんというか……」
頭を抱えて、ジェームズ。は勢いで立ち上がって談話室中の目が一斉にこちらを向くのも構わず、シリウスのチェスボードを正面の彼の方へと思い切り引っ繰り返した。不意を食らったシリウスは一瞬目を見開いたが、すぐにこちらを見上げて牙を剥く。
「なにすんだ!」
「へーん、ざまあみろ!私の知ったことじゃないわよ!ちょっとしたことですぐに怒って、あんたってほんと、大人気ないのよ!」
「なんだと!お前に言われちゃおしまいだよ!」
「それはこっちの台詞ですー。あんたに肉なんて、絶対にあげない」
「な!お前、卑怯だぞこのヤロウ!負けた方が勝った方に肉って、約束しただろうが!」
「しらなーいおぼえてなーい」
素知らぬ顔で口笛を吹き、はシリウスが立ち上がる前には飛ぶように談話室を立ち去っていた。拳を握ったシリウスはそれを追いかけようとしたのだが、ジェームズが何やら物知り顔で悠然とソファに凭れかかっているので、そちらの方が気掛かりになって何とかその場に踏み止まった。
『カリントウ』を頬張りながら、ジェームズがにやりと笑う。
「にもひょっとして
青い春が、きたのかもしれないね」