「判決。被告人、アイビス・プライアを、半年間の自宅謹慎処分とする。その期間、ホグワーツ魔法魔術学校は停学。来年度、一九七三年九月より同校に復学することを認める」

法廷内は僅かにざわめいたが、さほど間を置かず裁判官の一人が再び手元の書面を読み始めたので、誰もが口を噤んでそれらの言葉に耳を傾けた。

「判決理由。被告人には十分反省の態度が見られること、また成人した魔法使いでさえ自身の魔力を完全には制御できないことが時としてあり得ること。彼女が瀕死の被害者を放置したことは重大な過失であるが、前述した通り、被告には十分に反省の色が見られると我々は判断する。よってこれから半年間、保護者であるモーゼス・プライア氏の監督の下、被告人が自宅謹慎をもって己の犯した罪についてより深く省みることを期待する。以上」

被告人席に立つ少女は、真っ直ぐにその裁判官の顔を見上げ    そして無表情のまま、深々と一礼をした。

ULTIMATE PLACE

きゅうきょくのこたえ

なにか……なにか。思い出せそうで、思い出せない。ふたを閉めたその奥で疼く何物かを覗き込もうとするかのような。けれども、見えない。何も、浮かんではこない。
ジェームズとシリウス、マクゴナガルが去っていったその後で。知らぬ間に眠りについたは、浮かんでは消えていく微かな夢の中、得体の知れない吐き気を催して唇を引き結んだ。
薄暗い、部屋。鼓膜の内側で鈍く響く、幾重もの声……。

『あなたが……あなたがいるから』

私?
私が一体、なに?

『あなたのせいよ、だからシリウスは』

シリウス?
私のせいで、シリウスが    なに?
シリウス。

律儀で、不器用で。人と正面を切って向き合うのが、苦手な。だけどほんとは、すごく心根の優しい男の子。
ジェームズがいなければ、私はこの世界で生きていけないけど。シリウスがいなくてもきっと、もう。

『どうして、グリフィンドールなのかしらね?』

どうして?だって、私は    
はっとして目を見開くと。暗がりの中、は確かに目の前に人の気配を感じてふいに瞬きした。

「……お父さん?」
「おお……起きたのかね、ミス・

違う。この、声は。
次第に闇に慣れていく視界の中、ぼんやりと浮かび上がってきたのはダンブルドアの姿だった。最後に会ったのは……そう、ここへ来る前。ホグワーツの、医務室で。

「気分はどうかな?明後日には退院できると聞いたよ」
「……はい。もう、大丈夫です。先生、何でここに……」
「本当は、もっと早くに来られると良かったのじゃが」

ひっそりと言ったダンブルドアは、身体を起こそうとしたをあのときと同じように片手を上げて布団の上に戻した。

「なにか……思い出したかな?その、君が怪我をした夜のことを」
「え?」

予想だにしていなかったことを聞かれ、はぽかんと口を開いてから、やがて小さく首を振った。

「いいえ……そのときのことは、全然思い出せなくて」
「……そうか」
「あの、先生。全部……思い出さなきゃ、いけないんでしょうか?でも、私……もう前みたいに動けるようになったし、ちゃんと喋れるようになりました。全部……何もかも、思い出さなくても……記憶障害も、もう問題ないくらい回復したって、プレストン先生が」

何もかも、全部。声には出さずに独りごちた老人の言葉が、彼女に聞こえるはずもない。
ダンブルドアはほんの微かな音で嘆息し、ベッドに横たわる少女の顔を覗き込んだ。

「わしは君に……嘘を、ついた」
「え?」

今夜のダンブルドアは、何もかもが唐突すぎる。は素直にそう思った。わけが分からず目をぱちくりさせながら、相手の言葉を待つ。

「君が、飛行術の授業中に箒から落ちたと言った。じゃがそれは、嘘じゃ。わしが自分の意思で嘘をついて、周りの人たちに口裏を合わせるよう頼んだ」
「え?ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか?だって私、現にこうして怪我して……」
    落ち着いて、聞いてほしい。君は……ある、女子生徒に、五階の教室に呼び出された。そこで口論になり……暴走した(、、、、)彼女の魔力によって、君は窓から吹き飛ばされたのじゃ」

事情が、飲み込めない。私は……私は。箒から落ちて、怪我をしたわけじゃない?誰かと口論になって……五階から、吹き飛ばされた?そんな……まさか、そんな。思い出せない。何も。誰。どうして。記憶が、途切れて宙に飛び、繋がらないままに無造作に落下する。なに。誰なの、それは。私に一体、何があったの?
本当はあるはずの私の記憶がなくて。どこにもないはずの誰かの記憶が、時折頭の中を掠めては消えていく。それなら、一体。

私は一体、誰なの……?

    アイビス・プライア。君と同じグリフィンドール寮の、六年生じゃ。いや、六年生じゃった(、、、、)という方が正しいかもしれぬ。彼女は魔法界の裁判所で裁判を受け、半年間の停学処分となった」

浮かんできた疑問を彼女が口にする間も与えず、ダンブルドアは淡々とあとを続けた。アイビス・プライア。プライア。どこかで、聞いたことがある。アイビス・プライア、プライア……。

「あの頃の君には、刺激が強すぎると思うて嘘をついた。すまんかった……許してほしい」
「先生……やめてください。いいんです、どっちにしたって私、覚えてないし。でも……私、そのプライアっていう先輩のことも、あんまり覚えてないんです。そんな人と私、一体何のことで口論になったんでしょう?その人が停学になったの、私のせいなんですか?私が、こんな身体になっちゃったから    
「ミス・。君は……生死にも関わる、大きな怪我を負ったのじゃ。その事実は変えられぬ。ミス・プライアが然るべき処罰を受けるのは……当然のことじゃ。生徒の命を危険に晒してしもうた……咎は、このわしにもある。本当に、すまんかった」
「先生、やめてくださいって」

不思議と、怒りはまったく湧いてこなかった。思い出せないのだ。何も。その夜のことも、プライアという人のことも。実体のない靄に戦いを挑めと言われても、こちらは戸惑うばかりだ。はただ、身動きがとれない、言葉も思うように喋れず涙した日々からこうして脱せたことに、言い様のない感謝の念を覚えていた。プレストンに、父に、マクゴナガルに。ジェームズに、シリウス、カードをくれた友人たちに。

「先生……その夜のことはちっとも思い出せないのに……なんだか私、決まった夢ばかりをよく見るようになったんです」
「ほう……例えば、どんな?」
「お母さんが、出てきて……お母さんと一緒に、料理したり。お菓子作ったり。散歩に行ったり、犬を飼ってたり」

無灯の病室内で、相手の表情を窺い知ることはできなかったが。ダンブルドアが何も言わないので、彼女はさらにそのあとを続けた。

「あるはずないのに……そんなの。夢に見るって、やっぱり願望なんですか?お母さんのこと、あんまり思い出せないのに……夢に見るんです、お母さんの笑顔とか、お菓子作ってるときの背中とか。そんなの、あるはずないのに……私、それを知ってるんです(、、、、、、、)。頭打って、夢と現実がごちゃごちゃになってるのかも……やっぱり私、もうちょっと治療した方がいいんですか……?」

あああ、自分が何を言いたいのか、分からなくなってきた。しどろもどろに唸ったの言葉を遮るようにして、ダンブルドアはひっそりと囁いた。

「夢と現実……果たしてそこに、境界などあるのかのう?」
「え?」
「夢に現実を見ることもあろう。現実の中で夢を見る人間もおる……そこに明確な線引きなど、できやせぬ。確かに見たと思うのなら、それは君にとっての『真実』ではないかな?」

意味が分からない。目を丸くしてしきりに瞬きを繰り返す彼女の頭にそっと手を添えて、ダンブルドアは徐にベッド脇のスツールから立ち上がった。

「プライア一家が、君のところへ謝罪に来たいと申し出ておる」
「しゃ、謝罪?」
「君さえ良ければ、明日にでもここへ来る準備はできておるそうな。どうかね?」
「え、え……でもそんなの、いいのに……」
「断る理由がないのなら、申し出を受け入れてはどうかな。プライア氏は是非とも直接会って謝罪がしたいと言っておる。彼は魔法省で魔法法執行部という部署に勤める、とても責任感の強い魔法使いでのう。じゃがどうしても会いたくないというのなら、わしから断りを入れておくが」
「ええと……父は、そのことを?」
「わしから伝えてある。お父様は、君の意思を尊重すると」

そこまで言われては。断る口実も、見つけることができなかった。しばしの沈黙を挟んで、ゆっくりと頷く。

「分かった。それでは、プライア氏にはわしから伝えておこう。都合の良い時間はあるかね?」
「ええと……私は、特に。どうせ一日暇ですから」
「それでは、四時でどうかな?」
「あ、はい……大丈夫です」
「伝えよう。それでは、わしはこれで失礼するよ、ミス・。ゆっくりお休み」

ダンブルドアがにこりと微笑んだのが、気配だけで知れる。老人の立ち去ったその後で、は溜め込んでいた重苦しい息を、静かに長く、吐き出した。どうしよう……プライア。アイビス・プライア。私を、五階から吹き飛ばしたという、上級生。相手のことを覚えていない分、より恐怖が増した。殺されかけるほど、上級生と激しい口論。私……何をしたんだろう。何を、喋ったんだろう。どうしよう……何を言われるのか。
だがその翌日、娘と共に彼女の病室を訪れた男性は誠実そのものの顔付きで何度も頭を下げた。

「本当に、申し訳ありませんでした。父親として、私の監督不行き届きです。この度は、本当に取り返しのつかないことを……」

後で聞いた話だが、父は一度だけ、相手の親を殴ってやろうと思っていたらしい。だがプライア氏のあの真摯な態度に、遂にその拳を納めてしまったという。それほどに彼の振る舞いからは、心からの謝罪を読み取ることができた。
一方、当の本人    アイビス・プライアの口からは、形式通りの言葉が一通り出てきただけだったのだが。

はあらためて怒りを覚える気にもならなかった。彼女の顔は確かに談話室で見かけたことがあったし、一度だけ声をかけられたことも覚えていた。だが例の晩のことは相変わらず思い出せなかったし、必死になって謝り続けるプライア氏の姿を見ていると、それだけで何もかもを、終わりにできるような気がしていた。どのみちこれから半年は、この上級生に会うこともない。その間に何もかもが薄れていくだろう。それでいい。それでもう、終わりにしてしまおう。彼女と一体何のことで口論になったのかは気になったが、敢えてそれを問い質そうという気にもならなかった。

そしてその翌日。
はとうとう一ヶ月強という長い入院生活から解放され、友人たちの待つホグワーツという家へ戻っていったのだった。
「父さん    ねえ、待って!待ってったら!」

呼びかけて、走る。けれども大股で突き進む父は決して歩を緩めることなく、無慈悲にずんずんと帰路をたどっていた。やっとのことで追いついて、その腕を掴む。立ち止まることを強いられた父は振り向き、厳しい眼差しで娘を睨み付けた。
その形相に思わず息を呑むも、怯むことなく声をあげる。

「謝るわ。迷惑かけて、ごめんなさい。私の軽率な行動で、父さんが左遷されることになった    
「そんなことを言ってるんじゃない」

撥ねつけるようにして首を振りながら、父は彼女の手を荒々しく突き放した。その手を震える左手で掴み、青ざめた彼女は呆然と父の顔を見上げる。彼は肩を怒らせてこちらに背を向け、唸った。

「お前がこんな馬鹿な子だとは思わなかった。相手がいくらマグル育ちの子供だとしても、やっていいことと悪いことがある。その程度のことを今さらお前に説教する羽目になろうとは思いもしなかったよ」
「ごめんなさい。反省してるわ。軽率だった、もっとよく考えるべきだった。でも私、後悔はしてない。あの子があのままホグワーツでのさばっていたら、『ブラック』は確実に駄目になる。あのマグルはシリウスを落ちるところまで落とすことになるわ。父さんの敬愛する、あの『ブラック』の名が    
「いい加減にしないか!」

振り向いた父の手のひらが。乾いた音を立て、彼女の頬を叩き付けた。
さほどの力がこもっていたわけではない。だがその衝撃が胸を打ちつけた痛みに言葉を失って、彼女は身動きひとつとれずにただ見開いた目で眼前の父を見ていた。乱れた呼吸を整えながら、父がその平手を胸元できつく握り締める。

「……本来なら、お前は杖を折られてマグルの生活を強いられるところだった。お前はそれほどのことをしたんだ。半年程度の停学で済んだのは……奇跡だ。だがお前が自分のしたことの重大さに気付けないというのなら、たとえ省が許したところで私がお前の杖を折る」
「父さん    私は、間違ってない!私はただ、純粋な血を護ろうとしただけ!私の子供じみた判断を認めろとは言いません。でもこの信念だけは否定しないでください!私は、ずっとこの血を、父さんの愛する『ブラック』の血を重んじてきたんです!」
「まともな判断もできんような信念なら、そんなものは棄ててしまえ!二度と同じことを言わせるな。そのときは確実に私はお前の杖を折る」
「父さん!」

どれだけ声を張り上げても。思いのすべてを伝えようとしても。歩き出した父は止まらない。その場に膝をついた彼女の溢れ出る涙を抑えることもできない。
ようやく重い頭を上げたときには、父の姿はとうに視界の中から見えなくなっていた。父さん。私がこの世で、最も尊敬する魔法使い。他の何も要らない。ただあなたに認められるのなら、そのためならば。私はどんなことでも、こなしてみせる。そのためだけに、あらゆるものを棄てて伸し上がってきたはずだった。それなのに。

こんな。この程度の、ことで。

頬を濡らす涙を拭いはしなかった。だがそれらが吹き抜ける風に流され、すっかり乾いてしまう頃。
父の消えた、無人の通りの彼方を見据える彼女の青い瞳には、決然とした強い光が宿っていた。
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(08.01.12)